第陸話 七夕(一)
1
「おー、賑わってるじゃん」
道端に並んだ出店を眺め、文太が感嘆の声を上げる。
「当然よ」
その横で両腕を組んだ葵が、ふふんと鼻を鳴らす。
時刻は夕方、午後六時。夏の空も暮れ始め、薄暮とまでは行かずとも辺りには薄闇が下りてきていた。
本日は七月七日――七夕である。
民俗学においては中国から伝来した織姫と牽牛の伝説が、日本古来の習俗である棚機と習合して出来たものが現在に続く七夕ではないかと考えられているが、ともあれ七夕行事は全国的に広く知れ渡り、実践されている。
それはこの赤沼町においても例外ではなく、数年前から地元の商工会が七夕夜市と称した祭を開催していた。
産土である金堂神社の境内から、石階の麓の道端までを様々な屋台が埋めていて、田舎ながらに盛大な催しである。
屋台の軒下に吊り下げられた電灯の明かりが点々と連なり、夕闇の道を照らし出していた。岡上の境内へと続く石段の脇には短冊だらけの笹が等間隔で設置されていて、涼風に葉を揺らしている。
すでに日曜日であり、先に怪奇探偵団が異界へと囚われた事件から早くも一週間が過ぎようとしていた。
はしゃぐ二人の後ろに蓮と慧も続く。
ただし、その彼らの間にはどこか距離があって余所余所しい。
蓮が剣王鬼を受け容れたと火曜日の放課後に打ち明けて以降、どちらともなくギクシャクとしていた。
その空気を察して戸惑っていた二人が、彼らをこうして七夕祭りに引っ張り出してきたのは、おそらく友人なりの気遣いだった。
「短冊はちゃんと持ってきたわよね」
振り返った葵が問う。蓮と慧が、それぞれ頷く。
「ちゃんと里芋の朝露で墨をすったぜ」
蓮がにやりと笑えば、「こいつマジかよ」という目で文太が凝視する。
「素晴らしい!」
葵は手を叩くと、
「それじゃあ屋台をまわる前に、短冊を飾っちゃいましょ」
先導する少女に少年三人が続いた。屋台が並ぶ中を歩いていく。蓮と慧の間に空いた場所に、するりと文太が入り込む。
「なあ、二人はなんて書いたん」
両脇の顔を交互に眺め、「ちなみに、おれはこれ」と言って掲げた短冊には「身長が伸びますように」と書かれてある。
「去年と同じじゃん」
「代り映えしないな」
蓮と慧の声が重なった。気まずそうに顔を見合わせた彼らの間で、不服そうな顔で、しかしどこか弾んだ声音で文太が言う。
「別にいいじゃんさ、おれにとっては死活問題なの」
ちょうどそこで、神社へと登る階段元へとたどり着いた。
少女が身を翻して腰に手を当てる。
「チビタの身長はどうでもいいけど、たしかにちょっと気になるわね」
「おい」と低い声を出す文太に頓着せず、葵は自分の短冊を取り出した。
「わたしはこれよ」
そこには達筆で「妖魔退散」と書かれている。
「葵も去年と同じじゃないか」
指摘した蓮に続き、そうだそうだと文太も頷く。
「どうせなら、恋愛成就と書きゃあ――」
言い終わらないうちに少女の拳が彼を襲った。文太は「ぐへえ」と残してダウンする。
相変わらず葵は初心だなあ、などと見当違いのことを考えながら、蓮も「じゃあ」と自分の短冊を出す。
「なになに……」
寄ってきた葵が読み上げた。
「無病息災……ジジイかあんたは!」
頭をはたかれ、蓮は「ええ!?」と嘯いた。
彼女の視線は残りの一人へ、キッと向く。
睨まれる形になった慧が、うっとたじろいだ。
「あんたは?」
問い詰める葵に、少し逡巡してから彼も短冊を取り出した。それを奪い取って葵が読み上げる。
「来年も皆が共にいますように……」
短冊を持ったままで少女が固まる。蓮と文太も動きを止め、慧はすっと視線をあらぬ方向へと逸らした。
しばしの無言を経て、
「こっぱずかしいこと書いてんじゃないわよ!」
再起動した葵が短冊を慧へと放る。ぺらぺらの薄紙のはずなのに、どういう原理かそれは空気抵抗を無視して勢いよく飛び、べたんと音を立てて彼の顔へと貼り付いた。
「まったく、まったく……」
ぶつぶつと呟きながら、葵はさっさと階段を上って行く。
「どうせなら、一番上の笹につけるわよ!」
言う彼女に、残された面子も続いて石段を上る。金堂神社のそれは大して長いものではないので、既に少女は境内傍の一際大きな笹へと自分の短冊を括りつけていた。
上りながら、蓮はそっと慧の顔を見る。
何やらそばで文太にイジられているものの、彼の顔色は葵などのように赤くもならず、ひたすらに真剣そのものであった。
視線を前へと戻して、蓮は思う。
剣王鬼を受け容れるということは、魂の余命が一年間となることを意味する。つまり、今のまま行くと蓮は来年の今頃には存在しない可能性が高く――。
「……諦めてないのか」
ぼそりと呟いた。
文太が笹へと向かったところで、慧も小さく返す。
「……ああ」
2
皆が笹に短冊を飾ったのちは、そのまま境内へと入り次々と露店をひやかした。
調理が禁止されている境内の中では射的やフリーマーケットなどを見てまわり、再び麓へ降りると定番ものである焼きそばなどをいくつか買い食いする。
