表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
物怪伝 鬼の章  作者: 犬尾南北
大倭篇

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/85

第伍話 咒師(一)




        0




 その座席は窓際で、アルミサッシ越しに正門の様子が見下ろせた。

 第三高校の玄関口は舗道の両脇に満開の木々が並んでいて、風で花弁が舞い散る様子はとても詩的な光景だった。

 桜並木を続々と潜る新入生たちの弾んだ声が、開け放された窓を超えて三階の彼のもとまで聞こえてくる。


「なあ、今大丈夫?」


 背中越しに掛けられた声に、彼は視線を切って振り向いた。

 小柄な少年が立っている。無意識に小学生かと錯覚しそうになるも、真新しい学生服の胸元には彼の物と同じ造花が飾られているので、同じ新入生なのだろう。

 まず、明るい癖毛が目に入った。

 親し気に笑みを浮かべた顔は、やはり幼い印象だ。

 隣の席に荷物を置いている。


「おれ、千田文太。北中出身。よろしく!」


 差し出された手を、彼も握る。


「不死川慧。西中出身。こっちこそ、よろしく」


 握手を離すと、文太はどっかと自分の席に座る。


「よかったら、おれのことは名前で呼んで。……あ、慧って呼んでもいい?」


 彼が頷くと、文太は「ありがとう」と言ってから、


「しっかし……慧ってすげえイケメンだな。モデルとかやってたりする?」


 しげしげと眺めてそう零す。

 聞きなれた質問だった。


「いや、そういうのは全く……」


 薄く苦笑して否定すれば、「またまたァ!」と文太も否定する。

 これもまた、初対面ではよくある応酬だった。

 この後を読んで若干の辟易を感じたところで、しかし文太はあっさりと追及を切った。


「……そっか、人気でると思うのにもったいねえなあ」


 少し拍子抜けした感覚で、彼は改めて目の前の少年を眺める。

 今までの周囲に居た不躾なタイプかと思いきや、どうも、ひとの機微には敏感な性質の男らしい。


「えっと……」


 困ったように頬を掻く少年に、ハッとする。


「あ、いや。仲良くなれそうだと思ってな」


 慌てて弁明するようにそう口走った彼に、文太は安心したように笑った。


「なんだ……そっか! それならよかった」


 それから二人は、いくらかの雑談を続けた。

 彼らは早めの時間に着いてしまったため、入学式まではまだまだ時間が余っていた。


 ――そんな折である。


「それでさ、そのとき……」


 笑う文太の向こうに見知った顔を見つけて、思わず彼の視線はそちらに吸い込まれた。


 不機嫌そうな、どこかつまらなさそうな顔。

 ずんずんと大股で歩くたびに、肩口で揃えられた黒髪がふわりと浮かぶ。

 女性としても小柄な体躯は真新しいセーラー服に包まれていて、その胸元にも彼らと同じ造花が揺れていた。


「おいおい、どこ見て――おぉっと」


 彼の視線の先を辿った文太が、何やら驚嘆染みた声を漏らす。


「えっ、すっげえ美人」


 文太と似たり寄ったりの声が、男女問わずに教室内でちらついた。

 それらの声を気にも留めず、少女は座席表を確認するなり、一言も喋らずにどっかりと座る。

 ……先ほどの文太よりも男らしい座り方だった。

 そしてそれに、近寄ろうとしていた学生も躊躇して足を止め――


「……」


 少女から向けられた無言の睨みに肩を落とし、すごすごと立ち去った。

 戻った先で慰められている少年に鼻を鳴らすと、少女は不機嫌顔のまま顎杖を突き、今度はジッと黒板を睨み始めた。

 浮かれていた教室の中が、途端、その席を中心にしてどことなく緊張した空気で満たされていく。


「……いや、美人だけど、なんか……おっかねえな」


 ぽつりと文太が呟いた。そして彼に振り向くと、


「センセ、ああいうのがお好みで?」


 秘密を告げるように囁いてくる。


「いや、そういうのじゃない」


 手を振る彼に、しかし文太は悪戯げな笑みを浮かべる。


「本当かなあ? さっきの様子はどう見ても……」

「……勘弁してくれ」


 彼はひとつ息を吐くと、


「ただ、知った顔だったから見てただけさ」


 文太はきょとん、としてから納得顔になる。


「……ん? ああ、もしかして同中?」

「いや」


 何も考えずに否定してから、彼は目前の顔が怪訝そうなものになっていくのに気づいて慌てて言い足す。


「……家の関係で――」


 しかしその言葉は続かなかった。



「――蓮っ!」



 弾んだ声が、教室に響き渡る。

 同時に、室内の声がぴたりと止まった。彼や文太に限らず、皆が皆、驚愕の表情で声の主を見つめていた。


「おっそいじゃない! さっきまで正門で待ってたのよっ!」


 声の主――先まであれほどに不機嫌そうだった少女が、椅子を蹴り飛ばすようにして立ち上がっていた。

 その視線の先は、教室前方の出入口。

 そこには少年が一人立っている。


「ホントごめん、父さんがいないの忘れててさ、起きれなくて……」


 中肉中背で、おとなしそうな顔に黒縁眼鏡。地味な印象を与える少年は真新しい学生服で、胸には造花。

 申し訳なさそうに手を合わせる少年のもとに、ずんずんと寄ると少女は両腕を組む。


「まったく……どうしてくれようかしら! クラスも違うし!」

「え、それは僕関係なくない?」

「黙らっしゃい!」


 教室の前方で、騒がしい二人はそのまま漫才染みた応酬を始める。

 少女には先ほどまでのピリついた空気は欠片もなく――、そばの少年の手前だからか不機嫌そうな姿勢を取り繕ってはいるものの、声は弾んで体もそわそわとして、傍目には随分と上機嫌になっているのがよく分かった。


