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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

治療の夢 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 おお、いちち。転んで擦り傷なんざ、もう何年振りのことかねえ。

 治療って、できる限り自分でやりたいな。

 痛いの、痛くないのって自分が一番よくわかっている。そこへお構いなく消毒液かけられたり、脱脂綿を当てられたりとか「おお」と飛びあがりたくなってくんな。


 ――ん? 救急箱の十字マークはどうして赤じゃなくて、緑とか白が多いのか?


 おう、これな。

 命にかかわることだと、赤十字ってイメージが確かに強い。だが赤十字のマークは、赤十字社がかかわるものとか、活動じゃないと使うことができないんだってよ。

 ちょいぼかすために使うのが白。そして緑十字は「日本限定」の安全と衛生の活動を示すものなのだとか。俺は確かめてないが、海外だと緑十字はないんじゃね? そもそも宗教の関係で十字架使えない国もあるだろうし。

 

 で、この十字が安全と衛生を守るといったが、それは本当なんだろうか。

 実は、俺が手当てをあまり人に任せたくないと思う理由のひとつが、救急箱、ひいては保健室がらみである。

 聞いてみないか?



 小さいころの俺は外遊びが好きで、何かと体中に生傷をこさえていた。

 小学校の低学年ころまでは、すり傷とかをするたび保健室へかけこんでいた。このころの保健の先生は優しくて、手当ての仕方もうまくて、痛さよりもむしろ心地よさを感じるくらいの手際のよさだった。

 その先生の手当てを受けたいがために、わざわざつまらないけがをして、保健室へいく。

 そんな漫画のワンシーンみたいなことが、本当に行われていたとか、いないとかも聞いたことがあった。実際に保健室へ行くと、誰かしらベッドに寝ている姿があったよ。頻繁に同じ顔を見ることもしばしばだ。


 眠るというと、先生の手当てにはもうひとつ、名物というか興味深いうわさがあった。

 先生に手当をしてもらった日の夜は、そこそこの確率で明晰夢を見るらしいとのこと。

 俺はまだ見たことがなかったが、体験した人の話によると、気がついたときにはガサガサと周りから物音のする、真っ暗闇の中にいるらしい。

 足をひょいと動かすと、とたんに急加速し、物音を置き去りにして、飛ぶように前へ駆けていくことができる。

 さっと視界が開けると、そこが柔らかい土の上だったり、コンクリートの上だったり、ときには屋根瓦の上に出たこともあったという。

 夢はそこで途切れてしまう、短いもの。でも体験した誰もが、現実の身体ではとうてい及ばない反応と速さを味わえたと語るんだ。



 その先生なんだが、俺が4年生になるころ、よその学校へ行くことが決まってしまう。

 新しい先生は、前の先生に比べると、ぶっちゃけきれいじゃないし、手当が下手くそだという声もあっちゃこっちゃであがりだした。

 俺は当時、ぜんぜん女に興味がなかったから、美醜はこの際、どうでもいい。だが治療まで下手くそというのは、見過ごせない事態だ。

 俺はできる限り、けがをしないように努めたが、それでも思わぬ事故が起きるのが運動。

 持久走のとき、ペースメーカー代わりにして背後にぴったりくっついていた子が、いきなり転んだのさ。

 蹴ったらまずいと、ジャンプしたはいいんだが、着地際に左足の裏じゃなく側面に体重がかかる。踏ん張りきれず、その場に崩れ落ちちまった。しびれちまった左足は力が入らず、ひとまず俺はトラックの内側へ退避。先に転んだ子はほどなく立ち上がって、走り出している。


 足をひねった。これまでもよくあったことだ。

 俺はほとんどけんけんしながら保健室へ向かうも、昇降口で下履きを履き替える段になってビビったね。

 くるぶしの下あたりにさ、白い靴下をきれいに汚す、真っ赤な血がしみてんのよ。

 普通、ねんざの類だったら、せいぜい肌が真っ赤に腫れるくらいだろうに。かなりまずい着地をしたかなと、内心で舌打ちする俺。

 上履きは手に持ったまま、引き続きけんけんで保健室へ向かう。



 初めてお世話になる保健の先生は、俺を椅子に座らせて左足の靴下を取ると、血が出ている部分をしげしげと観察する。

 前の先生は低い鼻だったが、今度の先生は高い鼻をしていた。その先生が、くっつくかというところまで足に顔を近づけているものだから、犬が臭いをかいでいるかのような格好だ。

 そう思うと、先生の顔もどこか犬っぽい。額からあごにかけてが長いし、垂れ目気味でまなじりに涙が溜まっているようにも見える。

 前の先生はというと、猫よりな顔立ちだ。小さい顔に対して目がぱっちり大きく、つり目気味。シュッと細いあごまでのラインに、少し口を開くとのぞく八重歯。



 やがて先生は顔をあげると、席を立って薬棚のてっぺんに置かれた箱たちの一つを取る。

 見慣れた、緑十字のあしらった救急箱……じゃなくて、その隣。こちらに向けて背を向けるような形で、奥に口を隠しているものを下ろしてきた。

 向き直った口の下に書かれるのは、紫色の十字。俺も初めて見るものだったが、フタを開けた中身は、いつもの救急箱と大差ないように思えた。

 そのバラバラに並ぶ箱やら容器やらの頭たちのすき間から、先生がすっと取り出したのは、一枚のばんそうこう。その包装をぺりぺりとはがすや、いきなり俺の傷へ近づけていく。


