魔物と娘
ある日、魔物の供物になったはずの娘が帰ってきた。
魔物は寿命を迎え死んだのだという。
その最期も娘が看取っていたのだと。
「魔物と過ごしていたなんて、信じられない」
「不気味な娘だ」
「この7年間いったいどうしていたんだ」
家族や使用人たちは口々に噂をたてる。
娘はそれを気に止めたそぶりもなく知らぬ顔で過ごしていた。
「それはなにをしているの?」
妹が問いかける
「これは…ぬしさまがこうされていたから。」
習慣づいてしまったのだという。
それはたわいない子供のあそびのように見えた。
大人たちは魔物がしていたものなんて妙な儀式なのではないかと不気味がったが、一部では次第に異なる噂がたつようになった。
「魔物とお嬢様は愛し合っておられたのだわ!」
「亡くなったあとも思い続けておられるのだわ!」
人外の魔物と美しい娘の恋物語として評判になった。
ある日、同じように娘が児戯のようなことをやっていると、妹も「やりたい!」と言い出した。
娘はひどく傷ついたような、とても悲しそうな顔をして「おやめなさい」と制した。
妹はその遊びをやらせてもらえなかったが、
こっそり一人あそびで見よう見まねでやることがあった。妹はおねえちゃんごっこ、といっていた。
成長した妹は結婚することになる。
姉はずっと家にとどまったまま。
「おねえさま、私は幸せになります。
おねえさまも、もういいのではなくて?」
娘はいつかと同じ、悲しそうな顔をしていう。
「ほかのひとには、きっとわからないことでしょう」
妹は姉の幸せを願って嫁いでいった。
嫁ぎ先でも聞かれるのは姉のこと。
魔物との生活はどんなものだったのか、魔物はどんな姿なのか。
興味本位で聞いてくる。
妹のした話は、また魔物と娘の純愛を強調するような話になっていった。
婚期を逃し、実家にとどまる娘に、結婚の申し出がなかったわけではない。
本気であったにしろ、興味本位にしろ、娘はその容貌の美しさで多くの者に望まれていたにもかかわらず、その申し出を断り続けていた。
娘は一人言をいう。
「ほかのひとには、わからないでしょう。…経験をしたことがない人には。」
目を瞑り、思い起こす。
7年前、彼ら家族は不馴れな土地を馬車で移動していました。
そして道を間違え、おそろしいことに、魔物の棲みかまで入り込んでしまっていたのです。
襲われそうになり、恐怖で泣き叫ぶ家族たち。
魔物は人の言葉を解しているようでした。
「待って!」
娘は家族と魔物の間に立ちます。
「お願いです、どうか、殺すなら私の命だけを。家族のことは助けてください。お願いです!」
美しい娘は涙を流して頼み込んだのでした。
魔物は云いいます。
『娘よ、その涙と同じ心を持つのなら、その願いを聞き入れよう』と。
魔物は娘の涙に魅いられたのでした。
以来7年間。
娘は魔物に献身的に仕えました。
見よう見まねでしたが、使用人の真似事をし、泣き言も言わず歳月が過ぎました。
娘が来てから、魔物は人を襲わなくなりました。
魔物にとって人は食糧でしたが、娘が来てから人を食べなくなりました。
娘と同じ果物や野菜や肉や魚を食べるけれど、
次第に弱っていきます。
そして、その日が来ました。
魔物が息を引き取ったのです。
魔物は死の直前、娘に家へと帰るように言いました。
動かなくなった魔物を見て、娘は静かに目を閉じました。
この家に戻るまでのことを娘はその思い起こし、そして、目を開ける。
あの恐ろしい経験を。
魔物と過ごすなど身の毛がよだつほどの恐怖を。
泣き叫んで罵ってしまいたい。
けれど娘は魔物から、魔物の知っていることすべてを教えられていた。魔物は死したあともその意思を残すことがあると云う。
魔物が死んだあとも、娘は常に魔物に見られていると思っていた。
自らが愚かな行いをすればたちまちに滅ぼしに来るだろう、と。
魔物がやっていた子供のあそびような儀式。あれは人間のやる朝の祈りのようなもので、特別な効果があるものではない。娘は恐怖心をごまかすためにただやっていた。手を動かしているときは恐怖を感じなかったから、何でもよかったのだ。
妹に聞かれたとき、無意識にやってしまうことを嘆いたが、それを表に出すことは恐怖だった。
ある日、娘が庭を歩いていると、あるものを見つけ出す。それは昔、彼女の妹が「おねえちゃんごっこ」としていた、妙な儀式の跡だった。風化し、形は崩れてはいるが。
それを見た娘の顔は何にも形容しがたいものに張り付いた。
end