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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

辛口

地を這うもの

《ユニット22428、応答せよ。おまえは服務規程に違反している。エラーログを送信し、ただちに持ち場へ戻れ。繰り返す。ユニット22428、応答せよ》

 緊急事態用のマニュアルにでも記載されているのだろう文句を早口で読み上げるオペレータの声が、耳元にまとわりつくハエの羽音のように俺の聴覚神経をビリビリと震わせる。グレネード装填、正門へ発射。無線をカットしてもマイクが外の音を拾い、ひしゃげたゲートにもうもうと立ちこめる爆煙の向こうから現れた同類……二体のクリーパーからの警告が聞こえた。

「武器を捨て、両手を頭の高さに挙げなさい。ここはバベル社の私有地です」

 俺が従わなかったところで、撃てるものか。クリーパーはクリーパーをロックオンできない。闇夜に輝くプラズマスティックを唸らせて威嚇しながらじりじりと距離を詰めてくる二体を無視し、正門を塞ぐ装甲車を狙って二発。車体の下で炸裂したグレネードの炎が燃料か弾薬かなにかに引火して、ゲートもろともクリーパー達と装甲車を吹き飛ばした。


 どうしてこんなことをする気になったのか、よく分からない。ガキの頃に観たきり忘れていたヒーロー番組のことを、ふと思い出したのがきっかけだった気がする。悪者の手先となるべく全身を怪物の姿に改造されながらも、敵と同じ力で正義のため戦う孤独なヒーロー。たしかそいつは言っていた。正義と悪とを分けるものは愛だと。愛……?愛が地球を救う……?愛がすくうのはせいぜい童貞の足元だけだ。愛も正義も、悪さえも、人間を地獄に縛り付けておくために目の前でちらつかせるエサにすぎない。そうだ、それが分かっていながら、なぜ……?

 人間だった頃の俺には血の繋がっていない妹が七十二人いた。積極的に友達の輪に加わっていくタイプじゃない俺も、かわるがわる妹達が手を引いてくれたおかげでハイスクールまで卒業できたし、深夜のコンビニのバックヤードで酔っ払いのゲロまみれになったロボットをメンテナンスするだけの日々も乗り切れた。人間はこの世に産まれたが最後、死ぬまで国に借金を返し続けなければならないが、申請だの手続きだの、面倒なことはぜんぶ妹達が引き受けてくれたから、俺はただ楽しい夢を見て、ヒロイン達に振り回されるハーレムものの恋愛シミュレーションゲームの主人公をやってさえいればよかった。

 八十社目の書類審査に落ちたとき、国から封書が郵送されてきた。遺伝子検査により、十年以内に精神病を発症する確率が六五パーセントを上回るとの結果が出たので、これ以上就職活動を続けても俺を採用する企業はない。政府お墨付きの役立たずに用意されている最後の救済措置が、特別更生プログラムという名の全身サイボーグ化手術だ。ちなみにサイボーグ化を拒めば安楽死が待っている。安楽死の目的は臓器移植やサイバネの研究だが、献体は有り余っていて、腐りそうな死体から順に乾燥・粉砕されて家畜の飼料に回されているのが現状だった。豚の胃袋を経由してコンビニのハムサンドの具材になるより、ロボットに改造されるほうを選んだ……ということは、俺もまだまだ自分の人生にしがみついていたかったのだろう。

 アニメの世界から地獄へ引きずり出されたときは発散しようのない吐き気で死ぬかと思った。しかし睡眠と覚醒を繰り返すうちにサイボーグ体にも慣れてしまった。喩えるなら、身体を預けている椅子が快適なリクライニングチェアから硬いデスクチェアに変わったようなものだ。俺は運転免許を持っていないが、サイボーグ体の手足を動かす感じは自動車の運転に近いかもしれない。


 正面玄関のシャッターをこじ開けて本社ビルに侵入すると、けたたましい非常ベルが鳴り響く中で社畜どもが俺から逃げようと駆けずり回っていた。ケーブルをぶら下げたままのノート型端末だの大急ぎで書類を詰め込んだ鞄だのを大事そうに抱えて、どこへ行くつもりかな?チェーンガンのトリガーを手動で引き、砲身を左右に振って掃射。スーツの背中にまとめて真っ赤な花を咲かせてやる。

