表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
物怪伝 鬼の章  作者: 犬尾南北
大倭篇

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/85

第拾話 夢境(七)




        19




「――奏多ッ! ねえお願いッ、目ば開けて!」


 叫びに近いその声に、ぼんやりと博司は意識を取り戻した。


(俺、たしか……)


 薄らと瞼を上げれば、視界が鬼気迫る表情の柚葉で埋め尽くされる。

 息が掛かるほど近い彼女の顔にどきりとするも、博司は身体が全くとして動かないことに気がついた。


「よかった、まだ生きとる……」


 確認した柚葉は安堵の息を漏らすが、その顔も彼の肩から下へと改めて目を落とすなり、途端に悲壮なものへと一変する。


「――か、鼎さんならっ!」


 目の端に涙を浮かべながら、柚葉は呟く。


「きっと……うん、大丈夫……そのはず」


 微睡みのなかにいるかの如く意識が朦朧としている博司は、眼球さえ満足に動かせないことも相まって全くとして状況がわからない。

 と、そのとき柚葉が俯かせていた顔を跳ね上げた。

 なにやら決意を固めたような瞳が博司を射抜く。


「もう少しだけ頑張ってね、奏多!」


 そう声を掛けるなり、突然に彼へと覆いかぶさってきた。


(柚葉さんっ!?)


 素っ頓狂な声を胸の内で上げたところで、博司の視界がぐるりと回る。転回が落ち着いたとき、彼の顔は彼女の肩口にあった。

 背負われただけ――勘違いに気がついた博司は羞恥の念に襲われる。


(でも、なんで……)


 思って、そこで柚葉が若干によろめきながらも立ち上がった。

 同時に博司の視点も高くなり、そして視界に床の様子が広がった。


(血――?)


 彼がつい今まで倒れていただろうそこには、夥しい量の血液が赤い水溜まりを作っていた。

 その水面には割れた木製の札と御守のようなもの、そして服の切れ端や、肉片なのか骨片なのかわからないものが浮いている。

 博司が絶句しているうちに柚葉はその惨状のなかを一歩、二歩と歩くと教室から外へと踏み出して――さらにその先に続く光景に、強烈な吐き気が彼を衝く。


(……なんだ、これ……)


 居並ぶ窓から差し込む夕陽のなか、廊下は死体で溢れていた。

 もはや視界を彩る赤色がの色なのかすらわからない。

 制服姿の少年少女だったものが、執拗なまでに解体されて転がっている。

 右腕、脚、脚、右腕、左腕、腹部、脚、右腕、頭、頭、頭……頭。

 絶命の瞬間で硬直した顔が、この世ならざる形相でゴミのように転がっている。

 同級生たちの部位で溢れたそのなかを、博司を背負った柚葉が歩みを止めることなく進んでいく。


「頑張って……頑張ってね……奏多、もう少しやけん……」


 うわごとのように繰り返す彼女の声だけが、死の匂いで満たされた空間へむなしく響いた。

 止まることなく進んだ足が、やがて廊下の端までやってくる。

 階段を下りようと足の先を向けたところで、彼らの背に声が掛けられた。


「――お、柚葉ちゃんばい」


 柚葉が半身で振り返り、ちょうどそちらの肩だった博司の目にもそれが映る。

 赤い廊下の中心で、汚れ一つない綺麗な制服の女生徒がひとり立っていた。

 登校時に共にいたうちの一人である。

 へらへらと親しげに笑ってから、然も今に気がついたという顔で柚葉の後ろを指さす。


「あれ、美山くんどげんしたと……」


 一転して心配そうな表情で歩み寄ってくる少女に、相対する柚葉は逆のほうへと後ずさる。


「怪我したと? それとも病気? ひとりじゃ大変やろ。うちも手伝うばい」


 どんどんと近づいてきて、ついに柚葉の踵が階段の縁へと掛かる。慌てて横へと逃げれば、今度はそのまま壁際に追いつめられた。

 少女がすっと手を伸ばす。


「な、美山くんば貸し――」

「どいてッ!」


 その瞬間に柚葉の足が彼女の腹へと突き刺さった。

 蹴り飛ばされた少女は階段の下へと転げ落ち、勢いそのまま後頭部を強打する。

 博司が息を呑むが、しかし、


「待ってよォ……」


 陥没した頭。

 血の一滴も流さないその顔で踊り場から見上げると、少女は片手をこちらへと向け――伸ばされた腕が、そのままぐんぐんと伸び続ける。

 迫りくる指先が次第に細く、長く、黒くなっていく。


「ッ……」


 柚葉は踵を返すと、廊下を別の階段へと急ぐ。

 担がれている博司は首が動かせないため振り向けないが、背後からは少女の「待ってよォ」という声が変わらず追いかけてきていた。


(……なんなんだ、これ)


