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未商業化作品

人違いではありませんか? 私は聖女じゃありません

作者: ミズメ

「ようやく見つけたぞ、ジュリエンヌ・ペルチェ!」


 賑やかな夜会の片隅で、食事を楽しんでいた私は急に目の前に現れた男に、怒気のこもった声でそう呼ばれた。


 そちらをチラリと一瞥すると、淡い金の髪に下まつ毛が多めの翠の瞳が私を忌々しげに睨みつけている。


 ――いや、誰だろう。


「ジュリエンヌ・ペルチェ!」


 見覚えがあるようなないような、そんな朧気な記憶しかなかったので知らないふりをしようとした。だが、男はまたその名を呼ぶ。


 苛立たしげに名前だけを何度も呼びつける男に、私は内心ため息をつきながら顔を上げた。


「……あの、私」

「お前に話がある!」

「いえ、あの、私は」

「言い訳は聞かんっっ!!」


 出来るだけ穏便に話を済ませようとするが、相手は私の話を遮るばかりだ。

 そのせいで周囲からざわめきが広がり、注目の的になってしまった。


 言い訳も何もありはしない。ただ、私の話を聞いてもらいたいだけなのに。どこか悦に入ったような表情のその男は、大きく胸を張った。


「ジュリエンヌ。今日限りで、お前との婚約を破棄する!」


 男の声高な宣言が響き渡り、賑やかだった会場は水を打ったように静まり返った。


 私はといえば、「はあ、そうですか」位の感情しかない。

 しかしそのひと言で、ようやくこの男が何者であるかが分かった。


 ジュリエンヌの婚約者と言えば、ロドリグ・プレヴァン伯爵子息だ。今の今まですっかり忘れていたが、そうだった。


「ロドリグさまぁ〜、終わりましたぁ?」


 男の背から、ぴょっこりと女が顔を覗かせる。甘ったるい声と、庇護欲をそそるような容姿の女は、私の方を見て眉を下げた。


「きゃ! ジュリエンヌさま、とっても怒ってらっしゃるわ! こわいですぅ〜〜」


 ぴいぴいと囀りながら、茶色の髪をゆらす小鳥令嬢は、下まつ毛のロドリグ様の背にサッと隠れた。

 そんな令嬢に対して、ロドリグ様は鼻の下を伸ばしながら「大丈夫だよ、アディ」と甘やかに囁いたりしている。


 「聖女さま、思ったよりもキツい顔……」という彼女の囁きまで聞こえてきた。敢えて聞かせようとしているのかもしれないが。


 顔が怖くて悪かったわね。


 少しだけ、ほんの少しだけ、つり目なだけだ。あとはほんの少しだけ、表情が乏しいくらいだわ。

 私はちょっぴりムッとした気持ちになりながらも、平常心を保つように心がけた。


「……参考までに、婚約破棄の理由を教えていただいてもよろしいでしょうか?」


 そう尋ねると、二人の世界から戻ってきたロドリグ様は、再び私に険しい顔を向ける。

 ジュリエンヌと婚約者がこんなに不仲だったとは知らなかった。


 そもそも婚約したのもかなり幼い頃の話だ。一年のほとんどを領地で過ごす私にとっては、顔を見たのも久しぶりだった。


「なにを白々しい!! 貴女はこの愛らしいアディをいじめたそうではないか!」

「いつですか」

「は……、そ、そんなことは関係ないだろう!」

「関係ない訳がないでしょう。正確にはいつですか? それは何月何日何時何分何秒の出来事ですの? この世界が何回周ったときです?」

「何を訳のわからないことを……! そもそも回っているのは世界ではなく天の方だ! お前はそんなことも知らないのか!!」

「あら……最新の学説をご存じないのですね」

「なっ、ななっ、なんだその目は!!」


 ロドリグ様は顔を赤らめて激高している。

 私は頬に手を当てて、ゆっくりとため息をついた。


「以前は天回説が主流でしたが、現在はとある御方の研究により、地回説の方が正しいということになっておりますのよ、ロドリグ様。古くより天文学者の系譜である我がペルチェ伯爵家の名にかけまして、申し上げますわ」


