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物怪伝 鬼の章  作者: 犬尾南北
大倭篇

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34/85

第漆話 如件(十)




        20




 刻一刻と強くなる雨が吹き荒れる中で、異形と少年たちとの攻防は一層の激しさを増していた。


「又如日天子、能除諸闇、此経亦復如是……」


 法華経の読誦どくじゅを一心に続けながらも、慧の瞳は絶えず変わる戦況を見守る。そして状況の悪さを実感していた。

 臭気が鼻につく風は不気味に矢鱈と生暖かい癖に、肌を打つ雨は氷のように冷たい。初夏の薄生地な制服である彼らから容赦なく体力を奪ってゆく。

 慧は半腰で座って合掌し、時折に激しく数珠を鳴らす。その背後では、文太が同じく手を合わせながら教えたまじないを繰り返す。彼らの足元には大きく円を描くようにして梵字と共に水除の呪文が書かれてある。「天水地水皆是仏水」……仏法の威力で水害を除ける文言であるが、台風でもない雨風程度に対しては然程の効果は実感できなかった。

 よくあるファンタジー小説のように、バリアか何かで雨を凌ぐことが出来れば良いのだが……と頭の隅で慧は思うが、残念ながら僧侶として未熟な彼ではそこまでの強度で結界を維持することは出来ない。

 風に含まれている毒素を除外する“場”を設置して、しかも地面に固定化されたそれを何とか継続させる程度。それが彼の現時点で行使できる、せめてもの全力だった。


「能破一切、不善之闇……」


 慣れていることとは言え、いい加減に舌も疲れてきている。ただでさえ早口気味な読誦なのだ。

 とはいえ、泣き言を漏らせる場面でもなかった。

 現在はまさしく生死を別ける分水嶺だった。


「このッ、なんで効かないのよッ……!!」


 密集した牛鬼の巨躯の間をちょこちょこと駆け、その光り輝く拳で殴り回っていた葵が息も絶え絶えに叫ぶ。

 彼女が生み出した一流の秘儀「拳の祓」が、先の男と同じく、この地中から現れた彼らにも大した効力を発揮していない。

 少女の両拳に込められた力は、彼女の霊力を呼び水にして降ろされた神気である。彼女の天賦の霊質と高い実力によって織りなされたその呪術は、不浄なるもの全てに対して威力を持つはずの、殴打で以て祓い清める物である。

 ……それが大したダメージを与えられず、多少の痣を与える程度に留まっている光景は異常と判断すべきだった。


 対し、同じくヒット&アウェイで駆ける一方の少女はと言えば、こちらの方はどうも比較して攻撃が通じていた。

 柚葉が腕を掲げるたびに腕輪が銀色に輝き、同時に何処からか空中へと炎の塊が立ち現れて牛鬼へ向かう。葵と異なって、それは確かに彼らの皮膚と毛を焼くのである。

 ただし、その傍から激しい降雨によってすぐに鎮火してしまう上に他の個体が乱入してくるため、中々倒すには至らない。


(炎……いや、物理なら通るのか?)


 霊視が苦手な慧の目にも、柚葉が扱う炎術の絡繰りはおよそ見えていた。


(不可思議な術だ……)


 基点となっているのは右手首の腕輪である。

 転校初日から校則違反の装飾品とは肝が据わっているとは感じていたが、ああも炎を操る度に銀色に輝いていれば自然と気がつく。

 しかもあの腕輪は、おそらく呪術行使の媒介である呪具というよりも、海外小説で見かけるような魔具マジックアイテムと呼ばれる類のものだろう。彼女の肩にしがみ付いている妖狐と霊的な経路が繋がっていることからすると、その妖力を少女が扱えるように制御・転換する装置である。

 何故自前で呪術を行使せずに、態々そのように面倒な手順を踏んでいるのかは分からない。慧も最初は炎を柚葉自身の呪術による物だと思っていたが、戦闘の様子を観ているうちに本人の霊気は殆ど使用されていないことに気がついた。


(あの緋崎を名乗る奴が、まさか霊力を扱えないなんてことはないはずなのに)


