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5.刈間 匠の本質②

匠の次の手はごく自然に選ばれた。

自玉を戦地から引き離す一手。逃亡とも捉えられるその手は、その場の人間に驚きを与えなかった。


「(まぁ、仕方のない一手よね。じゃあ、こっちは計画通りにじっくり攻めさせて貰おうかしら)」

椿姫は華奢だがそれでいて綺麗な手を伸ばし、歩兵の歩みを進め、「と金」の炎にする。


次の手もすぐに返された。更に自玉を逃がす一手。2手連続で逃げの手を選択した匠。

「(あら、ちょっと残念ね。まぁ、こっちも戦力不足だし、じっくりと駒の補充をさせてもらおうかしらね)」

椿姫の手も2手連続で元々は歩兵だった「と金」に伸びる。攻め駒を匠陣から回収するための一手だ。


匠の手はまたすぐに伸びる。その場にいたすべての者は、その着手の速さから3手連続で逃げの一手だと、確信に近い予想をしていた。


その手は自陣ではなく、椿姫陣の奥深くに伸びる。棒銀として攻め入っていた銀将に活を入れる一手だった。


「(!)」

「(?!)」

「(!?)」

その手に三者三様の反応が出る。


「(あら、思い切った手が出る割には考慮時間が短いわね。ビギナーの感性かしら)」

至って冷静に状況を分析する椿姫に対し、甚助は場の空気が変わったことを確かに感じ取っていた。

「(なんだなんだ、彼の手にずいぶんと『雰囲気』が出てきたじゃないか。本当に低級者なのかい)」


「(たっくん…がんばって)」


「(受けてばっかりじゃいられないってことかしら。ただこっちの戦力不足もいかんともしがたい。攻め手は緩めないわよ)」

と金を再度動かし、匠陣の駒を自らの駒台に乗せる。匠の本丸である玉将を攻める準備が整いつつあるように見える。


「(普通ならここで玉を逃がす準備をするか、開き直って攻め合うかだよね)」

甚助がそう思考するのとほぼ同時に匠の手が伸びる。

盤上中央地帯、力を溜める銀上がり。ひと目、狙いのわからない一手。

それは椿姫の着手から数秒も経っていない、「ノータイム指し」で放たれている。


「(なに…なによ、これ。狙いは?相手玉とはどのくらい距離があるの?…緩急が強すぎてクラクラしてきたわ)」

「(おいおいおいおい!ありえないだろ!なんだよそれ!有段者の指し手だぞそれは!)」



当の匠は、季節に似合わない強烈な発汗をしながらも、盤上没我の様相。

その顔は強く火照り、息は次第に荒々しくなってきている。


「(わかったわ。なにがあったかわからないけど、数手前の彼とは別人が目の前にいる。そのつもりで指す)」

椿姫は長い深呼吸を行い、再度盤上に目を落とす。

指し手に強烈な緩急が生まれた匠だが、本質的な棋力の差はいかんとも埋めがたい。


誰も想定しなかった大熱戦となった。長い長い将棋。

最後の曲面は、椿姫の陣地に「トライ」した匠の玉将が、椿姫の王手により逃げ場がなくなったところだった。


「…ふぅ。詰み、ね」

「……………………………負けました」

長い沈黙の後、匠の口から投了の言葉が出た。振り絞った一言だった。



「いやぁ、おどろいたよ。明日からアイドル研究部の一員として活動しなきゃいけないかと思ったよ。一瞬ね」

「はぁぁぁ、びっくりしちゃった。たっくん、おつかれさま」

甚助先輩と葵の労いの言葉も、どこか遠くからの声掛けに感じてしまう。

「あーーー、マジで疲れた。なんだこれ、将棋ってこんなに疲れるゲームだったんだ」

「たっくん汗だくだもんね。将棋でここまで汗っかきになる人初めて見たよ」


「貴方、途中の『アレ』はなに?」

当事者の椿姫からは鋭い視線が向けられている。


「アレ、っていうと…」

「とぼけないで。途中から確実に貴方の将棋ではなくなった。あれは一体誰なの?」


「いや、俺にもわからないんですよ。たくさん考えなきゃって思ったら、景色がグワーッって流れていって、指し手が浮かんできたんです」

「そんな非現実的な言い訳が通用するとでも思ってるの?」