「はえー……驚いた。あの二人付き合ってるのかな」


 次第に喧騒を取り戻していく教室を背景に、文太が言う。そして、「なあ」と隣の彼にも同意を求めてくるが――


「……慧?」


 身じろぎひとつしない彼に、文太は訝しげな声を上げた。


 ……彼の視線は、前方で言い合う少女と少年、その二人に注がれて動かない。


「おい、どうしたんだよ」


 戸惑ったように肩を揺すれば、その段になってようやく一言だけ呟いた。


「――はじめて見た」


「は?」


 ますます戸惑う文太の前で、彼は呆然としたまま続ける。


「あいつって、笑うんだな……」


 地域に根付いた寺に生まれた嫡男として、同じく産土神を擁する神社の娘である少女のことは、彼は以前から見知っていた。

 初めて出会ったのが五歳の頃で、それから最低でも数年おきには何かしらで顔を合わせていたので、あるいは幼馴染の範疇に収まる関係なのかもしれない。


 そうでなくとも、少女は近辺の宗教関係者の間ではとても有名な存在だった。


 ――豊潤な天賦の霊質。


 巫覡ふげきとして最高級の資質を持つ少女は、幼少の頃から麒麟児であると期待され、持て囃されていた。


 ……だからだろうか。


 彼の記憶の中の少女は、いつだってつまらなそうで、不機嫌だった。


 彼と少女が最後に会ったのは三年前である。

 そのときも少女は、始終退屈そうな顔をしていた。


 父親伝てに、最近はどうも感じが変わったらしいぞ……という噂を聞いてはいたが、彼は懐疑的だった。


 言葉こそあまり交わさない仲ではあるが、――同じとして、実のところ彼は少女に親近感を覚えていた。


 そう簡単に変われるわけがない、と思っていた。


 昔と変わらぬ様子で教室に現れた姿を見たときには、安堵感すら覚えたのだ。


 ――だけれど。


『蓮っ!』


 少女がそう叫んだとき、彼は……いや、教室中の人間が目撃した物は。


「……あんな風に、笑うのか」


 弾けんばかりの笑顔。


 次の瞬間には再び引き締められてしまったけれど、彼は確かに……。



 ――初めて見るそれは、とても綺麗な笑みだった。



 気がつけば、彼の視線は少女から、その隣の少年へと移っていく。


 少女を変えた男。


 一見して平凡そうに見えるその少年に対して、彼は最初にそうして強い興味を抱いたのだった――。




        1




「やっぱり納得いかないわっ!」


 部室に少女の声が響き渡る。

 鼻息荒々しくそう息巻くのは、我らが赤沼怪奇探偵団の団長、神谷葵であった。


「まあまあ、落ち着けって」


 そばの文太が宥めようとするも、聞く耳は持たない。


「よりにもよって! よりにも……緋崎なんかに先を越されたなんてッ!」


 パイプ椅子を踏みつけ、天井に向かって吠えるその様子は荒ぶる鬼神さながらである。


「だめだこりゃ……」


 すっぱり諦めた文太が、遠巻きに眺める慧と蓮のもとへと戻ってくる。

 少女乱心の引き金を引いた蓮が、無自覚な顔で隣に尋ねた。


「で、葵は一体どうしたんだ」


 乾いた笑みを浮かべていた慧はうなずくと、


「いや、神谷は昔……」


「――そこ! 余計なことは言わないッ!」


 勢い指差された慧は、そのまま口を噤んだ。

 そして葵は更にひとしきり暴れたのち、


「用事を思い出したわ! 今日はこれで終わりッ!」


 そう叫び、荷物を引っ掴むとそのまま地学部室を飛び出ていった。

 開け放された引き戸、倒れた椅子、散らばった備品ポスターだけが後に残される。


「……嵐が去ったな」


 呟いた文太に、横の二人も頷いた。


「で、葵は緋崎と何だって?」


 静かになった部室に、我関せずといった風情で蓮の声が響く。


「……いや、まあ。昔な、神谷の家の仕事を横取りされたことがあるらしい」


