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物怪伝 鬼の章  作者: 犬尾南北
大倭篇

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第捌話 悪魔(三)




        5




 妖怪とは何だろう。そんなことを蓮は考え始めていた。

 一二限目の体育が終わり、開放された部室棟のシャワー室で汗を流したその後である。すでに制服へと着替え直し、自席の椅子に座って気怠い授業を受けている。

 三限目は公民の講義で、教室のなかでは既に何人かが夢の世界へと旅立っていた。担当の教師は注意をしないタイプの人間なので、ほかにも内職を行う生徒が一定数いる。教科書をなぞるだけの単調な講義だが、試験はそれほど難しくないので生徒たちの人気はある意味では高い。

 教室後方の席上で傍らの窓から空を眺める。


(――妖怪って、何だろう)


 そんな呟きが再び心中へ漏れる。

 そのようなことを考えるのは、先刻の体育での一幕が原因であった。

 経験の無いはずの剣道、初めて握った竹刀、しかし気がついたとき蓮の身体はごく自然に動いて一本を取っていた。

 そのときに思い浮かべていたのは剣王鬼の剣捌きであり、そして彼の心臓は今、自分の胸のなかで鼓動を刻んでいる。

 今朝の夢と同様で、関連性を疑うのが普通だった。そういえば、心臓は脳の他で記憶を保存する臓器だとも実しやかに噂されている。心臓移植の結果、嗜好が変わったりデジャヴを覚えたりするという体験談はドキュメンタリ系のバラエティ番組では定番だ。


 ――けれども、べつに今更になって剣王鬼による侵蝕が怖くなっただとか、そういうわけではなかった。


 むしろ蓮は、この現状を面白がっている側面がある。

 今までは夢見などから何となく程度の感覚であった侵蝕が、現在は心臓という確固たる形でそこにある。

 先の体験でそれを強く意識して、――ふと、蓮は気がついたのだった。

 唐突に疑問が湧き上がる。


 物質的、生物的な臓器として妖怪の一部がここに在る。すなわちこれは、一体どういうことなのか――と。


 思えば蓮は非日常に憧れ刺激を求めるばかりの少年で、そもそも妖怪や怪異、お化けなどと呼ばれている彼らがどのような存在なのかを気にしたことが無かった。

 なんとなく、幽霊なんかと同列にしてな存在として考えていたのだが……。


(実体がある……ということは、妖怪はあくまで?)


 半ばオカルト的な存在として未確認動物(UMA)というものが囁かれている。定義としてはそれは未発見の動物という意であり、時代を遡ればジャイアントパンダやマウンテンゴリラ、カモノハシなども西欧社会的には類似の存在だったことがある。

 同様に妖怪もまた、一般社会的には周知されていないだけの、ヒトや動物と並ぶ生物でしかないのだろうか。

 思って、


(いや……)


 蓮は頭を振った。


(それにしては特殊過ぎる気がする)


 そもそも、ヒトを含めた動物とは立っている場所が異なる感覚があった。

 異界などが最たるそれだ。

 剣王鬼はなぞと嘯いていたが、そもそも空間を支配とはどういうことなのだ。まったくもって訳が分からない。

 慧や葵、柚葉などの呪的技術を持つ霊能力者……彼ら自身が言うところの呪術師が存在する以上は人間にも秘められた能力、蓮から見て「不思議パワー」はあるのだろうが、それを操るにしても剣王鬼をはじめとする妖怪たちは規格外にすぎないだろうか。

 小説や漫画など、最近の創作物の中ではよくある設定のように、だとか、そのような説明のほうがまだしっくりくる。

 しかしそれもというだけで、深く考えてみれば理解は出来ない。実体なき現象がどうすれば人格を得るというのだ。紙面の中のファンタジー世界なら納得もできるが、生憎とここは現実世界なのである。


(……あ、いや、実体があるのか)


 胸に手を当てると、規則正しい拍動がある。これは確かに実体もつ臓器だった。


(でも、それなら結局は生物ということになるのか……?)