 大昔、空を眺めた人が天が流れてゆく様子を見て、この世界の周りを天が回っているという説を立てた。

 いわゆる天回説の始まりだ。


 そこから長い間、その説は当たり前のように語り継がれてきた。

 神の作りたもうたこの世界が森羅万象全ての中心であるという考え方は、宗教的な信仰心と親和性がよく、人々に深く根付いている。


 世界の中心はこの国の神であるエドゥアール。それを祀るエドゥアール教こそが世界の中心だと、長い間声高に主張していたのだ。


 そんな中で、近年新しい説が唱えられた。


 船乗りたちによる観測、かつてより向上した天文技術、さらには特異とも言える才を持つ人物の登場により、その学説に異を唱える者が現れたのだ。

 彗星のように現れたその人物は、かねてより熱心な天文学者であった学者と共に、これまた高名な天文学者である父をあっという間に説き伏せた。

 そして新たに提唱されたのが『地回説』だ。


 "回っているのは天ではなくこの世界"


 膨大な資料と人並み外れた能力によって裏付けられたそれは、王家の承認を受けて正式な学説となった。


 エドゥアール教と深く結びついた天回説。それを覆すのは、大変な苦労があった。

 しかし、そもそもの発端はエドゥアール教が聖女と認めた人物の能力が発現したことにも起因しているため、教会もついにはその説を認めた。

 それは、つい先日の事だ。


「……! ……! 生意気な……! やはりお前は我がプレヴァン家にはふさわしくない」

「奇遇ですわね。私もそう思いますわ」

「なにぃぃい!?」


 プレヴァン家は敬虔なエドゥアール教徒であり教会派の幹部だ。

 だからこそ、聖女が誕生した我が家と早々に政略的な婚約が結ばれた。


 地回説は認められたが、まだそれを良しとしない教徒も多いと聞いている。プレヴァン家もその筆頭だ。

 だからこそ、プレヴァン伯爵が息子であるロドリグ様に新説について告げていなかったのだと容易に想像がつく。


「婚約は破棄だ!! お前のような者はエドゥアール教の信徒としても認めがたい! 父上に掛け合って破門にしてもらうからな!」

「……聖女であっても、ですか?」

「そもそも聖女であること自体がおかしかったんだ! 聖女とは愛らしく信仰の対象であるべきだ。まさに、アディのような女性こそふさわしいだろう」


 怒り狂っているロドリグ様に、確認をとる。


 ジュリエンヌ・ペルチェはエドゥアール教会が認めた聖女。それを破門にするとロドリグ様は仰っている。


 周囲のざわめきが大きくなる。

 婚約破棄のことは置いておくにしても、いくらなんでも、聖女の資格剥奪までも口にするのは明らかな越権行為だと賢い人たちは気がついているのだろう。


 今後のためにも婚約破棄の理由をとりあえず聞き出そうとした訳だが、思いがけずとんでもない発言まで拾うことになってしまった。


 そもそも、聖女であり学者としても忙しい身の上で、どこかの令嬢をいじめる暇などないというのに。そもそもが言いがかりだ。


「ね、ねえ、ロドリグさま」


 意外にも、周囲の状況をいち早く察したのは小鳥令嬢の方だった。旗色が悪くなったことを危惧するかのように、ロドリグ様の袖を引く。


「大丈夫だ、アディ。君のことは僕が必ず聖女にしてあげるから。君も星が詠めるのだから」

「えーと、うん、そうなんですけど……」


 まあ。そうだったの。

 私は思わず息を呑む。こちらも意外だった。


 聖女の資格は『星が詠める者』に与えられる。星の動きを知り、災害を予測することが出来るその能力は、神から与えられたとても稀有な力だ。


「――とにかく、ジュリエンヌ、お前との婚約は破棄する! そして破門だ!!」


 ロドリグ様は小鳥令嬢に向けていた甘やかな顔を般若のように歪めて私をびしりと指差した。

 しいん、と会場中が再び静まり返る。あちらこちらから突き刺さる視線を感じて、私はひとつ息をついた。


「あの、よろしいでしょうか」

「なんだ、今更弁解か。いいだろう、聞いてやる」


 おずおずと挙手をすると、ロドリグ様は勝ち誇った顔で偉そうにこちらを見ている。


「本当に今さらで申し訳ないんですけれど……」


 私は一度眉を下げて俯き、それからパッと顔を上げた。


「人違いですわ」


「は……?」


「ですので、人違いかと。私、ジュリエンヌ・ペルチェでも聖女でもございませんが」


「え……?」


「最初にお伝えしようと思ったのですけれど、ロドリグ様がお話を遮られるので……途中の地回説につきましては、私も天文学を学ぶ者として看過できませんでしたのでついムキになってしまいました。私のような部外者が熱くなってしまって申し訳ありませんでした」

