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物怪伝 鬼の章  作者: 犬尾南北
大倭篇

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第肆話 契約(五)




        12




「やべえよ、ここ……なんだよここ……」


 周囲を見渡し、文太は身を震わせた。

 薄暗く廃墟のようなそこは、小さな小屋の中だった。

 壁には朽ちかけの木棚が設置されており、それは銭湯の脱衣所を思わせたが、足元に転がっている、黒く汚れたビート板やブイを見る限りでは、どうも水泳更衣室として使用されていた場所のようである。


 そして……それら含む、部屋全体にこびりついた汚れや染みが、どうにも刑事ドラマやホラー映画で見かける類の染みの跡に見えてしまうのは、自分の恐怖心が故だろうか。

 知らず、ごくりと唾を呑む。


「と、とりあえず、出よう……」


 心細くなりながら、文太はひとまず出口に飛びついた。

 ガタついた引き戸を開いて、外に出て――


「……まじか」


 赤黒い世界、血と臓物色に染まった世界が、そこにはあった。

 急に古びた廃校となってしまった校舎が、グラウンドを挟んで向こう側に佇んでいる。水泳更衣室の隣には枯れたプールがあり、そしてその向こうには体育館らしき影があった。


「どうなってんだ……」


 明らかに先ほどまでいた母校とは異なる場所、――どころか尋常な世界には思えぬ景色に、文太は呆然としたまま一歩を踏み出して。


 ぬちゃり。


「いっ!?」


 靴底が踏んだ嫌らしい感触に、思わず飛び退いた。


「う、うわぁ……きもい」


 見れば、踏み出した先の地面に自分の足形が付いている。わりかしと深く残ったそれが、やがて左右からどろりと崩れ、赤い液体が浸みだして埋まってゆく。

 注意して確認すれば、どうにもグラウンド全体の地面が同様に謎の液体でぬかるんでいるようだった。

 よくよく気がついてみれば、辺りに生えている植物も、ただの雑草や芝ではない。


 ――彼岸花。


 時期外れのその花が、血液を湛えたような赤い湿地に群生し、いたるところで血色の花弁を咲かせていた。

 そのほかに、別の草花の姿はない。


 ひたすらに厭な感覚だけが、梅雨の空気のように肌に纏わりつく。


「……ひ、ひとまず、みんなを探さなきゃ」


 頭を振って気を取り直すと、文太は改めて周りを見た。

 見晴らしの良い校庭に、現在のところは自分の他に人影はない。皆も同様にこの場所に迷い込んでいるのだとしたら、彼らは校舎か体育館か、どちらかの建物の中にいるのだろう。


 文太は右手に繋がっているプールサイドを眺めた。コンクリート打ち放しのプールは罅が入り苔生して、一言でいって荒れている。

 ただし、地面と同じように気持ち悪い液体でぬかるんではいなかった。


 周囲をフェンスが囲んでいるが、それもところどころがほつれて破れている。一望した限りでは、このまま文太のいる更衣室からプールサイドを渡って体育館のそばまで行けそうである。

 さすがに体育館とプールは繋がっていないが、道中をすべて湿地で歩くよりはずっとましだ。

 さらに言えば、体育館まで行きさえすれば、校舎とは渡り廊下で繋がっている。


「よし」


 目標を定めた文太は、更衣室から渡されている腐りかけの簀子をおっかなびっくり通ると、荒廃したプールサイドへと足を踏み入れた。


「……きたねえなぁ」


 近寄ってみれば、改めて酷い状態だとよくわかる。

 枯れたプールの底にはヘドロらしき黒い泥が貯まっているし、方々に入っている罅からはこれまた彼岸花が雑草の代わりに生えている。

 錆びて打ち壊れたパイプ椅子を跨ぎ、大蛇のように丸めたまま放置されたコースロープを跨ぎ、よくわからないゴミを跨ぐ。


 そうして、プールサイドを半分ほど進んだところで、文太はふと気がついた。


「……ん?」


 なにやら、妙な音が耳に入る。


 こぽ、こぽ……と、まるで下水道から汚水が逆流しているかのような印象の、妙に気持ちの悪い粘り気のある水音……。


 数拍の後――ハッとして見下ろす。


「ッ!?」


 引きつった声を上げ、文太は後ずさった。


 プールの底、干上がっていたはずのそこに、気泡を立てながら、コポコポと液体が漏れ出している。

 そして文太が気づいた途端、赤黒いその水は勢いを増して湧き上がり、彼のいる場所まで届く異臭を放ち始める。


 ごぽり、ごぽり……と湧くその勢いは激しく、アッという間にプールを満たし、プールサイドにまで溢れ出す。


 ――()()()()()()()()()()()()()()


