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物怪伝 鬼の章  作者: 犬尾南北
大倭篇

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第肆話 契約(四)




        9




「これは、一体……」


 一瞬で切り替わった世界、青天の下から赤黒く薄暗い空間へと変貌した周辺を見回して、蓮はひとり呟いた。

 そこは、うらぶれた木造建築の廊下である。

 壁と天井で挟まれた四角い空間が、ずっと先の薄闇の中へと続いている。左手側には罅の入ったガラス窓が並び、右手側には引き戸と窓、教室のような外観の部屋が並ぶ。天井には割れた白熱電球の跡があり、黒く汚れた床には所々にガラスの破片が散っている。

 全体的に埃を被っているそこは、まさしく廃墟という二文字を想起させた。


「学校……だよね」


 寄った窓辺から見下ろせば、荒れたグラウンドに、同じく木造の体育館や干上がったプールらしきものが見えた。

 地面への距離感的には、おおよそ三階あたりの場所にいるらしいと当たりを付ける。


「うわっ、空、気持ち悪ぅ……」


 見上げた天は、まるで裏返した内蔵のような色彩で、そして脈動していた。蓮は目を逸らすようにして、薄暗い廊下へと視線を戻した。

 外から洩れる明かりが赤いからか、それとも空間自体が色づいているのか、薄闇に閉ざされた周囲は万遍なく赤黒く――むせかえるほどに血生臭い。


 いつのまにか友人達とも切り離され、独りきり。窺えば窺うほどに気色の悪い空間に、蓮はそして、


「うーん、ホラゲみたいな場所だぁ……」


 なんとも間の抜けた感想を漏らした。

 きょろきょろと見渡す彼の鼻息も、どことなく荒くなっている。

 巻き込まれた怪奇現象にただ興奮する少年が、そこにはいた。


 なんとも異常なことに見える――この状況にあって、渡辺蓮は微塵も恐怖を覚えていない。


 先週までの一連の出来事……もっと直接的に命に係わる恐怖、捕食者を前にした根源的な恐怖、それを体験しているがゆえに恐怖心が麻痺している――と、いうわけでもない。


 ――現状のこれは、彼自身が元から秘めていた性質である。


 先刻に友人が評した言葉が全てを表していた。


 “エンジンがかかってきた”。


 つまるところ、それだった。

 オカルト趣味な少年が、いざ怪奇実験するぞとボルテージを上げていたところにこの現状へと至ったため、――そのままのテンションで留まっている。

 趣味一色に染まっていた彼の頭のなかは依然としてそのままで、ゆえに恐怖心など生じる隙が無いという……ただそれだけの事だった。


 そしてこれには、流石のも呆れた声を出す。



《――度を越した阿呆だな》



 唐突に脳裏に響いたその声に、びくりと肩を揺らして蓮は顔を上げた。


「起きたのか」


 そう呟けば、鼻を鳴らす音がある。


《これほどの瘴気だ、……何者であっても起きる》


 脳内の声に、蓮は確信した。


(――やっぱりだ。会話に応じてくれる)


 それは今朝からの「ある考え」が実る可能性があることを示し、――だからこそ、次の瞬間、肉体を支配する座から蹴り落とされそうになった魂を、その寸前で踏ん張ることが出来た。

 蓮自身の感覚としては強く思念を込め、体の奥底から気張っただけだったが、結果として、そこには剣王鬼に支配を奪われていない肉体があった。


《……ほう》


 深く感心するような声が静かに響く。

 打って変わって、蓮の息は大きく上がり、額には大粒の汗があった。


「で、出来た……」


 ()()()()()()()()()()()()()()()

