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物怪伝 鬼の章  作者: 犬尾南北
大倭篇

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第捌話 悪魔(一)




        0




 夜天の底で火を囲んでいた。

 松の皮をパチリと鳴らし、ささやかな焔がふわりと揺れる。

 人里を遠く離れた、深い森の奥だった。

 明かりを囲む影は二人である。

 黒髪の男に銀髪の女……どちらも少年だろうか、歳若く見える。

 行く当てもない、長い旅の途上だった。


天地あめつちひとつはざまとお……」


 向かいで火を弄っていた女が、ふいにその様な言葉を漏らす。


「なんだそれ」


 その手先をジッと見つめていた男が、顔を上げて短く問うた。

 対して白く輝くかんばせを俯かせれば、何やら笑みを噛み含めて、


いましがいずれ至るもの」


 ただそれだけを述べるに終わる。


「なんだそれ」


 同じ言を繰り返し、男は幼子が拗ねた様にして寝転がる。

 そうして仰げば、天はいつだって彼を受け入れた。

 何処までも広がる黒き海で、彼方の星々が燃えてゆく。

 それは故郷と変わらぬ空だった。

 やがて微睡みの淵に沈む男を見やると、美しい女が微笑んだ。

 慈愛に溢れた声音で囁く。


「覗きたる者よ、かれを頼む」


 彼女の瞳は男から外れ、何やら此方を向いている。

 そこでようやく蓮は気がついた。


 ――あ、これはいつもの夢だ。




        1




 瞼を持ち上げれば、見慣れた天井が目に入る。

 のっそりと身を起こせば自室に朝陽が差し込んでいる。

 枕元でピッピと電子音を鳴らす目覚まし時計は午前七時を示していた。

 蓮はそれを後ろ手に止めると、


「うん……」


 大きく腕を持ち上げ、欠伸をひとつ噛み砕く。

 尻をずらし、布団の中から両足を降ろすが、そこでそのまま腰かける形で呆とする。

 ベッドの上で彼は呟いた。


「あの夢は、やっぱり」


 剣王鬼の記憶だろうか……後ろの言葉は口からは出ずに喉元で消えた。

 不思議な感覚の夢だった。

 知らない場所で、知らない誰かが登場する。しかし心の何処かで懐かしむかの様な、とても他人事とは思えない気分も同時に味わう。

 そんな夢を、最近の蓮はよく見るようになっていた。

 ここ二週間ほど……つまり剣王鬼に取り憑かれてからの出来事である。

 実際にされ続けている身なのだから、相関性を疑うのは当然だった。


「……随分と若かったな」


 今朝の夢では、男女の二人組が登場した。黒髪の男に銀髪の女……思い返すと何故だか見覚えがある気もするので、あるいは忘れているだけで既に見たことがある記憶だったのかもしれない。

 ともあれ一連の夢を剣王鬼の記憶とするならば、このうち男のほうが彼だろう。顔や声、身なりはどうにも思い出せないが、纏う空気は完全に少年であった。老成した印象の現在とは似ても似つかない。

 そこまで考えたところで、


「そういえば、最後なにか……」


 まるで夢にあるまじき出来事があったような気がして、蓮は首を傾げた。

 が、すぐに頭を振る。


「ダメだ、思い出せない」


 夢の記憶というものは、どうしてこうもすぐに揮発するのだろう。

 まあ、いいか。そんなことを呟いて、今度こそ蓮は腰を上げた。

 二〇一二年七月九日の火曜日。

 あんな出来事があった昨日の今日ではあるが、妖怪は倒され事件は終わった。世間における大多数の人間が認識する世界は地続きの平和という顔を見せていて、だから本日も変わらずに学校がある。

 またも沸き上がった欠伸を噛むと、蓮は気だるげな所作で学生服を手に取った。先月の頭に衣替えを迎えて以来、それは暑苦しい詰襟から白シャツのみへ変じている。さっさと羽織るとそのまま洗面所へと歩いていく。

