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物怪伝 鬼の章  作者: 犬尾南北
大倭篇

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第捌話 悪魔(四)




        7




「すごい寝惚け方してたじゃん」

「あ。ちょっと、ごめん」


 三時限目が終わった。休憩時間へと入るなり机に寄ってきた文太に掌を見せて断ると、蓮は呼び止める彼を背に教室から飛び出した。


(さっきのは……)


 廊下を走りながら窓の外を探すが、先程に見かけた影は見当たらない。


「こらそこ、廊下を走るな!」

「すみません!」


 教師の声を後ろに階段を数段飛ばしに駆け降りる。

 そしてその踊り場で、ちょうど曲がってきた女子生徒とぶつかりそうになる。


「きゃっ」

「ごめん!」


 驚いて立ち止まる少女に声だけ投げて、蓮は一目散に降りていく。

 そして辺りを見回して、再び窓の向こうを探す。


(何処だ!?)


 妙に焦っているという自覚はあった。

 しかし先の一瞬間の邂逅を経て、嫌な予感が彼の胸中を覆っていたのである。それは時と共にどんどんと濃く強くなっていく。


(あの妖怪……もしかして)


 これほどまでに嫌な感覚がする老爺……蓮にはひとつ心当たりがあった。

 それは現代の俗語にまで色濃い影響を残す、非常に悪質な妖怪である。そして残酷な存在でもあった。


(もしそうなら、早く見つけなきゃ大変なことに……)


 でも、もし見つけたとしてどうすればいいのだろう。

 ふと過ぎった問いに、思わず足を止めた。

 妖怪に対峙するとなると呪術師である友人たちが頼りになりそうだが、しかし彼らは揃って朝から欠席している。残る剣王鬼はというと、こちらも真昼間なので未だ眠っている。当てにはしにくい。

