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物怪伝 鬼の章  作者: 犬尾南北
大倭篇

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第拾話 夢境(一)




        0




 ある夜のことである。


(結局のところ、異界っていうのは一体なんなのさ)


 居間で寛いでいる剣王鬼に、その体内から蓮が問いかけた。

 ガラス戸の開け放たれた庭先から蝉の声が漏れている。扇風機が首を回し、涼やかな風が彼らの共有している身体を撫ぜた。

 ソファへと沈んで読書をしていた剣王鬼が、顔を上げずに答えた。


「異界か」


 蓮は肯いた。


(世界を切り取るとか、空間を支配する……というのは前に聞いたけれどさ。改めて考えると、よくわからん)


 傍の机には和綴じの本が山と積まれている。剣王鬼が現在に目を通しているものも同様の古書で、それらは蓮が与り知らぬうちにいつのまにか家に置かれていた。当初は彼も剣王鬼が捲るそのカビ臭そうな頁をなんだか面白げに眺めていたのだが、図版があるならばともかく、崩し字が全くとして解読できないので次第に飽きてきたというわけである。


「本義を述べるなら、それはなるきょうよな」


 言う剣王鬼が、紙を繰りながら伸ばした脚を組み替えた。長襦袢の裾が捲れて、薄く筋肉の張った下腿が露出する。蒼いその着物は背中に山岳の絵図が入れられており、服飾に疎い蓮からしても洒落ていると密かに感じていた。


(そういうことじゃなくてさ……)


「何も変わらん」


 剣王鬼が鼻で嗤う。


「ひとがそれを異と感ずるのは、すなわち理解が及ばぬからだ。理解できぬものを異物と判じてを引く。彼方あちら此方こちらとは、そうして生ずるものなのだ」


 静かに語りながらも、彼の緋色の瞳はずっと墨の文字を追っている。


「そして真に理解できぬものとは他者である。汝らがこぞって異界なぞと呼ぶも、我らの精神がただ体外へと洩れ出ただけに過ぎない……現世うつしよへひと時の境界が引かれ、内の空間がその者で満たされる。それだけだ。騒ぐほどのものではない」


 紡がれた言葉の意味をどうにか飲み下して、


(……なるほど。つまりは精神世界ってことか)


 蓮はひとまずそのように納得したようである。

 それから呆れたように零す。


(というか騒ぐものじゃないって。いやいや、普通は異界なんて持ってないし……)


 これに、はじめて剣王鬼が顔を上げた。


「何を言っている。汝らも異界を持っているだろう」

(……え?)


 固まる蓮に、剣王鬼は教師が察しの悪い童子を諭すような口ぶりで語った。


「言うたであろう。真に理解できぬものとは他者である。彼我の認識に種族なぞ関与しない。すなわち人間と妖怪の差違などは体の内か外かというだけで、そこに精神があるならば、異界それ自体は誰しもが持っている」


(ああ、そういうことね……)


 異界が精神世界と同義であるならばたしかにそれはその通りなのだが、精神世界を体外へ流出させるなぞという芸当は人間に出来りゃしない。

 一瞬だけ自分でも妖怪のように異界を展開できるのではと期待した蓮が、さもガッカリだという風に嘆息した。

 己の内側で辛気臭い空気を出されては迷惑なのか、剣王鬼は微かに眉を寄せると補足する。


「いや、人間もまた異界を開放するときがある」


(なんだってッ)


 途端に喰いつく蓮へと呆れを含んだ声音で呟いた。


夢境むきょうがそれだ」




        1




 西暦二〇一二年七月一六日、火曜日の朝である。

 三浜市は砂川さがわ町にある市立砂川中学校の本校舎二階、廊下突き当りに位置する二年六組の教室にて重々しい溜め息を吐く少年がいた。

 取り立てて特徴も無いごく普通の十四歳といった風情の彼は、教室後方の席で頬杖をついて、そのままボケーと宙を見つめている。


「おいおい、どうしたよ博司ひろし。朝っぱらから不景気な面してんじゃん」


 そう言って無理やりに肩を組んできたのは、真っ赤に染めた髪を更に整髪料で逆立てる……という、校則に真っ向から喧嘩を売っている頭の少年だった。名を赤畑あかはた恭弥きょうやといい、先の少年こと佐藤さとう博司とは小学校以来の付き合いである。

