1.家虎は違反者講習会で
偶像ビジネスを知っているだろうか。
当然知らないだろう。俺の造語だ。
アイドルたちはいつも我々に楽しく、笑顔を振りまいてくれる。
ここに生きがいを見つけて(有り体に言えば「推し」という概念である)、
日々の潤いにする者もいるだろう。
ここにコンテンツビジネスが産まれる。
つまるところ、アイドルユニットであれば「推し」同士の交流(所謂「絡み」である)があり、それにユーザーは意味(所謂「尊み」である)を見出し、また供給サイドはこれに価値をつける。
俺はコンテンツビジネスが大好きだ。
断じて「推し」といった曖昧な概念があるわけではない。
アイドルユニットが産み出す金銭的な流れやその総量や、ファンコミュニティが産み出す熱量の定点観察を好んでいるにすぎない。
そして各コミュニティの相互作用により、その熱量が更なる規模になることもある…
そうして動いていく世の中を見ること以外に、愉しいことはあるだろうか(いや、ない)
そう、だからこそ、俺はアイドルの現場には行かない。
現場にいく意味を見出せない。
現場に行かずとも、こんなに面白い世界がここに広がっているのだから…
「ね、変態でしょ?」
失礼極まりない感想が飛んできているが、無視することにする。
いや、普通であれば無視しないのだが、その声の主が幼馴染である
「米坂 葵」であったため、いつものことだと思い無視することに至ったのである。
今は大学入学時のオリエンテーション真っ最中。
コミニュケーション能力の高い葵は、俺とは反対の隣の席の者に俺のことを紹介していたようだ。
しかし、やはりその彼女も俺の理解者とはならない。
いや、誰も俺と同じ「ステージ」に上がってこれないのである。
今後俺との接点はないだろうから、モブ子Aと脳内で呼称させていただくことにする。失礼。
「いやぁー、強烈な人だね。えっと…」
「刈間 匠。よろしく」
「刈間くん、ね。よ、よろしくね…」
モブ子Aのこんな反応も慣れっこである。よろしくしていただけるようだが、実習で同じ班になるといったことがなければおそらくよろしくはされないであろう。
なんといっても俺の趣味は中学生時代から変わってないのだ。考え方だって変わるはずがない。
が、しかしながら、そんな俺の孤独も今日でオサラバなのである。
なんと、本日はオリエンテーション終了後に「部活・サークル体験会」が執り行われるのである。
体験会自体は本日から1週間程度行われるのだが、当然本命の団体には初日から赴くものである。
俺のお目当ては当然「アイドル研究会」。
研究会と銘打っているからには、俺と同じレベルでコンテンツビジネスを語れる同士が集う会であるはずだ。
これで毎日同士達と楽しく語らい合うことができる、俺もリア充という人種の仲間入りとなるのだ。
大学生活万歳!
講義終了時刻を告げる鐘が鳴る。
待ちに待った時間がやってきたのである。
「葵、いくぞ。はやくいくぞ、今すぐいくぞ」
「たっくん、急ぎすぎだよー。あと、約束。ちゃんと覚えているよね?」
「ああ、ちゃんと覚えているから早く行くぞ。俺には至上の幸せが待っているんだ」
約束とは、俺の活動体験に付き合う代わりに、葵の活動体験にも付き合うというものである。
俺自身はそんな必要ないのだが、なんだかんだ昔から世話を焼いてくれる幼馴染の頼みなので、今回も素直に受け入れることにした。
葵が課外活動体験をしたい、というのは正直驚いた。
中高時代は授業後は俺と即帰宅をしていたので、てっきりこういった事に無関心なのかと思っていた。
しかし、今の俺にはそんな些細なことは関係ないのである。
そんなことを考えながら歩いていると、お目当ての部屋にたどり着いた。
扉には「アイドル研究会」の文字。
あまりにも神々しいその活字並びに、俺は涙を堪えきれない。
ああ、このときをどれほど待ちわびたか。
隣で葵がなにか言っている気がするが、よく聞こえない。
すまんな葵、いつも冷静沈着な俺も今は自分のことで一杯いっぱいなのである。
こういうのは第一印象である。
輝かしい俺の大学生活が、ここから始まるのだ…!
期待を胸に、元気に戸を開ける。
「こんにちはー!入会希望なのですが!」
「イェッタイガー!!」
そんな俺を出迎えたのは、想像を絶するオタクのクソデカダミ声なのであった。
「タイガー!ファイヤー!サイバー!ファイバー!ダイバー!バイバー!ジャージャー!」
「人造ファイヤファイボワイパー!
