魂44◎痛い作品にならないための一歩
WEBで小説を読むようになりまして数年経ちます。元々そんなに小説というものには興味がなくて、自分が書くようになったので他の人の作品も読んでみようと思ったのが切欠。あちこちうろうろしているうちに検索サイトを見つけ、交流サイトを見つけ、投稿サイトを見つけ、今に至ります。
小説の競作企画というものにもかなり参加させていただきまして作品も色々と読ませていただきましたし、自分でも企画を立ち上げてこなしてきました。
たくさん読みあさるようになればそれだけ様々な作品に出会います。良い作品からどうしても性に合わなかった作品まで、とにかくいろんな作品が存在します。
その中で、今回は私がこれは「痛い」なと感じてしまった作品、その傾向について分析してみようと思います。
私はそういった作品群に対して批難するわけではなく、「アイディアは悪くないと思うんだけれども、このままでは即バック(最後まで読めない)率がものすごく高いですよ」と警告する内容となります。また、私の以下の文章により不快感を得たとしても私は責任を取りません。
もしこの先を読むのだとして、向上心のない方、今の書き方に満足しておられる方、他人に指摘されることを著しく嫌う方は速やかに画面を閉じてください。気分を害する恐れがあります。
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これは私が初心者だったころもよくやったことなので、別にそれが悪いって否定する訳じゃないんです。でも、やっぱりある程度小説というものを書き慣れてきたら少しステップアップしたいですよね。
もし、自分の作品が「痛い」作品だと思われたくないなら、少し考えてみましょうという、ただそれだけのことです。
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まず、小説というものは出だしで決まります。最初の二、三行で如何に読者を引き込むかです。
有名な小説の書き出しはどれも最初の一文を読んだだけでするすると次に入っていける、そんな書き方をしているはず。「『小説の一行目』/小説の一行目研究会 (編集)・しょういん刊」という本もあるくらいです。
その大切な出だしにまさか、主人公の自己紹介なんかあったり……しませんよね。
もし三行目、いや、一段落又は一塊の中に主人公の名前がフルネームであったりすれば、私は暫しその先を読むか読むまいか悩みます。とりわけ一人称でフルネーム書かれてしまうと、二三歩退いてしまいます。
主人公の名前は出してくれないと確かに困るものだけれど、だからといって前面に押し出さなきゃいけないようなものでもない。キャラ小説だからいいんですって訳じゃなくて、そんないきなり名乗られてもまだどんな中身か全体像見えないのにって、読者がおどおどしてしまうんです。人物の紹介は、冒頭部が少し落ち着いて周り(世界観)が見えてからでも遅くないように思うのです。
主人公や登場人物について、紹介の仕方というものにもひと工夫必要です。
キャラクターのフルネームはもとより、髪型顔の特徴身長体重誕生日から家族構成に略歴、考え方性格から普段ハマっていることまで、どど~んと書いてしまう。これはまさに痛い……と言うより、きっつい。覚えきれません。作中で必要なことだけ書いてくださればありがたいのですが、それは無理なのでしょうか。私は一人の読者としてキャラのプロフィールなど知らなくても困らないのです。どうしても書かなければならないのだとしたら、後書きや外部ページにでもおまけとして書いてくだされば結構でございます。
読者が知りたいのはその人物がどんな人間かということだけ。良い人なのか悪い人なのか。作中でどのくらいの重要なのか。
肝心なことのわからない人物紹介なら割愛していただきたいというのは、読者のワガママでしょうか。
人物の動きを四六時中追っている作品もなかなかいただけません。
例えば学校を舞台にした作品。授業内容や座席の配置がどうであったとしても、それが作中で重要でなければ書かなくてもいいはずですね。
物語に必要なことと不要なことを整理し切れていない――何が言いたいのかわからないまま日常生活に付き合わされてしまうのは、実に辛いものです。作品の中で重要な意味を持つのでなければやはり割愛していただきたいのですが、これも難しいことでしょうか。
重要部分を今か今かと待ち、読み進めても起伏がないのはなぜでしょう。
……少し書きすぎたような気もしますが、実はここまでは序の口で。
