第拾伍話 隠国(十)
20
(七星……礼二郎?)
思わぬ名前に、蓮が戸惑う声を出した。
彼はその男を知っていた。その男は、以前に夢――剣王鬼の記憶の世界に登場した人物である。
幕末、江戸の都において呪術師と妖怪とを集め、テロを画策していた集団……大倭維新会の頭領だった老人。
それが、七星礼二郎という名だったはずだ。
だというのに――目の前に現れた男は、どう見ても若い。
どころか、あの軍服姿からして旧帝国軍の将校といった雰囲気である。
外見も、年齢も、時代も異なる。
(同姓同名の別人……?)
そんな推測を立てるが、「否」と剣王鬼が口を開いた。
「こんな男が、二人もいて堪るものか」
目前の敵から目を逸らさずに、ただ簡潔に答えを述べた。
「慶応の奴も、昭和の奴も、どちらも同じ――転生しているのだ、此奴は」
(転生……輪廻転生……転生者!?)
オカルト好きな蓮からすると、前世の記憶がある――というような話題は界隈によくあるストーリーであり、したがって輪廻転生などの知識も触り程度なら理解している。
つまり七星礼二郎は、一度江戸時代に生まれて死んだ後、昭和時代――いや太平洋戦争時に将校なら、明治時代や大正時代だろうか――に再び生まれ変わったということなのか。
そのように、蓮がひとまずの納得を得たところで、
「嗚呼っ……!!」
と漏れる声があった。
見れば、その両目に溢れんばかりの感涙を浮かべた口裂け女が、着物の裾をはためかせながら神殿の麓まで駆け寄ったところであった。
「礼二郎さま――御館様っ……よくぞ御戻りなさいましたっ」
そのまま跪いて肩を震わせる彼女に、男はようやく剣王鬼から視線を外した。
口許にうっすらと微笑みを浮かべると、
「大儀であったな、飯綱よ――」
深く響く、優し気な声であった。
それは思わず耳を澄ませたくなるような声色で――嗚呼、確かにあの夢で見た七星翁と同じ声だ、あの離座敷で人妖問わずに熱狂させていた、あの声だ――と、蓮は気付いた。
「嗚呼、そんな、勿体なき、勿体なき御言葉です……嗚呼、本当に、ようやく、ようやく……御館様……礼二郎さま……」
平伏したまま一層に体を震わせる女から目を滑らせると、礼二郎は同じく神殿の麓で物言わぬ亡骸となっているスーツ姿の男で一瞬だけ目を止めた。
それから、境内に展開している異形の集団と、そして剣王鬼の後方で硬直している少年たち……周囲の様子をざっと見まわすと、再び目の前の剣王鬼へと視線を戻した。
そして、とても綺麗に笑むのである。
「――さて。今となれば、あの夜が懐かしい」
怪しく赤色に輝く瞳を細め、礼二郎は語る。
「私が君に、あの日、あの奈落へ落とされてから……おそらく七十年といったところかな、不語仙殿」
まるで友人にでも語り掛けるような、親し気な調子である。
対する剣王鬼は剣を構え、
「ふん。その奈落へ、また送ってやろう――」
と、にべもない。
そのまま足を踏み込んで――瞬間、たったの一歩で礼二郎の直ぐ鼻先まで肉薄する。
ぎらりと光る白刃が、そのまま喉元へと差し込まれる――かと思えば、神速の居合が間に合った。
鞘走りの音すら置き去りにして、礼二郎の抜き放った刀が、剣王鬼の刺突を斬り上げる。
満月の下、夜の闇のなかで火花が散った。
きいいいぃぃぃいん……と鈴の音のような刃鳴りが残る。
至近距離で、剣王鬼の紅い鬼の瞳と、礼二郎の赤い魔人の瞳とが交差した。
一拍の後、剣王鬼だけが後方へと飛びずさる。
そこに一歩遅れるかたちで血だらけの刃物が飛来した。
「御館様っ!!」
叫んだ口裂け女の足元から更に兇器が生え、次々と剣王鬼へと向けて射出される。
それを、ぴょんぴょんと身軽に跳ねるように避けるうち、剣王鬼と礼二郎の距離は再び開いていた。
「久方ぶりの邂逅なのだ――不語仙よ、まずは語らおうではないか」
傍まで寄ってきた口裂け女を侍らして、満月を背負った礼二郎が神殿の上から問いかける。
それを剣王鬼は鼻で笑った。
「己と貴様が語ることなど、今更何がある――?」
「そうだな。例えば、その体――」
礼二郎は変わらぬ笑みを浮かべていた。人好きのしそうな好青年の笑み――けれど、いつのまにかその瞳だけが、何かどろりとした情念のようなもので燃えている。
そして、
「――あるいは、君の求める彼女について」
その一言で、剣王鬼の纏う空気が一変した。
「ほう――何に気が付いた? 何を知った?」
蓮は困惑しっぱなしである。
いつも泰然として、老人のようにからりとしている剣王鬼の声に――熱がある。
聴いているだけで火傷しそうなほどに赤々と、粘性のある……執念の滲んだ温度だった。
「まさか――」
あるいは、それは――期待の色だった。
「干渉があったのか?」
剣王鬼の怒涛の問いに、しかし礼二郎は満足そうな笑みを浮かべるのみである。
興味を惹けて嬉しい――そんな心情が透けて見える顔だった。
「どうした。答えぬと言うのなら――」
剣王鬼が焦れたように一歩を踏み出そうとしたときだった。
「きゃっ」
「うおっ」
背後で、声――。振り返れば、葵の、柚葉の、慧の、文太の喉元へ、にじり寄った異形たちが鋭い爪や得物を突きつけていた。
動きを止めた剣王鬼へ、礼二郎が語る。
「――見たところ、君はいま契約に縛られている」
赤く爛々と輝く魔人の瞳が、鬼の様子を観察していた。
「そんな状態で、この彼我の物量差だ。――果たして君は、契約を遵守することができるだろうか。あるいは、そんな君をここで打倒したとして、それは果たして本当の勝利なのだろうか」
礼二郎は、周囲の配下――かしずく異形たちをすら睥睨して、言い放つ。
「私は、万全な君に勝利したい」
否、それは宣言だった。
高慢で切実で――灼灼たる魂の熱が燃え潜んでいる、そんな男の心意だった。
「だから場を整えよう。君が十分な準備を出来るように――配下を呼び戻し、足手まといを削り、何の憂いもなく闘争できるように。そうだな……次の新月だ。あの日と同じ――新月の晩に、君の居城へと赴こう――我々が出直すとしよう」
礼二郎は軍帽を被り直すと、マントを翻して背を向けた。
そのすぐ後ろに、三歩離れて口裂け女が続く。
ずらずらと、境内の異形たちもそちらへ――満月の向こうへと歩き出す。
「だから、その時だ。その時こそが我々の決戦で――君への答えも、その時だ」
暗闇の向こうから、最後にそんな言葉だけが響いて。
気が付けば、百鬼夜行はすっかりとその姿を消していた。
後には、ただ死体で作られた神殿の残骸と、ジッと異形たちの去った先を見つめる剣王鬼、――そして、生傷だらけの少年少女だけが残された。
しばしの沈黙があったが、それはやがて一人の少女の、彼女らしからぬ震えた、すがりつくような声で破られた。
「……ねえ、蓮……なのよね?」
剣王鬼はため息を吐き、その内側で蓮は頭を抱えた。
第拾伍話 隠国 /了。




