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物怪伝 鬼の章  作者: 犬尾南北
大倭篇

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36/85

第漆話 如件(十二)




        23




 太い脚で地を蹴った怪物たちは、正しくくう襲い来る。

 その剛腕と鋭い爪を、ひらりと躱しながら剣王鬼は銀閃を振るった。

 しかし、先と異なって厚い皮がそれを阻む。


「ほう」


 感心するかのような声を漏らし、背後から突く指を避ける。

 くるりと転身しながら手元の刀を更に何度か振るうが、変わらず彼らの肌を裂くには至らない。

 四体の牛鬼が逃がさぬとばかりに四方を囲み、最早剣王鬼はひたすら嬲られるのみの状況に見えた。


(なんで刀が通らないんだよ、さっきはあんなに柔かったのに!)


 動揺する蓮に、剣王鬼は然程も焦った様子を見せずに呟いて答える。


「先程に奴が云っていたではないか」


 言われ、蓮は(確かに言ってたけどさ……)と続けようとして気がついた。


(そうか、異界原理か!)


 異界を組成した主は、支配したその空間領域に独自の法則性を定めることが可能であり、俗にそれを異界原理と呼ぶ。――そのようなことを、蓮は以前に聞き及んでいた。

 たしかその際の怪異である「とうやさま」は、取り殺した死者を眷属として使役するという異界原理を持っていた。しかし異界の支配を乗っ取った剣王鬼によって呆気なく塵とされていた記憶がある。


(それならさ、今回もちゃっちゃと異界を乗っ取ろうぜ!)


 蓮の声は明るくなるが、帰ってくるものは調子を外すように低かった。


「既に塗り替えてある」


(……え?)


「異界の支配は、既に己が乗っ取った」


 言い直す剣王鬼は、変わらず攻撃を避けながらの言である。

 固まる蓮に、涼し気な声色のままで続ける。


「即ち此奴等も、そして奴の言葉も異界原理では無い」


 数秒ほど置いてから、慌てて反論する。


(でもそうは言ってもさ、まるで言葉の通りに実現している風に見えるんだけど)


「あの男自身の権能だろう」


 きっぱりと言い捨てて、剣王鬼は地を蹴った。すぐ後に轟音と共に突き刺さった怪腕へと飛び乗り、


「放つ言葉が実現する……正しく神言だな」


 絶句する蓮を余所に、彼はそのまま腕を駆け上がる。

 迫りくる一方の腕を掻い潜り、スラリと刀が月に煌めく――瞬間、放たれた切っ先が牛頭の咥内を鋭く抉った。


「オ、オオォォォッッ……」


 捻る様にして刀を抜けば、牛鬼の瞳はグルリと反転してどす黒い血色へ染まる。同時に断末魔の絶叫を上げて、そして崩れ落ちるようにして倒れ去った。

 飛び退いていた剣王鬼が、次に殴り掛かってきた個体へと同様に乗り移る。肩に足を掛け、背後から頭蓋を抱え込むようにして刀を突く。

 またもや瞳が恨めしそうに反転し、悲鳴。


「よし」


 まるで羽が生えているかの如く軽やかに転宙して着地する。飛びずさった剣王鬼が満足げな声を漏らした。


「馴染み具合が大分わかってきた」


 先の発言から此方僅か数秒間で行われた一連の出来事に、思わず蓮が突っ込んだ。


(牛若丸か何か?)


 それから、やっと正気を得て納得の声を上げる。


(そうか、刀が通じないのは未だ肌だけだから……)


 してから、アレと気が付いて叫んだ。


(いやでも、幾らでも言葉が実現できるなら駄目じゃないか!)


 剣王鬼が言うように、異界の主である「ジンゴさん」が神言の能力を持っているならば、それは鼬ごっこである。どう足掻いても後手に回るしかないのだから、流石の剣王鬼でも苦戦は必至であろうと思われた。


「そう案ずるな」


 また一体、牛鬼の脳髄を抉って殺して嘯いた。


「此処は神速果敢が決め手だろう」


 そして言うや否や、刀を回す。振るった先は背後であった。澄んだ刃鳴りが在って、遅れて振り向いた視界に映るのは西洋剣。


「イヤ、君でも私には勝てないよ」


 実際に面を被っている剣王鬼以上に能面染みた顔の不気味な男が、瞳だけをギラギラとさせて囁いた。


()()()()()()()()()()()