 恭弥の快活そうな顔には揶揄うような笑みが浮かんでいた。


「うっせ。この顔は生まれつきだ」


 不貞腐れたことを言いながら肩の手を払ったところへ、少年が更にひとり寄ってくる。


「なんだい、昨日の海の日でさっそくもう夏休み気分?」


 言う彼はスッと鼻梁の通った涼しげな顔つきの美少年である。医者一族の三男で、漫画好きの両親が授けたその名は高木たかぎ星矢せいやといった。

 彼の顔にも親しげな笑みがある。


「ちがうって」


 再びの嘆息をこぼす博司を挟み、恭弥と星矢が会話する。


「まあ、どうせあれだな」

「そうだねえ」

「……何の話だよ」


 頭上で交わされる言葉に不穏な気配を感じたところで、


「とぼけるなって。またダメだったんだろう?」

「今回も収穫なかったんでしょう?」


 ふたり揃って発されたそれを聞くなり、――ゴン、と博司は額を机に打ちつけた。


「なんでわかるのさ……」


 力ない呟きに恭弥が欧米人のように肩を竦める。


「そりゃあ、なあ」

「僕たち小学一年からの付き合いだからね」


 星矢も頷いたところで、うつ伏す博司の背中をバシンと音を立てて恭弥が叩く。


「女が見つからないくらいでなんだ! 男たるもの常に胸を張って前を向け!……なあ、おい。俺たちゃあ無敵の腐れ縁トリオ! 自信満々にそう名乗ってたお前さんはどこ行っちまったんだ」

「知らねえよ、そんなやつ」


 実際として、そんなダサい名乗りを上げた記憶はない。

 ひとまず顔を上げた博司を眺め、星矢が言う。


「それにしても見つからないもんだねえ。博司の探し人」

「違うぜ星矢、ただの探し人じゃねえ。い・と・し・の、が抜けて……痛ッ」


 脇に立つ恭弥の腹へと拳をくれたところで、博司は三度みたび重い息を吐いた。


「見たことない制服だったから……やっぱり、もう近所にはいないのかもなあ」


 影が差したその顔に、友人ふたりが顔を見合わせた。


「こりゃ思ったより重傷だな……」

「そうだね。僕、こんな典型的な恋煩いしてる人を初めて見たよ」

「まあ、命の恩人で美人とくりゃあな。男なら惚れるもんか」

「そういう恭弥は好きな人とかいないの?」

「おいおい、俺こそはサッカー部のエース様だぜ。女なんて選り取り見取り……」


 話題が脱線したところで「赤畑ァッ!」という野太い声が教室へ響いた。

 ハッとした彼が振り返れば、廊下から顔を赤くした教師が大股で歩いてきている。


「オマエ、またそんな髪しやがって! 来い! 洗い流すぞ!」

「ちょっ、やめ! これは俺のトレードマーク……体罰だ! 暴力反対! みんな、ここに体罰教師がいるぞ! 助けてくれえ! 助けて!」


 腕を掴まれてズルズルと引きずられていく恭弥を、星矢が笑顔で送り出す。クラスの級友たちも「いつものやつだ」という顔で気にも留めていない。

 何を隠すということもなく、これは頻繁に繰り返されている光景だった。

 漫画かなにかの影響か中学二年に進級した途端に髪を赤く染めるようになった恭弥であるが、もちろん染髪は校則で禁止されている。そこで意外と小心なところのある彼は、シャワーで洗い流せるというスプレータイプの染髪剤を利用しているのである。


「これならセン公に見つかっても、その場で洗いながしゃあいい。これならたぶん、そこまで怒られねえ。んで、その後で改めてスプレーすればいいって寸法よ……やべえな、俺。あたま良くね?」


 という、とても頭の悪い論理を当人は展開していた。

 後で染め直すもなにも染髪しているのが見つかればそのとき当然に染髪剤も没収されるし、そもそも授業というものは教員がするのだから登校すれば必ずバレるし、そんなことを続けていればまず目をつけられるのは必至である。