 取り出す携帯電話で「不死川慧」の番号を呼び出すが、通話が繋がることは無かった。


「電源切ってるか……真面目ちゃんめ」


 嘆息して、ダイヤルを切る。呪術協会の聴取とやらはまだ終わってないらしい。


「……ま、葵なら繋がるだろ」


 ガラケーのボタンを操作して、改めてアドレス帳を開く。

 大事な会議の最中と知りながら電話するというのも非常識な感覚があるが、けれど校内で被害が出る前に一刻も早く連絡はしたほうがいいだろう、というのが蓮の見解だった。

 なにしろ呪術協会とは妖怪に対する警察のようなものだと聞く。ならば、不審な影をするのが一市民の義務というものだ。


 ――が、発信ボタンを押すより早く蓮の肩を掴む者がいた。


「渡辺クン、随分と急いでたみたいだねえ」


 頭頂に降る声は、バリトンの低音を無理やりに曲げた、猫を撫でるようなものである。

 ひどく聞き覚えのあるそれに恐る恐ると振り返って、


「ゲエッ! 長谷セン!」


 背後に立っていたのは生活指導に情熱を捧げ続けて二年と半年、今や高校中の生徒から畏怖の対象として認知されている男であった。

 肩を掴み、見下ろすその瞳は吊り上がっている。


「捕まえたぞこの野郎! 廊下を走るな、階段を走るな! 危ないだろうが!」


 口角泡を飛ばす内容は、いたって正論である。現に蓮は先ほどの階段で、女子生徒ひとりを半ば突き飛ばす寸前であった。


「あ、いや……あはは」


 引き攣った笑いを浮かべて、蓮は頭を下げた。


「すみません。気を付けます」


 それじゃ……と踵を返そうとして、そこで勢い襟口を掴まれた。絞め殺される鶏のような声を出す。


「反省してないな! 指導室で厳重注意だ!」

「ええッ!?」


 つい二週間前に山程の反省文を書かされた記憶がフラッシュバックする。急いで先の怪人を探さねばならないというのに、それは不味い……。


「授業始まっちゃいますよ!?」


 苦し紛れのそれも、


「まだ五分間ある! それまで俺がこってりと絞ってやろう!」


 確かに廊下の時計はそのとき、十分休憩に入ってから数分しか刻んでいなかった。

 ……そういうわけで、蓮は「なんなんだアイツ」という学生たちの視線を集めながら、そのまま生徒指導室へと引きずられていったのである。




        8




「異界が……妖怪の自意識?」


 言って、葵は再び首を傾げた。


「いまいち、よくわからないんだけど」


 その横で難しそうな表情を浮かべた慧もまた、それに同意である。なんとなく言いたいことが分かる気もするが……戸惑っている頭を必死に整理する。

 ただ一人、柚葉だけが納得したような顔で頷いた。


「まあまあ、そう焦らなくてもいいですよ」


 美幸は柔らかく笑むと、


「まず、先程に彼が説明してくれたことを整理してみてください」


 その視線が向くのは慧だった。思わぬ矛先にドキリとする。


「彼が述べてくれたように第三種とは、霊子生物です。共同幻想たるイデア界で発生する……最初に在るのは精神なのです」


 固まる慧を余所に、彼女は静かに続ける。


「私たち第一種は、はじめに肉体が発生します。そこから胎外に誕生し、成長と共に魂‥…すなわち精神が発達していきますが、対して彼ら第三種は真逆なのです」


 そこで一旦、言葉が途切れる。理解が追い付くのを待つようにして柔らかい瞳が少年たちを眺めた。


「ということは」


 両腕を組んだ葵が呟いた。


「あいつらは先に精神が発生して、肉体は後付けで獲得していく……」

「その通りです」


 嬉しそうに頷く美幸を、葵は何処となく嫌そうな表情で見つめる。


「私たちは肉体の成長と共に精神を構築していきますが、彼らは精神の成長と共に肉体を構築していく……我々が異界と呼ぶものは、その先にあるのです」


 しばらく黙っていた浦木が、そこで声を挟んだ。


「いくら長じても、人間の精神はやがて頭打ちとなる。しかし肉体の成長は止まることなく、やがては老いてゆく」


 彼は手元の万年筆に視線を落とし、くるくるとそれを指の間で回して言う。


「同様に第三種もまた、肉体の形成はいつか止まるが、一方でその精神は衰えることなく進歩する……」


 万年筆の回転を止めて、そこでゆっくりと顔を上げた。


「なあ、わかるかい」


 銀縁の眼鏡の奥で、蛇のような瞳が冷たく光った。


「奴らに寿命なんて無いんだ。奴らは、発達する」


 重たい氷のような響きの言葉だった。

 ごくり、と誰かが喉を鳴らす音が響いた。


「その果てこそが、自意識の肥大化だ」


 机の中央で、晴基が繋いだ。


「異界とは、ただ妖力で時空間を歪めただけのものに非ず。それだけの仕組みであるならば、我々人間が霊力で再現できぬ訳がない」


 次第にその言葉に力が籠る。


「改めて述べよう。すなわち異界とは、で満たした空間なのだ」


 そこまで言って、嘆息するように加えた。


「そので、結果として時空が歪むに過ぎない」




        9




 とうとう生徒指導室までやってきてしまった。

 二週間ぶりのそこは、長机とパイプ椅子、白板に書類棚があるだけの簡素な部屋である。

 思わずため息を吐く蓮の肩を、連れてきた教師が軽く叩く。


「そら、座りなさい。何故あんなことをしたのか説明してもらうぞ」


(面倒くせえ……)


 心中でぼやく。

 けれども悪いのは明らかに蓮で、いわゆる自業自得というものだった。

 まあ、こうなっては仕方がない。どうせ四時限までの数分間、その程度の説教だ。甘んじて受けよう……。まずは言い訳をどう用意するべきか考えなければいけない。

 そんなことを思いながら席に向かい、と、そこで。


「……え」


 


 咄嗟に振り向いた蓮のすぐ鼻先を掠めて、太い拳が風を切って通り過ぎた。


「せ、先生?」


 動揺して問いかける。

 背後から唐突に殴りつけてきたその拳の持ち主は、蓮をこの場所に連れてきた教員その人であった。

 四十代の大柄な男はその右腕を振りぬいた態勢のまま、不気味な静けさで固まっている。

 俯いていて、その顔は窺えない。


「今時、体罰は問題ですよ……」


 空笑いをしながら、一歩、二歩と下がって、……がたり。背が机にぶつかった。

 途端、


「キエエエエイッ――!」


 あまりにもな奇声だった。

 渋みのある低音が、荒れた獣が如き耳障りな高音へと変わり果てている。

 その叫びと同時、男は我武者羅に蓮へと飛びついた。


「ちょっ」


 戸惑う蓮に、両手の爪を立てて襲い掛かる。

 眼球や口鼻すら頓着せぬ様子に、慌てて顔を守る。すれば、代わりに交差させた腕が爪で削り切られていく。


「痛ゥ……」


 普通に痛い。涙の滲んだ瞳で防御の隙間から窺えば、癇癪を起した猿のように暴行を加えてきている教員の顔は異常な相を見せていた。

 顔の全体はまさしく憤怒といった様子であるが、よくよく見てみると据わった眼はどこかおかしな方角を向いているし、緩んだ口の端からは涎が垂れている。


(うわあ)