 途端に、死骸と果てていた筈の牛鬼三体がムクリと起き上がる。


()()()()()()――」


 更に言い掛けたその口を、鍔競りから返す刀が浅く裂いた。言葉が途切れ、新たな神言は成らずに消える。


「矢張りな」


 鬼面の内で、赤い瞳が細められる。


「紡がねば成らん、そういう訳だ」


 攻略の取っ掛かりを掴んだらしい、剣王鬼が楽し気に囁いた。


「さて、――《風よヴィントゥム》」


 言葉と同時、脚の付近で風が逆巻いた。そのまま地を踏めば、後退しようとした男の懐中へとグイと異様な加速で追走する。

 煌めいた刃金が再び喉元を狙い、差し込まれた直剣がかろうじて阻む。


!」


 男が叫び、転移が如き高速で駆け付けた怪物が背に現れるが……


「《土よテェラ》」


 剣王鬼の言霊と共に、今度は地から壁がせりあがる。硬く創造されたそれが、罅入りながらも拳を防ぎ、


「《火よイグニス》」


 続く言葉で全身を激しく炎が巻いた。火達磨となった牛鬼は悲鳴を上げ、雨でぬかるんだ大地に倒れるようにして転がるが、いくら暴れようが鎮火しない。柚葉の扱う炎術とは似て非なるそれは、そう時を置かずに怪物を炭の塊へと変貌させた。

 ピタリと動かなくなった黒い影を飛び越えて、残る三体が追撃するが――


「《水よアクワ》」


 地面から渦を巻いて噴き上がった水流が三本、大蛇のように身をくねらせて彼らの頭部を丸呑みにする。鼻と口とを塞がれて足を止めたところで、


「《火よイグニス》」


 再び炎の柱が三体を包んだ。

 ――此処まで全て、男と剣王鬼が剣戟を結びながらの出来事だった。


「……彼らは駄目か」


 悟った様に呟いた男の口元をしつこく狙いながら剣王鬼が語る。


「然様。小手先だけの復活など、所詮は手遊びよ」


 しながら振るうのは、下段からの払い。

 それを直剣の腹でいなし、


「厳しいな」


 男は静かに呟くが、


()()()()()()()()


 その言から途端に重くなる。

 言葉に圧が加わり、眼差しは熱く、剣は鋭く……


「私は成った。完成した……後は君だけなのだ」


(うわッ! なんかキモチワル!)


 視界を共有する蓮が叫ぶ。

 面前の男の、その視線が何やら異常だった。焦点が合わず、まるで剣王鬼を追い越して何処か遠くを覗き込んでいる風だ。


「君を殺す……それだけでいい」


 男の黒い瞳は瞳孔が開き切り、眦から鮮血の涙が流れだす。


「嗚呼。真に斯く有れかしアメン


 その瞬間に、撃剣たる一閃が走る。

 剣王鬼が刀を滑らし、防ぎながら一歩を退いたところで蓮が気づく。


(剣が!)


 男の手元に在った西洋剣、それの柄が知らぬうちにズンと伸びている。瞬く間に四メートル程度の長さになった柄を両手で握り直し、男が血涙で濡れた瞳を呆と向けてくる。


(これじゃあ、槍じゃないか! 不利だ!)


 騒ぐ蓮だが、剣王鬼に動揺は無かった。


「囀るな」


 一言残して、踏み込んだ。

 グルリと回した槍の切っ先が迫るも、トンと地を蹴って飛び上がる。途端に鋭い突きが下から伸びてくるが、これを何と彼は蹴り上げた。

 刃の腹に足を置き、それを地として懐の内へと踏み入ったのだ。


(はあっ!?)


 呆気にとられる蓮を放って、剣王鬼の刀は曇らぬ冴えで以て空間を滑り――男の首を両断した。

 ように見えた。

 首が別たれたと思って、蓮が歓声を上げようとしたその刹那、横手から凄まじい鋭さで差し込まれたのは槍と化した剣である。


「ッ――」


 然しもの剣王鬼も反応が遅れた様子で、咄嗟に顔を逸らすも穂先は彼の首を浅く切り裂いた。

 大きく一歩、二歩と後退する。

 槍の間合いを離れたところで観察すれば、襤褸を纏った首無しの身体が地に転がった頭部を拾っている。

 長い乱髪をむんずと掴まれた男の顔が、相も変らぬ面相のまま嘯いた。


「元々が継ぎ接ぎの身体だよ……」


 そのまま肩の上に持っていけば、重なった切断面が跡も無く癒えてゆく。

 再びに五体満足となった男を前に、剣王鬼は頷いた。


「首を落とせど無駄、という訳か」


 そう言う彼の首元も既に綺麗に傷がない。

 人ならざる超人同士の決戦に、離れた場所で見守る少年たちは全く声が出なかった。

 かろうじて蓮だけは呆然とした声を漏らす。


(そうか、ジンゴさんは頭だけの奇形児で……でも、それじゃあどうすりゃいいんだ)


