魂6◎批評・感想と作者の思惑
作品を書いているからには何とかして感想や批評・評価を貰わねばと、誰しも一度は思うはずです。自分の作品は他者にどう受け止められているのか、気にならないわけがない。そのため、ある程度書き進んでも宣伝を必死にやっても何の反応もないとむなしさを覚え、批評サイトや批評請負人に作品の評価を頼むときもあるでしょう。それが決して自作の宣伝などではなく筆力向上のためであったとしても、その「批評をお願いする」という行為がもたらす効果というのは作者の思惑通りにならないこともあったりするのです。
私も書き始めの頃、どうしたら上手くいくのか本当に面白くて読んでくださっているのかわからずにあちこちのサイトにお邪魔して批評を願ったものです。それこそ個人サイト同士の批評ですから、殆ど褒めまくりで肝心の構成の粗など到底見抜いていただけないものでしたが……、それでも感じたことを書いてくださることが嬉しくて、それを糧にしてどんどん更新を勧めた覚えがあります。様々な感想同盟や批評交換同盟なるものがありまして、ここで知り合った方と何度か批評を交換したり、話し合ったりしたことも一度や二度ではありません。しかし、自分と同じ考えで相手に感想や批評を求めているかという点においては必ずしも合致しないことがあり、どうしても軋轢が生じてしまうのです。
ただ褒めて欲しくて書いている人もいます。恐らく、自分の存在意義を「小説を書く」という行動で示したいのでしょう。こうした人には甘口の感想や差し支えない程度の指摘をさりげなく入れる程度にしなければならないのかも知れません。
本気でプロを目指している人には、きちんと批評し、これから先文学賞等へ応募する際の参考になるよう考えなければならないかも知れません。あの時はっきり言ってくれなかったからなどとあとで後悔されないように、です。
しかし、実際には上記のような二種類に簡単に分かれるはずもなく。平たく言えば「趣味で書いている」と括られるモノカキさんが多いのではないでしょうか。そうなってくると、それこそ感想や批評を書く方もそれなりに気を遣い、かつやんわりと事を荒立てないようにしなければならない。これが相当やっかいで、私のように感想を書くのが苦手だったり足跡を残すのが億劫だったりする人間にとって、壁になっていると言っても過言ではないのです。
世の中にはそれでも親切な方がいらっしゃるようで、「感想サイト」「批評サイト」と呼ばれるボランティアサイトさんが数多く存在します。その規模は様々、殆どが個人運営のサイトやブログです。こうしたサイトさんに取り上げていただく、もしくは依頼して読んでいただくことで確実に感想や批評を得ることが出来ます。筆力向上・読者獲得、思惑はそれぞれだとしても、批評サイトさんのよいところは「この人が読んで面白いと感じた作品なら私も読んでみよう」と思ってチェックしている人が結構多いこと。更新頻度も様々ですが、定期的に更新しているサイトさんもあります。そのため、取り上げられる=宣伝効果が期待できます。これはまさに願ったりかなったり。一度に二つの効果を得られるというすばらしいシステムではありませんか。
私もいくつかの批評サイトさんにお願いして読んでいただき、様々批評いただきました。高評価をいただいたときは本当にグンとアクセス数が伸びましたから、ものすごくびっくりした覚えがあります。厳しい意見をいただいたときでもやはりそれなりにアクセスが伸び、批評サイトによる批評が読者数の伸びに繋がると実感いたしました。
感謝です。それはもう、感謝でしか有りません。
普段からコツコツ宣伝はしておりますが、執筆にも宣伝にも殆ど時間を割けない私からしたら、批評感想サイトさんで取り上げていただき感想をいただくというだけでも十分ありがたいことなのです。もちろん、日々ぽつぽつと押してくださるWEB拍手にも励まされてはおりますが、実際文字として感想が姿を現す、その衝撃といったら! 恥ずかしいやら照れるやら、穴にはいりたいやらしますけれども、正直嬉しくてたまらないのです。
しかし、批評人の方々も様々な種類の方がいらっしゃいます。どこまでも甘い感想の方、厳しすぎて凹んでしまうくらい辛口の方。それぞれのサイト・批評人にカラーがあり、人によっては選り好みしてしまうこともあるようです。
