第肆話 契約(三)
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「……小学校なんて、久しぶりに来たぜ」
ぼやくようにそう言ったのは文太だった。
「というか、俺たち高校生だけど入って大丈夫なのか」
ふと気がついたように心配するのは慧で、
「知らないわ!」
自信満々にそう言い捨てるのは葵であった。
部室におけるミーティングの後、蓮たち地学部――もとい赤沼怪奇探偵団の面々の姿は、第三高校からほど近い、とある小学校の校庭にあった。
徒歩十分もかからぬ距離にあるそこは、どこにでもあるごく平凡な市立小学校である。
アポイントメントも何も取らず、堂々と正門から侵入した彼らは、どういうことか誰にも咎められることなくそのまま校庭へとやってきていた。
全員が全員、高校の制服そのままである。
よく考えなくても不審者なのだが、校門も開けっ放しなうえで巡回の教師などに出会うこともなく……というよりかは、ここに至るまで児童を含めて人っ子一人も見かけていない。
さすがに職員室には教師が詰めているのだろうが、一見した限りでは敷地全体にひとけがなく、がらんとした放課後の校庭には寂寥感さえ漂っていた。
田舎の小学校あるあるのザルなセキュリティであるという以前に、先週の行方不明事件が尾を引いているのだろうかと慧はひとり考える。
「まあ、一応はおれの母校だし、何か言われても取りなせるかな……」
懐かしげに校舎を眺める文太に、どこかソワソワしていた慧がすかさず言う。
「そのときは頼んだ」
現実的な観点で話す二人だったが、背中越しにその会話を聞いた少女は苛立たしげに振り向き、喝を飛ばした。
「女々しい! そのときはそのときよ!」
黙り込んだ二人が次に目を向けるのは、その葵の隣で佇む蓮だった。
彼は視線に気づくと、あっけらかんと笑う。
「ま、遊ぶだけだし大丈夫だろ」
その朗らかな笑みに、慧と文太は「マジか……」と呻き、葵は葵で顔を綻ばせた。
「さすが蓮ね! わかってる!」
言われた彼は「そうかな」と流しつつ、
「それより、ちゃっちゃと荷物置いて始めようぜ」
そう言って、すたすたと校庭奥の盛山へと足を進める。嬉しそうな葵がそれに続く。
離れ行く彼の背を眺め、慧は呟いた。
「蓮のやつ……今回の話で、頭のなか完全に埋まってるな、あれ」
その隣で文太も頷く。
ちなみに蓮と葵、ついでに慧は、この小学校の卒業生ですらない完全な部外者である。
そうであるというのに、慧を除く二人には微塵もその事実に気後れする様子がない。
あれが素である葵はともかくとして、蓮もまた、興味のあることで頭が一杯になると、その他の事物にはとことん無頓着となる人種であった。
少年は思う。
(あの様子じゃあ……もしかしなくても、先週の出来事すら忘れてるかもしれん)
「やっぱりあの二人、変人具合はどっこいだ」
感慨深げに言う文太に、今度は慧が深く頷いた。
8
高校の敷地を出て、わざわざ文太以外には縁もゆかりもない小学校へとやってきたのには訳がある。
まず一つは、今回に検証する都市伝説というのが、そもそも小学校を舞台に小学生の間で膾炙されているものだということ。
そしてもう一つは、その内容にあった。
噂を聞いてきた葵いわく、【とうやさま】。
概要としては、一般的な「隠れ鬼」へ「増え鬼」の要素を加え、そして怪談風味の味付けをしたものである。
まず、場所が指定されている。
この鬼ごっこ……葵に語った小学生いわく「儀式」の開始場所と終了場所を兼ねるものとして、「校庭の盛山」が必要となる。
おそらく全国、大抵の小学校ならば校庭の片隅にあるだろう、土を盛った小山のことだ。
この時点で、第三高校以外の場所が要求された。彼らの高校にはグラウンドがあっても盛山はない。
そんな折、ふと文太が思い出したのが彼の母校であり、そこが高校のすぐ近所だったことも手伝って、葵の一声によって開催場所が決定した。
次に、時間が指定されている。
午後四時四十四分にこの儀式は開始され、そして一時間十六分後の午後六時までに終わらせなければならない。
小学生の間で流行っているらしいので、ある種の当然ではあるが、学生の放課後としても丁度良い時間ではあった。
現在時刻は、午後四時半。
侵入した小学校の校庭、その奥の片隅にある盛山へと蓮たちは集合していた。
この検証後はそのまま帰宅するつもりで持ってきていた彼らの荷物――学校指定の学生鞄と、加えて各々の私物のリュックサック――は、盛山そばの芝にまとめて置かれている。
「――さて、それじゃあ、ルールを確認しておくわね」
