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魂45◎登場人物が死んでいる

 人気アイドルグループの某さんが主役だとかで話題のドラマなんか観ますと、どうもその方のセリフだとか仕草だとかがドラマにマッチしてなくて首を傾げてしまいます。話題性の観点からアイドルを使うのは昔からよくある手ですけど、それだけ。某さんは常に某さんであって、ドラマの登場人物になりきれない。別の俳優さんの方が味が出て存在感も増すのではと思ってしまうのは、私だけでしょうか。

 スポンサーや視聴者がどれだけそのドラマに興味を示すか、数字を求められる世界です。でも、だからって言って、実際そこにはめて違和感のあるようなとんでもない配役でドラマ作られてもね、結局は途中で飽きられて視聴率がた落ちです。……って、最近のドラマ事情見て思いました。

 元々ドラマはそんなに見ないんですが、「この人じゃなきゃ、この役は出来ないよ!」って思えるドラマが少ない気がします。

 漫画原作だったり、派生商品の売り上げを目的としていたり。時代の移り変わりが早いからと言っても、限度があるじゃないですか。「面白いドラマを作っている」のではなく、「視聴率・金になるドラマを無理矢理作り上げている」ような。大体、ドラマにゲストってどうなんでしょう。いくら視聴率押し上げたいからって、無理な配役や展開でゴリ押しされても呆れるだけですけどね。

 以前からこのエッセイでも何度か書いてますが、数字に踊らされすぎてて本来あるべき姿を失っている一例ですね。冷静に考えれば、どんな話が面白くてどんな話が受け容れられないのか、配役に関しても然り、予測はつくはずなのに。予算云々言い訳にして物作り怠っているように見えてしまうのは虚しいものです。


 数字と言えば、WEB小説ではいわゆるアクセス数やら感想・評価数なんかが取り立たされます。そういうものを意識しすぎているのかどうなのか、いわゆる「キャラ小説」と呼ばれているようなもののなかに、肝心の登場人物が死んでいる作品をよく見かけます。「登場人物が死んでいる」というのは、殺されたという意味ではありません。作中で人物像が全く描き切れていない状態のことです。

 ドラマでセリフ棒読みする若くてカッコイイアイドルを思い浮かべてください。見てくれはいいのです。登場人物の設定はいいのです。それだけです。

 若い子やファンはキャーキャー言うのでしょうが、表面だけですよ。中身真っ白。その登場人物の人となりを掴み切れていない。感情移入できないのも、その人物がどのような人間であるのか考え方をしているのかがわからないから。その世界にどっぷり入り込んでなりきっていただくと、視聴者も安心して観ていられるのですが、なんや覚えたてのセリフ並べただけでは「は~ん」って、鼻で笑ってしまいます。

 WEB小説でよく見かける、登場人物の外見描写ばかりのもの。前回も少し触れましたが、外見を美しくすることで作者が自己満足してしまっているのでは。若くてカッコイイアイドルを据えた、だから数字がとれる、だから自分の小説は素晴らしい。な~んて、まさか思っていたりはしませんよね。問題はその素敵な登場人物が内面もいかほどに素晴らしいのかというのをさっぱり描写できていないものが多いということなんです。


 キャラ小説が全然読めないということではないのです。

 キャラクター、即ち登場人物がどのくらい生き生きと描かれているかが問われる小説において、その外見や遍歴だけを垂れ流しして満足しているものが多すぎて適わないというだけ。人間対人間の絡みではなく、キャラの形をした無機物同士を作者が遠隔操作して、セリフを当てレコしてるみたいなのは、どうも苦手です。小説じゃなくてコント見てるみたいで。

 中身が入ってないってのは、印象には残りにくいです。面白かったと一瞬だけ思われても、だから何が変わるわけでもない。今のお笑い界みたいな感じ。そのとき一瞬でも流行ればいい、来年はダメでも今年一生分稼げればいい……みたいな。そういうネタはすぐに廃れます、飽きられます。そのときだけ喜ばれればいいってのは、若くてカッコイイ話題のアイドルを主役に据えたドラマに似ています。

 その登場人物を使って何が描きたいのか、目的がはっきりしないからキャラが生きてこない。その登場人物、その配役でなければ作品が成り立たないというくらいの凄味がない。登場人物側もそれを操る側も必然性を見いだせない限り、登場人物が死んでしまうのではないかと。


 キャラ小説に限らず、登場人物を生き生きと描くためには外見だけじゃなくて内面を描かなくてはなりません。内面を描き作品自体の魅力を増すのです。

 内面を描くということを、心理描写することだと勘違いしている方もよく見かけます。心理描写以前に、その登場人物の生き方や考え方などの具体的な人間像をどのくらい作り出しているかが問題だと思うのですが。

 人間臭い方が、私は魅力があると思います。

 思い悩み、時にトラブルに巻き込まれ必死に回避し、挫折を味わってみたり打ちのめされたり。そういう紆余曲折が一番面白いのに、そういうのすっ飛ばして表面上だけのやりとり、しかも背景描写なしに書かれても読者は全然面白くないですよね。

 すさまじい設定なのに「キャラが死んでる」なんて言われたら。キャラクターを描きたいだけなのにそう言われてしまったとしたら。

 普通のしがないおっさんでも人物像を生き生きと描くことは可能なのですが、やっぱり主人公はカッコよくないとダメですか。

 どうも「魅力的な登場人物」ってのを、「誰からも愛される才能に溢れた格好のいい人物」ってのとはき違えている方が多くいらっしゃるように思えるんですよね。魅力的というのは、人間として惹き付けられるものがあるという意味であって、のび太みたいのでも十分魅力的なんですが。それぞれの登場人物が「人間として」生き生きと描かれていることが重要なんですけどね。


 ちなみに、枯れ専の私からしますと、キャラの外見が美しくある必要は全くないですね。寧ろ、疲れたおっさんのほうに魅力を感じます。そこにいるだけで人生観が漂うような人が好みです。人物を見ただけで物語が湧き出てくるような、深く刻まれている人生観と言いますか。そういうのがいいですね。

 見てくれだけよければ~ってのは、今はないです。見た目だけで人を判断するのは嫌だし、そういう人にはなりたくない。外見だけに左右されるって、私生活でも殆どあり得ないし。

 小説や漫画、ドラマや映画などの創作物であるから外見にこだわるの、設定にこだわるの。……違いますよね。

 日常生活でも人間を表面上でしか見ていないってことはないですか。どんな人間にも魅力があるのだから、もっと人間観察をした方がいいのかも。魅力的な人間って、なにも万能な人だけを指すわけじゃないとわかってくるはず。

 設定だけわさわさとしてあって人間の描かれていない作品なんて、無機質すぎて逆に魅力が感じられないと思うのですが、言い過ぎでしょうか。「あなたの小説は人物が死んでます」……って、言いたいところをぐっと飲み込む今日この頃であります。

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