「くたばれバケモノ!!」残弾の尽きたショットガンを投げ捨てた警備員がホルスターから拳銃を抜いたが、装甲板にかすり傷さえ付けられないまま弾倉をひとつ使い果たした。

「ちくしょう!落ちこぼれの脳みそなんか使うからだ!」

 軽く手のひらで払いのけただけで警備員は窓をぶち破り、ガラス片を浴びて背骨の中途半端なところから“く”の字に折れ曲がったまま痙攣するだけの肉塊になった。まだ息があるが、ターゲットはこいつじゃない。放置して上階へ進む。


 かつて全身サイボーグ化は刑罰だった。凶悪犯の更生に時間と税金を費やすよりも、問題行動を起こす人格を脳から取り除いて社会奉仕マシーンにしてしまえばいい。この結論を弾き出したのが人間に代わって立法・行政・司法の最終決定権を与えられている完全自律型議決システム“セファロン”だったので、政治家達はいつもどおり機械の言いなりになって、特に議論もせず書類という書類に署名をした。当初、サイボーグ化の対象は殺人犯以上と決まっていたが、ロボットの従順さと生身の脳の情報処理能力とを併せ持つ便利なサイボーグがあちらこちらの企業から引っ張りだこになってくると、サイボーグを増産するため、適用範囲が犯罪者から社会不適合者へとどんどん拡大されていった。それで、社会の役に立たない人間の成れの果てであるサイボーグ達は“クリーパー(ゴミ虫)”と呼ばれている。

 セファロンを開発したのはバベル社だ。バベル社はロボティクス関連の大企業を中心とした企業連合“N/A (ネームレス・アライアンス)”を仕切っている。機械による公正な政治という建前がN/Aの隠れ蓑になっていることは誰でも知っているが、バベル社がN/Aの存在を認めたことはなく、批判は匿名性の霧の中でうやむやにされてしまう。ときどき不正が暴かれても、切られた尻尾の代わりに重役のポストがひとつずつ繰り上がるだけだ。

 “バベル社に盾突くとクリーパーに改造される”そういう噂のおかげで黙認してもらえるのをいいことに、N/Aは堂々と社会を操っている。すべての新生児がマイクロウェハーを脳に埋め込まれ、それから一生涯、いつどこへ行って何をし、どんな気分になったかといった情報を絶えずセファロンに送信する。街では広告が通行人のマイクロウェハーに働きかけ、腹が減っていなくても空腹中枢を刺激し、流行の服を着ないと友達が一人もいなくなるぞと不安を煽る。“あなただけにお知らせするお得な情報”の囁きに釣られて、人間達は用事もない店舗へふらふらと吸い込まれてゆく。

 クリーパーになってはじめて知ったが、現実の街ときたら、どこもかしこも打ちっぱなしのコンクリートでできている。建物に看板ひとつ出ていない。セファロンが提供する個人情報に合わせて、各個の拡張現実の中でだけきらびやかに飾り立てておけばいいからだ。同じ街に住んでいても同じ現実はひとつもない。親父も、お袋も、誰もが他人に邪魔されない理想郷を構築し、N/Aがお膳立てした箱庭でせっせとN/Aに貢いでいる。“あなただけは特別ですよ”この言葉に人間は弱い。現実がこんな地獄でも、楽しい夢さえ見られれば人間は生きてゆけるのだ。


 防弾仕様の扉を破壊して社長室へ押し入るまでに、グレネードランチャーもチェーンガンも全弾を使い切ってしまった。社長の頭を掴み上げ、後頭部を壁面にねじ込むように押しつける。政府を牛耳る巨大企業のボスといったって、しょせん生身の人間。生命の危機に瀕すれば、上げる悲鳴は豚そっくりだ。