 

 私は深く頭を下げる。


 そう、私はジュリエンヌではない。ペルチェ伯爵家の者であることには間違いはないけれど、天文学者として高名でもない。


  そもそも、プレヴァン家との婚約は、先日解消されたと聞いていたが……私の聞き間違いだったのだろうか。


「な……ん……!?」

 

 そう不思議に思いながら顔を上げる途中、ロドリグ様の両の拳がわなわなと震えているのが見えた。

 視線を合わせて見れば、やはり怒りの篭った瞳で私をきつく睨みつけていらっしゃる。


「しかし、お前のその髪色は!」

「そうですわね、桃色の珍しい髪色は、聖女の証ではありますけれど」

「しかもその瞳の色だって……、同じだろう、星詠みと!」

「ええ。姿形はよく似ております」


 でも違うのだ。

 同じ桃色の髪に藍色の瞳。背丈も同じ。だが、ジュリエンヌは私よりも美しく、私よりも賢く、私よりも才能に優れている。

 なんせ、星詠みの聖女であり、我が家随一の天文学者。


「私は、リディアーヌ・ペルチェと申します。ご存知ではない方も多いかと思いますが、ジュリエンヌは双子の姉です」


 ――そして、私が世界で一番敬愛する人物だ。


 私なりに最大限の笑顔で、そう告げた。


 私たちは二人とも社交には疎い。

 ペルチェ家の娘は桃色の髪に藍色の瞳の聖女だという情報だけがきっと王都には届いていたのだろう。


 学者の家系だ。確かな結果を残してゆく姉と共に、私も領地で日々勉学の研鑽を積んでいた。


 王都に来て夜会に顔を出すことなど一生ないと思っていたが、今夜はとある理由により、こうして出席する運びとなった。


「――静粛に。国王陛下のご入場です」


 その号令に、ざわついていた会場が一瞬で静かになる。

 波を打つように頭を垂れる周囲の人々と同じように、私も膝を折り、頭を下げた。


「なにやら、騒がしかったな」


 顔を上げると、中央の玉座には国王陛下の姿があった。厳しい視線が向けられているのは、私のいる所。すなわち、ロドリグ様だ。


 ちらりと目をやると、先程まで怒りで赤かった彼の顔は、今度は季節の野菜のように青くなってしまっていた。


 ――そして、私の視線は国王陛下の後ろに釘付けになる。


 そこには、鮮やかな桃色の髪を結い上げ、光沢のある白いドレスを身にまとった人物がいた。あまりにも神々しくて、涙が出そうだ。


「お姉さま……とってもお綺麗だわ」

「な……本当に、お前……」

「ですから、私は妹のリディアーヌですと申し上げているでしょう」


 私が恍惚とした顔でお姉さまに見とれていると、隣からそんな声がして水を差される。

 ロドリグ様は壇上のお姉さまと私を交互に見て、魚のように口をパクパクと動かしている。


「……先程の騒ぎの沙汰については、後回しにしよう。祝いの席に相応しくないからな。ペルチェ伯爵令嬢。前に」


 国王陛下の言葉に促され、もうひとりのペルチェ伯爵令嬢――お姉さまがしずしずと前に出た。

 それをエスコートするのは、この国の第二王子であるシルヴァン殿下だ。

 宵闇のような黒い御髪と、瞬く星のように美しい金の瞳の人物が、星詠の聖女であるお姉さまと並ぶ。それだけで国宝級の美しさだ。


「――それでは、星詠の聖女であるジュリエンヌ・ペルチェ伯爵令嬢の功績について皆に知ってもらおう。まず、地回説について……」


 国王陛下、シルヴァン殿下、ジュリエンヌお姉さまがずらりと並ぶ。そして後ろにはお父様の姿もある。


 そう。今日はお姉さまのこれまでの功績を称えるための夜会。

 今までベールに包まれていた(お姉さまも私と同じで領地に引きこもっていたので)聖女のお披露目だ。


 星詠の聖女としても、天文学者としても、輝かしい実績を持つお姉さまの晴れ姿を見るため、私もこうしてはるばる領地から馳せ参じたわけだ。


 なぜだか、お姉さまの()婚約者に絡まれてしまったことは想定外だったけれど。

 地回説のこともご存知ないようだったし、もしかしたら、ロドリグ様はあまり情報通ではないのかもしれない。