鳥居の形とそれを囲む円、それを拾った木の枝で盛山の頂上へと彫った少女は、そう言って腰を上げた。
「まずはこの鳥居の周りの円を、全員の右足で踏んで囲む。皆が円になるように……あっ、鳥居を踏まないように気を付けること!」
全員が頷くのを確認すると、葵は続ける。
「その状態で一分前、つまり四時四十三分になったらしりとりを始める。『とうやさま』の『ま』から初めて、時計回り。四十四分になったとき、最後に答えた人が鬼」
言葉を区切ると、その隣で蓮が続ける。
「そこから先は、隠れ鬼と同じだったね」
葵も頷き、「ただし」と言って指を一つ立てる。
「増え鬼と一緒で、鬼は増えるわ。鬼に捕まった人も鬼になる……」
「最終的に全員が鬼になれば鬼の勝ち、逃げ切った人がいれば鬼の負け、だっけか」
慧がそう言うが、「普通の遊戯だったらね」と言って葵は首を振る。
「全員が鬼になっちゃったらダメなのよ。あの世に連れていかれる――らしいわ」
さも怯えたように文太が震え、その肩を隣の慧が肘で小突いた。
「だから、自分が最後の一人だと気づくか、……それか午後六時になりそうになったら、逃げきっている人の誰かがこの場所に戻ってきて、呪文と一緒に鳥居の印を消さなきゃいけないの」
「それで儀式は終わる」
鳥居を見下ろして言う蓮に、文太が続ける。
「なにか願いが叶うんだっけ」
全員の視線が葵に向いて、そして彼女は肯いた。
「そう。この儀式は『とうやさま』と一緒に遊んで慰める……交霊術の系譜みたいね。それで、怪談だし負けたら罰則があるけれど、勝った場合は願いが叶う。――実際に、叶った子はいるって話よ。頭が良くなったり足が速くなったり」
「うさんくせえ……それ絶対に、友達の友達はってパターンじゃん」
「とうやさまってのは何だろうな。人名なのか、頭屋なのか……」
文太と慧が思い思いに呟いて、そして最後に蓮が言い放つ。
「まあ、なんにせよ面白そうじゃん」
途端に集まる友人たちの視線に気づかず、蓮は足元の印を眺めて続ける。
「とうやさま……僕も初めて聞いた話だよ。鬼ごっこと、こっくりさん、それに多分ひとりかくれんぼや、その他にも色々な要素が混じってる。今までにあった怪談が新たに変形し、合成し、口承されて……こうして新しい都市伝説が生まれるんだ……それに慧が言ったように名前の由来は何だろう。実際に遊んでみればわかったりするのかな……ウーン、面白いなァ……」
そこまで一息に言ったところで、ハッとした蓮が顔を上げれば、苦笑いの友人たちがいた。
「ま、いつも通りの蓮か」
そう言うのは文太で、
「エンジンかかってきたな」
どこか安堵した様子でそう言うのは慧。
そして腕を組んだまま、うんうんと嬉しそうに頷くのは葵だった。
「それじゃあ、始めましょ。もうすぐ四十三分だわ」
彼女の号令に、散らばっていた各々が盛山の頂上に彫り込んだ印のもとへと集まる。
「円を踏んで」
促されるままに、鳥居を囲む円を皆が右足で踏む。自然と彼ら自身も鳥居を囲んで円になる。
葵の左に蓮、その隣に慧、そしてその横が文太であった。文太の左は葵で、自ずと葵と慧、文太と蓮が向き合う形になる。
腕時計を眺めていた葵が、静かに始めた。
「とうやさま……まもの」
続いて、蓮。
「のぎす」
慧も続ける。
「すなどけい」
文太。
「いど」
そして葵が答え、一周する。
「どあ」
その次は蓮だ。
「あひる」
答えながら、彼も自分の腕時計を確認する。
アナログの秒針は、静かに二十秒を過ぎたところだ。
慧が答え、文太が答え、葵が答えて、また蓮の番になる。
それが更に二回ほど周ったところで、秒針が天へと近づいた。
五十三秒。
「いけ」
慧。
五十五秒。
「けさ」
文太。
秒針は五十八。
残り二秒。
しかし葵は――答えない。
彼女の悪戯げな笑みを見て、皆が思った。
(あ、鬼は文太か――)
そして秒針が、天へと至る――。
「――サ、アソボウ」
知らない声だった。
全員がその声をすぐ背後に聞いて、そして瞬きの後、彼らは皆がバラバラの場所に立っていた。
葵は体育館、文太は水泳更衣室、慧は何処かの女子便所、そして蓮は校舎の廊下。
皆が皆、唐突に切り替わった世界に、茫然と辺りを見回す。
気づけば世界は臓物のように赤黒く、薄暗いそこはどう見ても先ほどまでに居た場所ではない。
コンクリート製だったはずの施設はすべて木造となり、整地されていたグラウンドも罅割れ草生して荒れている。
そして――廃墟のような木造校舎から、おどろおどろしい鐘の音が響き渡る。
校舎の中央部には錆びついた屋外時計。
四時四十四分。
そこに合わさっていた分針が――かちり、と。
悲鳴のような音を上げて、動いた。
 