 怪体な夢で起きたにしては、随分と和やかな朝であった。




        2




 父親に連れられて、慧は三浜大社に訪れていた。

 神南町にある地方最大の古社である。その社殿、社務所の奥の廊下を僧衣姿の男二人が歩いているのは、慧からすればなんだかチグハグな感覚である。彼のなかでは、神々は仏や僧を嫌うという印象があった。

 先導していた神職が足を止める。


「こちらでお待ちください」


 そう言って引かれた戸の先は座敷である。そこに二人の先客が座っていた。


「石泉寺さん。おはようございます」


 彼らに気づいた壮年の男性が頭を下げた。


「おお、金堂の。はやいな」


 顔をほころばせた父親に続き、慧も室内へと入る。案内をしていた若い神職はそれを見届けると、「それでは」と残して立ち去った。

 善治は息子になにやら目配せすると、狩衣姿の男――神谷清秋と二人で何か相談を始める。彼らは連れ立って少し離れたところへ座りなおしたので、その場には慧とそして一人の少女が残された。


「おはよう」


 少しだけ逡巡してから、傍へと座る。

 対して葵は「ん」とだけ頷いた。その表情は硬い。

 白衣に緋袴の、俗にいう巫女装束の姿で腕組みをしている。普段の言動からして胡坐をかきそうな少女だったが、流石に社では正座をしているようで、少しだけ慧は胸をなでおろした。


「えっと……、蓮たちはもう学校かな」


 無難に話題を選ぶが、葵の瞳は机の上から動かない。

 それ以上は慧も言葉を続けられず、視線を逸らした。気まずげな空気となる彼らと異なって、移動した父親達はというと一見して穏やかに会話が続いている。よくよく注意すれば、その二人も発言の隅などに緊張が垣間見えるが、それはこの後のことを思えばなんらおかしくはなかった。慧や葵のように表だって態度に出さないところが、年の功というものなのかもしれない。

 小さく息を吐いて、慧は天井を仰いだ。

 赤沼怪奇探偵団の面々が「ジンゴさん」の怪異に遭ってから一夜が明けていた。

 本来ならば慧も葵も学校があるのだが、ということで本日は二人そろって欠席の連絡をしている。

 昨日の事件自体は、剣王鬼だろう男の介入によって終息した。異界が崩壊し、霞が晴れるとそこは元の部室で、蓮も含めて全員が無事にそろっていた。柚葉はサッサと姿を消したが、そこからは互いに無事を喜び、いくつか状況確認をしたのちに解散、各々が帰途へついた。


 しかし、今回ばかりはそれだけでは終わらなかった。


 もとよりへ遭遇すること自体が相当なイレギュラーなのである。

 先日にも彼らは異界を扱う妖怪へと遭遇している。

 この狭い町内で連続して起こった明らかな異常事態に、日本咒術協会がとうとう動いた。これらの事件に居合わせた呪術師、すなわち慧と葵、そして柚葉を呼び出しての詳細な事情聴取の場が急遽として開かれる運びとなる。

 それが本日であった。

 午前八時過ぎ、普段ならば高校の教室で友人たちと朝の挨拶を交わしているはずの時間にこうして隣町へと赴いている。

 会場が三浜大社であることは、それだけ呪術協会が事態を重く考えていることを示唆している。伊豆国一宮と号すだけあって、地域一帯で最も堅く霊的防御が整備されている場所だ。

 神谷家はともかく不死川家にとっては異なる信仰の膝元となるが、こと日本咒術協会の事案となれば宗教に関する事情は一切が超越される。個々人の思想信仰とは別に総ての呪術・宗教的職能者を監督するのが咒術協会の本懐であり、この国は一世紀半かけて宗教者たちをそのように教化してきた。


