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物怪伝 鬼の章  作者: 犬尾南北
大倭篇

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19/85

第肆話 契約(九)




        20




「――きりがない!」


 祓い屋を名乗った少女は、襲い来る黒い影たちを相手に奮戦していた。

 最初に人型をとった影たちは、思い思いに異形へと変じながらその爪や牙で次々に攻撃してくる。

 一体一体は波状攻撃であろうとも、それが掛けるして十数体に至るため、実質的に相手の攻撃の手は休まらない。

 そのうえで――こちらが火炎を飛ばして消滅させようとも、どこからか湧いて出た不定形の影、そこからまた新たな刺客が生まれ出る。


『柚葉、もっと炎を大きくするんだッ! 全体に攻撃をしようッ!』


 肩の上にしがみついている妖狐が、焦った様子で少女に叫ぶ。


「そんな、ことっ、言われてもっ――!」


 生み出した焔で以て攻撃をいなし、少女も叫んだ。


「溜める暇がないッ!!」


『ぐっ……』


 もっともな意見に、狐も言葉に詰まる。

 顔を上げれば、すぐそばの横顔は汗に濡れて表情も硬い。

 彼女は視線を戻すと、思案する。

 ――考えなければならない。


『なにか、方法を……』


 そのときである。



 ――



『ッ!!』

「……ッッ!?」


 あまりの事態に、妖狐も少女も体が固まる。

 しかし戦闘中である。


(まずい――)


 とすぐさまに狐が思うも、見れば周囲の影たちも一様に動きを止めていた。


 その横で、少女の呼吸が荒くなる。


「ハッ……ハッ……」


 運動により熱くなっていたはずの体が、急激に冷たくなっていく幻覚を覚える。


(うそ、そんな……これは……)


 金縛りになっている状況を俯瞰しながら、少女の恐慌状態の精神が呟く。


(いったい、なに……?)


 瞬きにも満たない程度の一瞬だった。

 その一瞬で、周囲一帯が突如として尋常ならざる妖気で満たされていた。


 呼吸すら覚束なくなるほどの――濃密な、夜の匂い。


 異界を覆っていた赤黒い臓物色の瘴気が吹き飛ばされ、廊下は静謐さすら感じる暗い気配で支配されている。

 戦闘状態だったその場から、すべての音が消え去って。



 ――ぎしり、と。



 その中に唐突に生れ出る音。


 ぎしり……ぎしり……と、近づいてくる。


(足音だ)


 悟った少女が、かろうじて動く眼球をそちらに向けた。


 ぎしり……ぎしり……。


 薄闇の向こうには少女を取り込む影の怪物が密集して壁となっている。


 そして、その壁が――音もなく爆ぜた。


(ッ!?)


 驚愕する少女のその視線の先で、暗闇の中から一人の男が姿を現す。


(先ほどの――)


 その姿を見た瞬間にそう思い、しかしすぐに少女は否――と、その考えを打ち消した。


 ――本当に、先ほどの男か?


 そう覚えるほどに、すべてが異なっていた。


 容姿などは特段に変わっていない。服装が学生服から黒い着物装束へと変じているほかには、手に持っていた刀剣が腰に下がっている程度の変化である。


 だが――しかし。


(あ……)


 少女は、知らぬ間にストンと腰を抜かしていることに気がついた。

 依然として金縛りは解けていないが、それを上回って足腰から活力が抜けたのだ。


 呆然と眺める少女の目の前を、ひとり静かな足音を立てて男が過ぎる。


 男が歩みを進めるたびに、彼女が苦戦していた影の怪物たち――それらが次々と雲散して消えてゆく。

 男は歩いているだけで、刀も抜かなければ、その腕も両袖に仕舞われたまま動かない。ただ彼が寄るだけで……怪物たちは塵となる。


 少女は気づく。


(そうか……あの怪物たちは異界原理……)


 異界の主によって定められた、その世界の独自法則。それを異界原理と呼ぶが――それは支配された空間でのみ確立されるものである。


 明らかに今、この場の空間は異界の主から目前の男へと支配が奪われている。


 異界原理は――存続できない。


(……あっ)


 思考の中から浮上すれば、件の男は少女の前を過ぎり切り、視界の隅のぎりぎりの地点にまで歩みを進めていた。


 そして――周囲に怪物の姿は、もう一つもない。


 その事実を確認した途端、少女の中で何かの炎が灯った。


「――ま、待ちなさい……」


 気がついたときには、彼女は呼び止めていた。

 立ち上がろうとして倒れた体をそのままに、無様に這いつくばった状態で遠くに離れた男を睨む。

 そばに転がった相棒が、焦ったようにその毛並みの良い尻尾で叩いてくるが、努めて気にせずに少女は声を絞り出す。


「貴方は……っ」


 だが、そこから先が続かない。


「――っ」


 声が出ぬ悔しさに少女が唇を噛めば、いつのまにやら立ち止まっていた男が振り返っている。


 男の紅い瞳と、少女の黒い瞳がかち合った。


「……己の名は剣王鬼。緋崎のおうにはそう伝えるがいいだろう」


 それだけ言い捨てて、彼は再び前を向く。


「さて」


 彼の前には、扉があった。

 周囲の景観と同様に荒れた印象の……しかし重厚な両開きの扉である。


 その遠く後方で、少女は倒れたまま目を張った。――先ほどまで、そこに扉など確かに無かった。


「…………」


 ぼそりと。少女には届かぬ声で呟き、彼は腰の刀を握る。


 そして――一閃。


 扉を開きもせずに放った刀、その剣筋の先で飛沫が舞った。


 裂かれた扉のその傷から、どす黒い血が噴き上がる――。


『キャアアアアァァァッッ……』


 何処からか甲高い絶叫が校舎内に反響し、同時に、異界の組成が崩れていく。


(まさか……あれが異界の主……?)