 蓮の口元が引き攣った。

 普段に見知った人間が、今まさに正気を失ってそこに居た。

 だが、どうしたことだろう。何故突然にこんな状態になってしまったのか……。


(……くそ、正解かよ)


 蓮は苦々しく吐き捨てる。

 現在進行形で彼を襲っている長谷教員は、至極まっとうな人間である。生活指導に熱心なことから一部生徒には苦手意識を持たれているも、決して嫌われているわけではない。教師という職務に真摯に向き合う姿は、一人の立派な大人だった。

 それが何故、今や殴り殺す勢いで生徒に襲い掛かっているのか。

 ひとつの心当たりが蓮にはあった。


(あの爺さん、やっぱりだ!)


 ずっと胸の底で澱んでいた嫌な予感が、ここに来て解を得たりとばかりに確かな実感となって爆発した。


 ――通り悪魔。


 それは江戸時代の随筆にて言及されている。その姿は杖を突いた爺さんだったり、鎧姿の武者だったりするが、とにかく不気味な影というところは一致していて、その姿を見た者は突然の狂気に襲われるという。一心に気を沈めれば助かるともいうが、そのまま狂気に呑まれた者は乱心し、周囲の人間を唐突に殺す。

 これ即ち、通り悪魔の怪なり。

 現代において、無差別に殺人や傷害などを路上で犯した者を指して通り魔なぞと呼ぶが、それはこの語からきている。

 理性的な現代人は、あるいはこう解するだろう。衝動殺人の事件に対し、昔は妖怪を見てしまい気が触れたからだと考え、現代では社会的ストレスだとか覚せい剤だとかと考える、と……。


 しかし妖怪が存在するということを、蓮は知っている。

 すなわち通り悪魔という妖怪は、単なる説明ではなく、実態として在るのだ。起こり得ないはずだった殺人事件を引き起こす、ただそれだけを繰り返すのみの存在として――確かにのである。


(こりゃあ、早く対処しないと地獄絵図になるな……!)


 改めて状況を認識し、蓮は唇を噛む。

 ひとつ息を吸ってから、


「すみませんっ!」


 覆いかぶさっていた男の腹を、思いっきり蹴り飛ばした。


「グエッ」


 潰れた蛙のような声を上げて、思った以上の勢いで教員が吹き飛んだ。

 反対の壁まで一気に飛んで、ガタン、と大きな音を立てて棚に倒れ込む。その衝撃で、いくつかの引き出しが抜け落ちる。床にバラバラとその中身をぶちまけた。


「……え、すごい飛んだ」


 棚にもたれ掛かるようにして微動だにしない教員を遠目に窺いながら、蓮は呆気にとられた様子で呟いた。

 そしてふと手元を見下ろして、「え」と更に驚愕する。


「傷が治ってる」


 先ほどまで散々に殴られ、爪を立てられていた両腕が、すでに跡形も無く快癒していた。青痣どころか、瘡蓋すらない。ただ流れ出た血の跡だけを残して、綺麗な肌がそこにあった。


(あー、やっぱ順調に侵蝕されてんのか)


 暢気に感心したところで、気がつく。

 現在はそんなことを考えている場合ではない。

 慌てて教員に駆け寄るが、息はある。どうも気絶しているだけのようだ。

 ひとまずホッと息をついたところで、壁の時計が目に入った。

 すでに四時限目が始まっている。……散々と暴れていたが、未だに人が来ないところを見るに、もしかしたら予鈴や本鈴のチャイム放送で良い具合に騒動が隠れていたのかもしれない。

 そこは不幸中の幸いか。思いながら立ちあがる。


「というか、この部屋で発狂したってことは」


 グルンと振り返って窓の外を見る。

 嵌められたガラスの向こうには裏庭の木々が茂っていて……


「居た!」


 奥の木陰に隠れるように佇んでいた老人が、不気味な形の笑みを浮かべる。そして踵を返すと、何処かへと歩いてゆく。


「この野郎! 待ちやがれ!」


 通り悪魔と目が合った瞬間、またもや胸中に掻きむしりたくなるような不快感が沸き起こったが、最初ほどではなかった。それ以上に、蓮の心中は怒りの色で染め上げられていた。

 蓮は友人に連絡を入れることも忘れて、窓口へ飛びつくと鍵を開ける。そしてそのまま上履きで外へと躍り出た。


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