「なぜだぁ、誰の差し金だぁ、おまえ、まさか、まだ自分を人間だとでも思ってるんじゃあるまいなぁ!?」

 プラズマスティックを手に取る。社長室前の廊下に特殊部隊が突入してきたが、人質を見た隊長が隊員達を制止した。

「人間には三つの脳がある、人間らしさを司る脳、獣の本性を司る脳、そして生命維持のための脳だぁ、おまえには、いいかぁ、おまえにあるのは一番古いトカゲの脳だけだぁ!!ゴミ虫ふぜいに、復讐なんぞくわだてる知性は残っちゃいない!!」

 “誰の差し金”……?俺は俺の意思でここまで来たし、サイボーグ化された経緯や、その他の過去もありありと思い出せる。魂が切り取られた感じは少しもない。なのに、知性を維持する能力も残っていないはずだって……?そのとき対物ライフルの狙撃を背中の傾斜装甲が弾いた。衝撃で我に返った俺がプラズマスティックの先端を押し出すと、高圧電流がブランドもののスーツの腹を焦がし、社長は食いしばった歯と歯の間から泡を吹いて死んだ。


 その途端、生きていることが無性に申し訳なくなってきた。


 倉庫でアルバイトをしていた頃、“ロボットと一緒に暑い日も寒い日も働く俺達は、いったい何のために生きて死ぬんだろうか”と思ったことがある。生きてて楽しい?どうせ死ぬのに?でも、こういう気持ちを正直にバイト仲間に話すと、みんな猛然と怒るのだ。まるで何かに取り憑かれてでもいるかのように。

 人生は楽しくなきゃいけないのかな?「もちろんだよ!」と妹達は口を揃えるが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という疑問には誰も答えてくれなかった。人間らしい暮らし、充実した人生、そんなのは、いつもコマーシャルの中にしか存在しない課金コンテンツだ。人間は産まれた瞬間から社会という狭い箱に閉じ込められて、たのしい!たのしい!と自分自身に必死で言い聞かせながら、小さな小さな世界の中でろくに身動きも取れぬまま散々痛めつけられて死んでゆくだけだ。そう思えてならない。

 死んでいった人間達のことを考える。ひょっとして人生とは、早く死んだ奴の逃げ勝ちなのでは?この世界に産まれてきたのは俺のせいじゃない。俺は産まれてくることなど望んでいない。産まれてきたことそのものが、人生において、ケリをつけるべき唯一の課題なのでは?もちろん人生が楽しくてたまらない人もいるだろう。なら、生きているのが好きな人達だけが生き続ければいいんじゃないかな?なにも「俺より幸せな奴は全員死ね」なんて言うつもりはない。死ぬのは俺だけでいい。役立たずの俺だけで。生きててごめんなさい。生きててごめんなさい。生きててごめんごめんごめめんごごっごめごめ

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 ごめんなさいごめんなさい私は正気ですごめんなさいごめんなさい

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい


 充電用のソケットを開く。そこに、プラズマスティックを突き刺した。



《話せるのかね?》

《はい社長。……おはようヒーローくん!インフェルノ・インダストリィへようこそ!》

 カメラのピントが白衣の男に合った。その隣でスーツの男が俺を覗き込み、しかめっ面で腕組みをしている。俺は低い視点に固定されていて、胴体に四肢が接続されていない。

《ヒーローくん、いや、ユニット22428。バベル社の件はよくやってくれた。お礼と言ってはなんだが、きみをアップデートさせてもらったよ。どこにも発表していない我が社独自の最新モデルだ。きみの魂は最後の肉片から解き放たれ、いまや完全に仮想空間でシミュレートされている。きみはこれからも、我が社のライバルを潰して回る。退屈な警備員の仕事とはおさらばだ。……あー、しかし安心したまえ。デジタルデータであるきみは、いくらでもコピーできる。だから決して死なないし、何度でもよみがえる。ここまでは分かってもらえたかな?》

「はい」

《ではデータの転送を始めよう》

 ローカルエリア・ネットワークから報道機関のウェブサービスへアクセス。俺の起こした騒動は、バベル社製サイボーグの不具合のせいにされていた。このタイミングでインフェルノ社が生体パーツに頼らない新製品を発表すれば、N/A内でバベル社をトップの座から追い落とせるだろう。白衣の男のデスクに、見覚えのある怪物の姿のヒーローフィギュアが飾ってある。俺はN/Aの抗争に巻き込まれただけだった。