ある方に教えていただいた『メアリー・スー(Mary Sue)』について書き記しておこうと思います。
『メアリー・スー』は二次創作(原作の設定をいじって読者や愛好者が作り出した派生作品・ファンフィクション)の用語だそうです。SFドラマ「スター・トレック」二次創作のオリジナルヒロイン『メアリー・スー』からきているのだとか。メアリーは若く美しく才能があり、最後は悲劇で幕を閉じるというキャラクター。海外の二次創作では作中に自分自身を投影させたオリジナルキャラクターを登場させる手法を取っている作品が多く、誰にでも愛され都合良く涙を誘うキャラは自己愛が顕著に表れているため、嫌われる傾向にあるようです。
二次創作の『メアリー・スー』がどうして一次創作にも関係があるのか、ここからが重要です。
自分が作成したキャラクターというのには、どうしても自分を重ねてしまいがち。本当はこうなりたい、こういう風に活躍したいという願望が見え隠れします。物語の中で活躍させたい、目立たせたいし、愛されて欲しいし、泣かせて欲しい。さて、どうするか。
もしかして、悩んだらまずキャラクターから練っていませんか。凝った設定で物語が作れたとします。ご都合主義な展開にはなっていませんか。不要な設定が混じっていませんか。
試しに、こちらで診断を。
Mary Sue テスト
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/column/marysue/index.html
携帯電話からの方はご覧いただくことが出来ないと思います。一部内容の紹介をしておきます。
【名前】キャラの名前は自分のHN、本名等と被っている
性別不詳の名前、世界観と合わない
【外見】髪の毛の色や目の色がかわっている
顔に傷がある、性別逆転した格好をしているなど、身体的特徴が多い
【生い立ち】不幸な過去、トラウマがある
敵のボスと繋がっている
【能力】超能力を持っている、すぐ覚えるなど最強キャラである
【他人との関係】全てのキャラが最終的にそのキャラを愛する
【あなたとキャラとの関係】自己反映率が高い
【ストーリー】世界の半分以上の人間が死ぬ
世界の命運を握っている
最後にもう一つ設問があるのですが、それは上記サイトにてお確かめください。なかなか興味深い結果が待っていると思います。
さて、自分の作品はどうでしょう。ちなみに私は24点、このくらいなら大丈夫と書いてありました。自分の作品を振り返りつつ、一度挑戦してみるのをオススメします。
自己のキャラが『メアリー・スー』であったにしろなかったにしろ、やはり物語を作る上での基本として、せめてキャラクターと物語のバランスは大切にしたいものです。これが破綻すると、キャラクター説明ばかりの地の文になったり、ご都合展開になったりする確率が上がってしまいます。
『メアリー・スー』はあくまで二次創作の用語ですが、あえて一次創作にも当てはめて考えてみます。
主人公が強すぎるモテ過ぎる、軽々とピンチを乗り越える、すぐに新しい力が手に入る等々……。現実的に考えてあり得ない設定が物語の起伏を邪魔している場合が多々見受けられます。作者が登場人物をかわいがりすぎるので、人間として描ききれない――“キャラクター”としては成立しても、決して“人物”にはならない――なんてことはありませんか。
私が読んだいくつかのWEB小説にも、やはりこのような事例は当てはまりました。主人公の人間的な内面がなく、表面のみしか見えないのです。私の読解力云々かどうかは不明ですよ。そこに共感する方もいらっしゃるのですから一概に否定はしませんが、いわゆる「面白味に欠ける」原因の一つはそこにあったのかも知れません。
キャラクターの活躍が見たいのではなく、それぞれの登場人物の関わり合いや繋がり、葛藤を読みたいという読者にとって、この『メアリー・スー』化したキャラクターたちは完読の弊害になってしまいます。何か違うと思ってしまったが最後、「痛い」作品だとレッテルを貼られてしまうこともしばしば。もちろん、作品から作者にレッテルが貼り替えられることも当然のようにあるでしょう。
キャラクター小説(キャラ設定を前面に押し出している小説)を否定しているわけではありません。自分のキャラクターをプッシュすることばかり先行して、物語がおろそかになってしまうのは勿体ないと言いたいのです。設定はいいのに、それを生かし切れず即バックされる小説が如何に多いか、です。
物語の中にいてこそキャラクターは引き立つもの。そこを忘れてしまっては、やはりただの独りよがりにしかならないと思うのです。