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魂5◎感想文恐怖症

 私は時間を割いてまであまり小説を読もうとしないので、恥ずかしいくらいの読書歴しかありません。元々漫画家志望で漫画ばかり読んでいたのと、小説を本格的に書き始めたのが結婚後子供が生まれてからだと言うのもその一因かも知れません。

 小学校から高校にかけて夏休みの宿題に出される「読書感想文」というやつがこの上なく苦手で、激しく嫌いでした。感想文というからには読んで正直に感想を書くモノだと信じて書き連ねていましたが、どうも学校で教わる感想文の書き方とは違う方向のモノを書いてしまうらしく、コンクールなどには全く出してもらえませんでした。

 感想を書く、というのが苦痛でした。箸にも棒にもかからないからというだけじゃなくて、自分が書く感想は「感想文」ではないとレッテルを貼られているような気さえしたのです。たとえ他のことでカバーできたとしても、この「感想文」の壁は学生時代私を阻み続けました。どうすればコンクールに出してもらえるような真っ当な「感想文」が書けるのか、どのような構成の「感想文」ならばよいのか。ついに答えは出ぬまま学生時代を終えてしまいます。

 小説を読み、思い、感じたことを書くだけではダメなのか。経験と絡めてみたり、作者が考えただろうテーマを真剣に考えてみたり……、それでもどうにもなりません。いつしか、考えながら読むことも感想を書くことも嫌いになってしまいます、当然のことです。


 ある時、ふとしたことからネットで小説を書き始めました。いろいろなサイトにお邪魔したり、同盟サイトに加盟したりすることで仲間が出来ました。すると、どうしても他人の作品を読み、感想を書くという過程を経なければならないことに気が付きました。

 どうしようという気持ちと一緒に、何とかして自分をよく見せよう、相手を傷つけないでおこうと思い始めます。ネットでは相手がどのような人間かもわかりませんし、年下か年上か、男性か女性かすら見当が付きません。困ったあげくに、私は何とかして読んだ小説のよいところだけ抜き出して相手を褒め称えようという卑劣な手段に出てしまいました。今思えば、そういうことしか思い浮かばなかったんだなと思いますが、当時は必死です。どこがどうよいのか、探すにためらう作品だって、世の中には有るじゃないですか。それでも褒めまくる。ああ、なんて無謀だったのか!

 そんな褒めまくり大作戦も、いずれあっけなく幕を引きます。そう、褒め飽きたのです。正直な言葉を全部飲み込んで、相手を褒めすぎるなんて私には無理だった。何故気づかなかったのか不思議なくらいです。

 馴れ合いに嫌気がさした数人と、仲間内で本格批評をしようと言うことになりましたが、残念ながらその願いも叶いませんでした。忙しさを理由に、途中放棄されてしまったのです。


 どんどん創作に対する欲求が高まり、上手くなりたい、感想をもらいたいと考え始めます。あちこちの批評サイトにお願いして、辛口批評を得る日々が続きました。自分のどこが悪いのか、どの辺りが面白くないのか。「感想」にも「批評」にも飢えていました。面白い話を書き上げるためならどんな感想でも欲しかったし、それ以上に「反応」が欲しかったのだと思います。

 書いた話を読んでくれる人がいる、読んで感想を残してくれる人がいるというのは、ネットならではのことではないでしょうか。同人誌を売っていたときもそれなりに反応はありましたけども、電子メールもネットも殆ど普及していなかったあの時代、80円切手を貼ってわざわざ感想をお寄せいただくなど稀で、売り上げ=面白さの指標なのだと諦めていたのですから。


 時代が進み手軽に感想を送れるようになりましたが、簡単な一言感想ばかりではつまりません。思ったことを正直に、且つ論理的に綴ることが欲求されてきます。相手を傷つけることなく、感想を伝えることの難しさも知りました。納得できる書き方でなければ「感想」は「批評」、「批判」へと勝手に姿を変え、書いた本人が思わぬほどに相手を傷つける刃になるようです。私の残した感想が、とある作者の方から勝手に荒らし認定されてしまったのです。

 学生時代の「感想文」ではないけれど、そういうことがあると感想を書くのが億劫になってしまいますよね。自分の書いた「感想」が「感想」として認められない。とすれば、あの文章は何だったのかと考え始める。自分の思ったことを正直に書くことが何故いけないのか。書いた文面をそのまま素直な気持ちで受け止めてくれなかったらどうするのか。心配する必要のないことまで考え始めると、いつかそれが苦痛になって他の人の作品を読むことも、感想を残すことも嫌になってしまいます。

 全ては相手への思いやりだとは思うんですけど、だからといって、自分が正直に思ったことを書けないのは辛いのです。誰かの作品を読むことに慣れ、素直に感想が書けるようになるまで数ヶ月かかりました。その間、ずっと励ましてくれた仲間がいたから続けてこれたけれども、あの時一方的に私が悪いとされたら、多分私はネットから姿を消していたのではないかと、いや、ネット上にいたとしても、隅っこでこぢんまりと自サイトを運営して自己満足で終わっていたのではないかとさえ思います。


「感想」を書くのには、勇気が要ります。それは今も変わりません。軽々しく書いたらきっと軽蔑されるという気持ちも、今も一緒。だけど少しずつわかってきたのは、そういうおっかなびっくりを内包しつつ、正直に書くことの大切さ。コンクールで認められる必要なんて無い、相手に縛られることもない、心から感じたことを素直に書けばいいと言うこと。

 世の中、思いやりが大切ってよく言いますけど、「感想」だって作者に伝えたいことを正直に悪意無く伝えるのがいいんだと思います。「感想」を貰った作者さんだって、相手がどのような言葉を残したとしても、常に感謝の気持ちで受けとめれば軋轢なんてなくなるのに。

 ほら、偶にいますよね。「感想」を貰って逆ギレする人。結構皆さん神経使って感想書いてると思うんです。なのに、感謝しないでキレるのは嫌だなぁ。たとえどんな感想だって、読んで思ったことなんだから仕方ない、位の度量を見せて欲しい。了見狭いのは見ていて恥ずかしいですし。何よりも、一生懸命書いた作品だもん、何言われてもどーんと構えます! っていう格好良さを見せつけて欲しいですよね。でないと、私みたいに「感想文恐怖症」になって、どんどん感想書けない人が増えちゃいますから。 

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