「ワ!ワ!ワ!ワ!ワ!ワ!ワールドカオス!」
「言いたいことがあるんだよ!」
「うるせえええええええええええええええええええええ!!!!!!」
そんな俺の魂を目いっぱい込めた叫び声に、ようやく注意を向ける会員たち。
「お前ら一体なにをしているんだ!!」
「あ…いや…ぼくらはアイドル研究会の活動を…てかもしかして入会希b」
「お前らはなにもわかっちゃいない!」
俺の滾る思いが、堰を切ったかのように溢れ出す。
「いいか!アイドルコンテンツの現場でお前らが勝手に楽しむことは俺もなにもいわん!」
「しかし!!それをアイドル達は望んでいるのか!?他のファンも一体になって楽しんでいるのか!?」
一部会員が反論をする。
「いや、それがアイドル現場ってやつだし…」
「違う!!それはお前たちが作り出したエゴだ!!!メンバー達は少しでもそのコールを推奨したか!?煽りを入れたか!?違うだろう!!」
俺が抱いていたアイドル研究会への熱い想い、それが打ち砕かれてしまったことで
生まれた熱量はどうしようもなく口から漏れ出る。
「アイドルビジネスはなぁ!!メンバー達と俺達ファンで創り上げるものなんだよ!俺達の独りよがりが勝手に歩き出しちゃいけねぇんだよ!!!」
俺(闖入者)の持つ熱量が、少しずつ、だが確実に、研究会員達に伝播する。
「メンバー達と俺達が一体になって産み出すムーヴメント、おめぇ達もわかるよな…あのアツいグルーヴ、わかるよな…?」
一部の会員達の眼にはうっすらと涙すら浮かんでいる。
視界の隅に頭を抱える葵が見えた気がするが、こういったことは勢いが重要なので特に気にしないことにする。ごめんな幼馴染。
「お前たちなら、業界を正しい方向に導いてくれるって…俺、信じてるからよ。チカラ、貸してくれよな…?」
自分でも何を言っているかわからなくなってきた。
これがランナーズハイというものだろうか。なにもわからん。
そんなことを思っていると、室内からは拍手、そしてとうとう「アニキ…!」というワードまでもが飛び交い出した。
そして自然な流れで始まるスタンディングオベーション。
正直なところこいつら正気かという感想を抱いているが、それでも悪い気持ちではない。
これがランナーズハイである。よくわからないが確信をした。よくわからないけど。
「アニキ、また来てくださいね!」
「アニキ、俺達の力が必要ならいつでも呼んでくださいね!」
「アニキ!」「アニキ!」「アニキィ!」
そんな大合唱を背に、俺はアイドル研究会の部屋を後にした。
俺の大学生活が、リア充ライフが、静かに、いや賑やかに、しかし確実に終わりを告げたのである。
「いや、部屋を開ける前に言ったじゃん…なんかコール聞こえるよ、絶対にこれ同類じゃないよ、現場オタクの方々だよって」
葵がなにか言っているが、かつてない傷心に打ちひしがれる俺にはなにも響かない。
「ここもダメなのか…俺と語り合える同士はどこにもいないのか…」
「すごく言いづらいんだけど、たぶんどこにもいないよ。まぁ毎回言ってるけど」
「終わりだ…世界なんて滅んでしまえばいい…」
「軽率に世界滅ぼすのやめてもらえるかな」
廊下で限界までうなだれる俺に、完全に忘れていた一言が飛んでくる。
「ほら、約束約束。私の体験活動にも付き合ってよ」
「あぁ…そんなのもあったな…」
「そんなのってさすがに酷くないかな、たっくん」
これまで自身のアイドル研究会での活動ばかりに思考リソースを割いていたが、ここでふと湧き出た疑問を葵に問う。
「お前今まで部活とかやったことないよな。突然なにを始めようとしてんの?」
「ふふふ、将棋、だよ」
「将棋?なんで突然、今」
「いやいや、私達むかーし源五郎じいちゃんに教えてもらったじゃん」
源五郎じいちゃんというのは俺の祖父である。将棋が趣味で、なにやらブイブイ言わせていた時期があるらしいが、どうしようもなく興味が湧かない。
「あー、そんなこともあったな。いやそうなんだけど、なんで今なん?」
チッチッチッと葵。
「たっくん、コンテンツビジネスの貴公子ともあろうたっくんが将棋ブームをご存知ないだなんて言わせないよ?」
「ブームなのは知ってる。最近はよくテレビでも中継やってるよな。ちょっと前まで、あの時間は野球だったのになー」
「そうなんだよ!今は将棋界がすごいんだよー!プロだけじゃなくて、アマチュアでもスポンサーがついたりしてさ。アイドルユニットやってる子たちもいるんだよ!」
アイドルという単語に俺の耳が、脳が反応を示す。
「ほう…?その話詳しく」
「ふっふっふ。狙い通り食いついたね。じゃあ将棋部室に向かう間に簡単に説明しちゃおうかな」
葵が言うにはこうだ。
数年前、将棋AIの台頭でプロ・アマの棋力差が少なくなり、アマチュアでもトッププロレベルの力を持つもの達が現れた。
アマチュア全体のレベルも飛躍的に上がり、業界全体の盛り上がりに目をつけた大企業がこぞってスポンサーに。
プロリーグが乱立し、将棋のプロの定義が曖昧になり、今は「将棋が強い」という事実のみで生計を立てることができる環境が整っているという。
そうなると将棋が強いだけではなく、ルックス等の特長を持つものたちでユニット化させ、「将棋の強いアイドル」といった存在も多数出現しているそうだ。
「で、お前はアイドルになりたいの?」
「ちがうちがう!まぁそれも悪くないけど…とにかく今は将棋がアツいんだよ!やらないともったいないよ!って話!」
「ふーん、なるほどね。でも突然はじめても勝てないだろうし、そうなるとつまらないんじゃないの?」
「実はおじいちゃんに教えてもらってから少しずつ続けてたんだよー。たっくんなんて小指で倒しちゃうよ?」
そう言いながらシュッシュッとシャドーボクシングをはじめる葵。
将棋って物理で殴るゲームだっけ。
葵と話をしていると、気付けば将棋部室の前に到着。
「ふー、緊張するな…」
「扉開けたらイェッタイガーって聞こえたらどうするよ」
「そしたらこれまで通り直行直帰生活に戻るよ」
まともな返答が返ってくるあたり、葵は俺よりかは幾分か余裕があるようだ。
葵は意を決して部室の扉を開ける。
そこには、上半身裸で自分を限界まで追い込む、逞しいマッチョの姿があった。