第伍話 咒師(二)
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「お邪魔しまーす」
玄関でそう宣言する蓮に、慧は上框を上って言った。
「親父は法要でいない。好きに上がってくれ」
すたすたと廊下を進んでいく彼の背を、蓮も慌てて追いかける。
慧の実家を訪れるのは、これが初めてではない。今までにも怪奇探偵団の活動で、度々に集まることがあった。
石泉寺の本堂となりにある民家が不死川家の居住区である。
途中、廊下の棚に置かれた写真立てが目に入った。
ここの山門前に並んだ四人の男女が写っている。おそらくは今年の正月に撮った物だろう、見覚えがあった。顔ぶれは慧と父親、そして姉とその婚約者だ。
「そういえば紫さんはお元気?」
尋ねた蓮に、疲れた声音で慧が答える。
「どうだろう。アメリカに行ったきり、相変わらず音沙汰なし。……まあ、たぶん元気でやってるんじゃないかな。振り回されてる松田さんの姿が目に浮かぶよ」
「……なるほど」
数度だけ会ったことのある彼の姉、その強烈な性格を思い出して苦笑したところで、慧が振り返った。
ちょうど彼の部屋の前である。
「先に中で待っててくれ。俺は茶を入れてくる」
そう言って踵を返す背中に、
「ジュースでもいいぞ!」
「はいはい……」
おざなりな返事で廊下の角に消える。
それを見送ってから、蓮は襖を開けた。
「相変わらず片付いてんな」
八畳程度の和室は、整理整頓されているのもあり非常に広く感じる。
東西に長方形で、東は障子とガラス戸で庭に面し、南は押し入れ、北は壁である。壁際には本棚が幾つも並んでいて、ぎっしりと小難しそうなタイトルの背表紙が並んでいた。他には小型のテレビと古い型のラジカセがあり、部屋の中央には卓袱台が置かれている。
蓮は勝手知ったるなんとやらという様子で座布団に座ると、机の上に置かれていたリモコンでテレビを点けた。
薄い板に電力が通り、ノイズと共に報道番組が立ち上がる。
『……それでは次のニュースです。静岡県三浜市内で、昨日の午後六時頃から複数の児童の行方が分からなくなりました。静岡県警は先日に三人の児童が失踪した事件とも関わりがあるとの見解を発表し……』
女性アナウンサーの読み上げる原稿に、リモコンを持ったまま指が固まった。
同様の内容は今朝の速報でも流れていた。部活でも議題に上がった。行方が分からなくなった児童とは、つまり――“とうやさま”の被害者たちだ。
「大事になってるよな」
振り返ると、盆を持った慧が立っていた。
彼は後ろ手で戸を閉め、グラスや菓子の載った盆を机に置くと、部屋の隅から座布団を引っ張ってきて、蓮の斜向かいにと座る。
「ありがとう」
グラスには冷茶が注がれていた。それをひとつ手に取り、口を付ける。夏の日差しで乾いた喉が潤っていく。
蓮は横目で慧を見た。
同じようにグラスを手に取り、その視線はテレビの画面に向けられている。
少しの間を置いて、蓮は平鉢に盛られたおかきを指さす。
「……食っていい?」
「どうぞ」
肯いた慧にひとつ取れば、彼もそれに続いた。二人は黙ったまま、部屋に個包装を開ける音と噛み砕く音が響く。
二人ともに視線はテレビの画面に向けられていたが、実際には互いを意識し合っていることを互いに認識していた。
しばらく無言が続き、そして夕方の報道番組もとうとう終了してコマーシャルへと切り替わる。
意を決した蓮が口を開こうとして、
「――“とうやさま”の被害者、その遺族にはじきに説明がある」
遮るようにして慧が話し出した。
「俺と神谷が報告したからな。呪術協会が動く」
瞳を瞬かせていた蓮は、戸惑った声を出した。
「えっと……呪術協会?」
慧は頷くと、そばの本棚から幾つかの本を抜き取った。「霊子生物学」「現代神霊学」などの、オカルトマニアの蓮からしても胡散臭いと感じる題字がちらりと見える。そして彼はその内の一冊、薄い冊子を卓袱台の上に置いた。
表紙には見たことのないゆるキャラと共に「よくわかる咒法」のタイトルがあり、その下には「内閣府宮内庁 日本咒術協会」の文字があった。
「これは……」
目を丸くする蓮に、慧が言葉を続ける。
「この国には日本呪術協会という組織があるんだ。俺も含めて、国内の呪術師は皆がそこに所属している」
噂ぐらいは聞いたことないかと聞かれ、蓮は首を振ろうとして思い至る。
「あ、……そういえばオカ板で見かけたことあるかも」
それになるほどと呟いて、慧は冊子を指さした。
「国民統計に見鬼が少ないのと、基本的に情報統制されるから一般には殆ど認知されていないけれどね。ファンタジー小説で見るようなこういう機関が、実際には存在している」
彼は蓮の顔を見やる。
「蓮はもう察していると思うけど、呪力ってのは武力だ。平和な社会を実現するためには法律と監督する行政が必要で、それが呪術協会。……ただ実質は、妖怪を対処するために、それができる呪術師を管理したり派遣する役割のほうが強いかな。まあ、呪術師や妖怪専門の警察みたいなものだと思ってくれていい」
最後にひとつ息を吐き、彼は視線を蓮の手元に移した。
「ちなみにその咒法ってのが、呪術の利用に関する法律のことだ。正しくは呪的技術郡とその運用に関する法律……だったかな。これも一般の認知度は低いけれど、一応は法律書にだって隅のほうにちゃんと載ってるんだぜ」