 思えば慧も、いつだったかの説明で「第三種生命体」が妖怪の正式名称だとかと口走っていた気がする。

 とはいえ、それ以前に「現象が実体を持つ」というのも、考えてみればよく分からぬ。


(うわあ、こんがらがってきた)


 蓮は頭を抱えると、机へと突っ伏した。がたん、と音を立てて筆箱が落ちて、周辺のクラスメイトが「何してんだあいつ……」という目を向けてきたが、常と同じく彼はそれに気がつかない。


(そもそも妖怪とか怪異ってのは、元は形動詞だよな……)


 何処其処であやしげな出来事があった、という風なことを言う際に「妖怪あり」「怪異あり」と称するのが元来だった。

 現代では化物を示す代名詞としてもっぱら利用されているが、何も怪奇的、心霊的な意味合いばかりではなく、近代までは普段の日常とはズレた出来事を……例えば時期外れの何かだとか、海外からの訪問者だとか、そういう「日常の中の非日常」を指して使ってきた言葉である。

 それが明治以降、さる哲学博士の活動に影響されて化物や不可思議存在の代名詞として定着を初め、現代へ至る。

 だから正しく彼らを言うならば、妖怪な存在だとか、怪異な存在だとか言うべきなのかもしれない。

 そうしてみると、ますます物質的な生物には思えてこないのだが……。

 けれど実際に剣王鬼の心臓がここにはある。


(……でもなあ)


 これまでに出遭った妖怪を思い返す。

 剣王鬼に、白夜。赤沼の祟り神に口裂け女、とうやさま、ジンゴさん……。あとは柚葉の式神であるあかり。

 蓮は顔を上げると頷いた。


(やっぱり、妖怪は基となる伝承がある気がする)


 頭の二者と最後を除けば、すべて

 赤沼の祟り神に関しても、後に慧から実際に過去で語りが存在していたことを聞いていた。それに白夜やあかりだって典型的な猫又だとか化け猫、化け狐のステレオタイプな形態だし、剣王鬼もまた蓮が発見できていないだけで、何処かには伝承がありそうな物言いをする。

 彼らは、蓮がこれまで想像してきた「妖怪」なるキャラクターにとても合致しているのだ。


 昼と夜の狭間、薄暮の世界、そこでふと見下ろすと、闇の静寂しじまに妖しげなおどろおどろしい存在が潜んでいる……。


 どうにもこれは、一生物の目撃例がその都度に伝承されている……というよりも、言うなれば、むしろそれら伝承から妖怪が発生している風な感覚がする。

 不可思議や怪奇な現象に行き逢った人が、それを妖怪というキャラクターに落とし込んで物語る。語り手と聞き手とのその相互行為のなかで、妖怪として存在感を得る場が形成される。妖怪の本質は、この「場」にこそあるのではないか。


(勘だけど)


 でも、大きくは間違っていないはずだ。思えばあの口裂け女こそ、無節操に増えたあらゆる語りを全て反映させたかのような存在だった。

 そこまで考えて、アレと蓮は首を傾げた。

 それでは結局、生物ではなく現象的なモノなのか……? いや、それもまた違う気がする。彼らはのだ、その存在感はとても幻覚的なモノとは思えない。

 堂々巡りだった。

 再び突っ伏して、今度はゴンと大きな音を額が立てる。またもや周りの級友が視線を寄こすが、気づかない。

 しばらくそのままで固まってから、顔を上げた。

 ため息をひとつ。


「まあ、いいか」


 考えるのに疲れたので、この問題は棚へ上げておこう。

 そう決めて壁の時計を見るが、まだ休憩時間までは時間があった。退屈な授業がもうしばらく続く。

 三度の息を吐いて、蓮は顎杖を突くと窓の外へと視線を戻した。

 空は青く晴れ渡り、その下には田舎町というか地方的な景観が広がっている。水田に囲まれた住宅街から、ふと更に手前の校庭へと目を移したところで――


(ん?)


 ぴたり、と視線が固定された。

 校庭の片隅の植木が茂っている箇所……その木陰に、なにやら黒い影が在った。


(あれは……)


 何故だか視線が外せない。ザワザワとした不快感が腹の底で沸き立つが、蓮はジッとその人影を見つめていた。


(お爺さんか?)


 見ているうちに、蓮の視力が安定して像が結ばれる。それは老人だった。長い白髪に、同じく白い襤褸の着物で、腰の曲がった杖を差した……。


 その老爺が、途端に蓮を見上げてニヤッと嗤った。


 瞬間、例えようのない怖気が胸の内で騒めいた。知らず、椅子を蹴り倒して飛び上がる。同時に奇声染みたものを叫びそうになって、慌てて口を抑えた。


「――なんだ渡辺、どうした」


 声を掛けられて、ハッとして振り向けば教室中の瞳がこちらを向いていた。怪訝そうな顔で、教壇の上の教師が見ている。


「あ、いえ……」


 しどろもどろになりながら窓の外を見やるが、今ほどの老人は跡形も無く姿を消していた。


「ほら、座りなさい。寝惚けるのも大概にな」


 教師の言葉に「はあ」と心あらずな返事をしながら、椅子を戻して着席する。ついでに落としていた筆箱も拾って、また校庭へと視線を落とす。けれどあの不気味な老人の姿は、やはり無かった。