 具体的な策も何もなく、そのような考えから決起した行動だったが、予想外にも上手く運んだ。


 魂とは、やはり精神か――魔術や呪術、その真理とされている物の一端を、図らずも蓮は悟った。


 膝をつきそうになるほど消耗した体を、壁にもたれ掛かって回復させる。


《大した精神力だが……》


 何事か述べようとした剣王鬼の言を、なんとか絞り出した声で切って落とす。


「ひとつ!……聞きたいことがあるんだ」


 息も絶え絶えのはずの少年のその声には、しかし確かな意思の強さがあった。押し黙った剣王鬼に、そして彼はその言葉を放つ。



「――なぜ僕の体が欲しい」



 空隙のごとく世界が割れた。

 沈黙が、場に落ちる。

 静寂の空間が、次第に重苦しいものとなって蓮を襲う。

 どこからか漏れる――おそらくは剣王鬼の発するプレッシャーに、少年の精神は圧し潰されそうになる。


 だが――、と。


 ひとつ息を吐いて、腹の底に力を入れる。

 生理的に震える肉体を精神でもって超克し、情けなくならないよう精一杯に整えた声で、促す。


「答えてくれ……あんたは、人外にしては誠実だ。そんなあんたが、なぜ騙し討ちみたいな事をしてまで、僕の体を望むんだ?」


 意識が薄れそうになる程の重圧の中、蓮は気力を振り絞る。


「結果として、今、僕たちは同じ体に生きている。……最も近しい隣人と言っていい。僕たちには、互いを理解する必要がある。そう思わないか――」


 そうして真摯な問いが、ただ虚空に消えた。


 数拍の間があった。


 永遠とさえ思えるほどの数秒間の後、小さなため息が脳裏に響く。

 そして少年を襲っていた重圧が、途端、幻であったかのように治まった。


「ぷはあっ」


 張りつめていた息を吐いたところで、静かな返答があった。


《――生きる為だ》


 あまりにも簡素なそれに、蓮は顔を上げるも脳内に疑問符を浮かべる。

 それを受けてか、一拍して剣王鬼は続けた。


《この世のあらゆる生命は、魂魄こんぱくによって構成されている。こんとは()()()()はくとはつまり()()()のことだ。

 今の己に魄は無く、魂のみがつるぎに封じられていた。己が蘇る為には良い霊質の魄が必要で、――そしてその点で、なれはとても理想的な存在なのだ》


 そして再び静寂が下りた。


 蓮は、頭の中で剣王鬼の言を反芻する。


 なんということはない。

 ――つまり、剣王鬼もまた生き延びたかったのだと理解する。


 ただし。


(なにか、違うな……)


 蓮のなかで何かが引っ掛かっていた。


 ()()()、蓮もまた()()()()と願った。


 そこに幸いと声をかけたのが封じられていた剣王鬼だったわけなのだが……。

 しかし、その時の自分の「生きたい」と、彼の言う「生きる為」は、同じ願いであっても何かが異なる感触が在る。


 ……ふと。


 蓮の思考が、過程を飛ばして思い至る。


 つまり。


 ――剣王鬼には、現代に復活して為さねばならぬ事があるのだ。


 開花しつつある第六感の作用なのか、それは確信と共に蓮の中へと浮かび上がった。

 蓮は、けれどそれを口に出すことはしなかった。

 聞いたとして、剣王鬼が再び素直に答える保証はない。

 それに。


(まあ、今はそこまで興味ないな……)


 現在進行形で、蓮の興味は剣王鬼の目的とはまた別のところに向かっていた。

 追々に聞ければそれで良い、と蓮は心の棚に仕舞っておくことにする。


(なんにせよ、だ)


 今朝から考えていた試み――剣王鬼との対話は成功と言ってよかった。

 こうして蓮は初めて剣王鬼の事情を知った。


 これまで得体のしれない存在でしかなかった剣王鬼が、強大な力を持っていたとしても、しかし理解できる存在なのだと蓮は悟る。


 彼の中で僅かばかりに残っていた剣王鬼への恐怖、忌避、それがこの段に至って遂に雲散して消えてゆく。


「なァんだ、つまりあんたも、僕と同じ死にかけだったわけね」


 結果、先ほどまで震えていた少年と同一とは思えぬ軽口を叩く姿がそこにはあった。


《なんだ……急に馴れ馴れしい》


 改めて呆れた声を出す剣王鬼に、蓮はあっけらかんと続ける。

 彼の体調も、いつの間にか持ち直していた。


「まあまあ、旅は道連れ世は情けと言うし。思えば僕って、今、妖怪と話せてるんだよね。というか、取り憑かれている……よく考えたらスッゲーよな。なかなか出来る経験じゃないよ。ねえ、剣王鬼はそこのところどう思う?」