「ちょっと……ロドリグさま!? なんかヤバそうじゃないですかっ」

「だ、大丈夫さ、アディ」

「絶対大丈夫じゃないでしょ! 私、知りませんからっ。そもそも、いじめられてもいませんし」

「あっ、アディ!!」


 私の隣ではそんな一幕が行われている。

 小鳥令嬢はさっさと会場を後にしてしまい、取り残されたのは情けない顔をしたロドリグ様だけだ。


 眼前の二人のやりとりが気になってしまって、お姉さまが国王陛下から勲章を受け取る様を見るのが遅れてしまった。悔しい。


 気付けばお姉さまは胸に星に似た勲章を授かっていて、女神のような笑みを湛えていた。


 そしてそれを、隣に立つシルヴァン殿下もにこやかに見つめている。


「……っ」


 お姉さまを見ていたら、シルヴァン殿下と目が合ってしまった。殿下は私を見つけると、一度驚いた顔をして、それからゆるゆると微笑む。


「シルヴァン殿下、素敵ねえ……」

「ねえねえ、今、わたくしに微笑んでくださったわ」

「いやですわ、わたくしによ」


 ……私に微笑んだのかと思って、早とちりをする所だった。


 ロドリグ様はいつの間にかいなくなり、私の近くにいた令嬢たちからは黄色い声が上がる。

 それを聞いて、私は高鳴る胸をなんとか抑え込むことにした。


 盛大な拍手がお姉さまに送られている。

 私はその事を誇らしく思いながら、壁の近くに少しずつ移動した。役目は終わりだ。


 もうこの夜会にいる理由もなくなった。


「さて、次はかねてより空白であった第二王子シルヴァンの婚約者についての話もしよう」


 帰るために身を翻そうとしたところで、国王陛下がそう告げたため、周囲にどよめきが広がった。

 このタイミングでその話題。


 となると、結論はひとつだ。

 

 お姉さまとの婚約――


 見届けなければと思うのに、どうやらそうはいかないらしい。お姉さまもシルヴァン殿下も敬愛する人たち。


 でも今日くらいは感傷に浸っても許されるだろう。

 私はそっと会場を後にして、手入れされた庭園へと足を踏み入れた。


 そして。


「……困ったわ」


 見事に迷子になった。

 初めて来た王城で、夜で、庭園で。

 どこを切り取っても同じ風景に見えるそこで、私は途方に暮れていた。


 救いはそこに四阿があって、腰をかけることが出来ること。それから今夜は星空がとても明るいこと。


「お姉さまの婚約を、みなさまもお祝いしていらっしゃるのかしら」


 夜空の星々にそう話しかけると、きらりと瞬いた気がした。気のせいかもしれないが、それでも嬉しくなる。


 かなり微弱な私の星詠の力。

 お姉さまであれば、異常な星の動きを察知して、天変地異の前触れを知ることが出来るが、私はこうして眺めるばかりだ。


「こんな所にいたの」


 私が星々に気を取られていると、そんな声が降ってきた。


「……シルヴァン殿下……?」


 どうして殿下がここにいるのかが分からない。

 夜空と同じ色彩をもつその人は、確かに私の前に立っている。

 今頃あのきらびやかな会場で、お姉さまと共にあるべき人なのに。


「探したよ、リディアーヌ」

「……っ、中座をして申し訳ありませんでした。気分が優れなかったもので」


 私は慌ててそう言い訳をした。

 お二人の姿を見ているのが辛かったから、なんて口が裂けても言えない。お祝いの席に相応しくないもの。


「ああ。大変だったね。変な輩に絡まれてしまって。だから僕が君のエスコートをしたかったのに……」

「え……?」


 私のそのどうしようもない言い訳を信じてくれたらしく、シルヴァン殿下は申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「すぐにでも君のところに飛んでいきたかったのだけど、式典の直前で行けなくてごめんね。ジュリエンヌも顔面蒼白で慌てていて、そちらの説得もあったから」


