第拾弐話 守森(十)
ご注意。
今回は一部に差別的な表現が含まれていますが、作者はこれらを過去に実在した悲劇の一例として引用するものであり、差別の肯定や助長を促す意はございません。
22
真夜中の座敷に煌々と灯りが点いている。
本家の緊急招集に叩き起こされた分家の面々が、眠気や不快感を隠さずに顔を連ねていた。
なかでも一際に怒っているのが、彼らを呼び出した当人――神守家当主の老人である。
苛立ちを隠そうともしていない声で、ひたすらに守森真吾をなじっていた。
「なぜ気がつかなかった!」
叫ぶように怒鳴りつけられる彼は、ただ頭を下げて「申し訳ございません」と繰り返すのみである。
その声はひどく震え、狼狽する内心を周囲へとみっともなく曝け出す。
真吾の背後では、妻の茜が同じく顔を暗く俯かせる。彼女の腕の中では、幼い友樹と陽菜が室内の張りつめた空気に恐怖して、今にも泣きだしそうな顔で抱き着いている。
まるで限界まで膨れ上がった風船のようだ――そんなことを逃避気味に考える文太は、母親と弟妹の隣に小さく正座している。
深夜に突如として開かれたこの集会の、その中心で槍玉に上げられているのが、彼ら一家なのだった、
怒り狂う御本家のその後ろから、不躾な眼差しがぐるりと彼らを囲んでいる。
いわゆる針の筵に立たされる心持ちというものを、文太はこのときはじめて知った。
そして自然と膝に落ちていた視線をちらりと上げれば、目の前で項垂れるように座っている父親の背が映る。
……ひどく頼りない背中だった。
かつての亭主関白染みた気迫も、ここ最近の妻や末子に向き直ろうとしていた意志も、その背からは最早微塵も漂ってこない。
(御本家が怖いのは、わかるけど……)
なにか胸につっかえるようなものを感じながらも、文太はそっと自分の左腕をさすった。
あの《森》の現場から家までの道中を乱暴に引きずられたときの痛みが、まだそこにジンジンと熱をもっていた。
「やはり、さっさと離縁するべきだったのだ」
気がつけば、本家の老人はそんな言葉を吐き捨てていた。
「それはっ……」
このときばかりは、さしもの真吾も勢い顔を持ち上げた。
しかしその一瞬の気迫は、老人の眼光に射抜かれるや否やみるみるうちに萎んでいく。
ついには再び項垂れるように顔を伏せた。
(……離縁?)
初耳の事実に文太が戸惑っていると、すぐ隣でびくりと震える気配がある。
見れば、母親がひどく青ざめた表情で弟妹を抱きしめていた。
「我々は十二分に慈悲を見せた。しかし、その結果がこの有様だ」
老人は重々しく息を吐くと、
「この男は」と文太を殺意すら籠めて睨む。「あろうことか祖霊を穢した!」
あまりの迫力に肩を揺らす少年から視線を切ると、次いで彼らを囲んでいる周りの分家すらもじろりと睨め付ける。
「お前らが守森の寵児なぞと持て囃すから、これまでは大目に見ていたが……所詮は卑しい異能の鬼子」
分家の面々も、きまり悪げに顔を逸らしていく。
これまで散々と文太を猫かわいがりしてきた親類連中が、今や誰一人として少年へと目を向けていない。
「その弟妹も獣腹、畜生腹だ」
老人の冷たい眼差しは、最後に幼い双子と……そして二人を抱きしめて震える一人の女性へと向けられた。
「見るがいい。産んだ子らは、先祖と交わった兄に、前生で心中した弟妹……なんと悍ましい腹なのか」
次第に蹲っていく茜を冷たく睨んだまま、彼は足元の男へと問いかけた。
「――一ノ森よ、これ以上庇う必要がどこにあるのだ」
真吾はしかし、固まったまま黙して動かない。
そんな彼に、老人は再度の問いを投げる。
「答えよ」
その命令に、真吾はまるで足元に追いすがるかのような格好のまま、震えた。
しばしの間が空き、「あ、あ……」と僅かな呼気が漏れて、そして、
「……ありません」
最後には蚊の鳴くような声でそう呟いた。
まさしくその瞬間、文太は彼との間に繋がっていた何か大事なものが断ち切れてしまったことを察したのである。
「聞いたな」
老人は初めて満足げに頷くと、一転、険しい顔を茜と双子――そして文太へと向けるのだった。
「去れ。二度とこの地に立ち寄るな」
有無を言わさぬ口調で以て、糾弾するように断ずる。
「この地で年を越す事すら、最早罷り成らん――疾くと去ね!」
老人が叫ぶ間も、真吾はひとり項垂れたまま動かない。……彼は結局、この集会の間に一度も背後を振り返らなかった。
その小さな背中が、文太の見た父親の最後の記憶である。
23
「――と、まあ、そんな感じで追い出されてさ。最初は母さんの実家……岐阜の家に戻ったんだけれど」