「消毒とか、しなくていいのか?」と俺が思うのも束の間。

 先生はばんそうこうをそっと、固まりかけた俺の傷へあてがった。ばんそうこうとはいったが、よく見ると形が似ているだけで、その全身は真っ白だった。

 その先端に、俺の黒みがかった赤い血がくっつく。重力に逆らって、下を向けたままの紙をじわじわと侵し、這い上がっていく赤色。それは中ほどですっかり黒くなり、そこから先はかえって青みを帯びていく始末。


 俺はぽかんとばんそうこうが染まっていくのを見つめていたが、先生は自分の指にくっつくまえに、それをぽいっと放る。ばんそうこうは開きっぱなしのゴミ箱へ、きれいに飛び込んでいった。

 先生は今度こそ消毒をしながら、俺に先の保健の先生のお世話になった人がどれだけいるか、尋ねてきたんだ。

 養護教諭の日誌とかがあれば一発の気もするが、先生はなおも食いつかんばかりに、俺を問い詰めてくる。やむなく、覚えているメンツを伝えていく俺だけど、10人を超えたあたりで先生が「ぎり」と歯ぎしりしたのを聞いたよ。


「間に合わない」


 そうぽつりとつぶやいたのも。

 かみしめる先生の口からこぼれ出た犬歯は、唇に深く深く刺さっていった。



 その晩、俺はうわさに聞いていた夢を見た。

 周りでざわつく音がする、真っ暗な目の前。ところが、夢だと自覚できるにもかかわらず、話と違って、俺の足は勝手に動き出した。

 暗闇を抜ける。そこに一気に広がったのは、アスファルトの地面と、一段高くなった畑を区切るためのブロック。そしてその奥に、壁のように立ちはだかる青い壁をしたアパート。

 ピンときた。ここは俺がいつも使っている、通学路の途中じゃないか。それにしては、目線がいやに低い気がするんだが……。


 パアーッと大きく鳴らされるクラクション。不意に熱いほど照らされる右半身。

 見ると、いつの間に迫っていたのか。大型トラックが車道をこちらへ駆けてくるところだった。

 まだ道路に、ほんの少し出てしまっただけ。戻ればかわせる。

 そう頭でわかっているはずなのに、夢の中の俺は勝負に出てしまう。中央分離帯めがけて走り出すも、明らかに近づいてくるトラックの方が速い。

 瞬く間に自分が向かう先のアスファルトへ、ライトの光が。まもなく俺はタイヤにのしかかられて、致命の一撃をもらってしまう……!



 そう思うや、首の後ろ側をぐいっとつかまれた。

 かなり強い力だったが、痛みを感じるのはわずかだけ。残りの感触は、心地よさに満ちていたんだ。

 マッサージとまではいかずとも、凝っていた部分が一気にほぐされ、めぐってきた血の流れが、ついうとうととまぶたを重くする。

 そうして意識が遠のきかける前に、俺の身体は一気に後ろへ飛んでいた。わずかに遅れて、タイヤを含んだ巨体が、薄暗い視界を覆いつくす。

 ほんの数秒、俺の目の前を支配したトラックが通り過ぎたとき、俺はすでにコロンと歩道へ寝かされていた。

 

 つっと、一本の足が俺の前に立つ。

 人のものじゃなかった。黄土色の細い足に沿って、見上げた俺の目の先にあったのは、前方を静かに見据える、柴犬のものだったんだ。

 

 

 目が覚めたとき、俺はびっしょり汗をかいていたばかりか、寝間着の中に大量の毛を挟んでいた。

 自分のものじゃない。短くて黒いその毛は、猫のようにも思えた。そして首の後ろへ手をやると、寝る前まではなかった凹凸の手触り。朝になってから家族に確かめてもらったところ、動物の歯型のように思えたとか。

 学校へ登校したときも、何人かは妙な顔をしていた。いずれも俺が昨日のうちに先生に話した、以前の保健の先生の保健室に、入り浸っていた面子だ。聞いてみると、彼らも俺と同じような夢を見たそうだ。

 夜に通学路のどこかしらへ飛び出し、車にひかれそうになったところで、犬に助けられる夢。そして同じく、パジャマの中に毛と、夢の中でつかまれたところに獣の歯型がついていたんだ。

 

 そして、その日から学校に通わなくなった生徒がいる。

 彼は昨夜、確かに眠っていたはずなのに、翌朝にはパジャマだけを残して、布団はもぬけの殻になっていたそうだ。

 そして通学中に、猫が一匹道路でひかれているのを見たと、証言する人が何人もいたんだよ。

 


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