魂35◎精進を怠る者
自分が少し有名になったからって態度の急変する芸人をテレビで偶に見かけます。ああいうのってどうなんだろう。私はあんまり好きじゃなくて、すぐにチャンネル変えたくなるんですけどね。人気が出たら格好付けてみたり、今までと衣装変えたりね。ああいうの、客に媚び売ってるみたいで好きじゃない。世の中が求めてるから? いや違う。見栄を張ってるだけ。本当はそんなにセンスも良くないクセしてって……あんまりですかね。
先日、某お笑い番組を見ていましたら、内村光良氏がウド鈴木と組んでネタやってたんですよ。私は内村のこういう姿勢がものすごく好きで。笑いました。彼みたいにとにかく初心忘るべからず、常に新しい笑いを求める姿勢、好きで堪りません。一緒に関根勤も同じようなことやってました。惚れ直しましたね。ベテランの域に達しても、まだ若手と同レベルの舞台に立って芸をする。並大抵じゃないと思います。
とにかく自分の知名度に胡座掻いている人は嫌い。努力、工夫、そういうのは無名の人がやっとけばいいんだというような日本の芸能界ってどうよって思ってしまう。本当ならベテランであればあるほど努力が必要はなず。その地位を守るために目に見えない努力をし続ける。それが本当のプロなはずだから。
自分が身を置いてるWEB小説の世界だってそう。有名なサイトさん、有名な作者さんばかりもてはやされて、そうした人たちが発表した作品は否応なしに絶賛される。信者みたいな熱狂的なファンが付いているおかげで。もちろんきちんと努力している人もいる。だけど、知名度という絶対的なパワーの前では無名作家は太刀打ちできんのです。例え実力があったとしても越えられない壁。偶にそういうのが垣間見えると、虚しくなってしまうのは私だけじゃないはずですよね。
数字に惑わされるなと以前書きましたけど、それはまさにそういう場面でも言えること。有名、つまりアクセス数が異常に多い、たくさんリンクされている紹介されている。数字上では確実に人気があると判断できるサイトの、その実力がどの程度のものなのか。しっかり見つめないといけない。
名前を伏せてみたら――っていうのも前に書いたんですけど、本当にその人が努力しているか実力を持っているかってのは、HNやサイト名に惑わされて実は読者の目には入りづらいものです。「やっぱり上手いな」「面白かった」その台詞がHNやサイト名なしで言われるようになったら本物なんだろうと思います。公募に出して実力測るのも一つの手ですが、そこまで必死になってモノカキしてる人を昨今あまり見かけなくなってしまった気がします。
自分を知ってもらう努力は必要。知ってもらわなければ良作だって埋もれていく。埋もれるのを「駄作に食いつぶされる」と思っていたら、それはそれで怠慢じゃないですかね。
自分の作品に自信が持てるようになったら、発表しないといけない。なんの努力もなしにいきなりスポットライトを浴びせてもらえるほど人生は甘くないのだから。
時には公募に出してみたり競作企画や同人誌なんかに参加して、自分の存在をアピールする必要はあるわけです。引き出しの中、チラシの裏に書き綴ってそれでお終いなんてさみしすぎるから。誰だって自分の作品を誰かに読んで貰いたいと思って書いている。ならば、少しでも多くの人に読んでもらって、自分の作品のことを好きだといってくれる人に見つけてもらわなくちゃ。
私も長く無名作家をやってますから。とにかく読んでもらうことの難しさはよくわかっているつもりです。
自分の作品ページごとにアクセス解析付けてみてね、さてどの辺でお帰りになってるのでしょうかとか、どの辺りから飛んでくるんでしょうかとか、色々分析してみたものです。やっぱり検索サイトに登録しなきゃ辿り着いてもらえない。偶々言葉尻が検索に引っかかってそれで読んで……なんてことはまず殆どなし。一度読んでみて面白かったからなのか作品名で検索してもらえたとき、ブックマークから直接飛んできてくれる人が増えたときなんかはとにかく嬉しくて、一人こっそり喜んでいたものです。
作品の出来だけで読んでもらえるようになれば一番嬉しいんだけど、そういうのはやっぱ理想に過ぎないんじゃないかと思います。作品にプラスしてある程度のパフォーマンスは必要になってくるんです。宣伝、交流に企画参加。売名行為って思われても仕方ないけど、そういう努力をしなきゃ自分を見つけてもらえない。見つけてもらえなかったら、せっかく書き上げた話だってWEBの片隅で涙を呑むしかなくなっちゃうんですよ。
面白い話が書けたからといってそれでお終いじゃあんまりです。常にそれを広く知らしめる努力がいる。面倒でもそういうことを少しでもしなけりゃ読んでもらえない。それが今のWEB小説界の大きな問題なんじゃないかと思います。
さて、自作に胡座を掻く云々。有名になればそれで終わり、面白い話を一つ書き上げたからそれで終わり、でいいのでしょうか。
常に前を向いていたい。どうせモノカキ続けるなら、少しでも努力というものを惜しまないでいたい。
私はかなり飽きっぽい性格なのですけど、自分が好きでやってるんだからモノカキくらいはいつまでも続けたいと思うんです。そのために必死に努力しているところを無駄に見せつけ続けたい。嫌なヤツでしょうか。でも、そうやって続けていることで「あの話を書いた人、まだ書き続けてるんだ」って思えてもらったら幸い。
とても好きな作家さんの、最新作を待ちわびてやまない気持ち。WEBにだってそういうのがあったっていいじゃないですか。
何年も前に解散したフォークソンググループが復活したり、昔の漫画やアニメのリメイクが多いのは、もしかしたら「私が昔好きだった○○が、今も続いている」感覚を現代人が欲しているからかも。不景気ですからね、自分が一番輝いていた時代、一番感動を体感していた時代に触れた何かが舞い戻ってきたらそれだけでわくわくしてきますよね。
私も、出来るならそういう人の一人になりたいなぁなんて。「あの人、まだ頑張ってるんだ」って。
どんどんおっさんとかおばさんとか言われる年代に近付いてきて、(もう既にそうなっているかも知れない)一緒に漫画や小説書いてた人たちがどんどんやめてって。だけどまだコツコツ続けているのは若い人から見たら見苦しいかも知れない。だけどこの年になって、自分のやりたいことのために時間を割いたり作ったりすることの難しさもわかってきたし、続けること向上心を持ち続けることの難しさもようやくわかってきたような気がします。
培ってきたものたちを利用して、自分の年齢相応の話も書けるようになってきた昨今、「それでも努力は常に必要だ」ということも嫌と言うほど思い知らされています。
自分よりずっと若い人の感性に驚かされ、自分もいつかその辺のおっさんおばさんの群れに紛れてしまいそうで。流行を追い続けるのは難しいし、追いつくのも難しいような年代にさしかかり、だけど私はせめて置いて行かれないようにしていたい。いつも前を見て、時代の波に流されすぎないようにぐっと切れそうなロープを引っ張っていたいと思うのです。