(今のは……)


 激しくなった動悸を落ち着かせながら、蓮はいつの間にか浮かべていた脂汗を拭った。

 尾を引くように残る、厭な気分だけが残り香のように胸中を覆っていた。




        6




 第三種生命体をどのように認識しているか――そう訊かれ、真っ先に答えたのは葵だった。


「何って、妖怪よね」


 同意を求めるように見てきたので、慧も頷いた。

 その横では柚葉がキッパリと語る。


「敵です」


 どこか仄暗い、深い怨嗟すら覚える物言いだった。

 思わず振り向けば、「何か?」と冷たい視線と声が返る。


「あ、いや」


 言葉を濁しながら目を逸らし――その先で、美幸がふるりと首を振った。


「そういうことではなく……」


 そして何かを言い掛けたところで、求めていたものを察した慧が慌てて答えた。


「霊子生物です」


 思わずそう言って、すぐに(遮ってしまった)と気づいてハッとする。しかし彼の言葉に美幸はむしろ気を良くしたようだった。


「というと」


 柔らかく返ってきたそれに、急いで脳裏から記憶を引っ張り出す。


「この世界は現象界とイデア界に別けられます。俺……僕ら人間が属し、手で触れることのできる形而下の、いわば物質世界と、主観を超えた先の共同幻想とでも呼ぶべき形而上の認識世界です」


 詰まらないよう気を付けながら、慧は言葉を続ける。


「それらが重なり合って、世界は構成されています。つまり物質界と幻想界、そしてそれらが重なっている現実の状態……便宜上で呼ばれる混合界とが存在します。明治維新後に西欧妖精学の受容を経て、日本政府はこれらのうち物質界に属する生物を第一種、混合界へ属する生物を第二種、幻想界へ属する生物を第三種と呼称するよう規定しました」


 息を継ぎ、


「すなわち第一種とは有機生物、第二種とは元素生物、第三種とは霊子生物です」


 言い切ったと思い、上へ向いていた視線を戻せば、正面の美幸がにこりと微笑んだ。


「はい、その通りです。よく勉強していますね」


 ほっと息を吐いたところで、晴基が口を開く。


「そうだ。すべての生命体は精神と肉体、すなわち魂魄から成っている。だが、その比重は一律ではない」


 相変わらずに重々しい口ぶりだった。


「我々第一種が物質的な側面に寄りかかっているのに対し、彼ら第三種は精神的な側面に依拠している。ある種の情報生命体と言ってもよい存在だ」


 その言葉が切れたところで、隣の浦木がぶっきらぼうに呟いた。


「そもそも俺たちがいなければ、奴らはいない」


 その一言きりで口を閉じた彼に、美幸が少し呆れたような顔をする。疑問符を浮かべている葵を見て、補足するように言葉を紡いだ。


「人間という存在は、この世で初めて高度な知性を伴い生まれ落ちました。そんな私達にはある心性があって、周囲の様々な情報に触れたとき……たとえば自然的環境を眺めるだけでも何かを感じ取ったり、畏怖したり、信仰したりする。その心の淵から溢れ出たものが世界のイデアへと還元される、その過程の中で第三種はするわけです」


 すらすらと述べた彼女の言葉尻へ被せるように、隣の男二人が呟いた。


「幻想から生まれるのだ」

「本来は肉体を持たない、さ」


 またも呆れるような顔をしてから、美幸は気を取り直すように慧たちへと向き直った。


「それでは改めて――その第三種がつくりだす異界についてお聞きします。異界とは、何だと思っていますか」


 ようやく先ほどの騒ぎへと繋がるわけだ。そう思うも、ここまで来ても未だに先の原因に見当がつかない慧は右横を見た。葵も眉を寄せた顔でこちらを向く。


「そりゃ……」


 言う彼女に、慧が続けた。


「妖力で引き込んで、隔離させた支配空間では……」


 柚葉は黙っている。同様の返答らしい。


「なるほど」


 こくりとひとつ頷いて、美幸が彼ら三人の顔を順に眺めた。


「間違ってはいませんが、それだけでは不足でしょう」


 そして、


「異界とは。つまり、彼らの肥大化した自意識なのです」


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