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物怪伝 鬼の章  作者: 犬尾南北
大倭篇

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第拾伍話 隠国(二)




        3




 長々と表参道を登ってきた先にようやく顔を見せた鳥居は、青空を背に、石階いしばしの向こうで堂々と朱色に輝いている。

 皆でぞろぞろと登っていけば、鳥居そばには石碑があって「世界遺産 熊野三山 熊野那智大社」と彫られてあった。


「おお、着いたね」


 感慨深げに息を吐く蓮の横で、文太は鳥居の先にも未だ石段の続くことにげんなりとした顔をしている。


「これは一の鳥居ですからね……でも、もうひと踏ん張りですよ」


 励ます言葉をかけるのは柚葉だった。

 葵はというと、背後を振り返って「山しか見えないわね……」と失礼な物言いである。

 蓮も顧みるが、たしかに山しか見えない。

 方角的に那智湾が見えるはずの方向も、すっかりと峰に隠れている。

 ゆっくりと周りに視界を広げれば、ぐるりと一帯を取り囲む険峻な山嶺には、原始林が黒々と続いている。

 参道には観光客の往来もあり、土産物屋だってあるのだが、街中のような喧噪ではない。

 全体的に、どこか静謐な時間が流れている。


「本当に、だいぶ山奥だ」

「まさに隠国って感じだな」


 言う慧に相槌を打つ。

 打ちながら、蓮はなんだか感動に似た衝動に襲われていた。

 道中に聞いた解説では、この場所はあの世に通じる場所だと信仰されてきたらしい。


 遠く俗世から離れた、深い森と険しい山に囲まれた場所――。

 さらに、その麓には青々と濃い海までもが迫っているのだ。


 死後の世界に続いていると信じられてきた山嶺と、遥か水平線の先に楽園があると信じられてきた海。

 ともに、なにもかもを呑み込んでしまいそうな別世界である。


(たしかに)


 と蓮は頷いた。


 たしかに、ここはだろう――。


 信仰心のない蓮ですら、神秘的な気配を覚えざるを得ない土地である。

 まさしく異境だった。

 古来、この山地で修業をした人々はこの景観にこそ霊界を、そして神仏を見出したのだろうか。


「ねえ、行くわよ」


 葵が腕を引いて促すまで、蓮はじっと景色に見入って動かなかった。




        4




 感動に震える蓮のテンションは、壮麗な熊野那智大社を越え、青岸渡寺を越え、ついに那智の滝まで至ったところで最高潮となった。


「すげえ! でけえ! やべえ!」


 浅い語彙を連呼しながら駈ける蓮を、慌てて友人たちが追いかける。

 飛瀧ひろう神社の石段を下り切るなり、目前で轟音を立てる滝へと向かって一直線である。

 あっという間に境内の柵に飛びついて、蓮は前方に聳え立つ瀑布を眺めた。


 那智の滝。

 ほぼ垂直の断崖を流れ落ちるそれは、落ち口の幅が13メートル、滝壺までの落差が133メートルにも達する日本有数の大瀑布である。

 首が痛くなるほどに見上げた先、注連縄の張られた滝口から白く降る水流が、崖のちょうど中腹あたりで岸壁に砕け落ち、幾筋もの水簾すいれんとなって扇状に広がり、やがて水深10メートルの滝壺に至る。