 何はともあれ、本格的に呪術協会が介入してくるとなると今後は一層に気が抜けない。ひとまず本日の聴取だけでも剣王鬼のことを知らぬ存ぜぬで隠し通すか誤魔化さねばならない。緋崎がどこまで報告をしているのかは定かではないが、蓮の安全だけは何とか掴み取らなければ……。

 考えれば考えるほどに胃が痛い。夢見が悪かったことと重ねて、慧は朝から気分が落ち込むばかりである。


「――準備が整いました」


 戸が開き、先程と同じ神職が顔を見せる。

 跳ねるように立ち上がる葵の横で、慧は思わず尋ねた。


「宗像さんは……」


 それを戻ってきた善治が遮る。


「いいから行くぞ」


 そう囁き肩を叩かれた。

 しぶしぶに立ち上がれば、葵と清秋は既に廊下へと進んでいる。

 待っている神職へと頭を下げると、慧も善治と共に部屋から出ていく。

 ここより先の予定は、遂に呪術協会執行部との面会となる。

 とは日本咒術協会が召し抱えた国家公務員であり、現代における事実上の官人陰陽師だ。この界隈における正真正銘のエリートである。

 そのように呼ばれる連中と顔を合わせるのは、慧にしてもこの十七年を生きてきた内で初めてのことだった。


(……大丈夫だ、俺なら出来る。緊張するな)


 胸中で自分自身へ言い聞かせる。何処か頭の片隅で、見物する誰かが笑った。




        3




 三浜市立第三高校では慧と葵、そして柚葉が同時に欠席したことで二年三組の教室が騒めく場面があったものの、その他には大凡いつも通りの日常が始まっていた。

 欠席の三人が病欠ではなく、揃いも揃ってだというのが騒がれた主因であったが、蓮と文太に限っては連絡が携帯電話へと来ていたため大した驚きはない。

 昨日の事件について聴取の予定が入った、とだけの文面を前にして「あいつらも大変なんだな」とただ他人事のように笑い合った。

 そうしているうちに、一時限目の授業が始まる。

 この日は朝一番から体育であった。

 ぞろぞろと教室を移動し、女子は体育館、男子は武道場へと別れていく。

 そこで隣の四組男子と合流して着替え、ジャージ姿で整列する。

 並んだ彼らを見渡して、大柄な教師がよしと頷いた。


「通達してあったように、今日からは剣道だ」


 刀に憧れるのは男の性というわけか、期待していた者が多かったようで歓声が上がる。

 教師は更にウンウン頷くと、


「それじゃ、最初は基礎から教えていくぞ」


 剣道における基本的なルールの説明から始まり、防具の着方、竹刀の握り方、振り方、姿勢と来て摺り足の練習へと続いていく。

 体育は毎回二コマが連続で組まれているので、そこまで進んだところで未だ二時限目終了まで五十分ほど時間が残っていた。


「よし」


 壁の時計を見て頷いた教師が、号令を出して生徒を整列させる。


「大体の基礎はわかっただろ。あとはまあ、最初だしな。簡単なルールで模擬試合でもしてみるか」


 反復練習ばかりで辟易とし始めていた男子たちが、その言葉で一息に活気づいた。

 本来の禁止行為に加え、突き技は勿論、滅茶苦茶に振り回すなどの怪我をさせるような行動は禁止、判定は「面」と「胴」のみ、試合時間は三分間で一本勝負という簡素なルールが決められて、あっという間に一人一試合ずつの対戦が二面で組まれた。


「そろそろ僕か」


 同程度の体格な少年と互いにへっぴり腰で打ち合っている文太を横目に、蓮は防具をつけていく。さすがに二学級の男子全員分の防具は備品になく、試合の順に着まわしていくのだが、そのためにすでに小手の内側などは誰の物とも知れぬ汗でじっとりと濡れていた。


「うへえ」


 呟きながら紐を結び、面を被る。

 視界が格子で区切られると共に、何とも言えぬ臭いが鼻を衝く。


(潔癖な奴は絶対に耐えられないだろ、これ)