 少し疲れたような声音で、慧はため息を吐いた。

 その肩を、文太が慰めるように叩く。


「ふうん。それで敵視しているってわけか」


 蓮は呟くと、散らばったポスターを拾い始める。遅れて、慧と文太もそれに続いた。

 三人でいそいそと嵐の跡を片付けながら、ふと蓮はこうなった経緯を想い起こす。


 現在は“とうやさま”の噂話を検証して異界に囚われたあのときから一夜が明けて、火曜日。七月二日の放課後だった。

 普段通りに地学部室に集まった赤沼怪奇探偵団一行は、さっそく昨日のことについて報告会を開始する。


 そこで議題となったのが、「なぜ異界から帰還できたのか」。


 彼女の説明を蓮の認識できるもので理解すると、つまり昨日の怪異はホラーゲームでいうところの謎解きマップだった。

 不気味な世界、その校内を襲い来る怪物から逃れながら仲間と合流し、アイテムを探し、キーワードを見つけていって、最終的に核となっている主の居場所と正体を導き出して倒さねば生還クリアできない。

 そういう類の怪異だったらしい。


 ところが、そのゲームはプレイ途中で強制的にシャットダウンされた。


 現実的には全員が生還できたので良かったと喜ぶべきなのだが、霊能力者としての実力に自負がある葵としては、なまじ普通にクリアできる自信があっただけにどうも収まりが悪い。

 しかも今朝になりテレビやインターネットで、昨夜に市内の児童が十数人も忽然と姿を消したという報道があった。

 ……それはつまり、“とうやさま”に取り込まれていた被害児童、その化けの皮を被っていた眷属が消滅したということを意味していて。


 いよいよもって、誰かが先に昨日の怪異を打ち払った、という事実が浮かび上がるのである。


 一体誰なのか……。そういう方向に議論が推移していくのに、蓮はひそかに焦った。

 剣王鬼のことなどを伏せている手前、彼は自身の報告では「ずっと校舎三階を物色していた」とだけ述べていたのだが、ここで恐る恐るに手札を一枚切る。


 すなわち、「実はひとを見かけていた」。

 その少女は「祓い屋緋崎」と名乗っていた。

 もしかすると、彼女が異界の主を祓ったのかもしれない――。


 そのような内容である。

 そしてそう話した途端に――葵が爆発したわけだった。


「こんなもんか」


 倒れていた段ボール箱へと散らばったポスターを戻し、椅子も立て直したところで蓮がこぼす。


「やれやれだぜ」


 わざとらしく汗をぬぐって、文太が息を吐く。

 机に寄りかかった慧が、壁の時計を眺めて言った。


「どうする。今日はこれでお開きにするか?」


 蓮と文太も時計を見る。

 時刻は午後五時になろうとしていた。


「……まあ、少し早いけど。そうするか」

「部長の蓮がそう言うなら」


 蓮が言えば文太も頷き、そういう流れになった。

 各々に荷物を持ち、戸締りをして、職員室まで鍵を返却する。

 駐輪場で自転車を回収し、走り回る運動部を尻目に正門まで進んだところで、文太が片腕を上げた。


「じゃ、また明日!」


 蓮と慧も腕を掲げる。


「おう」

「また明日」


 走り去っていく彼の背を見送り、「それじゃ、僕も……」とサドルに跨ったところで蓮の肩を慧が掴んだ。


「待ってくれ」


 振り返れば、真剣な表情である。掴まれた肩も少し痛い。


「話がある。俺んまで来てくれないか」


 数秒間、そのまま二人は見つめ合い。


「……わかったよ」


 観念したように蓮が笑った。


(六年九月三十日、一部改稿)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【作者Twitterアカウント】

更新状況など発信(休載や延期も告知)

script?guid=on
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