 毎秒1トンの水が落ちるという、金箔つきの名瀑である。


「うひゃあ、まだ離れてるのに迫力すげえや」


 追いついた友人らが、口々に感嘆の声を漏らして蓮に並ぶ。

 辺りは腹の底を揺らすような水音と、そして仄かに漂う湿った匂いで満ちていた。

 四方を原生林で囲まれた奥先で、それを切り裂く那智の滝は神秘的な威容を放っている。


「あの滝自体が、この神社の御神体のようですね」


 説明の看板を見た柚葉がそう言って、


「那智四十八滝といって、那智山中にはあれも含めて48の滝がある。昔から修験道の修行場として重要な聖地だった」


 と、慧が補足する。

 その向こうで、葵が手招きして声を上げた。


「みんな、こっちよ! もっと近くで見れるらしいわ!」


 見やると、彼女が指し示す先で「お滝拝所舞台/延命長寿の水 参入口」と看板が立っている。参入料を支払えば、より滝に近い舞台に進めるらしい。


「マジ!? 行こう! 行こう!」


 目を輝かせた蓮が、飛び跳ねるようにして向かう。

 それに慧と文太が顔を見合わせ、柚葉がひとつ息を吐く。

 もはや慣れた様子で肩を竦めると、残った彼らも後に続くのだった。


 そうして、――主に蓮が――一頻りに燥いでいると、ついに下山の帰路につこうという頃には午後五時に近くなっていた。

 夏とは言え、山の夜は早い。

 周囲も段々と薄暗くなりつつあり、峰の向こうでは空が赤く燃えている。

 神使でもある黒い鳥影が、カアカアと頭上で鳴いていた。


「早くしないと、バス逃すわよ!」


 葵に叱責されながら神社の鳥居を出たところで、すぐ目の前のバス停にちょうど車体が停まる。


「お、ラッキー!」


 叫んだ文太が我先にと駆け寄った。

 それに続いて、ほかの面子も次々に乗車口へと滑り込む。

 各々が座席へと腰を下ろしたところで扉が閉まり、バスはゆっくりと発進した。

 人心地のついたところで慧が零す。


「なんとか、間に合ったな……」


 頷きながら蓮が見渡すと、窓から夕陽が差しつつある薄暗い車内には、彼らのほかに乗客の姿はなかった。


(……あれ?)


 ふと気がついて、蓮は首を傾げた。


(来た時のバスって、こんなに古臭かったっけ……)


 ガタガタと大げさに揺れる車体もそうだが、内装がなんだか、やけに古びて目に映る。

 運転席背面に掲示されているポスターなんて、まさか年号が昭和のままで止まっていないだろうか。


(いや……気のせいかな)


