第拾肆話 緋崎(三)
大分お待たせいたしまして、申し訳ございません。
ぼちぼち再開していきたいと思います。
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室内の熱気はそのままに、礼二郎の演説は続いている。
「同志よ、輩よ、我々こそが真なる臣民である。ともに真なる維新を成し遂げよう。御国の未来がため、古き強き大日本を、我等の血で以て取り戻そうではないか。嗚呼、重ね重ね断言しよう――誠に憂国するならば、形ばかりを真似ても何も変わることはない。実を伴わなければならぬのだ」
たった今、テロリズムを宣言した男の言葉である。慄然としながらも、改めて蓮は感じ入る。
老人の声には不思議な魅力があった。
聴く者の心を、内側から震わせるような響きがある。とんでもない内容を語っていると気づいた蓮ですら、思わず聞き入ってしまう。
老人の言葉が途切れると、あとには足元がふらつくような余韻が残る。
沸き上がる聴衆のなかから一人の男が進み出た。
「先生」
悪党染みた人相が、ひどく畏まって伏せられていた。
見るところ、ここまでの周囲から大きく外れることなく、三十歳前後の男である。
無精ひげの激しいその男の着衣を見て、山伏だ――と蓮は思った。
目立つ容貌であったが、最初に蓮たちが離れ座敷へと入った際には見かけた覚えがない。土埃で汚れた旅装のままであることからしても、演説の途中で遅参した様子だった。
「おお、役太夫か」
礼二郎も両手を広げて歓迎する。
「御苦労だったな。帰参を待っていたぞ」
「勿体なきお言葉です」
片膝をつく役太夫の肩を労わるように叩き、
「して、どうであった」
「……申し訳ございません」
ごつい容姿の山伏が、小柄な老人に向かってさらに深く頭を下げる。
「御用命の天城王、その謁見までは叶ったのですが――」
「断られたか」
「は。某の力及ばず……」
「よい、よい。気に病むことはない」
礼二郎は鷹揚に頷くと、
「彼の御仁の耳に我等の活動が届くこと、それこそが肝要なのだ。すればこそ、おぬしはよくやってくれた」
労う声は暖かい。
平伏する山伏は、感動で肩を震わせている。
見守っていた聴衆が、それに羨望の眼差しを向けていた。
「その証に――ところで、見知らぬ者がおるな」
礼二郎の瞳が、ふいと向く。
釣られて聴衆の視線もまた、そちらへ流れ――。
瞬間、びくりと蓮は身体を震わせた。
気づけば座敷中の注目が、人垣の最奥、そこでただ二人座り込む少年たちに集まっていた。
何を隠そう、それは緋崎少年と、そして剣王鬼ならぬ蓮である。
「え……」
硬直する蓮を余所に、事態は動く。
最前の老翁のもとへ、あの開門したときの若い男が駆け寄って、なにやら耳打ちをした。
「成る程。重頭馬殿の御紹介か」
頷いてみせる礼二郎に、蓮の隣で腰を上げる気配がある。
「祓い屋緋崎と申す」
見れば、――この状況に然程の気負いも感じていないのだろう――黒髪の美少年は、まったく涼しげな風で挨拶していた。
「七星殿の御噂は兼ねがね。翁の御高名は、儂のような田舎者の耳にも届いとります。御目にかかれて、いやはや……大変に光栄じゃあ」
溌剌と語る少年に、「ふむ」と老人は顎を擦った。
「緋崎殿か。いや……寡聞にして覚えが無く、辱い――」
「とんでもない、翁が御存知無いのも当然じゃ。なにしろ緋崎は筑州深山に庵がありましてな、江戸は遠い……そも、ようやく儂で八代目やからのう。正徳に起こったばかりの家門なんや」
少年がぺらぺらと語る度に、彼の口許で八重歯が覗く。
にこにこと細められた奥の赤い瞳を、老人の黒曜石のような瞳がジッと見つめていた。
「それで」
なにかを言外に含ませて問いかける。
推し量るような眼差しに、睨まれていない蓮まで心臓が早くなる。
「我ら大倭維新会について――」
「――素晴らしいッ!」
礼二郎が言い終わらぬうちに、少年は興奮した様子で言葉を被せていた。
「さすがは七星翁、大江戸の麒麟児と謳われる御方じゃあ。素晴らしい計画やと感服しとります。百家のみといわず、ぜひ儂ら緋崎も集いたい……」
うっとりとした声音で語る少年は、笑顔である。
どこか軽薄にも感じる笑みだったが、数秒の間を置いて、老人は納得したかのように頷いた。
「よかろう。緋崎殿もぜひ参集されよ……」
「おお、御寛恕ありがたい」
わっと拍手が響く。
蓮が目を白黒とさせているうちに、こうして緋崎少年はあっという間に自身の立場を部外者から、彼らの同志へと転換させたのだった。
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「さて、緋崎殿。歓迎すべき新たな同志よ。そろそろ隣の御仁についても紹介くださらんかね」
老人の力強く、どこか鋭い眼光が、ついに蓮自身へと注がれる。
緋崎少年はなにやら意味ありげに見下ろしてから、
「ああ、彼は不語仙殿や。道中で逢うたんやが、どうも七星殿を探しておられたようなのでな、共に参ったんじゃ。見てのとおり――」
息を吸うように一拍を置く。
そこで彼は、ちらりと座敷の様子を確認したようだった。
そして、
「物の怪じゃなあ」
ざわりと周囲が揺れる。
かくいう蓮もまた困惑していた。
「な、え、ええ? 嘘ぉ……」
人間に擬態していたはずの剣王鬼のそれが、緋崎少年には見破られていたということである。
いつからだろうか――まさか最初からか?