「ちょ、ちょっと待ってください!」

そういって間に割って入ってきたのは葵だ。

「私とたっくんは昔っからずっと一緒にいますけど、彼、将棋に真面目に取り組んだことなんてないはずですよ」

「初心者に毛が生えた程度の人が、あれほどの将棋を指せると?」

「う…それは…実はたっくんにすごい将棋の才能があったとか…」


「さぁ、ここで僕の仮説を聞いてくれないかな。彼の先ほどの『現象』について」

更に甚助先輩が割って入ってくる。なんとなく、俺の話をしていないような不思議な浮遊感がある。

「彼は大学に入るまでの中学・高校生時代に、ひたすらアイドルコンテンツについて考えていた。違うかい?」

「そうです!」

「なんでお前が答えるんだよ」

どうにも倦怠感が抜けない身体で葵にツッコミを入れる


「それでいて、アイドルユニットや個人にハマることはなく、とにかくコンテンツとそれが及ぼす影響についてを考察し続けていた」

「そうなんですよ!」

「だからなんでお前が答えるんだよ」

引き続き葵にツッコミを入れ続ける。こっちはグッタリ疲れてるんだが、これはわざとなのか。


「うんうん、これで少し合点がいった気がするよ。彼のさっきの現象には2つの要素が作用していると思われる」

甚助先輩は頷きながら説明を続ける。

「一つ目は、高い集中力。これはちょっと理不尽かもしれないけれど、代謝が急上昇し、強い発汗をするくらいの集中力を発揮できるのは、これは才能の一種だと思う」

「うそ…私にこんな力が…?」

「茶化してないでちゃんと甚助の話を聞きなさい」


「二つ目は…うん、こっちのほうがより超常的と言わざるをえないんだけど。君は物事を誰よりも俯瞰的に見る能力があるみたいだ」

「えっと…?」

「甚助、もったいぶってないで詳しく説明してくれないかしら」


「さっきの緩急自在な指し回し。あれは椿姫、君の指し手とのバランスを彼なりに図って指したものだと思う。当の彼は無意識的だったみたいだけど」


椿姫先輩の表情が次第に青ざめていく。

「なによそれ…?つまり彼は、『空気感』だけであれだけの指し手をしたっていうの!?」

「そういうことになる。更に言うと、君の表情やしぐさも彼の指し手を決める判断基準になっていたかもしれないね」


椿姫先輩はまるで観念したように、パイプ椅子の背もたれに自身の身体を投げ出し、頭を抱えた。

「はぁぁ、参ったわね。とんでもない新入部員を獲得しちゃったわ」

「あ」


俺はここで気づく。

アイドル研究部の夢がここで確かに断たれたこと。そして将棋部への入部が決定してしまったことに。

なんとも言えない表情を受かべているであろう俺に、椿姫先輩は語りかける。


「あら、そんなに悪い話じゃないはずよ」

「何を言っているんですか、先輩」

「私が卒業するまでに私に平手で勝ったら、ここをアイドル研究部にしていいわよ」

「マジっすか!!!??」

「あーあ、やっちゃったよ。椿姫は自分で決めたことは絶対に曲げないから」

「たっくん、大学でも一緒だね。よかった」


「そういえばあなたたち、名前を聞いてなかったわね」

「あー、そうでしたね。俺は刈間 匠。こっちは…」



その時、部室の扉が開かれた。

扉の先には、まるで女子小中学生のような体躯をした、眼鏡をかけた青髪ミドルヘアーの人物が立っていた。


「あら、瑠璃じゃない。遅かったわね」

「…」

椿姫先輩の挨拶に、瑠璃と呼ばれた少女は応えない。


「あぁ、彼女はにのまえ 瑠璃るり。こう見えても僕らと同学年の2年生だ」

甚助先輩の紹介にも反応を示さない。

彼女は、まっすぐに俺を見据え、そして歩き出した。


「え、え、ちょっと、先輩?」

明らかに動揺している葵にも一瞥もくれず、俺に向かって歩き続ける瑠璃先輩。

そして俺の前にたどり着き、その小さな身体で、俺に強く抱きつく。



「よくがんばったね…明日からは、私が、ずっと、君を護ってあげるからね」

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