 古来より妖怪退治、鬼退治というものは首を斬ることで結末を得る。

 精神の座である首を落として体と別ければ、即ち復活する事がない――そう信じられてきたのである。

 勿論、他にも陰陽師や法師による秘術や功徳を持ち合わせた物語もある。しかし先ほどから西洋の魔法らしきものを扱っている剣王鬼であるが、やはりその本分は剣士であろう……と蓮は直感している。

 現在なども仙人を装っていて実際にそのように呼ばれた過去もあるようだが、そちらにしても果たして如何程の能力を持っているのかは知らぬが故に疑問視せざるを得ない。


 ――首を落としてもダメな相手を前にして、さて剣王鬼はどう対処するのだろう。


 そのように蓮が思ったところで、


人牛ジンゴ、だったな……」


 誰に聞かせるでもない声が、ぼそりと面の内に漏れた。


「そして予言に、体の収集か」


 続いて呟くと俯きがちに面へ手を添え、……やがて肩を震わせ始めた。


(え、突然どうした)


 唐突に笑い始めた剣王鬼に蓮がビクつく。


「ふふ、成る程……()()()()()()()()()()()


 そしてガバリと顔を上げると、改めて男の……異界の主だった者の姿を眺める。


「倣えば良い、そういう事だな」


 言った彼に、変わらぬ顔で男が槍を構える。


「――サア、私を解放させてくれ」


 剣王鬼は一つ息を引くと、感覚を同じくしているはずの蓮ですら咄嗟に気づかぬ体術で以て、瞬間に間合いの内へと踏み込んでいた。

 これまで見せてきた単純な加速という訳でもなく、意識の虚を突く歩法であった。

 しかし対する男も、まるで予知していたかのように槍を引いている。

 深く握った柄を操り、鋭い穂先が軌道を描く。

 剣王鬼の身体、その急所たる点穴を目掛けて白銀の流星が如き怒涛の突きが爆発した。

 けれど剣王鬼もまた、並の使い手ではない。

 蓮は察してはいても詳しく知らぬが、彼はかつて古びた刀の一本のみで千年を超えて生き延びた。

 よってその技、人知及ばぬ巧さである。

 人を、獣を、鬼神を、あらゆるものを斬り捨ててきた血染めの技術が、魔性さえ秘めて閃いた。

 凡庸な蓮の意識では、その全貌を辿れない。ただ刃鳴りと光だけが幾度も瞬いた。

 そして数重の打ち合いの後、突如として剣戟が止まる。


(あ)


 蓮の視界の中で、切断された手首と共に矛とも槍ともつかぬ武器が宙に跳ねている。

 それを、剣王鬼は左の腕で掴み取る。

 そのまま握り構えると、


「したらば、安息せよ」


 懐へと潜り込み、そのまま槍先を男の左脇腹へと勢い刺した。


(うっ……)


 柄を通して、生々しい慣れぬ感覚が蓮にも通じる。

 剣王鬼は握り込んだそれを、更に強く奥へと捻じり込む。

 傷口から夥しい鮮血が流れ出し、槍を伝って指へと絡み……


「――嗚呼」


 頭上から漏れた声は、悲鳴ではなく感嘆であった。

 視線を上げれば、剣王鬼の視界を通して蓮は見る。


(えっ……笑ってる)


 長身の男は何故か両腕を左右に広げ、俯くようにして此方を見下ろしていた。

 あれ程に狂気で輝き、瞳孔さえ死者の如く開いていた瞳が、今は尋常な物へと変じている。その光は静謐な精神を映していた。

 そして何よりも、表情だ。能面染みて固まっていたそれが、口元だけとはいえ柔らかい笑みを浮かべている……。


「――ありがとう」


 いつの間にか頭部を囲むようにして生えている茨の下で、男はそう囁いた。


「これで私は解放される……」


 訳が分からず固まる蓮を余所に、剣王鬼は鼻を鳴らす。

 その様子に、別人の様相となった男はまるで慈しむものを見るかの如く目を細める。

 そうして彼は相対する体の奥底、二重の魂のなかで煌めく光を見つめた。と呼ぶべきそれが――。

 男は熱い息を漏らすと、


「……礼に最後の預言をしよう」


 ひどく掠れた声で、


「――星の人よ、足元に目を向けよ。君の運命さだめはようやくそこまで迫っている」


 それだけ言い放ち、男は忽ちに白い塵のような像になって崩れ落ちるように消え去った。

 すると途端に、何処からともなく異界の中へと再びの霞が溢れ出す。


(……えっと、え? つまり……?)


