住めば、都かもしれない 4
「うぅ。胃が、ムカムカする。」
一緒にお風呂に入ろうと誘う坂野さんの誘いを振り切って、部屋に戻った私は、ベッドの上で唸っていた。
夕食で勧められるがままに調子に乗って食べすぎたせいか、どうも調子が悪くなった。
ひと眠りすれば、治まるかと思っていたけれど、甘かった。
胃が痛くて眠れない。
お茶でも飲んだら、落ち着くかもしれないので、キッチンへ行くことにした。
キッチンには、明かりがついていた。
誰かいるのだろうか。
坂野さんだったら、どうしようと思いながら、恐る恐る覗くと、ジャージの後ろ姿が見えた。
夕食の時にはいなかった中2の人だろう。
だけど、また男の人。
この寮って、男ばかりだ。
「こ、今晩は。」
振り返った相手は、私を少し訝しげに見つめた。
私より少し背が高くて、茶色っぽいくせ毛と半月形の瞳が、猫みたい。
「えっと、誰だっけ。」
少し高めの声は、寝起きなのか、かすれていた。
「今日からお世話になります、中等部1年の雲野桃です。」
しばらく沈黙があったが、その人は、ああと呟いた。
「新しい人か。自分は、野村あさ」
キッチンタイマーが、ピピピと鳴った。
野村さんは、くるりと向きを変えると、流し台の上にあったカップヌードルに手を伸ばした。
フタを剥がすと、立ったまま、麺をすすり始めた。
「あの、ちらし寿司が、冷蔵庫に入ってますよ。」
「もう食べた。こっちは、味噌汁代わり。」
野村さんは、それだけ言うと、また食べ出した。
なんだか、大学生の光くんを思い出した。
サッカーのサークルに入っていた光くんは、夜遅くに帰ってきて、夕飯だけじゃ足りないからと、カップめんを食べていた。
夜中のキッチンで、よくカップめんを食べているジャージ姿の光くんを見かけた。
見ていると、光くんは、決まって言うんだ。
「一口食べる?」
問いかけてくる野村さんが、一瞬、光くんと重なった。
やっぱり、まだまだ傷は癒えていないらしい。
私は、苦笑気味に笑うと、首を横に振った。
「いいえ、いいです。ちょっと、胃の調子が悪くて。お茶でも飲もうかと思って。」
すると、野村さんは、カップを置いた。
「待ってて。胃薬あげるから。」
「え、大丈夫ですよ。」
野村さんは、ふわっと微笑んだ。
猫の微笑って、こんな感じなのかなと思うような悪戯っぽい笑顔だった。
待っててと、もう一度言うと、野村さんは、キッチンを出ていった。
すぐに戻ってきた野村さんは、胃薬の箱を私の手に乗せた。
「結構強い薬だ。初めてだったら、1粒にしておいて方がいいよ。」
お礼を言うと、野村さんは、再び猫の微笑を浮かべた。
「おやすみ。」
その声は、するりと私の胸に入ってきた。
私のドクンと大きな音がした。
***
「もーもちゃん。朝ですよ。お・き・て。」
頭の上で響くモーニングコールを聞いて、昨夜、ドアの鍵を掛け忘れたことを思い出した。
でも、だからって、無断で入ってくるって、どうよ。
目を開けると、大きな黒い瞳が、私を覗きこんでいた。
カールした睫毛は、マッチ棒が乗りそうなほど長い。
「おはようございます。坂野さん。」
真っ白な寝巻姿の坂野さんが、眩しい。
大体、今の私にとって、純白は、鬼門なのだ。
「やだ、桃ちゃんたら。ゆりお姉様って、呼んでと言ったでしょう。」
「そうでしたか。」
「やだ、桃ちゃんのわ・す・れ・ん・ぼ・う・さ・ん。」
坂野さんは、ちっともメゲナイ。
「あの、シャワー浴びてくるので、ちょっといいですか。」
なんとか、ベッドから抜け出したけれど、坂野さんは、私の腰にしがみついてくる。
「私も一緒に入ろうか・な。」
「結構です。」
ごねる坂野さんを残して、階段を駆け降りた。
一階のバスルームとトイレは、男女にそれぞれ一つずつある。
坂野さんは、二階にいるので、女子用バスルームは、当然のことながら、誰も使っていない。
内側から鍵さえかけてしまえば、こっちのものである。
勢いよくドアを開けた途端、もわっとした蒸気に視界を遮られた。
えっと思って後ずさった時には、もう後の祭りである。
立ち上る蒸気の中から現れた背の高い人物を見た時、私は、顎が外れるほど驚いた。
「あれ、桃。お前もシャワー?」
浴室から出てきた野村さんは、私を見て、猫の微笑を浮かべた。
石化している私をよそに野村さんは、平然とブラジャーをつけている。
そう、ブラジャーを・・・・え?




