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物怪伝 鬼の章  作者: 犬尾南北
大倭篇

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第拾弐話 守森(六)




        11




 父親に連れられて、あれよあれよという間に長着と袴の着物姿へと着替えさせられた文太は、わけも分からぬまま彼と共に玄関口へと控える。

 すると、少しの間もなく戸が叩かれた。


「御免」


 と言って入ってきたのは見知った顔の男だった。


「おじさん」


 と零す文太へにっこりと笑みを返す彼は三ノ森の当主であり、先日に遊んだ幼馴染の父親である。文太の父と同様に着物と裃の姿だ。


「よく参られた」


 形式張った口調で歓迎する父親に、彼も同じく肩肘の張った態度で頷くと、


「俺が最初かな」

「そのようだ」


 すぐに崩れた言葉で会話を始める。

 が、そこで背後の戸が再び叩かれた。


「御免」


 そう言って玄関を潜った今度の男は、小さな伴を連れていた。


優斗ゆうと!」


 思わず驚きの声を上げたのは文太だった。

 またしても見知った大人の後ろに追従していたのは、こちらもよく見知っている子供だったのである。

 名を守森優斗といって五ノ森の嫡男であり、親戚中で文太と唯一同学年の男子である。そもそもが少ない同年代のなかにあってその共通点は大変に大きく、文太と彼はとても仲が良かった。


「よっ」


 軽く腕をあげる優斗は、文太と同じく長着に袴の姿だった。

 硬い挨拶を交わし合う大人たちの下で、そっとどちらともなく寄り添い合う。


「優斗も今日出るの」

「ああ、なんか出ろってさ」


 文太が問えば、彼はうんざりとしたような顔を作ってみせた。


「何時間も座って話を聞かなきゃならんのは、もう考えるだけでえらいな……」


 すでに疲れていそうな声音だった。それに文太が苦笑いを浮かべれば、優斗は気持ちを入れ替えるように首を振った。


「まあ、しょうがないだろ。今日は座入り前の挨拶とか、顔見せってところじゃね」

「……なにそれ?」


 きょとんとした顔をする文太に、今度は優斗が驚いた声をあげる。


「まさかおまえ、なにも知らないのか」

「え、うん」

「一ノ森の、それもなのに……」


 愕然とすらしている表情の彼に、文太は座りの悪いものを感じて顔を背けた。

 実際として、文太は自分たち神守一門の決まり事やなんかに関しては、実はあまり深くは知らないのである。

 勉強するよりも、外で……森で遊んでいるほうが好きだった。


「まったく……」


 ため息をひとつ吐くと、優斗は仕方がない人間を見る目で文太を眺める。


「まあ、それも今日までだな」

「え」


 なにやら不穏な言葉に振り返る文太だが、そこで優斗は彼の父親に声を掛けられる。


「いくぞ」

「おう」


 そしてそのまま連れられて、家の奥へと進んでいってしまった。

 残された文太は不安そうに隣の父親を見上げたが、彼は微かな笑みを浮かべているばかりで疑問を解いてはくれなかった。




        12




「守森衆十三家、本年も全て揃いました」


 場所は転じて座敷である。

 あの後、父親と共に玄関で来客を迎えること数十分の末、最後に訪れてきた神守本家の当主を迎えたところで、その老人と共に文太たちは揃って奥の座敷へと移った。

 そこでは文太の母親が用意した膳で席が整えられており、先に座っていた各家の当主は文太たちが入室すると途端に頭を下げて出迎えた。

 初めて参加する会合にそわそわとする文太は、父親が奥から二つ目の席に座るのに続いて、その隣席へと座る。

 そんな彼の耳に、そっと父親が囁いた。


「御本家がお座りになるまで、頭を下げていなさい」


 言われるがまま頭を下げていると、その耳に老人が最奥の席へと座る衣擦れの音が入ってくる。やがてそれも聞こえなくなったところで、文太の父親が伏したまま、おもむろに言い放った文言が冒頭のものだった。

