第拾話 夢境(三)
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地学部は水曜日が休みなので、蓮と友人たちも事情を同じくする多くの学生に混じって帰ろうとしていた。長いLHRがようやく終われば、いつもの面子で自然に集まって帰途へ着く。
先週までと異なり、その輪の中には柚葉もいた。
相変わらず怪奇探偵団の活動には否定的で、蓮たちが怪奇現象に関して談話していればことあるごとに「矯正します」と口を挟んでくる。その一方で、先日の一件以降はいっそ呆れ果てたのか否か、当初にあったような地学部を乗っ取ろうとするほどの強硬策は取ってこなくなっていた。
同時に葵もまた先日の一件で思うところがあったらしく、今まで率先して彼女に噛みついていたのが今週に入ってからは比較的に大人しい。
そのためか、怪奇探偵団という括りでこそないものの、柚葉もいつのまにやら蓮たち地学部の面々と日頃から行動を共にするようになっていたのである。
もちろん単純に距離が近づいたことで、自分達に対する監視がより強化されただけなのかもしれないとは蓮も気がついていたが、「まあ、以前よりはマシだ」と全く気にする素振りがなかった。
ともあれそんな一行が各々に自転車を曳きながら校門を抜けると、その背中へ唐突に声が掛けられた。
「あのっ、すみません!」
振り返れば緊張した様子の中学生がひとり立っている。見知らぬ顔だ。……と蓮が思ったところで、その向こう側から更に二人の少年が走ってくる。
彼らの持っているスクールバッグには「砂川中」の文字が刺繍されていた。
「誰?」
「さあ」
文太と慧が囁き合っているうちに、駆けてきた二人の中学生も合流する。
「博司、飛び出すの早すぎ」
「車とか確認してから出ろよな、こえーよ」
彼らの言葉に眉を落としながらも、最初の少年は顔をこちらに向けたまま逸らさない。そしてそのまま、
「あの、祓い屋ヒザキさんですよね」
その言葉に蓮たちの視線がすっと柚葉に集まった。
転校したてだからか自転車を持っていない彼女は、蓮たちの一番奥でひとり立っている。眉をひそめて、どこか難しげな表情だった。
「その、この前に助けてもらったお礼をもう一度言いたくて。あとその、他にもちょっと色々お話とか……」
薄らと頬を上気させて身を乗り出す少年の肩を、「すこし落ち着け」と両脇の友人が抑え込む。
「はあん、なるほどね」
何かを察した葵が、瞳を悪戯げに歪めて柚葉を見やる。
その視線から気まずそうに顔を反らしながらも、柚葉は呟いた。
「たしか口裂け女のときの……」
「そう! そうです!」
いっそう興奮する少年の声に、何事かと校門付近の学生たちから注目が集まる。
そんな周囲の様子を見た慧が、
「あー、ひとまずさ。ここじゃなんだし」
言い掛けた言葉を葵が引き継いだ。
「そうね。歩きながら話しましょ」
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まず自転車を曳いたままに何処へともなく歩き出した葵の隣に蓮が続く。すると観念した様子で柚葉も歩き出し、その背を慌てて博司が追いかける。残った慧と文太、恭弥と星矢は四人で顔を見合わせると愛想笑いを交わして彼らに続いた。
そのまま高校前の国道脇から水田が広がるほうへと進む小路へ入ると、大して広くない歩道なので自然と二人ずつ並んでの行進となる。
出発したときのまま、蓮と葵、柚葉と博司、慧と文太、恭弥と星矢という順になる。
ここまでの道中で中学生たちは自己紹介と事情を彼らにおおよそ話し終えていた。
言葉少ない柚葉に博司が一生懸命に声をかけており、その後ろの四人はそれぞれ会話に華を咲かせていた。
先頭を歩く蓮と葵に会話はなく、すっかり興味津々といった空気で背後の会話に聞き耳を立てている。
「改めてあのときは、本当に、本当にありがとうございました!」
「だから、それ以上はもういいですよ。仕事だったわけですし……」
「あの、お付き合いされている方とかいるんですか!」
「……いませんが」
「よしっ……あ。えっと、いつからお仕事を」
「……三年前からです」
「へえ! 柚葉さん高二だから、じゃあ今のボクくらいのときからお仕事されてるんですね! かーっ、すごいなあ。かっこいいなあ」
「……べつにそういうものでは」
「いやいや! あのときの柚葉さん、めっちゃ格好良かったですから! 俺もう見惚れちゃってましたから!」
二人のやり取りは終始そのような様子だった。
好きな食べ物や映画、小説……矢継ぎ早に質問を繰り出す博司は、まさにこの瞬間が我が世の春だといった有頂天具合である。対して質問には答えるものの、柚葉はというと正反対に愛想が無い。
とはいえ、彼女の顔を盗み見た蓮は嫌がっているというよりは、むしろ困惑しているかのようだと感じていた。
なおその隣では同じく後ろを窺っている葵が不気味な笑みを浮かべている。
しばらく進んだところで歩道は川辺の堤防へと踊り出た。
ふと博司の言葉が一端途切れ、その隙を待っていたかのように柚葉が声を上げた。
「あの、すみません。そろそろ私はこの辺りで失礼しますね」
「え、そんな」
情けない声を出す彼の耳元に、背中からそっと星矢が何ごとか囁いた。
途端にハッとして、
「連絡先!……とか教えて貰ってもいいですか」
「なぜです」
すでに歩き去ろうとしていた柚葉が怪訝な表情を隠さずに振り返った。
さすがの博司もウッとたじろいで声もしどろもどろになる。
「いや、そのう……また何かに襲われたりしたときのために……相談、とか……」