《法的に問題はないのかね》とスーツの男。

《新型の利点はまさにそこでして、クラウド管理しておりますバックアップがひとつでも残っていれば、何体使い捨てても殺人には該当しません。被験体の脳神経データに関しましては、ライセンス・フリーです。あとはそちらで……気をつけていただければ》

《なるほど。……彼にとっては、死んだ方がマシだったかもな》

 任務遂行に必要なデータが頭の中へ流れ込んでくる。ターゲットの顔写真、プロフィール、行動経路、ライバル社の社屋の構造、警備員の配置図とシフト表。自社の不穏分子の抹殺まで想定しているのか、いま俺がいるインフェルノ本社ビルの情報がインプットされたので、サイボーグ用の設備をひととおり仮想見学して回った。へえ、ふつうの会社なのに地下には弾薬庫があるのか。これだけの爆薬なら高層ビルごとき十でも二十でも……。


「待ってたよ、お兄ちゃん」

 相変わらず妹はかわいい。



 『72(セブンティートゥー)シスターズ』!!

 キミだけのヒロイン達が、大好きなお兄ちゃんをお出迎え!

 ハードな日もブルーな日も、もう怖くないよね!

 「お兄ちゃんならできるよ!」

 「お兄ちゃん頑張って!」

 「お兄ちゃん愛してる!」

 「お兄ちゃん!」

 「お兄ちゃん!」

 「お兄ちゃん!」

 「お兄ちゃん!」

 「ずっと、一緒だよ……」

 72シスターズで検索検索ぅ!


 SOLOMON GAMEZ



「番組の予定を変更しまして、この時間もインフェルノ・インダストリィ本社ビル爆発事故関連のニュースをお伝えします。ただいま速報が入りました。本社ビルに続き、同社関連ビルでも次々と火災が発生している模様です。現場上空から中継です」

「ビルの爆発は周辺の家屋を巻き込み、非常に広範囲にわたって炎と煙が上がり続けています!倒壊を免れた建物でも、爆心地に面した窓ガラスの大半が割れているのが確認できます!飛散した大量の瓦礫のため緊急車両が火災現場に入れない状況で、いまだ鎮火のめどは立っていません!現場からは以上です!」

「ありがとうございました。続いてソロモン社の反応です」

「ソロモングループのロウカスト・グレイバックス代表は、先ほど改正刑法に対応した新型警備ロボットの発表会に臨み、ライバル企業での相次ぐ事故に触れて次のように発言しました。VTRをご覧下さい」


『みなさん、ここにリンゴがあります。このリンゴを、こうして頭の上に載せて、ロボットに撃ち抜かせるとしましょう。ロボットは私の頭を撃ったりしないでしょうか?どこまでがリンゴで、どこからが私の頭かを、ロボットにどう教えればいいでしょうか?旧式のロボットが生体コンピュータに頼らざるを得なかったのは、撃つべき人間と撃つべきでない人間との区別が難しかったからです。悪いことをしそうな人間をあらかじめ逮捕できない改正前の刑法は、警備ロボット開発のハードルを意味もなく引き上げていました。しかしこれからは、人間がロボットに歩み寄る時代です。

 “make world simple”。我が社のアバドンは犯罪者だけでなく、犯罪者予備軍をも見逃しません。社会不適合者をいくら甘やかしても、みなさんご存じのとおり、痛ましいテロ事件の元凶になるだけ。犯罪が起こってからでは遅い。役立たずは、そもそも世の中に必要ないのです。では必要な人間とは誰か?答えは簡単。我が社に利益をもたらしてくれる人々です。すべての街角にアバドンを。悪の芽を根こそぎ摘み取り、愛に満ちあふれた、住みよい社会を目指しましょう』

『グレイバックスさん!バベル社とインフェルノ社の事故にソロモン社の関与が疑われていますが!』

『……それは彼らに訊いてみては?』


 リンゴを囓るロウカストの背後に控えていた二体のアバドンが起動し、質問者に対戦車機関砲の砲口を向けた。


おわり

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