から揚げの店で一緒に赤飯の握り飯が売られているのを見て、
「せっかくなら、ちらし寿司があればいいのに」
と、ぼやく蓮に
「いや、鮮度」
と文太が突っ込む。
そうしているうちに日は完全に落ちて、時刻も午後七時を過ぎた。七夕夜市は六時に始まり八時半が終了なので、ちょうど最盛の時間である。
一時間前より増えた人波を眺めてから、わざとらしく時計を確認した葵が叫ぶ。
「あっ、手伝いがあるの忘れてたわ!」
そして三人に向くと、
「ごめん! そういうことだから!」
そう言い残し、返事も待たずにすたこらと神社のほうへ去っていく。
「……家の手伝いかな」
唖然としたまま、蓮が呟く。
金堂神社は葵の実家であった。境内を提供している関係で、何かしらの手伝いでもあるのだろうか。
そう思った矢先に、今度は文太がわざとらしい声を出した。
「おっと、おれも今晩は親が遅いんだった!」
携帯電話を開くと何やらメールを確認するような素振りをする。
「うっかりしてたぜ。チビどもが待ってるからさ、ごめん帰るわ!」
そしてサッと片手を上げて、
「二人は気にせず、祭を楽しんでくれな! じゃあ、また明日!」
そのまま彼も返事を待たずに走り去っていく。
「お、おう……」
「また明日……」
同じように手を上げた慧と蓮だけが、後には残された。
――ここまで来れば、たとえ鈍感な蓮であろうとも流石に察するものがある。
「……気を遣わせたかな」
呟いた慧に「うん」と頷く。
「ひとまず」
と言って、蓮は喧噪の端の方へと視線をやる。
「話せるところに行こうぜ」
3
祭りの喧騒から離れ、二人は連れ立って路辺の縁石へと腰を下ろした。
距離としては十メートル程度しか離れていないが、露店の明かりもそこまでは届かず、大分に宵闇に浸る空間だった。
顔を上げれば、星がよく見えた。
赤沼町自体は田舎とはいえ、そばにある他の街は近辺の地方都市としての中核を担うに相応しい場所ばかりなので、年中に良い星空というわけでもない。
街の明かりで空が照らされ、星が遠い日も少なくないので、こうしてはっきりと星図が広がる夜は貴重なほうである。
しかし蓮には天文の事などたいして分からないので、天の川が綺麗だな程度の感想だった。
「どれが彦星で、織姫だろう」
ふと零せば、横から腕が伸びる。
「彦星……わし座アルファ星アルタイルはあれで、織姫、こと座アルファ星ベガはあれだ」
指し示す彼に、蓮は驚いたように呟いた。
「知らなかった。星に詳しいんだな」
「……まあ、見りゃわかる」
腕を降ろし、顔を上げたまま答える。
少しの間その横顔を眺めてから、蓮も再び天を仰いだ。
「なあ」
しばらくして、慧が呟く。
「うん」と蓮が答えたところで、彼は続けた。
「さっきも言ったけどさ、やっぱり俺は諦めないことにしたよ」
「……そっか」
「自分の人生は、自分のものであるべきなんだ。他人のために蓮の寿命が減るだなんて、そんなのはおかしいぜ」
妙に実感の籠ったような言葉を吐き出して、それから慧は蓮へと向き直る。
「俺は絶対に、君を助ける」
信念を感じる瞳に、蓮は少しだけたじろいだ。
「でも僕は……」
「いくら蓮が納得してようが、関係ないな」
慧はまるで誰かのように鼻を鳴らすと、自信すら感じる口調で言う。
「君だって相談なしに好き勝手するんだから、俺だって好き勝手させてもらうぜ」
……横暴な論理ではあった。
だが、しかしそれこそが普段から葵や蓮自身が彼らを相手に貫いていたものであった。
だから蓮は、
「……そっか」
とだけ再び呟いて、また空へと視線を上げる。
慧も顔を戻し、祭の傍らの道路端、その薄闇のなかで少年二人は星を眺めた。
明日の月曜日からは、また普段通りに接することができるだろうと予感する。
苦ではない静けさが落ちたところで、――そこに第三者の声が割り入った。
「――ふうん、青春ねえ」
背後から漏れた女の声。
それにびくりと飛び上がった彼らが見下ろせば、縁石の向こう側、草葉のなかで一匹の白猫が毛づくろいしている。
「猫又……」
揺れる二本の尾を見とがめ、慄くように慧が呟いた。
「白夜――」
思わず言いかけた蓮に、猫が鋭い視線を飛ばす。
「――さん」
慌てて付け足した彼に、隣の慧が問い詰める。
「知ってるのか……!」
肯いた蓮は、「剣王鬼の同輩だ」と返す。
慌てたように取り乱す二人の前で、猫又の妖怪――白夜は、我関せずとのんびり顔を擦っている。
「何しに来た」
気を取り戻した慧が、冷たく言い放つ。
白夜はようやく前足を降ろすと、毅然とした態度で語りだす。
「失礼ね。わたしはよい話を持ってきてあげただけなのに」
話が見えず、少年二人は顔を見合わせた。
「今朝ほど知ったのだけれど、この辺りにもあったのね……」
しみじみと語る猫に、蓮が恐る恐る尋ねた。
「えっと、なにが?」
その彼の顔を見上げ、彼女は静かに続ける。
「――機織淵」
獣の黄色い瞳が、妖しい光をもって蓮を見つめた。
「ね、坊やは興味あるでしょう?」