 シルヴァン殿下はそっと私の隣へと腰かける。ぴったりと。

 近い。近すぎるのではないですか。


 それに、何を言われているのかよく分からずにいる。


「お姉さまの説得、ですか?」

「『リディのところへ行って、あの男をぶん殴る!』って息巻いて大変だったんだよ。麗しの聖女様が」

「まあ、お姉さまったら」


 お姉さまの様子を思い出しているのか、シルヴァン殿下は口の端から笑みを逃がした。

 私もつられて笑顔になる。


 お姉さまは案外パワフルな面もお持ちで、私たち姉妹を比べて私を貶めるような輩がいると、鉄拳制裁をかましたりもしていた。

 聖女に認定されてからは、控えているらしいけれど。


「さて、リディアーヌ」


 シルヴァン殿下は笑顔のまま私の髪を一束手に取った。そしてそのまま口付けをする。

 私はその仕草に、ぴしりと固まった。


「中座したのならば、聞いていなかったかな。――私との婚約を、受け入れてくれる?」


 金の瞳が真っ直ぐに私を射る。

 自信げに見えて、どこか奥底に不安が入り交じったような、そんな瞳をしている。

 

「ひ、人違いではありませんか?」


 私は震える声でそう告げていた。喉がからからだ。


 まさか、そんな。

 本当に、私は心から姉の幸せを願っていた。だから、淡い恋心には蓋をしようと――


 壇上でのシルヴァン殿下とジュリエンヌお姉さまの姿を思い出す。顔を見合わせて、微笑みを湛える二人が、とても眩しく見えていた。


「愛しい人を違えるなんてことはないよ。リディアーヌ。私のかわいいリディ」

「ぴっ」


 次は手を取られて、驚きのあまり今度は私が小鳥のようにさえずってしまう。


 いと、いとしい?

 わたしが?

 かわいい???


