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魂39◎相手に伝えることの難しさ

 毎度毎度ネタのない中でエッセイを続けています。何でと言われると困りますが、書きたいことがあるから続けているんでしょう。辞めようと思ったこともありますが、感想をいただくと嬉しくて、また書こうと思ってしまうんです。読者に踊らされていると言われたらそうかも知れません。

 自分の思ったことをつらつらと書き殴って毎回共感してもらえるかと言ったら、そんなとはありません。「それは違うと思うよ」「言い過ぎ」「あの人とは意見が合わない」「どうかと思う」直接的にも間接的にも様々なご意見が寄せられて来ます。それをいちいち鵜呑みにしていたらとても大変なんですけど、読んでくれての感想だから私はありがたく受け止めさせていただいてます。

 人に自分の言葉で思いを伝えるというのはとても難しい。未だに感じます。

 ほんのちょっとした言葉の綾で大きな問題になってしまう――というのは、以前も書いたように思いますが、ホントに重要なのはそれに気がついてから先ではないでしょうか。いろんな考えを持った人間がいるのだから、自分と違う考えが当然だと信じている人がいるのはおかしいことじゃない。まず相手を受け容れて、それから自分の言いたいことをゆっくりと語りかけていくことが必要になってきます。

 自分が仕事でお客様と面と向かってお話しするときでさえ、なかなか思いが通じずにトラブルになりかけたことが何度あったことか。互いに「そうですね」の一言があればそれですむのに、なかなかそれが言えない。相手の言葉を素直に受け止めることが出来ないのが人間なんですよね。

 これも前に少し書きましたけど、企業が「お客様の声」に対しどういう応対をするかというものがありまして。言い方は悪いですけど、いわゆる「クレーム対応マニュアル」みたいなもんです。不満があってのクレームなわけですから、お客様は最初から威圧的に向かってくる場合があります。それに対しておどおどし過ぎたり、逆に反論しようとしたりすれば相手は更に憤慨し、収拾付かなくなってしまうのです。

『まずは相手が何を言いたいのか、しっかりと受け止めましょう』

 大抵どの会社の接客マニュアルにもこのようなことが書かれているはずです。それから、

『お客様の言葉を無下に否定してはいけません』とも書いてあるはず。せっかく寄せられたご意見を「違います」と一蹴されて喜ぶ顧客はいませんからね。大切なことです。

 私は偶々営業の世界にいます。毎日知らない誰かとお話しして、その人に信頼してもらって、その上でご契約をいただくことを仕事にしています。まだまだ自分には自信が持てないけれど、相手に精一杯を尽くしたい。「あなただから契約した」って言われたら、最高に嬉しいじゃないですか! そのためにはどんなご意見だって聞き入れるのです。申し訳ないと何度も頭を下げるのです。愚かしいことかも知れないけど、真摯な気持ちが伝われば、相手のモヤモヤだってすっきりするかも知れない。誠実な態度が相手を満足させることに繋がるのなら、私はどんな言葉にだって立ち向かっていけるつもりでいます。

 これって自分が書き連ねている文章にも少なからず繋がるんじゃないかって思うんですよね。

 以前はよく批評依頼をしていましてその度にけちょんけちょんに斬られていたんですが、それに対して「なんでや」って作者が突っかかるのがどうも見苦しくて。相手がどんな気持ちでそういう感想・批評をくれたのかまで察しずに、ただ自分目線で「そういう言われ方をするのは心外だ」って言うのはちょっと。悪意のあるなしにかかわらず相手が寄せてきた感想や批評に対し、「そうですね」と受け容れることが出来ないってことはつまり、自分本位でしかない作品だと言われても仕方がないんではないかと。誰かに読んでもらう、誰かに伝えたい、そう思えばこそ言葉尻に気を遣ったり、相手が読みやすいように構成を工夫したりする。だけど、そういうのがどこかしらで欠如してしまってるからそう思われてしまうんじゃないかって。

 人と人、対面して話し合うだけでもトラブルが生じるのに、インターネットじゃ文面だけだもの、何が起きたっておかしくないですよね。

 よくよく読み返してみれば「こんなことで」って思うトラブルがあちこちで起きてるのを見かけます。例に出した感想のやりとりやらもそうですけど、他にも掲示板やら日記、チャットでもね、些細なことで腹を立てたりつっかかったりしてしまう。みんないろんな考えを持っている、だから反論もあっていい。そして、読み違えさえあり得ることだと想定した方がいい。はず、なんですけどね。 

 決して「疑問に思うことに対して異議を唱えている」わけではありません。もちろん相手の言葉に対して疑問を呈することは必要だし、それに対し自分の考えを発することも重要です。それと同時に、相手の言葉を認めることも大切なのでは? ということ。難しいことかも知れないけど、でも、ホントはそんなに難しくない。誰にだって出来る、小さな思いやりとして。

 こうして書いているこの文章さえ、色眼鏡で見ればきっと奇妙に映るのでしょう。八方美人で、とかく気取っていて、自分が書いていることが相手に確実に伝わっていると勘違いしている。そう思う人もいるかも知れない。私が主張する「小さな思いやり」つまり、「相手の言葉をまず受け容れる」ことが出来る人間ばかりではないことはよくわかっています。だから、100%自分が言いたいことが伝わっているとは思わない。だけど、相手に何かを伝えようとしている態度として確たるものを残したいと、じっくりじっくり練って文章を連ねているのです。

 文章って、残酷なのですよ。

 私が考えたとおりの音や響きになっているのだろうかと、私の思いがそのまま伝わるのだろうかと、考えても考えても答えが出ない。形があって無いようなものです。文字の羅列。これをどうやって駆使して相手に伝えようかと、ない頭を捻ります。

 エッセイですらなんやかんや伝わらず騒ぎ立てられるのに、これが物語になったらもっと大騒ぎ! どうすれば私の思いが伝わるのだろうかと頭が禿げてしまいそうなくらい悩み続けます。映像みたいにね、スッと頭に入ればいいのに。音楽みたいに耳に音が残ればいいのに。文章ってなんて残酷な媒体なのでしょう。だけど、その媒体を選んだのだから、それでしかできない方法を使って相手に伝えていくしかない。これはクレーム対応なんかよりもっともっと大変な作業ですね。

 相手に100%自分の考えたことを伝えるのは正直、不可能に近いかも知れないとさえ思います。どんなに頑張っても、私の頭の中は相手にトレースできない。相手がどんな人間でどんな思考をしているからこの書き方が一番良いのだと、一人一人に合わせて文章を連ねることも出来ません。だからといって諦める訳じゃなくて、やっぱり真面目に文章に向かっていくしかないんじゃないかな。一生懸命さは、伝わるもの。

 本当に、伝えるって難しい。自分の気持ちが簡単に相手に伝わってくれるなら、世の中から争いなんてなくなるはずですからね。考え方です、難しいからこそ面白い。どうやったらこの気持ちが伝わるのか――私に出来るのは、ただ足掻き続けることくらいなのかも知れません。

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