いや、それはそれとして、ここに至って発言する意図は何なのか。
呪術師たちが大勢集まっているこの状況で、剣王鬼の正体を暴露するその意図は……。
(退治?)
ところが、彼の様子を眺める少年の顔を改めて見上げても、そのにこにことした笑みは、変わらず親しみに溢れているように見えるのだ。
(わ、わからん……このひと、一体なにを考えているんだ!?)
その一方、動揺する面々が並ぶなかで、礼二郎だけはまるで分かっていたかのように動じていない。
――否、すべて分かっていたとばかりに頷いた。
「では……私も、不語仙殿と呼ばせていただこう」
蓮を――剣王鬼を真っ直ぐに見つめる彼の瞳が、黒く深く輝いている。
正体不明の妖怪を遠巻きに警戒する配下たちを余所に、まるで旧知の友人に対するかのような柔らかな笑みを浮かべて、問うた。
「お逢いできて光栄だ……役太夫の招待を受けてくださったのかな?」
(は? 招待?)
さっそく話についていけない蓮であるが、例によって剣王鬼と礼二郎との間では会話が続いたようである。
礼二郎が、さも愉快そうに声を上げた。
「そう仰られるな。我々はただ……偏に国を憂えているだけなのだ」
蓮を置いてけぼりのままに、そのまま言葉が交わされていく。
しかし、まったく話の筋がわからないというのも、やはりつまらない。
(うーん。なんとか、剣王鬼の声も聞こえないものだろうか)
とうとう、そんなことを考えたときだった。
「不語仙殿……今一度お考えくだされ。かつてのように国土へ瘴気と神気が満たされる……それは我々だけでなく、むしろ貴殿らにとってこそ過ごし易い国であろう。はたして疲弊するばかりのこの国が、貴殿は不快ではないのか」
という礼二郎の言葉に続き、ついに聞き覚えのある声が耳朶を叩いた。
「――快不快のみで判ずる思想なぞ、獣と一緒よ」
低く落ち着いた、若者のようでも老爺のようでもある、不思議な声――剣王鬼の声が喉を通して発されている。
気がつけば、蓮の意識は身体を動かせなくなっていた。
蓮の姿をした精神体が、剣王鬼の記憶に沿って勝手に動き出す。
剣王鬼の夢境へと、より深く同調し始めた――そのことを知らず覚る。
「聞け、人間よ――理想とは、過去ではなく未来へと求めるものだ」
座ったままの剣王鬼が、さも億劫そうに言い放つ。
その姿かたちは、当初の若い少年のままで変化していない。
けれど、確かに漏れ出す存在感があった。
重々しい、妖しげな気配――。
座敷中の人間が彼の放つ圧力に気後れした様子で、とくに修験者の男なぞは尻を衝いて震えている――しかし、若干二名のみが変わらぬ態度で立っていた。
一人は、緋崎少年である。
親しげな笑みを浮かべたまま、どこか面白がっている空気で、事の成り行きをじろじろと眺めている。
そして、もう一人は――
「嗚呼……矢張り、貴方は佳い」
礼二郎が、陶酔さえ含んだ吐息を漏らした。
老いてなお玲瓏な顔を歓喜の色で染め、黒く輝く瞳がその光を強く増してゆく。
「不語仙殿……私は貴方のことを知っている。長く調べたのだよ、天城王……或いは妖仙天城真君……或いは剣王鬼……或いは悪法師……或いは道摩……或いは武内宿禰……そして貴方こそが、この国で最古の魔王であると私だけは知っている」
老翁の言葉が、みるみるうちに執着心に塗れた、粘質なものになっていく。
「この国を変えるために、是非、貴方が欲しい」
――その一言が放たれた途端、剣王鬼は横に転がっていた。
遅れて蓮が気づく。
先ほどまで座っていた畳から、幾本もの腕が生えていた。――生白い、人ならざるモノの腕だ。
同時に、離れ座敷の襖という襖が蹴破られる――廊下や庭から、ぞろぞろと異形の妖怪がなだれ込む。
翁が抱えている子狐も剣王鬼を睨み、負けじと毛を逆立てた。
「式――なぞという浅はかな関係ではないよ。彼らも皆々、私に賛同する同志たちだ」
呪術師と妖怪に囲まれて、不気味に微笑む礼二郎が言う。
「今からでも遅くはない。共にこの国を救おうではないか」
「――戯言をぬかす」
剣王鬼は鼻で笑うと、腰の刀をすらりと抜く。
蓮が知る普段と異なって、それは反りの無い宝刀ではなく、ありふれた打刀である。
腰に残ったほうの脇差も左手で器用に抜き去ると、
「この程度で己を捕らえることなぞ……」
左右と背後から襲い掛かってきた怪物を、打刀で一閃。
猿、亀、狼に似た獣の頭が畳に堕ちる。
また、前方から放たれた十三の呪術は、脇差で一閃。
蓮も視認できた炎と雷と水の蛇体に加えて、さらに幾筋もの不可視の呪毒、それら全てがすっぱりと斬られて忽ち霧散――。
「出来はせん」
すべて一呼吸の間の出来事だった。
周囲を人妖あわせて優に五十を越える敵に囲まれてなお、二刀を払い、血を拭う余裕すら、剣王鬼にはある。
斬り伏せられた妖怪たちの赤い血が、円い池となって畳の上に広がってゆく。
あまりにも呆気ない光景に、彼を囲んでいた者たちが二の足を踏んだ。
――が、その他方では、
(つ、つえええ!)
凄惨な現場には目もくれず、ただただ子供のように目を輝かせる蓮がいた。
 




