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モノカキ魂  作者: 天崎 剣


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魂7◎登場人物同化現象――感情を描く

 物語を考え、書いていると、その世界に埋没していくときがあります。どこまでも深く入り込み、戻ってこれなくなりそうになる。あたかも登場人物と同化したような感覚、私はそれを登場人物同化現象と呼ぼうと思います。

 自分が登場人物になりきるのと同化現象とは何が違うのか。多分、意識的になりきろうとするか自然と同化するかの違いではないかと思います。一人称で書いているときが特にこの現象が起こりやすく、「目の前で起こっていることをただ文章にしているだけ」という状態になると、「勝手に指が動く」「登場人物が勝手に動く」という怪現象を引き起こします。

 そんな非科学的なことをSF書いている人がいうのはどうかとか、おっしゃる方も中にはいらっしゃるかも知れません。が、モノカキたるもの、一度は経験してみたいではありませんか。俗に言う「トランス状態」というやつを。


 登場人物の置かれている立場を考え、その心理になりきり、物事を考えてみるとします。目つき、髪型、口元、姿勢、体型、そして指先まで。この人物であればこう考えるであろう行動を一つ一つとっていきます。それはもう、端から見れば恥ずかしいことこの上ない作業です。

 私の書いている作品を例にしますと、大抵中年のおじさんが出てきまして、その人が殆どの割合で後ろめたい職業に就いていたりするわけですよ。そうすると、大体目つきが鋭く、目元のしわがはっきり刻まれ、寡黙で殺伐としていて、少しでも気に入らないところがあると豹変するような性格なわけです。そうした人物になりきってくると、背中に何か黒くて思いものをしょったような気持ちになってきます。普段なら絶対に吸わない煙草を、きっとこの人物であればこのタイミングに吸うと、何となくわかるようになりますし、その人物が苛々すれば息が荒くなります。そうこうやっているうちに、その人物の特性のようなものがわかってきて、すんなりと台詞が浮かぶようになります。

 いちいちこんな風になりきるわけではありませんが、そうやって具体的にイメージすることで物語や台詞の運びが自然になってくるのはいうまでもありません。

 実は私、あまり人物の設定を細かく考えたりはしないんです。漠然と顔が浮かんで、漠然と体型が浮かぶ。その人のプロフィールもかなり曖昧に作って、あとは物語の中で人物像を作っていきます。

 世の中には具体的に身長体重、生年月日、血液型、好きなものだとか気に入りの何とかだとか、細かく決める方がいらっしゃるようですが、そういうのは、どうも自分の中で変なイメージ付けをしてしまうようであまり好きではありません。

 例えば、血液型の話をするとします。同じ血液型の人の話をしていたとしても、なんだか詳細で異なってきますよね。人間を四タイプに分けるだなんて実際ナンセンスですけど、それと同じように登場人物を動かし始める前にあらかじめ行動パターンや思考経路を作ってしまっていいものか。

 もし、その人物が実在の人間と同じように振る舞う必要があるのだとしたら、(というか、当然それは必須だと思うのですが)同じ人間として考えるに、この人物はどのように動くだろうかと考えるのが自然だと思うんですよ。あくまでもプロフィールだとか経歴だとかいうのは参考に過ぎないのではないかと。

 もちろん、軽視していい問題ではありません。医師の免許を持つ人が災害現場で人命救助に行かねばと動くのも、金融機関の人間が直ぐに詐欺の臭いを嗅ぎつけるのも、経験が元になっているわけですから。その経歴の重要度というやつが、人物の中でどのくらいの割合を占めるのかによっても、予測できる行動は変わってきますよね。


 自分が見たことも聞いたこともない人物像には、とてもなりきれません。まずは具体的にイメージするところから始めなければなりません。前述と重複しますが、それは画像としてのイメージではなく、人間としてのイメージです。

 わかりやすいところで言うと、身近な人物をモデルにしてしまえばよいのです。

 例えばファンタジー小説なんかのボス。いつも気にくわないいけ好かないクラスメイトとか、はたまた雄弁を繰り返し実力がどうかさえ疑問な塾講師だとか、街角であった嫌な大人、近所の誰か、テレビや新聞を賑わした話題の人……等々。そうした身の回りの人間からイメージを膨らませていきます。何人かのイメージを混ぜ合わせるといいかもしれません。そうしたらより、オリジナリティが出るかもしれません。

 そうやってイメージできた登場人物の殻に、自分の持っている出来る限りの感情のデータを重ね合わせてみます。そして、外見や人物像に合うように変換してみるのです。

 最初は何となくでも、だんだん回数を重ねればよりはっきりと人物が動き出すようになります。画像だけの人物像から、人間性のある人物像に近付くプロセスとして、こういうことも必要なんじゃないかと思います。


 私も以前そうだったのですが、書き始めの頃はどうも、人間らしい人間が書けなくて。というのは、決して台詞回しが怪しいとか、設定として矛盾があるだとか、そういうことじゃないんです。登場人物に「血が通っていない」ようだったんです。

 いわゆるご都合主義、というやつでしょうか。物語を完結させるための無理矢理過ぎる展開にも、こうしたぼんやりとした人物像では反抗できません。人物が人間としてではなく、物語を進めるための駒として動いている状態です。

 これは読んでいると直ぐにわかってしまいますし、何より途中放棄したくてうずうずしてしまう原因になります。


 よく、漫画を見て泣いたり笑ったり、しますよね。それって、人物の表情が豊かで、思わず同じ気持ちになってしまう時じゃありませんか。

 硬い表情のまま、デッサンが狂ったような顔でカッコイイ台詞を書かれても全然感動しませんよね。より人間味があって、自然に動いている絵の方が、インパクトも大きいし、何より読みやすい、そんな気がしませんか。

 それは文章になっても同じ事ですよね。

 出来れば読む方は主人公たちと同じようにハラハラしたいし、涙も流したい。その現場にいる空気を感じたいと思っているのではありませんか。


 登場人物をただ動かし、上手いこと物語を完結させればいいだなんて、そんな浅はかな考えでは面白い話は書けないと思います。それに、書いている人が楽しくない話を読んでいる人が楽しく思うかというと、そんなこともないのではないかと。

 こうなったら思い切り、その人物になりきって恥ずかしいくらいに同化してしまえばいい。作品の中に入り込んで面白く書き進めたものなら、きっと上辺だけの知識や技量で書かれた作品より面白いはず。

 人物の息づかいや、汗の感じ、心臓の鼓動、その感情の色などは、小説でなければ表せないものだと思います。こうしたものを読者も一緒に感じ取れるのが小説の良さな訳ですから、その特性を存分に生かすべきですよね。

 絵が上手くなくたって、文章が稚拙だって、その思いや感情は自分自身だけのものだと、自信を持ってみるのもいいかもしれません。上手い設定、細かい知識なんて、所詮プロには及ばないのですから、自分に出来ること、即ち感情や人物の表現なんかに力を入れてみるのも一つの手だと思うのです。人物が魅力的なら、きっと作品自体が光ってくるはず。

 こうして、少しずつ自分だけの作品を書けるようになったら嬉しいですよね。

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