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自我

作者: くると。(昔の)

 僕にとって大人はどんな存在なのだろう。


 つい先日、高校二年生になった僕はそう思う。


 今、親と喧嘩中。親も一人の大人としてみたらどう見えるのかな。


 人それぞれだと思う。ほとんどの親は、いつも遅くまで仕事に明け暮れ、家族を養ってくれる。


 学校に入れば学費も払ってくれる。

 お小遣いをくれたりする。

 家事をしてくれる。

 

 大人は、僕みたいな子供にとっては必要不可欠な存在。


 いつも感謝しなければならない。 

 

 そう、子供は当たり前のように親からの愛情をもらう。


 有り余るほどの。


 それに溺れて子供は成長していく。


 それでいい。


 どんなに甘やかされても、その「見返り」を請求されないから。


 どんなけ遊んでも、勉強をしても、馬鹿なことをしても親は子供の見方でいてくれる。


 それは、褒めるだけでなく、時には一緒に悲しんだり、時には叱ったりする。


 それだけ。それを糧にし、子供は大人へ小さい一歩を噛みしめて進んでいく。

 


 それが、成長という正攻法だと過去を振り返って思うことがある。


 でも、今の僕は違う。


 それは親が敷いたレールの上を進んでるだけじゃないのかって。


 もちろん分岐点もある。でもそれは二本以上の線路があって成り立つ。


 自分で新たな線路を作るという選択肢はない。


 親からしてみれば好きなように大きくなってほしいと願っているのかもしれない。


 でも、親には少しの願望がある。逆に願望がない親なんていない。


 なぜなら、「生きてほしい」という願望がなければ、赤ん坊の時にその子供の人生は幕を閉じる。


 それは親の「生きさせたくない」という願望の達成。


 親失格のお知らせである。


 

 でも、これを不幸と断定づけるのには少し早い。


 もし、その赤ん坊が「生きていきたくない」と思っていたらどうだろう。それは幸せなのか。この回答は極めて難しいし人それぞれだと思う。


 

 僕らにとって大人は、ある一種の道しるべなんだと思う。


 その親によって引かれた線路は親の人生が少なからず関係してくる。


 これは持論だが、その線路を成人まで逆らわずに進んでいけば最後は自分の親とおんなじ道をたどるのではないかと思う。


 親が示せる選択肢の多くは、親自身の人生の中で培われた「知識」「経験」もろもろの集大成である。


 例えば両親が25歳の時に子供を産んだとする。


 子供が10歳になるときに、親から与えられる選択肢は親の35年分の「知識」「経験」ということになる。


 10歳の子供にとって35年分の選択肢は多すぎる。


 それを親は自らの願望と照らし合わせながら線路を引く。


 そして、子供はその上を進んだり、迷ったり、戻ったり、はたまた道を外しながら進んでいく。


 この外すタイミングが僕は反抗期ではないかと思う。



 反抗期は精神発達の過程で、他人の指示に対して拒否、抵抗、反抗的な行動をとる期間のことをいう。


 親への反発は、自分自身の願望の実現へ一歩踏み出す。すなわち、線路の外の世界を見ることを意味する。


 多くの子供は中学生の時に反抗期を迎える。なぜか? 環境が大きく変わるから。


 部活も忙しくなるし、勉強が本格的に数字で表されるようになる。

 

 順位、成績、量様々なことを


 「他人と比べられる」


 ここに新たな分岐点を作り出すきっかけがあったのではないかと思う。


 小学生の時も比べられることはあったと思う。でもそれは今だけのことだったと思う。


 例えば、「うちはうち、他人の家は他人」というたぐいの言葉を小学生の子供に向けて親はよく言う。


 ゲームを買ってほしい。

 〇〇くんも持ってる。


 という回答にもってつけの言葉である。でも、ある場面でのみこの言葉はマイナスの意味へと変化し、親は自信の首を絞める。


 それは、「学力」である。


 現世は格差社会。それの審査基準として最も重要視されるのは学力である。


 人格、思想は二の次と考えるべきと思う。スポーツ選手や例外を除いて、最終学歴で生涯年収が決まると僕もよく親に脅された。


 でもその通り、僕みたいななんのとりえもない平凡な人間が家柄や、センスで勝る人を入社試験でおとすためには学力しかない。


 僕はこれを小学生の時から言い聞かされてきた。この文章を書いている日も念仏のように言い聞かされた。


 少し、僕の過去の話。


 