「う、うわあああッ!?」


 我に返った文太は背を向けて、一目散に体育館へと駆けてゆく。


 その背後、べちゃりと――。


 水底から這い出した赤い手が、プールの縁を掴んだ。




        13




「いやあ、しかし見れば見るほどにリアルホラーゲームの世界だなあ」


 ガラス片や壊れた道具の散乱した廊下を歩きながら、蓮はひとりごちる。

 ともすれば鼻唄を歌いそうなほどに上機嫌な彼の足元では、歩くたびに朽ちかけの校舎が大きく軋む。

 「これ、床が抜けたりしないかなー、大丈夫かなー」と問う蓮に、「知らん」と突っぱねる剣王鬼。

 この不気味な世界に飛ばされてから、かれこれ十数分が経つ。

 はしゃぎながら一方的に話しかける蓮に、剣王鬼はごく偶に返事を返す。

 開き直った蓮が放つ、彼独特の雰囲気に絆されたのかは不明だが、ここに至るまで彼らは割合と和気藹々とした様子を呈していた。


「そういえば、ここってどういう場所なんだろう……剣王鬼はわかる?」


 割れた窓の外、気色の悪い景色を眺め、蓮が虚空に尋ねる。

 ややあってから、


《異界だ》


 と、返事があった。


「異界?」


 噛み砕けない様子で繰り返す彼に、随分と辟易した空気の剣王鬼が言葉を続ける。


《力の強い妖怪は世界を切り取ることが出来る。現代においては、一般的にそれを異界と呼ぶ》


 なんだかんだと説明してくれる剣王鬼に、ふと蓮は気になっていたことを聞く。


「現代においては……って、それは――というか、剣王鬼って妙に現代に詳しくない? ずっと封印されていたんじゃないの?」


 途端に無言となる脳内。蓮は不満げに続けた。


「あ、そういうの良くないな。面倒になるとすぐ口を噤む。老人の悪い癖――あれ? そもそも剣王鬼って幾つ?」


 しかし脳内に声は響かない。


「ねえ、ねえ。ねえってばさ」


 一人でぶつくさと言いながら歩くその姿は、どう言い繕っても不審者のそれであったが、自身を客観的に省みる視座を素で損なっている蓮は全く気がつかない。

 大抵の人間は苛つくだろうそれがしばらく続いて、ようやく剣王鬼も再び口を開く。


《……封印されたのは、戦時中だ。七十数年しか経っていない》


「えっ、そうなの!?」


 驚く蓮に、声は鼻を鳴らす。


「もっと数百年とかかと思ってた……。それで、年齢は?」


 無言。


「ねえ」


《……己は神代から生きている》


 いかにも面倒そうな声音で返事。

 けれど蓮は首をひねる。


「神代というと、つまり……日本神話の?」


 ひとつ息を吐き、剣王鬼は補足した。


《――大凡で、二千六百年程か……》


 蓮は思わず絶句し、歩みを止める。


「……マジ?」


 やや置いて、恐る恐るそう尋ねた少年を、剣王鬼は鼻で笑う。


《何故騙る必要がある》


 そりゃそうか、と頷いてから、


「マジかぁ……」


 また小さく唸る。

 そういえば、と蓮は先日の口裂け女が剣王鬼を「魔王」と呼称していたことを思い出す。


 神代から存在する鬼だなんて、そんなものは大妖怪中の大妖怪であろう。魔王なぞと呼ばれるからには、やはりそれ相応に強大な存在なのかもしれない。


 改めて自身に取り憑く存在について認識を更新した蓮であるが、――そこに恐怖の感情が復活しない点についてみるに、彼のオカルトマニアとしての芯は並大抵の太さではないようである。


 さすがは本人の知らぬところで、赤沼の変人二大巨頭として数えられているだけのことはあった。


「あ、ところでさ――」


 気を取り直した蓮が、何やら新たな話題を口にする――しようとしたところで、彼の口蓋が物理的に停止した。


(え?)


