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魂38◎代わりはいくらでもいる?――代替えできない自分を目指せ

 某アニメの台詞に「代わりはいくらでもいるもの」ってのがあって、かなり印象に残ってます。作品自体は殆ど見たことはありませんが、その台詞だけは妙に覚えてます。いくらでもいる、そう呟いた彼女の寂しげな声。彼女が彼女でなければならない理由とは何なのか、考えさせられるような場面でした。

 例えば兵士。ある種、『数の正義力』みたいなものがあって、次から次へと兵を増強できる国はとにかく強いわけです。先陣が耐えても次から次へ注ぎ込んで相手の力を削いでいけばいずれ勝てます。その兵が誰なのかが問題ではなく、兵であることが重要。端的に言うと、戦力として数えられるかが重要。ゲームや小説の世界ではその人が兵士じゃなかったら勝てなかったみたいな描かれ方してるけど、実際はどうなんでしょう。結局『数』『代わりはいくらでもいる状態』をどれくらい保てるかでその国の強さが出てくる気がします。(※技術力や戦術、交渉力などは抜きで。今回はあくまで代替え価値についての考証であり、戦争観についての語りではありません、あしからず)

 企業でも下っ端営業マンや作業員は『代わりはいくらでもいる』存在なのかも知れないと思うときがあります。辞めてしまっても、そのポストには次の日から別の人が就いている。『代わりはいくらでもいる』から、日々自分の存在価値を計れずにいる会社員て結構多いと思いますよ。自分にしかできないと信じていても、すぐに覆る。「ああ、自分は大勢の中の一つに過ぎなくて、自分の存在など団体の構成には差し支えがないのだ」と思ってしまったら鬱ループ突入ですね。

「自分にしかできない」「自分でなければダメだ」って思えば何だってやる気になる、前向きになれると思うんですよ。大きな社会の中では大勢の一人に過ぎない自分でも、守りたい人や家族が出来ると責任感が増すじゃないですか。自分がやらなければと、必死に頑張る理由があれば、何だってこなせる気がするもんです。


 この、『自分にしかできない』と『代わりはいくらでも』の考えを常に念頭に置いて小説を書いてみたら、意外にびっくりするようなことが出来ちゃうように思えませんか。

 誰もが妄想して楽しいファンタジー。最強勇者とモテ設定、なんでもありのドタバタコメディ……なんて、正直誰にでも書けるし『代わりはいくらでもある』ように思えるんですよね。書いていて楽しいのはわかるけど、それで本当にいいのかなって。『自分にしか書けない』ものを追求しないでその人が成長できるのかどうか。ウケは良いかもしれないけど、そういうのは一時的。飽きられたらお終いなんだから、個性的なのを書かないとつまらない。

 楽してバンバン進むエンドレスファンタジーよか、私なら紆余曲折しすぎで主人公奈落の底のダークファンタジーの方が好き。たかが一話に数ヶ月かけてああでもないこうでもないしながら、リアルな感情を物語に載せていきたいですね。

「あれ、この作品は毛色が違う」「他の作品にはない魅力がある」と思わせたら勝ち。どうせ人気作品に埋もれて見えなくなってしまうような知名度だとわかっていても、私は自分だけの作品を書いていた方が絶対面白いと信じています。


 あるホラー映画が話題になっています。小さな劇場で公開されていたその映画をハリウッドでリメイクしようという話が持ち上がったとき、とある有名監督はそのリメイクを諦めたそうです。あまりの怖さに「これ以上のものは作れない、リメイクする必要がない」と。最高の褒め言葉じゃないですか。ハリウッドの技術力を持ってもそれより上の作品を作ることができない。私はこの話を聞いたとき鳥肌が立ちました。

 そのホラー映画は低予算でスタッフも少なかったそうです。ところが、いくら金をつぎ込んでもそれ以上は作れない。他では見られないオリジナリティが称賛されたと考えれば、これほど名誉なことはないはずですよね。


 自分じゃなくても問題ない、自分が書かなくても誰かが書いている、自分がやらなくても誰かがやってくれる――ネガティブな思考はよい物を産みません。もしかしたらそうやって『代替えの効く』ことをやっている当事者にはそういうつもりはないのかも知れないですけど。自分の強みをもっと知って、『自分にしか書けない』ものを書いたら絶対面白いはず。

 実際の社会でだって他人の真似ばかりしていては、スキルが磨けないですし、成績も上がりません。出来る人は出来る人なりに工夫しているし、努力しているんだなって、今更のように感じています。そうやって、社会や会社の中で自分の存在意義を植え付ける。「あなたの代わりになる人がそうそういるとは思えない」「会社はあなたのスキルを欲している」と会社側に思わせてしまえば、首を切られる心配もないわけで。私はそこまで辿り着くまでにはまだまだ時間がかかりそうです。それまで他人の出来ないことややってこなかったことを少しずつコツコツ積み重ねていくしかないんじゃないかと。結局『数字』ですからね。結果として数字にならなければ、戦力とすらみなされない。『数字』のために『自分でなければ』と工夫する。こういうのって、なんだか全てに通じているように思えませんか。

 創作の場合は『数字』ばかり意識していると作品の質に偏りが出てくることもありますから要注意。『数字』を常に意識しなければならない営業とはその辺ちょっと違いますね。


 さて、もう一度『自分にしかできない』『代わりはいくらでもいる』を比べてみます。

 自分はどちら側にいるか、少し考えてみませんか。自分にしか書けないもの、書けない世界を描いていますか。それは誰かからの影響をそのまま形にしたもの、って状態になっていませんか。よく見かける話、どこかで聞いた話を繋ぎ合わせるだけの物語にはなっていませんか。

 書くのは簡単だし、自由だし、誰にも制限されるものではないですけど。模倣はつまらないです。

 創作を始めた小中学生の頃を思い出すと、まさにこの『代わりはいくらでも』という状態だったことに気づきます。常に影響を受け、本当のオリジナリティにたどり着けないでいました。誰かの真似をしていることに安心感を覚えていたんです。

 少しずつ脱皮して、自分が一番書きたいものや書きたい世界を見つけるまで、些か勇気が必要です。ほんのちょっと踏み出して、自分だけのものを見つけることが出来たら、それは武器になる。例えそれが万人に受け容れられなくったって、自分だけの武器はいつか認められると思います。

 数だけが正義じゃない、私は自分だけが書けるものを書いていると自信を持って言えるようになりたいですね。数字や成果に埋もれてしまって大切なものを無くしたくないと、現実社会じゃ無理なことを創作の場では思ってしまうのです。

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