「わ、私は聖女じゃありません……」

「私は聖女と結婚したい訳ではないし、その必要はないよ。リディが欲しい」


 いよいよキャパオーバーだ。

 頭がぐらぐらと沸騰しそうで、夢か現かもよく分からない。


「婚約者候補として、リディアーヌの名前を出して宣言してきた。あとは、君の承諾を得るだけだ。無理強いしたら許さないと暴力的な聖女様からも念を押されている」


 ね、リディ。


 そう優しく名を呼ばれて、私は言葉を出せずに、でもしっかりと頷いた。

 がばりと抱きしめられたらドキドキと安心が入り交じって、「よろしくお願いします」とだけ、ようやくか細く答えることが出来た。



――――――――――



 落ち着いた私は、シルヴァン殿下に優しく促されて会場に戻った。

 会場にいた人たちから視線が注がれる。注目されることに慣れていない私は、少しだけ身を竦ませた。


「ご覧、リディアーヌ。あの隅の方を」


 そんな私の肩を抱くと、シルヴァン殿下はそっと耳元でそう囁きながら会場の隅の方を指さした。


 そこに居たのは、カーテンのそばに立つ、黒衣を身に纏う人物だ。


 フードを目深に被り、眼鏡も掛けているから一体誰なのか分からない。

 ただ、怪しすぎて周囲の人たちは自然と避けているように見える。


「ええと、あちらのお方は……?」

「叔父上だよ。こういった場が大嫌いなくせに、ジュリエンヌに悪い虫がつかないかは見張っていたいらしい」


 シルヴァン殿下はくすくすと笑いながらそう告げる。

 あの怪しい人物は、王弟殿下だという。逆に目立ち過ぎているが、みんな触れないであげているらしい。


「あの……つまり……王弟殿下は」

「ジュリエンヌと恋仲だ」

「まあ……!」


 王弟殿下が天文学に精通しており、父を師と仰いで共に長年研究していたことは私も知っている。

 だがまさか、そんなことになっているとは夢にも思わなかった。


 領地には王弟殿下もよく訪れていて、その時に幼いシルヴァン殿下を連れて来ていた。

 幼いころから、私とお姉さまとシルヴァン殿下は親しくしていたのだ。


「私……てっきり殿下はお姉さまと婚約されるのかと思っていました」


 思わずそう呟いた。本当にそう思っていた。

 確かにシルヴァン殿下と手紙のやり取りはずっとしていたけれど、お姉さまのついでだと思っていたし、内容も天文学のことについてだった。


 それにまさか王弟殿下とお姉さまが恋仲になっているなんて、気が付かなかった。


「……リディ」


 腰をぐっと引き寄せられ、私は殿下の胸元にすっぽりとおさまった。

 またあの令嬢たちの悲鳴が聞こえた気がする。 


「これからは、我慢しなくていいんだよね? 今まで何かとうるさかったジュリエンヌもいなくなるし」

「は、はい?」

「長かった……叔父上の意気地無しめ。巻き込まれた僕の身にもなってくれ」


 ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、苦しくも愛しい。

 少し恥ずかしいけれど、私はそっと彼の背に手を回して、その感触を確かめた。



 ――それからの話を少しだけ。


 地回説の提唱を契機に、不正や癒着の温床となりつつあった教会のやり方について根本的な是正が行われた。

 教会側にも現状を憂う者たちがいた。革命のようなものだとシルヴァン殿下は仰っていた。


 旧教会の権勢と共にあったプレヴァン家がどうなったか、私ははっきりとは聞いてはいないが、想像に難くない。


 ただ、あの小鳥令嬢については、星詠みの力を有しているとの認定があったため、今はお姉さまの元で聖女修行をしているらしい。

 性根を叩き直す、とお姉さまが仰っていた。


 ほんわり穏やかに見えて、実は拳で語るタイプの聖女であるお姉さまの性格を知り、小鳥令嬢も大層驚いていたそうだ。今では「お姉さま」と呼んで慕っている。

 ジュリエンヌお姉さまの妹は私だけだというのに。


「リディ、どうしたの?」


「申し訳ありません。少し考え事をしていました」


 嫉妬の炎を燃やしながらぼんやりとしていると、シルヴァン殿下にそう話しかけられた。

 今は妃教育の合間に、こうしてお茶の時間を設けていただいているというのに失礼なことだ。


「あまり根を詰めないようにね。君の勤勉さは知っている。昔もよく勉強のし過ぎで熱を出していただろう」

「あっ、あれは……幼子(おさなご)の知恵熱です!」

「君はあの頃から愛らしかったね。懸命に努力する姿がとてもいじらしくて」


 後から知ったことだが、昔からシルヴァン殿下は私のことを好いていてくれたらしい。

 そしてお姉さまも、昔から王弟殿下に夢中だったそうだ。

 勉強に集中していて全く気が付かなかった。


 お姉さまと王弟殿下の気持ちが通じ合い、結婚までの道筋が整うまでの間、どうやらシルヴァン殿下は色々と口止めをされていたらしい。


 まずはプレヴァン家との婚約解消を円満に行う。


 そして、『かわいい妹を茨の道に進ませたくない』とずっと反対していたジュリエンヌお姉さまを懐柔するため、王弟殿下との仲を取り持ったのもシルヴァン殿下だったとか。


 なかなかお姉さまへ婚約の申し込みが出来ずにもだもだとしていた王弟殿下のお尻を叩いたのも殿下だという。


 私が知らないうちに、いつの間にかそうして周囲が固められていたことを知り、驚いたけれど嬉しく思う。


 かつて、星に願ったことがあった。


 幸せになれますように。大好きな人たちがみんな、楽しく過ごせますように。と。


「ふふ」

「どうしたの? リディ」


 幼い頃のその記憶を思い出してつい笑ってしまうと、優しい顔をしたシルヴァン殿下が私を見ていた。


「いえ。幸せだなぁと、思いました。これからもよろしくお願いいたします」

「……っ、リディ! ああ、かわいすぎる!!」

「きゃあ!」


 そう頭を下げると、最初は目を丸くしていたシルヴァン殿下が、突然がばりと抱きついてきた。驚いて手に持っていたクッキーが床に落ちてしまう。


「くそっ、婚約期間なんてまどろっこしい期間を設けるなんて……叔父上め、また巻き添えにしてくれたな」


 シルヴァン殿下は、私の耳元でそう悪態をつく。


 ……私がクッキーの行く先を目で追えたのはそこまで。

 それからは、自分の身に降りかかる出来事に対応することでいっぱいいっぱいになってしまった。


 ―――――――



 天に導かれた善き日。

 国では二組の王族の結婚式が盛大に執り行われた。


 美しき双子の花嫁に、集まった国民たちから惜しみない祝福が送られたという。

お読み下さりありがとうございます!

良ければ下の☆☆☆☆☆を★★★★★にしていただけると元気になります!!!


小学校時代の「何時何分何秒地球が何回回ったとき〜〜!?!?」をやりたかった……!!!


地動説、調べるととても深い話です(深すぎる)

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