 再度の呟きが胸中に満ちる。

 先ほどから続く惨状に、最初ぼんやりとしていた博司の精神もすっかりと覚醒を果たしていた。さながら布団のなかから北極海にでも滑り落ちたような感覚で、背筋を走る怖気にひたすら震える。


(俺はたしか、教室で黒い影に――)


 気を失う以前の記憶も鮮明に蘇るが、肝心なところで途切れている。

 なぜだ、と考えて――そこで「夢だからだ」と気がついた。


()()()()()()()()()()()()()()()――)


 夢だからこそ、次から次に場面が飛ぶ。時間が飛ぶ。

 それにこの夢が彼女の過去の記憶を基にしたものだとすれば、だから彼女の与り知らない情報は含まれていないのではないか。

 そこまで思考を進めたところで、博司は固まった。――つまりこれは、この光景は、本当にあったことなのか?


(この惨劇が、柚葉さんの過去に――?)


 思えば今回、そもそも夢路占いに頼ってまで自分が知りたかったものとは何だったか――。

 それは彼女に関するさらなる事情であり、たしかにそのうちには、彼女の過去もまた含まれているのだった。


(けれど、まさか……こんなにも赤い……)


 狼狽える博司の耳元で、微かに触手の蠢く音がした。




        20




 四方を囲む薄汚れた壁面で、そこに並ぶ室外機が乾いた音を立てている。

 異貌の影法師たちは振り返るなり、蓮たちへと向かって一歩を踏み出した。――先ほどまでバラバラに動いていたそれらが、途端に完全一致した挙動を見せるのは、どこか機械染みていて気味の悪さを倍増させた。

 気圧されたように半歩退いた蓮は、蟀谷で冷や汗が一筋流れるのを感じとる。


「これは……もしかしてヤバい?」


 嘯く彼が隣を見れば、誰もいない。

 その背中の遥か向こうで一目散に駆けているのは、子狐の身体に収まる白夜である。


「――またかよ!」


 叫ぶなり、蓮も慌てて彼女に続いた。

 踏み入った広場に背を向けて、薄暗い裏路地をもと来たほうへと走っていく。

 頭痛の治まった身体はすこぶる調子が良く、あっという間に白夜へと追いついた。


「なんで先に逃げてんのさ! 僕を連れ帰りに来たんじゃなかったのかよ!」


 並走しながら叫べば、


「煩いわね! わたしが死んだら元も子もないじゃない!」

「な、なんて不義理な猫なんだ……」


 呆れた声を出す蓮を子狐が睨んだ。


「もともと坊やに義理なんてないでしょ!」

「剣王鬼への義理だよ!」

「ここに至って他力本願!? これだから人間は!」


 なにやら複雑そうな過去を垣間見せる白夜に、蓮の勢いが止まる。

 ひとつ息を吐くと、改めて隣に問いかけた。


「まじめな話どうすんのさ。あれに捕まると、やっぱりヤバい?」


 ぴょんと障害物を飛び越えて、白夜が口を開く。


「夢境に這入るってことはね、ただ夢の記憶を読み取るってわけじゃないのよ……散々に言っていたでしょう! ここは()()……()()()()()! 夢境に這入ったわたしたちだって今は()()()()()()()も同じよ!」

「つまり!?」

「死んだら終わりってことよ!」


 簡潔な言葉に、今度は蓮も頷いた。


「……というか、白夜さんも妖怪なら戦えないの!?」

「馬鹿言わないでちょうだい! 化け猫がどうやって戦うっていうのよ!」

「爪とかさ!」

「じゃあ、あなたがそれやってみなさい!」


 振り返る。

 彼らの後方を、何体もの影法師が路地を埋め尽くす勢いで迫ってきていた。

 その速度は速い。幸いにしてまだ五六メートル程度の余地はあるが、気を抜けばすぐにでも追いつかれてしまうだろう。

 弱点らしきものがないかと目を配る。

 まず目に入るものは、やはりその独特なシルエットだ。


(あいつらの腕……長いな)