 夕陽のせいで、多少ノスタルジックに見えるだけかもしれない。

 それに、言っては悪いが田舎の地方バスである。長く更新されないままの掲示物が貼られていることだって、もちろんあるだろう。

 すぐに興味を失うと、蓮は膝上のリュックサックを抱えなおして瞳を閉じた。

 朝に三浜市を出発してから六時間も電車の旅をしてからの、那智山観光である。

 興奮で麻痺していたが、どうも疲れは溜まっていたらしい。

 自分でも気がつかないうちに、蓮の意識は暗い闇のなかへと沈んでいった。




        5




「――おい、蓮……おい、やばいぜ。起きろ」


 肩を揺すられて、目を覚ます。

 顔を上げると焦った顔の文太がいる。


「おはよう……駅前に着く感じ?」


 暢気に答える蓮に、文太は勢いよく首を左右に振った。


「ちがう! いいから、ちょっと外を見てみろよ」


 座席としては、二人掛けの場所に蓮が窓際で文太が通路側である。

 言われるがままに視線を向けて、


「え……」


 ガタガタと車体が揺れている。

 薄暗い山道だった。

 舗装もされていない荒れた道に、両脇から原生林が押し寄せていて、宙に伸びた枝葉に時折バスの天井が掠っている。

 木々の隙間から、鮮血のような夕陽に彩られた山嶺が垣間見えては、過ぎて消える。

 蓮は固まった表情のままで振り返り、


「……ここ、どこ?」


 文太は泣きそうな顔で、またもや首を横に振る。


 ――まったく見覚えのない場所だった。


 那智山へ向かう際のバスでは、こんな道は通っていない。

 それに腕時計を確認すれば、すでに午後六時に近い――とっくに麓の駅前へと到着していなければおかしかった。

 だというのに、蓮たちを乗せたバスは未だに何処とも知れぬ山中を走っている……。


「蓮、起きたか」


 後ろの席から慧が顔を現した。

 蓮の背もたれに腕を置く格好で身を乗り出してくる。


「慧、なにが起きてるんだ? 僕らバスを乗り間違えたのか」


 問う蓮に、彼も力なく首を振った。


「わからない。皆、疲れて寝ていたみたいで……俺たちも今さっきに起きたばかりなんだ」


 見れば、周囲の席で葵や柚葉も怪訝な面持ちで何かしら手元を弄っている。


「ケータイも通じないんだ」


 その言葉に蓮も確認するが、以前の事件で買い替えたばかりの折り畳み式ガラケー、最新式のはずのその液晶画面には圏外の文字が躍っている。


「なんてこったい」


 呻く蓮に、文太が続ける。


「それに、おかしいんだ」


 視線を向ければ、潤んだ瞳で訴えてくる。


「あのバス停からは、路線は麓の駅前までの一本だけのはずなんだ。乗り間違えるなんてこと、あるわけが……」


 そのときだった。


『つぎはぁ……終点……終点ぅ……』


 車内のスピーカーから、ガリガリと罅割れた音声が流れる。

 その放送に、誰かが


「終点……」


 と呟いた瞬間、バッと車内が赤くなった。

 原生林に囲まれた薄暗い道を抜けて、バスは夕陽に照らされた草地のなかを走っていた。

 窓から外を窺えば、どうにも山脈のどこか谷間を切り開いた土地のようである。

 背の高い雑草で覆われた叢のなかに土が向きだしの道が続いており、その行く先を見れば、たしかに何やら村落のような影がある。

 近づくにつれて段々と輪郭が定まってきたそれは、寂れた印象の山村だった。


 やがて幾分もせずに、バスは村の手前で停車する。

 そばの叢のなかには、錆に覆われて文字がよく読めないが、バス停のような形の棒が立っている。

 ぷしゅう、と音を立てて運転席横の扉が開いた。


「……」


 思わず顔を見合わせる男子一同である。

 その横で、すっくと立ちあがるのは葵だった。


「ねえ、私たち乗り間違えたんだけど」


 言って、すたすたと運転席まで行って覗き込む。


「ここから紀伊勝浦駅まで行くには、どうしたらいいのかしら」


 さすがの行動力だった。

 息を呑む蓮たちであるが、しかし――


「今日は……もう……バスはない……これが終点だから……」


 運転席から零れるのは、そんな陰気な声であった。


「さあ……降りてくれ……次は車庫だ……」


 葵も、どうにかならないかと食い下がるが、


「村には……民宿もあるから……」


 と返すのみだった。

 そして、


「さあ、降りてくれ……終点だ……」


 と言うのである。

 なおも葵は食い下がる様子を見せたが、


「――仕方ないか」


 と零した慧により、とりなされた。

 蓮たちは各々の荷物を持って、そこでバスを降りることになる。

 ……降りる間際、乗車賃を支払いながら蓮は運転席に目を向けた。

 黒っぽい制服に身を包んだ運転手は、ずっとハンドルを握ったまま身じろぎもせずに前を向いていた。

 帽子のつばが影を落とし、顔の様子はよくわからなかった。

 全員がバスを降りると、すぐに扉が錆びた音を立てて閉まる。

 重い排気音を上げ、バスはそのまま彼らの前を通って村の奥のほうへと消えていった。


「――さて、どうしましょうか」


 バスの後ろ姿が道を曲がって見えなくなると、柚葉がそっと呟いた。


「どうするって……」


 鼻白む文太の隣で慧がケータイを弄る。


「電波はあいかわず圏外だな……こうなったら、どうにか、ここで泊まるしかないんじゃないか?」

「ええっ」


 厭そうに顔をしかめたのは葵である。


「そりゃあ……あの運転手は、民宿があるとは言ってたけど」


 気乗りしなさそうな様子で、「本当なら今晩は温泉だったのに……」などと呟いている。

 なんやかんやと言い合う友人たちを横目に、蓮はというとぼんやりした顔つきで辺りを見渡していた。

 小さな山村の村はずれ……かつてはきちんとバス停だったのだろう、荒れ放題の空き地に彼らは立っている。

 そのうち、視界の端で何かが引っ掛かる。


「ん、あれは……」


 近寄ってみれば、古びた案内板のようだった。

 ようこそ――などと観光地の入口にあるようなものだろうか。

 叢に隠れるようにして佇むその看板は、だいぶ放置されているのか痛みが激しかった。乾燥して罅割れた板地に、薄れた墨で村の名前が書かれてある。

 夕陽を背にした蓮の影法師が、そこに黒々と穴をあけていた。

 聞き慣れない地名だと思いながら、それを蓮は読み上げた。


 ――隈手くまで村。


 途端、ギャアギャアとけたたましく鳴き喚き、周囲の叢から夥しい烏の群れが飛び立った。

 ぎょっと見上げる少年たちの頭上を飛び越えて、黒い塊は血のように赤い夕陽に向かって消えていく。


 ……その夕陽もまた、遠く闇色の峰へ、じりじりと呑み込まれてゆくのである。


 夜が、来る。




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