私はむしろ嬉しい方なので気にしませんが、批評人の方々も人間ですから、的外れなことを言ってしまったり筆者の想定外の解釈をなさる方もいらっしゃいますよね。そうして例えば作品を極端に卑下されてしまったり、作品価値を急激に低下させるような発言をしてしまうこともあります。それもこれも批評人の感性なのですから、私はそれほど責めることはないと思いますが、それによって傷ついたり憤慨してしまったとき、批評人本人に矛先を向けるのは私は反対です。
感想や批評は読んだ本人が感じたことを書いた結果として生まれたものだと思うからです。罵詈雑言が並んだとして、そう思うこともある、と解釈せざるを得ないこともあります。もちろん、程度が過ぎれば名誉毀損であったり誹謗中傷に当たり、近頃ニュースで話題になったように書き込みによって逮捕される例も出てくるのですが。実際そこまでひどい書き込みをされるようなことはまず、ありません。
例えとして「これは小説ではない」「資料不足で読むに耐えない」「公開レベルに達していない」などと言うことは、読む人によってはそうとしかとれないものもあるので、私的には許容範囲です。作品に対する感想を言うのはいいとしても、作者自身を傷つけるような言葉は慎まねばなりません。大抵の批評サイトさんはその辺は心得ているはずなので、作者中傷コメントはまずありませんね。
批評感想サイトさんは、自分が読み、書いた感想に対して偶に作者から戻ってくる反応と、自分と同じ考えで読み進め共感してくれる読者仲間との繋がりを大切にしています。と同時に、自分が読んで面白いと思った小説を素直に薦めたいと心から思っているはずです。
沢山の小説を読み漁っているこのサイトの管理人さんが読んで面白いというならきっと面白い、そういう確信を持って読者も集まります。――さて、そのサイトで辛口評価をつけられた作者が、思わずそれに対し攻撃的なコメントを返したとしたら、どうなるでしょうか。
私はモノカキとして、出来ればそういう興醒めしたことはやりたくありません。出来るだけ作品ないで主張したいし、もし自分の作品が不出来だったとしたら作品のレベルを上げて見返してやりたいですよね。私もやたら細かく感想に対して返信してしまい、殆どネタバレになってしまうことがありますけども、なるべく核心には触れずに出来るだけ作品を直接読むことでしか感じ取れないリアルな感情を読者にとっておいてあげたいのです。
ただのエゴかも知れません。作品を仕上げたという達成感と、自分の作品を誰かが読んでくれたというだけのことに、必要以上の興奮を覚えているだけなのかも。だけど、そういう些細なことがモノカキには必要なんだと思いますよ。
読んでくれる人がいなければ作品の価値は計れません。だから、どんな辛辣な批評だって、一言感想だって、貰ったら嬉しいもの。全部自分に都合のよい感想でなければダメだなんて、誰も思っていないかも知れませんが、急にそのようなものが目の前に突きつけられたとき、どれほど平静を保てますか。自分の作品に自信があるなら、少々のことでは動じないはずです。悔しければ文章力を上げるしかない、プロットをきちんと組み上げるしかない。
作中での説明不足を指摘されたり、専門用語解説の多さに文句をつけられたりなんてしょっちゅうじゃないですか。作者がその話の完璧な読者になる事なんて出来ないんだから、やっぱり、第三者の言うことには耳を貸さなければならない、その姿勢を忘れてはいませんか。
私、天崎の住む山形県庄内地方には、「もっけだの」という言葉があります。「もっけだ」とは、ありがとうございます、大変ご面倒をおかけしましたねと言う意味、語尾の「の」は丁寧さを表しています。つまり最上級の「ありがとう」として使われます。わたしはこの「もっけだの」の精神をもって作品を作り続けたい。誰かに読んでいただいた、「もっけでした」。感想をいただきました、「もっけだけの」。低姿勢で、謙虚に。だって、読んでいただけるだけで幸せだと言うことを忘れたくありませんからね。
「おくりびと」米国アカデミー賞外国語映画賞受賞おめでとうございます。撮影地近辺に住んでいます。
映画の中で「もっけだの」が出てこなくてちょっと寂しかったんですが、多分訳が出せないからだろうな、と解釈。どうでもいいことですけど。