 こちらに爪や武器があったとしても、あれではリーチの差が……。

 蓮は顔を戻した。


「無理だ!」

「そうでしょう!」


 一人と一匹が言い合っているうちに、彼らの姿が路地の出口を飛び出した。

 そして広がる光景に蓮が目を円くする。


「なんだこれ!? 街が……崩れてる!?」


 テナントビル同士の隙間から抜け出した彼らの目の前には、夕焼けのなかで黒々とした巨大な触手のようなものに呑み込まれてゆく世界があった。

 てらてらと照る粘液のなかへと建物が、植木が、道路が次々に沈み込んでいっている。


「――まさか、なんてこと!」


 白夜が慄いた声を出す。


「あの辻神ね! 彼奴がこの悪夢を喰らい始めてる!」

「なるほど!……よくわからんが、とにかく逃げなきゃってことだね!」


 消滅を始めている方向とは逆の道路へと足を向けようとして、しかしその行く手を黒い影が阻む。

 気がつけば、彼らをすっかり影法師たちが囲んでいた。

 思わず足を止めたこの数秒で、とうとう追いつかれてしまったようである。


「……万事休す、ね」


 呟いた白夜の声が、ぽつりと響いた。

 蓮たちの背後では巨大な触手が夢を喰らっていて、前方では影法師たちが手を伸ばしながら距離を詰めてきている。

 ずんずんと迫りくるそれらを前に、蓮は胸の奥で早鐘を打つ心臓を感じていた。


(これで、終わり……僕は死ぬのか)


 以前の祟り神のときとは違い、好き勝手にやり放題してからの現状であるので、蓮の心は意外と凪いでいた。

 とはいえ人間欲張りなもので、一方でまだ満足感が足りない……と感じている自分もいた。それら未練を吐き出すように息をつくが、それでも、ふと思ってしまうことがある。


(剣王鬼がいてくれたらな)


 待てよ、とそこで顔を上げた。


()()()()()()()()()()()?)


 蓮と剣王鬼は肉体を共有していて、その繋がりは彼がこうして夢境に自意識の姿を持ち込むことが出来るほどに強く影響を与えている。

 それならば――。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――)


 自然と構えを取っていた。

 このとき、すでに彼のすぐ目と鼻の先まで黒く長い指が迫っている。


(想像するんだ……思い出せ、剣王鬼の一撃を。――重く、鋭く、閃光のような)


 蓮の脳裏で()()()()が瞬いた。


「抜刀ッ――」


 振りぬいた拳のその先で、白銀の輝きが伸びている。

 同時、今にも彼を掴もうとしていた黒い腕が路上へと転がった。

 出来た――と思う間もなく、本能が囁くままに蓮はさらに足を踏み込んだ。

 身をよじる影法師のその胴体を横薙ぎに斬りつければ、上下で別たれたそれが呆気なく倒れ伏す。


「……よし」


 ひとつ頷いて、蓮は周りを見渡した。

 固まる白夜を除けば、は残り五体――。

 両手の中に納まっている冷たい感触を強く握りなおす。

 先ほどは間合いがどうのと難しく考えていたけれど……。


「やってやれないことはない」


 ちらりと視線を落とせば、鋼の直刀が夕陽に輝いている。

 これまでじっくりと観察したことはなかったが、こうして見れば剣王鬼の刀はやはり非常に美しい宝刀だった。

 柄やはばきには金銀の装飾が精緻に彫刻されているし、よく見てみるとその刀身にも金の象嵌で何やら意匠と文言が施されている。

 漢文らしきその文言に一瞬だけ興味が引かれるも、すぐに理性が前を向かせる。


(まあ、後でいいか)