「……はあ」
曖昧な返事をして、蓮はぺらりと冊子をめくった。
普段ならば垂涎物の話題だったが、どうにも話に身が入らない。友人が本当にしたがっているはずの話題を避けているからだろうか。
何とはなしに、手元の文章へと目を走らせる。
「呪的技術郡とその運用に関する法律」。
そしてそれをはじめとする十三の法律を、俗に咒法と呼ぶ。これらを根拠として日本咒術協会は運営されている……らしい。
行政法の他にも刑事法などの多岐に渡っているようで、「凡そ厭魅呪詛、蠱毒等を行い、呪殺を図る事に対する刑罰」などの条文も見える。
しかし法律になぞ微塵も興味が湧かないので、次々に頁をめくる。
すると呪術協会自体に関するコラムが目に入った。
「日本咒術協会」。
内閣府宮内庁管轄の特別の機関。国家の霊的安全を保障することを第一義として活動する。最高責任者は世襲制であり、天皇が務める。
国内の「呪術師」(巫覡、神職、法師、陰陽師など、あらゆる咒を行使する技術を持つ者、呪術・宗教的職能者)を総括管理するために、明治時代に陰陽寮を廃して設立された。
あらゆる呪術師は当機関のもとで職能者として登録され、事態に応じて運用される。未登録の者は処罰対象となる他、法を犯した呪術師や著しく強大な第三種生命体に関しては、機関内の執行部が対処を行う。
様々な点で警察組織に近い行政機関であるが、所属する呪術師が公務員と民間人で構成されている点(半官半民の機関)が特殊な差異となる。
機関単体に宗教性はないが、呪術の性質上による副次的な立場として全国の宗教法人を包括して監督する権限と責任を持っている。……
「色々ツッコミたいところがあるけれど……」
ざっと目を通したところで、蓮は小さく首を傾げた。
「まずさ、この第三種生命体ってなに?」
「ああ」
慧は頷くと軽い調子で答える。
「それは単に、いわゆる妖怪のことだよ。あっちの学術用語でね、第一種が俺たち人間や動植物、第二種が精霊、第三種が妖怪や神霊を指すんだ」
すらすらと裏の常識を答える彼を横目で眺めて、再びふうんと呟いた。
「他には聞きたいことある?」
言う慧に、蓮は逡巡してから読み上げる。
「宗教法人を監督するってあるけれど……」
「ああ」
またしても即座に頷いて、
「監督と言っても、大した意味も影響もないよ。呪術と宗教は切っても切れない関係だからってだけ。とくに伝統的宗派はね」
「……伝統的宗派?」
蓮が繰り返せば、慧が補足した。
「昔からある宗教のことかな。神道なら神社神道系に教派神道系。仏教は十八宗諸派。キリスト教なら旧教に新教……」
「へえ」
相槌を打つ蓮を横に、慧は小さく息を吸って、「それから」と言う。
「ただ、その他の……道教や陰陽道なんかは少し特殊になる」
興味を引く単語に、蓮は顔を上げた。
「そもそもね、そこにも書いてあったと思うけれど呪術協会自体が陰陽寮を前身とした組織なんだ」
言う彼につられて目を落とせば、たしかに「陰陽寮を廃して設立」と書かれてある。
「この国には古くから神道系、仏教系の呪術信仰があったけれど、平安時代以降に宮廷で権勢を振るったのは陰陽道……だってのは、まあ蓮も知ってるよね」
肯く。オカルトマニアたるもの、陰陽師は大好きだ。
「そんな幕末まで権威を誇っていた陰陽寮をもとに設立されたから、半ば順道なものとして呪術協会では陰陽師が強い影響力を持っている。……ただでさえ陰陽師は多いしね。呪術協会所属の呪術師だって、その過半数が陰陽師なんだ」
「めちゃくちゃ多いな」
驚いた声を上げれば、慧は苦笑した。
「なにしろ日本の民間呪術師って、大抵が陰陽道辺りの流れを汲むから……」
そして咳を一つ。蓮が視線を上げると彼は続けた。
「そのなかでも特別扱いされる一族が幾つかあって……裏八色と呼ばれている」
「うらやくさ?」
「裏表の裏に、八つの色で八色。歴史の授業で八色の姓って習っただろ、それと同じ字」
蓮は曖昧に微笑んだ。
「……まあ、いいけどさ。八色の姓が貴族に与えられたように、裏八色も天皇から称号を与えられた一族のことだよ。いわば天皇からその実力を認められた、国家お抱えのエリートな術師一門ってところかな。昔も今も、官人陰陽師は殆どが裏八色の一族から選出されている」
そこまで興味深そうに聞いて、ふと蓮は思い出す。
八色の姓……たしかに以前の授業で習っている。そういえばあれは、官人の身分階級的な制度ではなかったか。
「じゃあ、もしかして階級とかも」
慧は「ある」と頷いた。
「認められた実力に応じて、明暗顕漠の濃淡で表現される位階を賜与される。公務の場では、各家の宗主はその色に染められた衣冠を身に着ける習わしがあったりするね。与えられる色は、上から順番に真緋、黒緋、烏羽、山鳩、卯花、白縹、千歳、浅葱」
蓮の顔を見て、「要は赤、黒、白、青の色さ」と慧は言った。
「現在の裏八色は、真緋の土御門家、黒緋の勘解由小路家、烏羽の大中臣家、惟宗家、山鳩の中原家、大津家に、卯花の清科家と大春日家、そして……」
一拍置いて。
「千歳の緋崎家だ」
その顔に、ああ、ようやく本題が来る――と蓮は思った。
居住まいを正した慧は、ジッと彼の瞳を見つめる。
「……なあ、蓮。本当に緋崎が倒したのか?」
(三年二月二十六日、一部改稿)
(六年十月二十日、一部改稿)