 今では毎朝に二年六組を見回りにくるのが生活指導を担当する教員の日課となってしまった。

 しかしそんな事態になろうとも未だ恭弥にはめげる気配がなく、毎朝に髪を赤く染めるという謎のこだわりを見せ続けている。


「あいつも懲りねえな」

「本当にね」


 残った博司と星矢がそう呟いたところで、彼らのもとへと寄ってくる影があった。


「二人ともおっはよー。今日も元気にデイリーイベントが終わったところでさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいーい?」


 朗らかに尋ねてくるのはふわふわとした癖毛の少女である。彼女も同じ小学校を出身とするクラスメイトであった。


「おはよう。聞きたいことって?」

「ふふふ」


 星矢が答えると、彼女は不気味な笑みを漏らした。


「二人はさ。夢路占いって、知ってる?」




        2




「ユメジウラナイ……?」

「うん。夢のみちで占うって書いて夢路占い」


 博司が復唱すれば少女は肯く。


「星矢は知ってる?」

「いや、僕も初めて聞いたね」


 少年二人が首を傾げ合う。


「そうかそうか! 君たちは知らないのかあ!」


 途端に少女が花咲くような笑みで何度も頷いた。

 それに博司が胡散臭いものを見るような目を向ける。


「それならば、心優しいこのあたしが教えてしんぜよう」

「いや、別にいいよ」


 すかさずそう言う彼だったが、


「お? そんなコト言っていいのかにゃ? これ、恋愛成就に効果大っていう触れ込みなんだけどにゃあ」


 ひとを小馬鹿にしたような口ぶりでそう言う彼女はニマニマとこれ以上ない程の笑顔である。


「なッ……どうしてそれをッ」


 思わず立ちあがる博司の横で、我関さずと星矢が問うた。


「夢路って……つまり夢の事だよね。いわゆる夢占いとは何か違うの」

「ふっふっふ。モチのロンですよ高木君。ただ見た夢を後から判断するような、そんじょそこらの占いと一緒にされては困りますなあ」

「――って、おまえら無視かよッ!」


 吠える博司に「まあまあ、お聞きなさい」と少女が掌を見せる。


「夢路占いのユメジとは、文字通りに夢のなかの道のこと。これはね、夢のなかで辻占つじうらをするという独創性あふれた占いなのだ!」


 得意げにそう言い切った彼女を前に、一拍置いて博司は隣の友人を見る。


「辻占ってなに」

「さあ」


 またも首を傾げ合う二人。

 それに驚愕した顔で固まるのは少女である。


「……え? 知らないの? ホントに?」


 肯く少年たちに「男子ってみんな占いに興味ないのかなあ」とぼやいてから、彼女は説明を始めた。


「えっとね、辻ってあるでしょ。四つ辻とか三つ辻……十字路、丁字路。とにかく、交差点というか……道が交わっているところ。そこにね、占いたいことを心に思いながら立っているの。じっと耳を澄ませてね。するとね、通行人がいるから、その人たちの誰かの言葉がふと耳に入る。その言葉で占いをするの」


 一息に語った少女に星矢が尋ねた。


「えっと、つまり偶然に耳にした言葉で吉凶を占う……」

「そうだけど、ちょっと違う! 偶然じゃなくてね、これは辻占の神様がいて、その神様がその言葉を耳に届けてくれるのよ!」

「はあ、なるほど」


 気のない返事の星矢から視線を外し、彼女はジッと博司を見つめた。


「それでね佐藤君。その辻占を夢のなかでするのが夢路占い。呪文を書いた紙を枕の下に置いて寝れば夢の辻に出れるから、そこで辻占をするの――ね、恋愛で悩んでいるなら是非ためしてみて! 今のところ百発百中って噂だから!」


 話しているうちに熱が入ったのか、少女はぐっと身を乗り出すとそう捲し立てる。

 その勢いに押され、思わず博司は頷いてしまった。


「そうこなくっちゃ!」


 嬉しそうに両手を合わせると、彼女はスカートのポケットからごそごそとメモ用紙を取り出して、それを「はい」と突き出した。


「これが夢路占いの呪文。寝る前に、かならず自分で三回書き写したのを枕の下に入れてね!」


 流されるままに受け取って、そして四つ折りになっていたその紙切れを開く。


 ――吾おもふことの叶や否やをうらなふ辻や辻四辻かうらの一の辻ゆめの辻うらまさしかれ辻うらの神


 そんな文言が少女の丸っこい字で書かれてあった。


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