 最後に動揺のままにそう零し、そこで少女は意識を手放した。




        21




 夕暮れの空が広がっている。

 僅かに夜の香りを孕んだ風が吹いて、少年たちの顔を静かに撫ぜた。


「――……はっ」


 気のついた慧が、がばりと体を起こす。

 周囲を見れば、そこはもと居た小学校の校庭である。その片隅の、盛山の芝の上。

 夕焼け色に染まったそこに、彼は寝転がっていた。

 すぐそばには葵と文太が同様に倒れている。安らかな寝息を立てているところを見るに無事らしい。


「ここは……」


 見える校舎も廃墟ではなく、空気は清涼で、空も臓物の色ではない。

 第六の感覚もまた、この場が正常な空間であると主張する。


「……戻って、これたのか」


 呆然とした声が漏れる。

 彼の記憶は、葵や文太と合流し、改めて校舎の二階を探索しているところまでで途切れていた。


 まさしく、この状況で――。


「なぜ……」


 ふと疑問がこぼれたところで、彼は視界の隅に人影を見つける。

 顔を向ければ空の向こう、山間に沈みゆく夕陽を眺めているようで、こちらに背を向けている。佇んだ彼から伸びた影が、薄暮の中に黒く濃い――。


「蓮」


 声を掛ければ、振り返る。

 ――そしてその顔が一瞬だけ別人のように見えて、慧は小さく息を呑んだ。


「おっ、慧も起きたか」


 掛けられた言葉で気を取り戻せば、そこにいるのは見紛うことなき友人だった。


「あ、ああ……」


 動揺している慧をよそに、蓮はすたすたと寄ってくると残りの二人を揺さぶる。


「ほらほら、風邪ひくぜ」


 肩を揺すられて、寝惚けた吐息を漏らし葵が瞳を開ける。


「ぅ……蓮?」


 眩しそうに目をぱちくりとしながら問いかける彼女に、覗き込む彼が「おう」と答えれば――


「わああっ!」


 次の瞬間には勢いよく身を起こす姿があった。

 その声に、そばの文太も飛び起きる。


「えっ、なに、なにごと!?」


 混乱する彼を背に、葵は自分の両頬をひとしきり触ってから――ハッとした様子で辺りを見回した。

 そしてわざとらしく咳をすると、俊敏な動作で立ち上がる。


「……ひとまず、みんな無事に帰ってこれたみたいね!」


 そう言う彼女の耳は仄かに赤い。

 指摘しないよう努めて視線を外すと、動揺から立ち直った慧は同じく混乱から戻った文太へと手を貸し、立ち上がらせる。


 そうして横目で窺えば、蓮は満面に朗らかな笑みで、


「いやあ、楽しかったね!」


 これには起きたばかりの文太が噛みついた。


「いや、いやいやいやいや!? すっげー怖かったんだけど!?」


 そんな猛烈な抗議を受けても、蓮はただ笑うばかりである。

 呆気に取られて固まった慧が視線を移すと、葵もまた瞬間だけ固まったのちに嬉しそうに笑んだ。


「というかお前どこ居たんだよ! 探してたんだぜ!?」


 詰め寄る文太に、蓮は「校舎だよ」と答える。


「俺たちも校舎いたぞ!?」

「三階にいたよ」

「ひとつ上かァ!」


 騒ぐ二人を尻目に、「しかし」と葵が呟く。


「妙ね。まだ謎も解けてなかったし、そもそも祓ってもいないのに……どうして私たちは帰ってこれたのかしら」


 首を傾げる彼女に、文太も落ち着いて頭を捻る。


「あっ、たしかに……そうじゃん」


 疑問符を浮かべる二人の横で、慧はひとり嫌な予感を覚えていた。

 彼だけが知っている。蓮の中には――。


 ふと視線に気づいて顔を上げれば、当の本人が何やら神妙な顔で彼を眺めていた。

 そして目が合わさると、途端におどけたように片目だけ閉じる仕草をする。


「おい、それ――」


 慧が思わず上げた声を遮るようにして、蓮がパンと手を合わせた。


「まあ、何でもいいじゃんか。無事なんだしさ」


 一番に頷いたのは文太だった。


「……それもそうだな!」


 次にいまいち納得のいってなさそうな葵の肩を叩くと、


「今日のところは帰って、分析は明日にしよう」


 腹減ったし、と続ける彼に少女もとうとう頷いた。


「……それもそうね!」


 蓮は慧に振り向いて、


「慧もそれでいいよな」


「……そう、だな」


 最後に慧が頷くと、「それじゃ撤収!」と葵が声を上げる。


「帰りさ、どっか寄る?」

「駅前のファミレスとか行くか」

「いいわね!」


 日常に戻ってこられた反動からか、努めて普段通りに振舞おうとする文太に蓮と葵も乗る。

 早速に和気藹々と歩み始めた三人を慌てて追いかけながら、慧はなにか釈然としない感覚を捨てきれなかった。


 ……。


 なにか手の届かないところで、致命的な物事が動き始めてしまったかのような……そんな予感があった。




        22




「呆れ果てたな。だが、――いだろう。なれば、今よりなんぢは己の契約者だ」



第肆話 契約 /了。



○とうやさま

 三浜市の小学生の間で「願いが叶う儀式」として流行した噂話、その裏に潜んでいた怪異。荒れた廃校と臓物色の異界に子供たちを引きずり込み、自身の養分としたうえで擬態した眷属を表世界にばら撒いていた。剣王鬼に斬り捨てられる。



(二年十一月二十四日、前話から改稿・分割)

(四年七月十一日 あとがきにTIPS追加)

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