第拾壱話 河童(一)
1
「よっしゃあ、川だあ!」
「やっと着いたあ!」
歩き続けた道の先でようやく顔を表した公園入口に、互いに小学低学年の子供が二人、はしゃいだ声を上げる。今にも駆け出しそうな彼らの肩を後ろから慌てて抑えるのは文太だった。
「友樹も陽菜も、走っちゃだめだよ」
揃って「はあい」と元気のよい返事をする二人は、彼の歳が離れた弟妹だった。
文太と似た明るい癖毛の少年が三年生の千田友樹で、黒髪にカチューシャの少女がその双子の妹の千田陽菜である。
「すごいなあ、お兄ちゃんぶりが堂に入ってる」
彼ら三人の様子を前方へ眺めて、感心しきりの言葉を漏らすのは蓮だ。
「僕は一人っ子だから、兄弟がいる感じがよく分からないんだよね。実際、どんな感じなん」
そう言って隣を向けば、苦笑いを浮かべる慧がいる。
「どうって言われてもなあ……俺の場合、姉が姉だから」
切れの悪い口ぶりの彼に、蓮も得心したような顔で
「ああ、そっか。紫さんは、じゃあ、よくある理不尽な感じのお姉ちゃんか……」
肯く慧だが、蓮を挟んだ反対側で、その彼を鼻で笑う少女がいる。
「ま、それが年下の宿命よね。弟妹ってのは、すべからく兄姉の丁稚であるべしと、生まれたときに決まっているわけ」
そんな世迷言を、偉そうに腕まで組んで宣う葵である。
それに「あれ」と蓮が振り向いた。
「そんなこと言っちゃって、葵だってお姉さんいるんじゃん」
「……あのひとは別にいいのよ」
途端に苦々しい表情になる彼女に、慧も続けた。
「ついでに神谷って、べつに妹さんに対してはわりと甘いよな」
蓮が「え、そうなんだ」と聞けば、「ああ、激甘だ」と返す慧である。
「葵、甘々お姉ちゃんだったのか……」
珍しいものを眺める視線で見つめてくる蓮に、葵も旗色の悪さを覚えたのか「うるさいわね!」と捨て台詞を残して前方へと逃げる。
文太の弟妹を言葉巧みに唆すなり、そのまま引き連れてサッサと公園の奥へと進んでいってしまった。
慌ててそれを追い掛けながら文太が顔だけ振り返る。
「ほら、二人も行こうぜ!」
「おう」や「ああ」等と返事をして、蓮と慧もそれに続く。
二〇一二年七月二〇日土曜日。
夢境の一件から数日が経ち、金曜日に終業式を迎えての週末だった。
彼らだけに限らず、世間の中高生はその多くが夏休みへと突入している。
その早々に、赤沼町郊外の山地に奥まってひらかれている自然公園へと、市中からバスで三十分と徒歩十分をかけて彼らは水遊びに訪れていた。
川に沿った広大な敷地は親水公園の体を為していて、土曜日の昼前ともなれば家族連れやカップルの姿でそれなりに賑わっている。
さっそくとばかりに着の身着のままで川へと突撃する友樹と陽菜と、一緒になって水場へ飛び込む葵は着替えが入っているはずのカバンを背負っているままだった。
水の掛け合いを始めた彼らを制止しようとする文太もまた、自分が荷物を持ったままであることを忘れている。
駆け足気味で追いついた蓮と慧もその輪へと入る。
――笑い合う彼らのなかに、柚葉の姿はなかった。
2
一頻りに遊んだところで正午を回ったため、一旦昼食がてら休憩となった。
頭の毛先から足の先までびしょ濡れとなった子供たちを文太がタオルで拭けば、一度着替えさせるべくトイレへと二人を連れて行く。
葵も同じく荷物を持って後に続くが、蓮と慧は大して濡れてはいなかったのでその場へと残った。
燦々と照る太陽を手廂で仰ぎ、
「すぐに乾くから、着替えいらなかったかもしれん」
などと冗談を言い合った。
文太たちが戻ってくると、川辺から少し離れた芝生広場で円く座る。
各々が持ってきた弁当を取り出して、少し遅めの昼食である。
「おれ、からあげな!」
「わたしツナマヨ!」
ずいっと掌を突きだす弟妹に「はいはい」とラップで包んだ握り飯を渡していく文太に、コンビニの総菜パンを頬張っていた蓮が尋ねた。
「その弁当って、もしかして文太がつくったの」
巾着袋から自分のぶんを取り出しながら、文太は頷いた。
「まあ、そうだね」
すげえ……と声を上げる蓮の横で、慧が笑みを浮かべる。
「普段は購買のパンなのにな。良いお兄ちゃんじゃん」
「からかうなって」
頬を染めながら握り飯へとかぶりつき、
「うち、母子家庭だから。たまの休日くらい親には休んでもらわんと」
気負う様子なく言う彼に、改めて「偉い!」と慧が膝を打つ。
「殊勝なことね」
葵もまた茶化すことなく頷いた。
そんな彼女の弁当はというと、四角い箱に詰められているものは白飯と野菜炒め、卵焼きにウインナー、漬物である。
そのオーソドックスなメニューをのぞき込み、
「そういう葵は、たしかお母さんの弁当だよな」
記憶を引き出して言う蓮に、しかし「いや……」と葵は言葉を濁した。
「今日はその、自分でつくったんだけど」
「マジか!」