 炎を扱う程度ならば人間の霊力と妖怪の妖力とで、威力などに然程の違いは無いはずで……そもそも他人の気を利用しようとする方が不効率な上に難易度も高いだろう。

 見れば見るほどに、奇妙でおかしな術を扱っている。

 ともあれ、緋崎に対する考察は今にするべきことでもない。

 焦点とするべきは、そうして生成されたそれら炎が、性質的には純粋な熱エネルギーでしかないという点である。

 慧が見る限り、あれらは霊的な制御を受けてはいるものの、制御されているそれ自体はただの高運動な分子の集合体だった。

 神秘の塊で戦っている葵に対し、柚葉は物理で戦っている。

 それが、二人の攻撃力の差に繋がっているのかもしれない……と彼は考えたのである。

 明らかに異形な怪物であるというのに神秘が効かないというそれが、一体どういう訳なのかは分からないが……。


 とはいえ、そうなると今度は打つ手がなくなってくる。


 慧も葵も、霊力を扱う純粋な呪術師だ。文太に至っては一般人。

 少なからず痣を与える程度には葵も戦えているという事実は、単純に彼女の腕力が恐ろしいという、わりと拳を振るわれる身としては知りたくもない事実を示しているが、ともかく彼ら三人は有効な手立てを殆ど持ち合わせていない事になる。

 そうして頼みの綱になるのは柚葉となるが、彼女一人では怪物四体に太刀打ちしようがない。

 結界を張る慧と除災の呪いをする文太を守るようにして、その周囲を少女二人が怪物たちを相手に飛び回る……そんな無茶な戦法で、しかし未だに五体満足で誰もが生存できていること自体が奇跡に近い偉業であった。


(どうすればいい……何が出来る……)


 慧は必死に口を動かしながら、同時に頭も働かせる。

 汗と雨で体はとっくに凍えていたが、しかし心の臓までは冷え切ってはいない。

 皆で生き延びるために、彼は懸命に活路を探す。

 そんな折に、ふと過ぎる脳裏の雑音。


 ――()()()()()()


(煩い!)


 心中で怒鳴る。

 思考の邪魔だ、黙ってくれ――そう浮かべる慧に、しかしその雑音は言葉を続ける。


 ――だって君、八方塞がりだろう。


 自分と全く同じ声質のそれが、呆れたように嘯いた。


(お前なぞ居ない、存在しない。いい加減に消えてくれ)


 瞬間にして不快感が天元突破した慧の眉が寄り、諳んじる経の韻律に乱れが生じる。

 この雑音はいつだって慧の心を好き勝手に掻き乱すのだ。

 しばし置いて、


 ――まあ、いい。()()()()


(……“彼”?)