 と思ったところで、脳内に響く静かな声。


()()()()


 それは先ほどまでの、辟易としつつも少年の雑談に付き合っていた声音ではない。

 まるで何か、危険を察知したかのような――。


 そう気がついた蓮の耳にも、微かな物音が入り込む。


 ごくりと、知らず喉が鳴る。


 あまりにも軽い足音が、近づいてくる。体重的に考えて、少なくとも蓮と一緒にいたはずの友人たちの物ではない。

 目の前の、一メートルもない先の曲がり角から、知らない何者かがやってくる。


 さすがの蓮も、緊張に固まる。


 そして、果たして――曲がり角から小さな影が現れた。


「ひゃあっ」


 曲がった先で立ちふさがる蓮に驚いたのか、その影は可愛らしい悲鳴を上げて尻餅をつく。


 そして蓮も、小さく安堵の息を吐いた。


(なんだ、子供か……)


 見たところで、十歳かそこら。廊下の向こうからやってきたのは、小学校中学年くらいの少女だった。


(でも、そりゃあ、そうか。……元々が小学生の間で流行っていた儀式なんだもんな)


 おそらくは蓮たちとは別で“とうやさま”の儀式を行い、迷い込んだ少女なのだろう――彼はそう推察した。


 幼くとも女性ということなのか、少女はパンツルックでありながら小綺麗なファッションである。

 その類に関して蓮はまったく明るくなかったが、もしかすれば何かしらのブランド物なのかもしれない。


 そう思いつつ、倒れている少女に手を差し伸ばそうとして――そこで彼は、未だ金縛りが続いていることに気がついた。


(……あれ?)


 暢気に疑問符を浮かべたところで、とん……と退かされるのは魂の座。

 先ほどまで曲がりなりにも親し気に会話できていたはずの剣王鬼が、無言のまま肉体の支配を奪い取っていた。


(え、あの……剣王鬼さん?)


 戸惑う彼を無視して、身体は勝手に動いていく。


 一歩、二歩と少女に近づく剣王鬼。


 尻餅をついたまま、きょとんと彼を見上げていた少女は、ややあって、「あ」と声を漏らして笑顔を向ける。


「もしかしてお兄さんも、とうやさまの……」



 ――そして言い終わらぬうちに、その首が宙に跳んだ。



(――……え?)


 脳が理解を拒否する光景に、蓮の思考が停止する。


 振りぬかれた右手には、いつの間にか直刀が握られており、その刃筋に煌めくのは鮮血の跡。


 ……ごろん、と。


 刎ねられた首が廊下に転がって。

 小さな体が後ろへと倒れた。


 どくどくと広がる血の池に、ようやく蓮の思考が現実へと追い付いた。


(――……え?)


 呆けたように、同じ言葉しか発せない。


 先ほどまで、理解できる存在なのだと思い込んでいた剣王鬼が、途端に理解できぬ化物として見えてくる。


 ()()()()()


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――()()()()()()()()()()()()()()()()()()――少年の精神が震え出す。


 そして。



「――やはり化生の類でしたか」



 背後に現れる、知らない気配。

 剣王鬼が身体を振り向かせれば、茫然とする蓮の視界にもその姿が映りこむ。


 すらりと伸びた、女性にしては高い身長。

 その肢体をこの近辺では見覚えのないセーラー服に包み込み、長い黒髪は頭の後ろでひとつに括られている。

 なぜか肩口に、毛を逆立てて威嚇する狐を乗せて。


「祓い屋〈緋崎ひざき〉、十六代目代行……」


 怒気の籠った視線で睨みつける、蓮と同年代くらいの少女。


「《職務執行》」


 彼女が構えた右腕で、銀の腕輪が鈍く輝きだした。


「無垢な命を弄ぶ悪鬼妖魔め――貴方を滅します」


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