 普段の調子を取り戻し、矢継ぎ早に話す少年。そこが悍ましい異界の底だという現状も、相手が先日まで恐怖の対象であったという事実も、もはや彼の意識から消え去っていた。

 剣王鬼はとうとう、閉口した。




        10




 気がついたとき、慧は荒れ果てた手洗い場を前に立っていた。


「ここは……」


 そう溢したところで、思わず口元を覆った。


「ひどい臭いだ」


 涙の滲んだ視界で見渡せば、そこは木造建築の便所である。

 個室らしき扉が幾つも並び、小便器が一つもないところを見れば、おそらく女子便所のようだった。

 手洗い場の鏡は殆どが割れ、洗面台も罅割れるか砕けている。黒ずんだ木目の床にはそれらの破片が散乱し、薄暗い部屋の中は生ごみの腐ったような悪臭で満ちていた。


 世界が唐突に切り替わった時点で理解していたが、そうしているうちに第六感が、この場が位相のずれた世界であると主張する。


異界……どうなってるんだ」


 思わず呻く。

 異界を展開できるような怪異が、こんな片田舎に連日で現れるなど――本来は考えられないことである。


 と、そこで慧の脳裏に、ふと過ぎる言葉。


“――魔は魔を寄せる。そういうものだ”


 舌打ちをひとつして、慧は理解した。


(つまり、あの鬼のせいってことか……)


 蓮に取り憑いた剣王鬼の霊格が、同類の魔性を呼び寄せているという可能性。

 思い至った慧は、もっと早く気付くべきだったと後悔する。


 こんな事態になるのなら、怪奇探偵団の活動は止めるべきであった。


「いや……」


 頭を振る。今はそのようなことを悠長に考えている暇はない。


 改めて周囲を見る。どこか赤黒く縁どられた空間、薄気味の悪いこの場所には自分の他には誰の気配もない。


 ひとまずは、離れ離れになってしまった皆と合流することを第一に考えるべきだろう。


 ――そのように方針を決め、出入口へと踵を返したその瞬間だった。


 ……かたり。


 彼の背後、便所の奥から微かな物音があった。

 ぴたりと動きを止めて、それからゆっくりと振り向いた。


 依然として薄暗い女子便所には、何者の気配もない。

 唯々不快な異臭だけが満ちている。


「……誰かいるのか?」


 声をかけるも、反応はない。


「…………」


 数瞬だけ躊躇ってから、慧は静かに女子便所の奥へと足を踏み出した。

 スニーカーの下で、鏡や陶器の破片が踏まれるたびに乾いた音を立てる。

 尖った足音を立てながら進み、最初の個室の前へとやってくる。


 ひとつ息を呑んで。

 ゆっくりと、扉を開ける。


「……」


 個室の中は空だった。ただ壊れた便器があるのみで、誰もいない。

 慧は首を横に向ける。

 個室は全部で五つあり、つまりは後四つ残っていた。


 またもひとつ息を吐いてから、慧は残りの個室も開けていく。

 二つ目、三つ目、四つ目。

 どこも空室で、そして残る五つ目、最奥の扉の前に慧は立つ。


「……よし」


 そして取手に手を掛けようとして。

 しかしそれよりも早く。

 ギィ――と錆びついた音を上げ、扉が開く。




        11




 ふと気づけば、葵の姿は体育館の中央にあった。

 薄暗いそこは、老朽化した廃校のような場所である。全体的に朽ちかけのそこをぐるりと見まわして、


「ふうん」


 と、少女はひとつ頷いた。


()()()()()……はじめてね」


 そして、おもむろに腰のポーチを開ける。

 右手を突っ込み、中身を掴んで。


 ――ばさり、と広げられるのは数多の霊符。


「さて」


 振り向いたその端麗な顔は、果てぬ自信で輝いている。


「まずは皆を探さないと」


(二年十月二十日、描写追加)

(二年十月二十五日、大幅改稿)

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