 聞き慣れぬそれに固まると、代わりに然も親し気な言葉が返ってきた。


 ――君と、そして僕のお友達だよ。


 ほら雨も止む――そう述べた声に、ハッとして慧は顔を上げた。

 脳裏に響いていた言葉の通りに、唐突に雨の勢いが衰えてゆく。

 毒の臭気を運んでいた生暖かい風も、何処へともなく消え失せる。

 元から立ち込めていた霧も透けてゆき……、上げた視線の先では静かになった黒雲が途端に晴れ渡ってゆく。

 雲間から現れるのは――満天の星空である。


「まさか……」


 あまりに急激な変化に、思わず読誦をやめて呟いた。

 慧の横では、同じく口をぽかんと開けた文太が居る。

 周囲においても、牛鬼たちですら戸惑ったように攻撃の手を止めていた。その隙に少年二人の下へと少女二人が戻ってくる。


「助かったけど……なにコレ」


 言葉少なに不審がる葵を余所に、柚葉は鋭い視線で辺りを見渡している。

 肩の上で狐が囁いた。


「奴だ」


 それに柚葉が頷いたところで……声が響く。



「アア、成る程。漸くの登場だ」



 牛鬼の後方で、彼らを召喚して以来ずっと沈黙を貫いていた長身痩躯の男――異界の主である「ジンゴさん」だろう怪異が口を開いている。

 俯いていた顔を上げて、何処か明後日の方向へと顔を向けている。


「実験は済んだ。確証は得られた」


 晴れ渡った空から降り注ぐ星明りが、男の顔を照らし出す。


「万事が順道である」


 落ち窪んだ眼孔の底で、泥のような瞳が輝いていた。


「後は君だ」


 静かな狂気が、言葉と共に空気中へと溶けてゆく。


「君を殺せば……私は解放される」


 重苦しい静寂。


 ごくりと、慧の横で文太が息を呑み込み……。



「――はて、一体何からの解放か」



 声は背後からやってきた。


「え――」


 驚いた少年たちが振り向くと同時に、ドン――と重々しい破砕音が響き渡る。

 土埃が風で舞い、彼らのそばを巨躯の何かが駆け抜ける。


「あ」


 誰かが間抜けな声を漏らした。

 見紛うはずもない。

 さっきまでそれらは、その巨体で彼らを囲んでいたのだから。


 牛鬼。その四体すべてが、割れるほどに地を蹴って、恐ろしい高速度で以て少年たちの後方、畦道を十数メートル行ったところに立っていた誰かの下へと飛び込んでいった。


 そして、次の瞬間には細切れとなった。


「……は?」


 葵が呆然とした顔で固まった。文太も同様で、冷静を装えているのは剣王鬼の存在を知っていた慧と柚葉くらいである。


「あ、あの怪物が一瞬で……」


 文太が慄くなか、幾つにも腑分けされた怪物の血肉がドサドサと道や水田の中へと落ちて、流れ、赤く染めてゆく。

 その一帯だけに、まるで血液が沸騰でもしたかのような赤々とした霧が局所的に生じている。


 そうして――ざり、と。


 草葉を踏みしめ、その血霧の向こうから影が現れた。


「ひぃっ」


 新たな怪物の登場を予感した文太が、早速とばかりに悲鳴を上げる。

 だが――。


「……人?」


 怪訝そうに葵が呟く。


 そこから現れ出でたのは、一見して人の形であった。異様な身なりと登場である、というそれに目を瞑るならば人である。

 まず血のカーテンを潜ったにも関わらず、身体や衣装のどこにも汚れが見当たらず、そもそもその服装という物が麻で織られた幾重もの白い着物である。

 どこか修験者を想起させるそれが簡素な衣である一方で、腰には金銀の豪奢な装飾が施された直刀を佩き――そして、顔は面で覆い隠していた。


(……能面か?)


 予測していた存在とは異なる装いである事に動揺しながらも、慧は考える。

 新たに現れたその男が被っている面は、能楽で扱われる能面、さらにその中で翁面と呼ばれる物によく似ていた。

 顔全体を覆うそれは黒い木肌で出来ており、彫られた表情は微笑で固まった老人である。細められた瞳の上には眉が、そして口元や顎先には長い髭がそれぞれ白い毛で植えられている。

 黒い地肌に翁とくると、黒式尉という能面を思い浮かべるが……彼の面は明らかにそれらとは異なっていた。


 ()()()()


 不気味な笑みで固まった黒い翁面の額に、三本の角が生えている。太い一本を中心にして、細めの二本が左右に在った。

 角が生えている能面もあるにはあるが……いわゆる般若や一角仙人のそれらとも異なる。

 こんな拵えの能面は、少なくとも慧は見たことが無かった。


 そのように観察している間にも、その異相の男は静かに畦道を進んでくる。


「お、おい、こっち来るぞ……」


 敵なのか、味方なのか。そもそも彼奴は人間なのか、それ以外なのか。

 全くとして状況が分からない中で文太は完全に腰が引けていた。

 葵も構えてはいるが難しい顔をしているし、柚葉も先からずっと狐との内緒話に忙しい。

 慧もまた、どういうことなのかよくわかっていなかった。


(腰のあの刀は見覚えがある)


 ならば、やはりこの男は蓮の身体を使用している剣王鬼なのか。

 だが、それにしては何処か……。

 男の纏う雰囲気に、慧は違和感を覚えていた。


 その内に、何事も無く男は警戒する少年たちの傍を歩いて過ぎてゆく。


 異界の主に向かって進み続け離れていく背中に、誰ともなく詰めていた息を吐きだした。

 何者かは依然として分からないが、とにかくその目的はあの怪異らしい。


 そして、その怪異の目的も、どうやらあの男である。


 互いの距離が十メートルほどまで狭まったところで、男は足を止める。

 相対した異界の主が、声を上げた。

 泥のように濁った瞳は危険な光で輝き、黒髭に覆われた口元からはネットリとした言葉が零れ出る。


「気分は如何かな、夜麻登翁(やまとおう)……」


 と、そこで彼は大仰な身振りで掌を向けた。



「イヤ、此処は天城王ティェンチァンワンとでも呼ぼうか」



(チェン……何だって?)


 唐突な中国語らしき単語に慧が耳を疑ったところで、異相の男が静かに答えた。


「――如何にも」


 若者のようでもあり、老人のようでもある、低い声だ。


「我こそが妖仙天城真君ようせんてんじょうしんくんである」



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