魂41◎資料集め病
新聞の切り抜きをしています。
以前も書きましたが、本を買う余裕がないので、毎日取っている新聞から資料を切り取っています。最初はSFネタ中心に切り取っていたのですが、気がつくと三〇項目ほどに分類できるほど、細かい記事まで切り取るようになりました。
切り抜いた記事は専用の棚に移し、余裕を見てA4サイズの裏紙に貼り付け、乾いた頃ファイリングしていきます。これが、毎日出来ればいいんですけどね。気がついたら半年分もたまっていまして。家族から「いい加減にしろ」と言われる状態。でも、勿体なくて捨てられない。だって、山盛りになってる新聞の中に、自分が興味のある記事が埋もれてるんじゃないかと思うと、宝の山に見えちゃうのです。ホント、病気です。
とにかく、一度それが資料に見えてしまうと、面白くて仕方がない。子供の頃なんて、新聞の四コマ漫画しか読まなかったのに。今じゃ目を皿のようにして読みふけってます。……が、いかんせん時間がないため、読み込むのは月に一度程度。一ヶ月分かそれ以上の量を一気に頭に流し込みます。必要だと思ったら読みながら切り抜く。それ以外のものは捨てる。これを延々と繰り返す。好きだからやれるんです。好きじゃなかったら、新聞なんてただの紙でしかありません。テレビ欄だけ見たいならそういう雑誌を買ってくりゃいい。そうしないのは、新聞というものに魅力が詰まってるからなんですよ。
特に統計や数字が出てくると嬉しくなりますね。何パーセントがどうだとかこうだとか。おおっと思ってはさみを動かしちゃう。そうやってどんどん切り抜きをためて、
「一体どうするの」
お義母さんに言われましたけども。放っておいてください。好きなんです。
昔から色々集めるのが好きでして。少女雑誌の付録、作らずに大事に保管しすぎてました。お菓子の包み紙や箱、捨てられない。もちろん服屋の袋も土産屋の紙袋もとっておきます。それから、あれですね、ドラゴンボールのカードダスはダブりまくっても全部そろうまで百円玉入れていました。アホです。
収集癖が新聞記事に変わっただけと言うことでよろしいと思います。
新聞記事を切り抜き始めるとですね、今度はその辺でタダでいただいてきた情報誌の記事も、切り抜き始めるんですよ。小ネタや雑学記事、地元記事があると嬉しくて、つい。チョキチョキチョキチョキ。
ウチの娘たちも、新聞紙で遊ぶときは私に許可を取ります。
「この新聞、欲しいのなかった?」
いるかいらないか、サラッと確認してから許可を出す。
「新聞、モノ包むのに使いたいんだけど」
旦那さえ私に許可を取ります。後で、「それ、私の気になる記事載ってるヤツ!」……って、恨まれたくないですからね。
ネタ探すのに新聞はうってつけです。読むと妄想が広がります。何より、無心になれるのでストレス解消にもなるという。
せっかく関心のある事項なのに、何で切り取っておかないの。そう思い始めたのは三年くらい前のこと。未だ育児休業中で毎日暇だった頃です。
以前、仕事の研修で日経新聞社の方に新聞の読み方という話を聞いたことがあります。新聞は一体どこから読むのか、どういう紙面作りをしているのか。新聞記事を活用する方法、などなど。役に立ちました。特に、『関連した記事はずっと読み続ける。そうすると流れがはっきり見えてくる』というのが印象的で。タダ毎日眺めるだけじゃなくて、きちんと整理しておけば立派な資料になるんですよと言われてみて、なるほどな~と切り抜きを始めたんです。
今は自分の興味のある仕事や育児関連、社会問題から経済、医療まで、幅広く切り抜いています。これを作品に生かせればよいのですが、果たしてどの程度生かせたのかは不明。私はあまり難しいことを考えられないので、そのとき一番興味を引かれた事柄に肉付けをして、SFなりファンタジーなりに仕上げていくようにしているのですが。ネタ元が新聞記事だと気づかれないくらい全然違うものに化けてしまいますのでね。難しいものです。
ただ、自分の想像力だけで何を元にするでもなく考えた話より、事件や事故を元にがらりと形を変えたフィクションにしていった方が、私の場合は面白くなるような気がします。リアリティも出しやすいし。なんと言っても、主張がブレない。ぼんやりとしたアイディアだけでは、結局何が言いたいかどんどんわからなくなってしまうような気がして。もちろん、これは私個人の感想なので、まるきりのフィクションでもきちんと書ききれる人がたくさんいるというのは付け加えておきます。
そんなこんなで今もリビングの一角は新聞の山が占拠しています。高さ一メートルの山が四つ。一番下は多分、一年くらい前の新聞じゃないかと推測。正直、切り抜きなどしている場合ではないのですけどね。子供の進級進学などでパタパタしている時期なのに、新聞一枚一枚めくってる時間、ない。それでも毎日新聞は届きます。チラシもたまります。そうこうしているうちに、また家族には、
「そろそろ崩れそうなんだけど」
と言われるわけです。
すみません。至らぬ母親です。本当に勿体ないので、捨てないでください。私が全部読みますので。
言い訳しつつ、今日も新聞がたまっていく。全部なくなるのは、一体いつになることやら。