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透明な日々


失恋をしたからといって、人間は、死ぬわけではない。


私は、ずっと、義理の兄が好きだった。


だけど、光くんは、私以外の女性と恋をして、結婚してしまった。


私を妹として愛してくれても、恋愛の対象としては見てくれなかった。


それが、事実であり、まぎれもない真実だ。


「桃ちゃん。準備できた?」


階下でお母さんが呼んでいる。


時間のない人だから、急がなければならない。


「今いく。」


赤い革張りのスーツケースを手に持った私は、部屋の電気を消した。


最後にもう一度、振り返ると、薄暗い部屋は、ひっそりと静まり返っていた。


絵本を読んでくれた光君も彼の膝の上に乗っている私も、もういない。




***




車に乗ると、お母さんは、書類を熱心に読んでいた。


私のお母さんは、なかなかの美人である。


整った目鼻立ちと涼やかな目元は、知的だし、艶やかな唇は、色っぽい。


お母さんは、私の実の父親が亡くなった後、雲野忠さんと結婚したのだけど、忠さんも五年前に亡くなってしまった。


忠さんは、大きな化粧品会社の社長だったので、お母さんは、彼の後を継いだ。


周りの人達に色々言われたみたいだけど、光くんのサポートもあって、今では立派な女社長だ。


1年間のほとんどを海外で過ごす人だから、あまり会うこともできない。


先月、光くんの結婚式のために一時帰国したけれど、明日のフライトでアメリカへ行ってしまう。


「お母さん、明日は、何時の飛行機?」


「13時よ。」


お母さんは、顔も上げずに返事をした。


「学校に何時までいられるの。」


「先生にご挨拶したら、すぐ行くわ。夕方、本社で会議があるの。」


「次は、いつ会えるの。」


「どうかしら。夏の新作コレクションがあるから、7月まではかなり忙しいのよ。」


書類のグラフを睨めっこするお母さんの横顔を眺めながら、こっそりため息をついた。


仕事をするお母さんは、かっこいいい・・・だけど、好きじゃない。




***



ざわめいていた教室が、一瞬静まり返った。私に向けられる冷たい視線には、もう慣れっこだ。


「5日間も休んだと思ったら、遅刻かよ。お嬢様は、優雅でいいな。」


結婚式だってば。ハワイで挙式だったの。


「この間のテスト、20点を取ったらしいよ。あれ、平均点80点だったのよ。」


結構必死に勉強したのよ。


あんな難しいテストで80点も取れる人間の方がおかしいでしょ。


「今更じゃない。どうせ、裏口入学でしょ。」


当てずっぽうで埋めたマークシートが、当たっていたみたい。


たまにあることじゃない。


いちいち、言い訳するのも面倒なので、黙って席に着いた。


何も、大変なことではない。


何も言わずに一日が終わるのを待てばいいのだ。


私の通う私立二葉大附属学院は、全国でも有数の進学校である。


高等部の進学率は、有名私立大学と国立大学の名前が、ずらりと並んでいる。


私の在籍している中等部では、早くも大学受験を意識したカリキュラムを組まれている。


ハイスピードで進む授業や優秀すぎるクラスメイトは、正直いって、かなり負担になっている。


だけど、さすがに20点はまずいので、次の授業の教科書を開いた。


例題の数式を読んでもちっとも解らない。


頭を捻っていると、ふいに教科書に影が差した。


顔を上げると、数人の女の子達が立っていた。


あまりご機嫌な雰囲気とは言い難い。


「雲野さんて、特進寮に入るの?」


真ん中に立っていた宮下雪絵が、問い詰めるような口調で言った。


「うん。」


そうなのだ。


光くんが結婚した今、お母さんが海外へ出張している間、私は、雲野家に一人になってしまうので、学校の寮に入ることになった。そ


の寮というのが、また問題で、そこには、特進クラスのトップしか入れないのである。


トップどころか進学クラスでもない私が住めるのは、お母さんのゴリ押しがあったから。


「ちょっと図々しくない。特進寮は、特進クラスの子だけが入れるのよ。」


私は、黙って下を向いた。


正面切って言われてしまうと、返事の仕様がなかった。


図々しい立場だということは、重々承知の助。


「雲野さんは、もう少し他の人のことを考えるべきだと思う。」


ぴしゃりと言い放った宮下雪絵は、周りの女の子達を引き連れて去っていった。


考えてもどうにもならないことってあると思うのだけど。


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