 思いながらこちらも紐を結んで固定したところで、折よく彼を呼ぶ声があった。

 返事をして、勝敗が付かないまま時間切れとなった文太と入れ替わりで場内へ入っていく。


「いいか、お互い怪我だけはさせないようにな」


 試合の度に繰り返している言葉を教師が言う。蓮と相手、そして隣の面での二人が肯くと、彼はストップウォッチ片手に叫んだ。


「よし、それでは礼、蹲踞そんきょ……初め!」


 初心者同士が剣道の空気を感じるためのお遊びではあったが、だからこそ基礎的な礼儀は徹底する。

 共に「お願いします」と声を掛け合い、三歩だけ出て中腰になる。そこに教師の宣告が響き、試合が始まった。


(防具、重っ……)


 思った以上に動きにくい体をなんとか操縦し、ひとまず竹刀を相手に向けて縦に振る。割合とあっさり躱され、同様に鈍い動作で一太刀が返ってくる。

 それを竹刀の腹で受け止めて、そのまま一歩、二歩と後退する。

 やはり、どうにも難しい。

 視界も狭ければ体も重く、そもそもの竹刀だって振りかぶって降ろすというのは、モヤシな蓮にしてみれば意外と重労働だった。


(まだ一分も経たないのか)


 一分ごとに時間を告げるはずの教師の声はまだなかった。

 その一方で、退いた蓮に気をよくしたのか、相手はひたすらに「面」と叫びながら怒涛の攻めを打ち込んでくる。

 竹刀の腹でひたすらに受けるが、流石に段々と柄頭を握る左手が痺れてくる。


「一分!」


 ようやく教師の声。残りは二分。

 しかし既に蓮の体力は底をつき始めていた。

 竹刀を構えている両腕がきつい。面の内側で熱く籠る息は荒々しい。

 更にじりじりと下がりながら、……ふと思った。


(そういえば、剣王鬼はどうしてたっけ)


 刀と言えば、彼である。

 その剣術の冴えは名に恥じぬものであることを、蓮は文字通りに知っていた。

 肉体疲労によって少し巡りの悪くなった頭の奥で、瞬間これまでの記憶が蘇る。

 口裂け女と対峙した際は――。


(もっと視野を広げて……最小限の動きで弾いて……)


 知らぬうちに、蓮の手元で竹刀が回る。途端に鋭さを得たその刃身が、乾いた音を上げて敵の一打を弾き飛ばす。


(――そして昨日は)


 記憶に新しい、光が流れるかの如き剣戟が脳裏で爆ぜた。


(たしかこうして……)


 ――後に思えば、それはつまり達人の動きを身体感覚と共に体験している訳なのだから、それ以上の教導という物もなかった。


 が、一際強く脈打った。



「一本! 渡辺!」



 教師が叫んだそれで、蓮はハッと正気に戻る。

 気がつけば、彼は相手より奥に踏み込んでいた。

 竹刀を横に構えた腕は、ジンジンと鈍く痺れている。


「あの体勢から胴を抜くとは……ううむ、才能があるかもしれん」


 わざとらしく唸ってみせてから、教師は呆然と佇む蓮に声を掛ける。


「ほら、終わったら礼! 挨拶!」


 促され、慌てて位置に戻って礼をする。

 駆け寄ってくる文太に上の空で返事をしながら、蓮は場外へと帰っていく。


(今、僕はもしかして……)


 防具の上から無意識に胸元を抑える。

 激しく拍動するそこが、なんだかやけに気になった。


 ――その背を、遠くから見つめる影がある。


 武道館の窓の向こう、校庭にある桜の枝に一匹の白猫が身を預けていた。

 双つの尾がユラリとくねる。

 興味なさげな声色で囁くように呟いた。


「……源氏の血ね」


 そうして、大きく欠伸。

 重ねた前脚へとそのまま顔を埋めるのだった。




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