 老人が短く返答する。


「御苦労」


 その声を機として、守森家の者たちは各々にぱらぱらと頭を上げていく。

 文太も顔を上げると、そこでようやく自分の隣に座っている一方が先ほど別れた優斗であると気が付いた。


「お」


 声を上げようとした文太を制するように、優斗はそっと口元に指を立ててみせた。

 息を呑み込んだ文太が慌てて頷くと、彼も指を戻す。

 ふとそこで、改めて周囲を眺めてみる。

 見慣れた座敷は綺麗に片づけられ、御馳走の置かれた席がコの字となるように並んでいる。上座の本家を中心として、その左右に分家が列を成している。

 各席に座っている面々は、多くが見覚えのあるものだった。

 四十代から六十代ほどの男たちが一様に着物と裃という姿で正座している。日頃から文太を、やれ守森の寵児だなんだと持て囃してくる親戚連中である。

 文太と優斗を除けば、先ほど父親が述べたように守森家の面々は十三人を数えた。

 守森家の戸数自体は今では三十を超えているが、そのうちで何ノ森という形の屋号を持っているのは十三家までである事実を、ここで文太は薄らと思い出す。


 一方で、殆ど身に覚えのない顔ぶれもあった。

 その最たるものが神守本家の当主である。

 文太はそっとそちらに目を遣った。

 いつのまにか大人たちは彼の父親を司会として、何やら堅苦しい話を始めていたが、上座のその老人はひとり静かに茶を呑んでいる。

 守森家の者と同様に着物と裃の姿であったが、その意匠が少しばかり豪奢であった。丸のなかで山に霞の掛かる家紋が、肩衣に金糸で刺繍されている。

 老人の顔つきは精悍に引き締まっており、老いてなお色褪せぬ精気で彩られていた。皺の刻まれた目元が鋭く尖っていて、盗み見ている文太はどことなく寒々しい感覚を覚える。

 咲野という事情を抜かせば、文太と神守本家の接触は驚くほどに少ない。今までは年に何度か遠目に見かけるだけだった。

 それがこうしてこの日、なぜか手を伸ばせば届きそうな距離で並び座っている。

 初めて間近で本家当主の顔を眺めてみて、文太はなんだか苦手な気がする……と感じるのだった。


「不躾な視線だな」


 だから重く零れ落ちたその言葉を聞いた途端に、文太は口から心臓が飛び出るかと思うくらいに動転し、震え上がった。

 気がつけば辺りがシンと静まり返っている。

 じっと見つめてくる老人の顔を、文太はおずおずと見上げた。


すべて人の人たる所以は礼儀なり」


 冷たい視線で見下ろしながら、彼は滔々と語り出す。


「礼儀の始めは、容体を正しくし、顔色を整え、辞令を順にするに在り。容体正しく、顔色ととのい、辞令順にして、而して後に礼儀備わる。以て君臣を正しくし、父子を親しくし、長幼をす。君臣正しく、父子親しみ、長幼和して而して後に礼儀立つ。故に冠して而して後に服備わる。服備わりて後に容体正しく、顔色斉い辞令順なり。故に曰く、冠は礼の始めなりと。これ故にいにしえは聖王冠を重んず。古は冠礼に日をぜいひんを筮す。冠事を敬する所以なり。冠事を敬するは礼を重んずる所以なり。礼を重んずるは国のもとたる所以なり。故にきざはしに冠し、以て代を著すなり。客位にしょうし、たび加えていよいよ尊きは加えて成る有るなり。すでに冠して之にあざなす。……成人の道なり」


 口を閉じた老人に、顔色を窺うようにして文太の父親が声を掛けた。


「……礼記らいきですね」

「そうだ」


 一呼吸の間だけ瞑目すると、彼は鋭い視線を文太と、その隣の優斗へと向けた。


「一ノ森文太に、五ノ森優斗。今年に数えで十一となるお前らは、来たる神事の後、正月の饗応にて烏帽子着を熟す。官途名かんどなを授けられ、新たな若衆となる。……成人するのだ」


 物理的な圧力すら覚える眼力に、少年二人は息を忘れたように固まるばかりである。


「森と共に守護されるだけの小僧から、真に我ら神守一門の男と成る――。その自覚と責任を抱いて貰わねば困る」


 呆然とする文太と優斗の背を、それぞれ隣の父親がそっと叩いた。ハッとした二人は慌てた様子で、勢い頭を下げる。


「すみませんでした」


 それを見届けると、老人はフンとひとつ鼻を鳴らした後、膳の箸をとった。

 黙々と食事を始めた彼に、周囲の空気も緩和する。

 見れば他家の大人たちも思い思いに食事を始めていた。箸を動かしながら、先ほどまでの議題の続きを話し合っている。


「君らも食べていなさい」


 優斗の父親が、囁くように声を掛けた。

 文太と優斗は顔を見合わせると、自分たちの箸へと手を伸ばす。


「すげえな、美味そうだ」

「……うん。母さん、朝から頑張っていたから」


 気を取り直すようにわざとらしく明るく振舞う優斗に、文太も頷く。

 すると彼はどこか浮足立った様子のまま言葉を零した。


「そっか。これ全部おばさんが……大変だなあ。本当なら他の家が手伝いにくるものだけど、やっぱりおばさんは……あ、いやなんでもない」


 何やら言い掛けた優斗は、しかし途中で正気に戻った様子で気まずげに口を閉じてしまった。

 文太もとくに追及せず、二人は一転して黙々と箸を動かしていく。

 膳の上の料理は、どれも大変に美味だった。

 ふわりと炊き上げられた白米に、夏野菜をふんだんに使った味噌汁。焼き魚に、煮物に……主菜から副菜まで、膳の上の皿はひとり十枚にも及ぶ品数である。

 今朝からの母親の働きぶりを脳裏で映し、段々と文太は心が苦しくなった。

 顔を上げれば、周囲でも皆が同じ膳を囲んでいる。しかし誰も……文太の父親ですら、これらをたった一人で準備した母親の勤労を慮る様子を見せなかった。

 誰しもがこの程度は準備されていて当然だ、とばかりの態度で、優斗の他はその味にすら言及する者がいない。

 文太はちらりと斜め向かいに座る本家の老人を見る。

 先ほどに、どうも礼節について説教したらしい彼は、けれど、ひどく冷めた瞳で不味そうに口へと運んでいた。


 ――事ここに至って、文太はなんだか、ひどく歪なものを周囲に感じ出す。


 思えば母親だけでなく、彼の幼い弟妹もまた、どこか冷遇されている感覚がある。

 彼に対してはとても暖かな周囲なので、ずっと気のせいかと思っていたけれども、……こうしていざ内側を覗いてみると、なんとも明確な気配でそれはあった。

 これまで自分を甘やかしてきた、気の良い親戚たちが、優しい父親が、途端に知らない人間のように見えてくる。

 文太の耳に、ふと、いつだったかに聞いた咲野の言葉が蘇った。


「――ゆめ忘れるな、我らが貴き童児よ……ぬしは他の児らとは違う。ぬしだけは特別なのだ――」



○礼記

 儒教にて重要な書物「五経」の一つ。

 日本の古い社会における官途成や烏帽子着などのイニシエーションで、何故冠が重視されるのかを考えたとき、やはり思想の源はこの辺りだろうと思われる。



(四年七月十一日 あとがきにTIPS追加)

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