自室で胡坐をかく少年は、苦々しい笑みを困ったように浮かべた。
「……県内だとさ、なぜか色々と噂が立っちまうんだよな」
文太は遠い記憶を見つめる瞳で、ぽつりぽつりと続けていく。
「おれの体のこともあったし……結局一年も経たずに、今度はばあちゃんも連れて県外へと逃げるように引っ越したんだ」
そこで一度目を閉じて、吐息する。
「それが十一のとき。ばあちゃんの知り合いが家を貸してくれるってんで、それでココに越してきたんだけど」
と顔を上げて、ここでようやく彼は周囲の様子に気がついたようだった。
「いやいや、ちょっち重い話をしたのはおれだけどさ。そんな揃って神妙な顔されても困るぜ」
明るく振舞う文太だったが、それを受けてのほか三人は、それぞれの顔を窺うように見つめ合った。
話を聞く前から難しげな表情だった慧はその眉間の皺が更に深くなっているし、普段から文太を揶揄って遊ぶ葵も、なんだか見たことのない表情だ。まるで生まれてはじめて犬を目撃した猫のような顔である。
数拍の間を置き、蓮が代表して呟いた。
「いや……さすがに気にするなってほうが無理あるわ」
「アー」と口を開いてから、「まあ、うん。そうだよな」と文太も空笑いして頷いた。
そして、またしばらくの空白が生まれる。
誰かの膝元で、グラスの中の氷がからんと音を立てて崩れた。
「……つまり、まとめるとだ」
ふと、ずっと押し黙っていた慧が口火を切った。
「文太は、もともと生まれついての異能者だったが、それは森で迷わなかったり、あるいは蛇を捕まえられる程度のいわゆる“苦手”の範疇でしかなかった。けれど森に居る祖神と関わりを持った影響で、その能力が更に強まった……」
目で確かめてくる彼に文太が首肯する。
「今では、なにができるんだ」
問う慧に、文太は一呼吸だけ置いてから、
「森の木々や動物に、ある程度の命令ができる」
「命令?」
「うん。今日みたいに攻撃しろ……と念じれば倒木や山崩れが起きるし、なんなら動物に曲芸をさせることだってできる」
「……そいつは、すげえな」
二人の会話を聞きながら、段々と落ち着いてきた蓮は内心で悩んでいた。
(思った以上にこれは……今後は森の王とお呼びしたほうがよいだろうか)
アホがアホなことを考えていると、今度は葵が言葉を零す。
「木魂……ってのが気になるわね」
彼女も文太を見やり、
「樹木に宿る精霊とは、また別の意味に聞こえたわ」
これにも文太は肯いて、
「たぶん、おれ自身の魂……だとかそういうものを指して、あのひと……咲野は言っていたと思う」
その返答に葵も難しげな表情になったところで、「実際に」と文太は言った。
「後からばあちゃんにこっそり聞いて知ったんだけれど、実はおれが生まれたとき、掌の中になにか植物の種みたいなものを握り込んでいたらしいんだ」
御本家に怒られて、その種自体はすぐに捨てられちゃったみたいなんだけれど――と続ける。
「それが、鬼子の由来か」
呟く慧に、文太は「たぶんね」と言ってから、
「それで、結局その木魂ってのが何なのかは、よくわからないままだけど……おそらくは、その影響でさ」
一呼吸おいて、彼は友人たちの顔を見回した。
「――おれ、普通の人間とは過ごす時間が違うみたいなんだ」
きょとん、という擬音が空間に転がった。
「あ」と気がついた文太が、慌てて言い直す。
「いや、体の時間というか、たぶん寿命……成長速度が、違うんだ」
少年は頬を掻くと、
「陰でさ、おれが高校生には見えないってんで色々言われてるのは、皆も知ってると思うけど……」
「あんなの気にすることないぜ」
「ただの童顔だろ」
口々に飛び出る擁護に、けれど彼は首を振る。
「実はあれさ、合ってるんだよ。――もう十六歳なのにさ、この体はまだようやく十三歳になったばかりなんだ」
瞠目する友人たちへ、自嘲も交えて告白する。
「病院で検査もしてるから、確かだよ。……あれから六年も経つのに、おれの時間はまだ三年しか進んでいない」
数拍置いて、葵がぽつりと呟いた。
「木魂……文字通りに樹木の魂ってことか」
このとき慧の脳裏に過ぎったものは、文太が語った昔話にて森の神が述べた言葉である。
契る度に、木魂が磨かれてゆく――。
例え文太が生まれつきの異能者であったとしても、十歳になるまでは尋常な成長をしていたのだ。
それが十歳以降に問題が生じたというのなら、因果は明白だった。
人外の伴侶は、人から外れていくのが定石だ。
(つまり、文太も人生をめちゃくちゃにされたってわけだッ……!)