「いいんじゃない、教えてあげれば」
助け舟を出したのは葵だった。
柚葉は彼女の顔を見ると、数拍置いてから深いため息を吐く。
「わかりました」
引き返してきてスマートフォンを取り出す柚葉に、博司も急いでケータイを取り出す。
彼女はそして電話番号とメールアドレスを交換するなり、再び身を翻した。
「それでは」
言って今度こそ颯爽と去っていく。
それをニヤニヤと笑みを浮かべて見送る葵は「明日に改めて問い詰めてやりましょ」とでも思っているに違いなかった。
「ああ……行っちまった」
がくりと肩を落とす博司の両隣に星矢と恭弥が並ぶ。
それぞれ背中を叩いて、
「まあ、大前進じゃないの」
「ちょっとストーカーぽかったけどな」
笑う中学生たちに「そういえば」と慧が声をかけた。
「ところでさ、どうやって宗像さんが第三高校にいるって突き止めたんだ? 話じゃあ君が襲われたのって彼女が転校してくるよりも前だろう」
まさか本当にストーカーか、と冗談交じりに言った彼に慌てて博司は首を振る。
「いえ、あの。それは占いで出たので」
「……占い?」
ずっと遠巻きに見ていただけの蓮が初めて反応した。
博司は頷く。
「はい。クラスの女子に教えてもらったんですけど、なんか夢路占いってのが流行ってるらしいんですよ」
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「うおおお、やった! やったぜ!」
帰宅するなり博司は両腕を構えて天へと吠えた。
溢れ出る笑みを抑えられず、帰路もずっと握っていたケータイの画面を改めて眺める。
〔宗像柚葉 ムナカタ ユズハ〕
電話帳に記録されているその名前を何度も確かめて、にひひ……と声を漏らす。
「……あんた、なに気持ち悪い顔してんのよ」
靴も脱がずに玄関で立ちっぱなしの博司だったが、いつのまにか廊下へと顔を出した母親が彼を見るなり一歩退いたことでようやく正気に戻る。
「いや、なんでもない!」
慌てて二階へと上がっていく彼に「ちょっと手洗いうがい!」と母親が怒鳴るが、まったく耳に入らない様子で自室へと駆けこんだ。
ベッドの上へと荷物を投げ出し、椅子へと座って再びケータイを開く。
「メールとか……してもいいかな」
浮かれ切った声を出したところで、ふと思い出した。
机の引き出しから一枚の紙を取り出す。
吾おもふことの……。
その言葉から始まる呪文が三度に渡って書かれてある。昨晩に枕の下へと敷いた呪文の紙だった。
「そうだ。これをまた使えば……」
いざメールを出すとなると尻込みしてしまう博司だったが、占いという形ならば幾らでも意中の人について尋ねることができる。
(もっとあの人について知りたい)
女子が占い好きな理由が分かったかもしれない、と感じながら彼はそれをもう一度枕の底へと入れた。
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「夢路占い、か……」
授業で出された課題を片付けたところで、ふいにそんな言葉が蓮の口からこぼれた。
《なんだそれは》
先刻に陽が落ち始めると共に目覚めていた剣王鬼が反復する。
「今日に聞いた噂だよ。なんかうら神のなんちゃら? 的な呪文を三回書いた紙を枕の下に入れて寝ると、夢の辻で百発百中の辻占ができるんだってさ」
《成る程。夢境で辻占とは……酔狂なことを考える者がいるようだ》
呟いた剣王鬼に、「お」と蓮の手が止まった。
「あれ。夢境ってことはやっぱり……」
《そんなことより、陽は疾うに落ち切ったぞ。やるべきことは終わったな――》
蓮が止める間もなく魂が退かされる感覚がする。
途端に少年の身体が硬直し、瞳の焦点がフッとぶれて……次の瞬間には紅く染まった鬼の瞳へと変じていた。
「――では、己の時間だ」
低い声が喉を震わせる。
(毎回さあ、ちょっと急すぎるんじゃないかな)
文句を垂らす蓮を放って、剣王鬼は椅子から腰を上げると着ていた寝間着をさっさと脱いでいく。そうして何処からか現れていた長襦袢へと袖を通す。腰紐を結んで着流すと、そのまま廊下に出て階下へと向かった。
(あの、聞いてる?)
居間へ降りると、ソファの上で白夜が寛いでいた。
「あら。おはよう」
二本の尻尾をくねらせる彼女に片手を挙げて、剣王鬼は台所に入ると勝手知ったる風情で茶を淹れ始める。
(あのさあ……)
蓮が呆れているうちに湯が沸いて、それを移した急須から茶葉の蒸れる香りが立ち上がる。しばし置いてから湯呑へ注ぎ、それを持って居間へと戻る。
白夜の隣へと腰を下ろし、茶を啜って息をひとつ零す。
そうして、一言。
「喧しい」
(いやだから……まあ、いいや)
蓮もひとつ嘆息すると、気を取り直して声をかけた。
(それよりさ、さっきの夢の辻のことなんだけど)
蓮の脳裏ではいつだったかに剣王鬼から聞いていた話が蘇っていた。
異界とはすなわち各個の精神からなる世界のことであり、人間の場合はそれらが夢という形で他人にも開放されている。
その話に放課後に聞いたばかりの夢の辻に関する体験談とが重なって、彼の好奇心を強く刺激しているのだった。
剣王鬼は聞き流しながら湯呑を机に置くと、読みかけの本を開く。
「気になるか」
(まあ、うん……)
肯く蓮の答えを聞くと、剣王鬼はあっさりと言い放った。
「ならば、一度見てくると良い」
(え)
「折角だ。案内も付けてやる」
「……ねえ、まさかわたしのことじゃないでしょうね」
いやに物わかりの良い返事をする彼の視線の先で、白猫が如何にも嫌そうに黄色い瞳を細めていた。