 僕は凡人。それは今も変わらない。

 

 学校でも目立つタイプじゃないし生徒会をしているけど、みんなと話すことはない。


 これは僕が地味という理由もあるけれど、僕の過去にも理由がある。


 中学2年生の約半年間、僕は学年からのいじめを受けた。


 いじめといってもごく少数の人たちからのもので、大してつらくはなかった。でも、それ以上につらかったのは学年の全員が僕を避け、死んだ魚のようなまなざしで視線を送ってきたこと。


 それで、視線を返すと何もなかったかのように空気の扱いをする。何を思われているのか、なにを陰で言っているのだろうか。


 誰も信じれなくなった。


 先生も、親友も、…親も。自殺だって考えた。でも、親は無駄に止めてくる。親の「生きてほしい」っていう願望を一方的に押し付けてくる。


 そして、それの逆らい方を当時の僕は知らなかった。学校休めばいい。


 そう親からも先生にも言われたけど、なんの解決にもならないことは誰もがわかっていたことだし、屈したくないっていうわがままで学校に通い続けた。


 わざわざ進学塾に通って受験した中学だったから…親に申し訳ない。そう当時の僕は思っていたと思う。半年空白になってしまったけれど、中3は楽しかった。


 すごく。でも、人も人の視線も怖いまま。


 抑うつ病になった。


 もちろん高校に入ってからも変わらなかったし、今も変わらない。


 高校も中学の人がほとんど進学しないと思われるところを受験した。


 でも、全部落ちた。結局滑り止め校に通うことになり、母には「塾の金を返せ」と泣きながらた言われた。


 父は何も言わなかった、人間扱いしてくれなかっただけ。


 その時、家族が壊れるんじゃないかと怖くなった。


 弟もおびえながら家で過ごしていたし。自分がいなくなればいいと思った。


 でも死んだら迷惑かけちゃうとおもったから。


 僕は祖父の家に家出した。


 僕の祖父は学歴もあれば人格もいい。


 それは優しくて、頭もいい、お金持ちな僕のおじいちゃんだ。


 大学の教授でドキュメンタリー番組なんかにも出たこともある。


 そんな祖父も僕に言う。


 「勉強しな」って。


 でも、なぜか親に言われるのと何かが違う。


 確かに祖父は日本でも有名な国立大学出身だし、海外の大学で研究所を持っていたこともある。


 頭がいいから、勉強しなさいと言われて「はい」としか言えない。


 そう一瞬思ったけど、違うとすぐわかった。祖父はこういったのだ。


「勉強しなね、自分の未来の選択肢増やすんだよ。自分で」



 納得した。親も祖父も自分を思って言っていたことには違いはない。


 でも、その勉強したその先を見据えることの大切さに気付かせてくれたのは祖父だった。


 誰もが考えたらわかるようなことに気付かさせてくれた。


 多分、このことには、中学生のうちに誰かと比べられ、自我を形成し「自分はこうなりたい」と形を作るのだと思う。


 それから親へ反抗し、自分の線路を敷きながら進んでいく。


 その線路を引く手段が勉強なのだと。


 でも、僕は気付けなかった。


 空白の半年が今帰ってきた気がした。遅すぎる反抗期と、受験失敗を糧に祖父を追いかけたいと僕は思う。


 いい意味で、親という名の線から脱線したい。そして、夢という目的地へ近づいていきたい。そう、高校1年間いろんな人を観察してわかった。


 これは僕の過去の感想文。


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