 押し寄せてくる影法師を睨みつければ、蓮は口元に笑みが浮かぶのがわかった。

 現実と夢境の違いか、はたまた別の要因か。なぜかは分からないがと異なって我を忘れるということはなさそうだった。

 その代わりに、抑えきれないほどの高揚感がひたすらに沸き上がっていた。




        21




 なんとか中学校から抜け出した柚葉は、博司を背負ったまま通学路を駆けてゆく。

 その背で揺られながら、博司はただ血のような夕陽に晒されて伸びる地上の影を眺めていた。

 ひとけの無い街を走り、畦道を通り、橋をふたつ過ぎて、やがて美山邸へと戻ってくる。

 けれど辿り着いたその先に待っていたものは少女の望んでいた光景ではなかった。


 ――燃えていた。


 朝までそこにあった日常の象徴が、夕焼けにも負けぬ色彩で轟々と燃え上がっていた。

 黒々と縁どられた煙が天へと昇っていく。

 門扉の前に、無残に叩き壊された看板が転がっていた。焼け焦げながらも原形を残すそれは、少女と少年をその師と繋ぐ絆の記憶だった。

 燃え上がる屋敷は、見ればそこかしこに激しい戦闘の痕跡と――多量の血痕が残っている。


「――鼎、さん……」


 思わず膝をつく柚葉は、そして炎の向こうに人影を見た。


「……奏多?」


 たしかに見えたそれは、しかしすぐにまた炎に巻かれて消え去った。

 訝しげに呟いたのち、はっと正気に戻った彼女は慌てて少年を地面へ下ろす。ここまで背負ってきた彼の様子を確かめて――。


「そんな……息が」


 呆然とした声を漏らす。

 美山奏多の身体は、もはや呼吸もしていなければ脈も打っていなかった。

 欠損だらけの肉体から血の気はすっかりと失せていて、触るとどこか冷たい。……ずっと背負っていたのにも関わらず、その変化に彼女は全く気がついていなかった。

 彼を触る手指が震え出し、少女の見開かれた瞳の中央で瞳孔が黒く広がっていく。

 あどけなかった顔が絶望の色に染まり、そして急速に三年後の――博司がよく知る横顔へと重なっていく。

 その様子を、死んだはずの肉体のなかから博司はただ見上げていた。


「……うちが、私達うちらのせいで皆……奏多も……鼎さんも」


 少女の口から震える言葉が漏れて、――その途端に黒い触手が地面から生えた。

 彼女を囲むように次々に現れるそれに、柚葉は一向に気がつく気配が無い。

 黒い粘液で濡れる触手が少女の身体を這い回る。


 ぬちり、くちり……。


 辺りに博司の聞き覚えがある音が鳴り響く。

 その間にも触手は少女の肢体を締め上げていくが、柚葉は一切の反応を忘れたように悲壮な顔で固まっていて為すがままだ。


(ダメだ! 柚葉さん!)


 博司は叫ぶが、奏多の身体が死んでいるからか声は出ない。


 ――そのうちに、ついには闇色の巨大な入道頭が地面からせりあがってくる。


 その表面は大小様々な眼球でびっしりと覆われていた。

 周囲を囲む触手と相まって、全体がひどく気味の悪い蛸のような図となった怪物が、柚葉のすぐ背後にヌッと貼り付いた。

 そしてその怪物が、少女を呑み込もうと口を開ける――。


「――あそこよ! あの子が夢の中心!」


 突如として響いた声に、怪物の動きがぴたりと止まった。


「急ぎなさい! 夢見の主が喰らわれる前に辻神を倒さなければ、わたしたちも元の夢路に戻れないわ!」


(え、誰――)


「跳びなさい坊や!」

「言われなくてもッ!」


 飛び込んでくる人影がある。

 その顔に、つい最近に博司は見覚えがあった。


(たしか、渡辺蓮さん……)


 思う博司の目の前で、人間離れした跳躍を見せた少年がそのまま空中で身を翻す。


「いやっほうっ!」


 場違いな明るい声と表情、そして煌めく白銀の剣。


「――くらえ、剣王鬼ソード!」


 馬鹿にダサい掛け声で振るわれた直刀が、怪物の首を荒々しく切り裂いた。

 旋風が巻き起こり、眼球で覆われた頭部が天へと跳ねる。


「あ……」


 暗く澱んでいた少女の瞳に理性が灯り、そして瞬間、彼女と蓮との視線が交わった。

 それを、何をすることも出来なかった博司が見送って。

 ごろり、と転がった怪物の頭部が塵となって消えた。

 悪夢として記憶を無理やりに引き出していた力が途切れる。

 彼女の夢の世界が、途端に畳まれてゆく――。



第拾話 夢境 /了。



○夢の辻の怪物/辻神ツジガミ

 夢境にて博司と蓮たちが遭遇した存在。白夜の見立てでは「よくないもの」が集塊した存在であり、「夢の辻」という場所に交霊術たる「辻占」等の状況が重なったことで「辻神」に類似する行き逢い神として現出した。本来は「夢路占い」の呪文を書いた紙は一度きりの使用で捨て、また新しく用意しなければならないところを博司が不知だったための遭遇である。

 博司の願いを拾って、彼ら諸共に柚葉の夢境へと這入る。彼女の恐怖記憶トラウマから悪夢を組成し、魂を喰らおうとするも、剣王鬼の能力を引き出した蓮によって斬り捨てられる。



(四年七月十一日 あとがきにTIPS追加)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【作者Twitterアカウント】

更新状況など発信(休載や延期も告知)

script?guid=on
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