 混乱尽きぬ蓮が疑問をこぼすが、剣王鬼は取り合わない。というよりも、その身体はジンゴさんの最後の言を聞いてから微動だにしていなかった。

 ただ鬼面の奥で、蓮も気づかぬ程に小さな声を漏らす。


「……そうか、矢張りこの時代か」


 視界を覆う霞は刻々と白く深くなっていく。

 遠くで少年たちの呼び声があるが、距離があって蓮には聞き取れない。

 数秒してから、


(あっ、僕を探しているのか)


 と得心する。

 そして三度みたび剣王鬼へと声を掛けようとして、そこでホワイトアウトするようにして意識が一転。

 異界が崩壊した。




        24




 ――其処は暗い世界だった。


 光も無ければ熱も無い。

 生と死の狭間である其処は、魂の円環より追放された場所である。

 何処までも暗く、何処までも冷たい。

 常人ならば二日と保たずに発狂するその世界で、しかし一人の男が安らかな笑みで眠っていた。


(――御館様、御館様)


 ふと、その場に……在ろう筈が無い他者の声が降り注ぐ。


(御館様、……――)


 それは生者の声だった。

 まるで水面を隔てたように微かだが……確かに現世うつしよからの呼び声であった。

 果たして、ピクリと男の瞼が反応する。

 やがて緩慢に開き切り、……


「嗚呼、起きた」


 優雅な所作で身を起こす。


御休息おやすみのところを申し訳ございません……)


 見えずとも平伏したのが分かろう恐縮しきりの声だった。


「よい」


 片手を振って、男は端的に問うた。


「で、何があった」


 数瞬の間を置いて、声が降る――。


(奏上いたします。例の実験体捌号なのですが、……)


 詰まったそれを、先回りして男が察する。


「失敗したか」


 声が肯いた。


(あと僅かと言うべき所ではあったのですが……)


 男は鷹揚に頷く。


「そうか。残念だ」


(但し、黄泉返りの成功は確認しております)


 慌てた様に足された情報に、ピタリと男が固まった。


「では、何故……」


 呟いたそれに、若干の躊躇を持って返答が在った。


(完成の場に、彼の鬼が――)


「――不語仙ふごせんか!」


 膝を打って男が叫ぶ。それは歓喜の声だった。


「そうか、そうか」


(申し訳ございません、我々は始末も出来ず……)


「よい、よい。確かに残念だが為方せんかた無し」


 男は機嫌良さげに手を振ると肘を突き、その手の上に顎を乗せた。

 遠く懐かしむように瞳を細め、


「臭気と湿気が籠ったまやはまるでほらの中だろう。牛に囲まれ、預言するヒトが生れたならば――それこそが新たなる神性の獲得だろうとも思ったのだが……フフ、まあ良い」


 その双眸は夢見る童子の様に明るく輝いている。


「どうなろうとも、我等の歩みは止まらない」


 と、そこで視線の温度が一転する。

 冷たくも感じる低い声が漏れた。



 男は天上を……遥か遠く現世を睨む。


重頭馬エズマを探せ」


(はっ、承知仕りました)


 平伏する声は最後に退去の失礼を述べて消える。

 そして他の誰の気配も無くなった世界に、男は一人取り残された。

 けれど彼の表情は再びの笑みに彩られる。


「――嗚呼、しかし……君は現世にいるのだな」


 まるで恋焦がれるかのようにして、天を仰ぐ。


「我が宿敵よ、再会が待ち遠しい……」



第漆話 如件くだんのごとし /了。



○ジンゴさん

 インターネットの匿名掲示板上で俄かに流布していた都市伝説。十年程以前に流行した創作怪談「怪人アンサー」に酷似した内容だったが、異様に多くの「成功者」が名乗りを上げており強い存在感を持っていた。剣王鬼によって「解放」される。漢字表記は人牛さん。



(四年七月十一日 あとがきにTIPS追加)

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