驚きの声を上げると、改めてしげしげと弁当箱をのぞき込む。
「へえ。葵も料理するんだ」
そんな少年の横顔をちらりと見ながら、わざとらしいほど素っ気なく呟いた。
「……ひとつ食べる?」
「え、いいの」
頷けば、
「じゃあ、お言葉に甘えて」
蓮は躊躇なく手を伸ばし、きつね色の卵焼きを一片ひょいっと摘まむ。
「お。美味い。葵ん家も砂糖入れるんだ」
口元を綻ばせる彼を眺めて、少女はぽつりと言葉を漏らす。
「……甘いのが好きって言ってたからよ」
「あ、ごめん。なんだって」
「なんでもないわ」
顔を上げる蓮に、葵はそっぽを向く。
そんなやり取りをする二人を横目に、慧は自分の弁当箱に箸を置くと、こちらもまたわざとらしく空を仰いだ。
「しかし、良い天気でよかった」
その話題に文太も乗った。
「だな。宗像さんも来れたらよかったんだけど」
彼の言葉に、慧も微妙に曖昧な表情を浮かべながらも頷いた。
転校からこちら紆余曲折はあったものの、この一週間で柚葉の存在は彼らのなかで大分受け入れられつつあった。
そんな彼女だったが、この数日間はどうにも様子がおかしい。転校当初のような敵愾心はないものの、なぜか彼らを避けつつある節があった。
その会話を聞きながら、蓮はふと思いを馳せる。
――しばらく、ひとりにしてください。
木曜日の朝、いつものように屋上へと赴いた彼に柚葉は冷たい顔でそう言った。
前夜に暴れた夢境が、どうも彼女のものだったらしいことを、蓮もそのときになってようやく確信したのだった。
(あれは……宗像さんの過去の記憶だったのだろうか)
彼女の思いつめたような表情は、楽観主義的で、また監視されている対象である蓮をしても多少の心配を覚えるものであった。
……と、上の空になっていた彼の腕を、そのときグイと引く者がいた。
はっとして顔を下ろすと文太の弟がシャツの裾を握っている。
「妖怪の兄ちゃんさ、なんか面白い話ない」
そう言う彼は、さすが子供は健啖といったところでとっくに昼食を片付けてしまい、すると手持無沙汰になってしまったという次第のようだった。
友樹と陽菜は、その面倒を文太がよくみている関係で、去年より蓮たちも偶に顔を合わせて遊ぶ間柄である。
もとより蓮たちの集まりは赤沼怪奇探偵団と銘打っている。
出会うとそのたびに怪しげな話ばかりをしていたためか、いつのまにか蓮は彼ら双子の間では「妖怪の兄ちゃん」で渾名が定着していた。
「そうだなあ」
無茶ぶり……と思いながらも、蓮は顎を擦る。
視界の隅で文太が軽く頭を下げるが、構わないと手で返す。
そのうちに遅れて食べ終わった陽菜までもが蓮の前へと寄ってきた。
そこで考えがまとまり、よし、と蓮は二人の顔を見つめる。
「河童ってわかる?」
途端に友樹が唇を尖らせた。
「ばかにすんなって、カッパぐらいおれ知ってるよ」
「じゃあ、どんなのだい」
蓮が問い返せば、「ええと」と双子は目線を上にあげる。
「頭に皿があって、キュウリを食べる。川に住んでる」
「地下工場でお菓子つくってるんでしょ」
「あと、たしか相撲がすき!」
「カメみたいな甲羅をしょってる! クチバシがある!」
口々に答えるそれに、蓮は満足そうに頷いた。
「うむうむ。なかなか良い回答だ」
その一方で、「なんか海老煎混じってなかった?」と茶化すのは外野である。
それらを無視して蓮は改めて問いかけた。
「二人のなかじゃ、河童って結構かわいいイメージかな」
うん、と揃って頷く彼らに、蓮はにやりと口角を上げる。
「でも河童はな、怖いやつだぞ。尻子玉を抜くんだ」
「シリコダマ?」
「内蔵のひとつだよ。お腹の奥にある大事なところさ」
言いながら友樹の柔らかい腹をとん、と突く。
「ひとりで泳いでいる奴を見つけるとな、河童は水の中からそっと忍び寄って……お尻の穴から尻子玉を抜いちゃうのさ」
声を落として語る蓮に、ごくりと双子が息を呑む。
「そしたら……」
「どうなるの?」
蓮はすっと真顔になって、
「――尻子玉を抜かれるとな、ひとは笑いながら死ぬ」
ひゃあ、と声が上がった。
「死んじゃうのか!」
「こわい……」
可愛らしい反応を返してくれる二人に笑みを戻すと、
「だから二人とも、自分たちだけで川の深いところに行っちゃだめだぞ。川底で河童が隠れてるかもしれないからね……」
言う蓮に彼らが頷き返したところで、文太が腰を上げた。
「蓮の講義も終わったし。それじゃあ、そろそろ」
「そうだな」
「そうね」
皆が次々に立ち上がる。
「え」と顔を上げて、そこで蓮は自分以外がすっかり食事を終えていることに気がついた。
「河童に捕まらないように、気を付けて遊ぼうか」
「はーい」
各々が荷物を持つなり、ぞろぞろと川辺へと歩き出す。
「ちょっ、待ってよ! ねえ!」
慌てて手元のパンを呑み込むと、蓮も後を追いかけた。