咲野と名乗っていた山神――見も知らぬ化生に対して、慧の胸底で沸々と怒りが熱を帯びていく。
例えそれが、同じ時間を過ごしていきたいという人外なりのいじらしい愛情だったとしても、語る文太自身がこのような目に遭ってなお憎からぬ感情を引きずっていたとしても、――慧にとっては関係がなかった。
蓮の一件で開き直った彼にとって、彼自身が人外を憎む道理は、他者を介在せずにそれ自体で完結しようとしていた。
そんな慧が暗い思考に陥ろうとしたところで、けれどその場の空気が変わる。
あらゆる雰囲気を吹き飛ばす発言は、いつもこの男から飛び出るのだ。
「つまり……合法ショタじゃん!」
叫んだ蓮の頭を、思わず叩いたのは葵だった。
「まじめな話してるのに、あんたは!」
「えっ、いや、だって明らかに合法ショタ……ちょっと、ごめんよ。痛いって」
呆気にとられる慧と文太の目前で、二人の夫婦漫才が続く。
「だいたい成人してないんだから、合法もなにもないわよ!」
「じゃあ、非合法ショタ……!」
「ただのショタじゃねえか!」
葵が一際に口汚くなったところで、これ以上はとても我慢できないといった具合に文太が噴き出した。
「ぷっ、あはははっ」
じゃれついたままに固まる二人の前で、そのまま眦に浮かんだ涙を掬って、彼は空元気でない明るさで以て話す。
「うん。さすがは、蓮だ」
すっかりと日常の空気に入れ替わった部屋のなかで、少年は改めて友人たちの顔を見渡した。
「今日おれがさ、ここまで身の上を話したのはさ……やっぱり、もう気にしていないからってのが大きいんだ」
気付けばそれは、晴れやかな笑みだった。
「たしかに六年前のあの夜以来はさ、しばらくの間、おれは広く浅くでしか人づきあいができなくなった。なにがなんでも家族を、家を守らなくちゃいけない。かつて家族全員が夢見ていたはずの暖かな家庭、もう少しで実現したかもしれなかったそれをすべてぶち壊しちまったおれの、せめてもの贖罪だってさ……。でも高校に入って、蓮たちと出逢ってからは、いい意味で振り回されてばかりの日々でさ――」
だからありがとう、と少年は言った。
「――あの森の出逢いがあったから、おれは今、こうして皆と繋がってる。そう気づいたらさ、なんだかんだで……悪くない経験だったって。そう思えるように……ちょっとだけ、なったんだ」
照れ臭そうにそう締めくくった彼に、一拍置いて、わあっと周囲が飛びついた。
「このっ、おまえ、かっこいいこと言いやがって!」
「生意気よ! チビタのくせに!」
「ねえ、今度僕にも能力見せてよ!」
ガシガシと頭を撫でられ、もみくちゃにされながら、文太が叫ぶ。
「ちょっ、やめろ! 同い年だぞ、子供扱いすんな! あとチビタ言うな!」
楽しげな笑い声が部屋の外まで響き、廊下で窺っていた誰かが、そっと安心したように離れていった。
話してよかった、と一人は思って。
話されてよかった、と二人は思って。
けれど、一人だけ――。
(文太は話した。話してくれて、よかった。……けれど、俺は――いつか、話せるのだろうか)
密かなしこりを胸の奥へと抱えるのだった。
第拾弐話 守森 /了。
○双子
世界各地でみられる例に漏れず、かつては日本においても双子が忌避されていた。産んだ母親は獣腹や畜生腹などと侮蔑されたほか、双子が男女の場合は「前生(前世)で心中した男女」だといわれ、殊更に忌まれた。男女の双子は長ずれば近親で通ずるとされたため、片方を捨てたともされる。
○神守一門
岐阜県の片田舎に所在し、本家筋を神守家、分家筋を守森家と称する一族。血族を成員とする宮座を残し、聖地である神域の森に坐す山神を祖神とする。地域一帯の氏神が元々神守一門の祖神であることから独占して祭祀儀礼を執り行う。
名士である立場から地域に様々な掟を課す排他的な一族であるが、実際のところ、作中世界においてはごくありふれた存在である。神霊や妖怪が実在し、種々の呪いや俗信が効力を持つこの世界において、村社会はそれ自体が小さな国として成り立ってきた。元来に国家の支配者とは呪的な能力で何かしら事象を統制する者である。自然、各地の村落を支配する一族は呪術師としての側面を少なからず保有するのである。
なお守森文太の経験した悲劇もまた、大観すると然程特別な事情ではない。神霊に魅入られる人間は古今東西に存在し、大抵それらは彼らに宿命と呼ぶべき定めを強いる――その純粋な愛ゆえに。
(四年七月十一日 あとがきにTIPS追加)
(四年八月三十日、あとがきにTIPS追加)




