魂34◎世界観に浸りたい
休日に子供ら放っといて小説を書いていると、旦那が「何してんの」と書斎にやってきました。それまで超集中していたのに、緊張の糸がぷつんと切れてしまいました。私はその瞬間手を止め相手をしたわけですが、これによってその日の作業が全て終了してしまったのです。
書いていた小説の内容が内容だけに、出来るだけ一人で書きたくて、合間を見つけてはちょこちょこと書き足したり書き直している作品でした。ダーク路線まっしぐら、丁度緊迫した場面だったので、私はその世界に入り込んでいたのです。主人公と主人公に父親を殺された娘が互いの記憶を寄り合わせている場面。気に入りの場面の一つなんですよ。二人の気持ちの変化、ちょっとした動作にどうそれを乗せるか、ああでもないこうでもないと文を練っていたまさにそのときだったので、現実に引き戻されたことでものすごくがっくりとしてしまいました。
夜中にやればいいんですけどね。やりたいと思ったときの方が筆が進むのです。
せっかく自作の世界に浸ってても、子供は小さいですから書斎にバンバン入ってきます。時には膝の上に子供を乗せたままとんでもない場面を書くこともありますし、旦那が編集画面を覗き込み、赤面してブラウザを閉じることだってあります。そんなことがあっても書き続けるのは、一度離れてしまった世界観にもう一度戻ってくるのが大変だからなんです。出来るだけずっと地続きで浸っていきたい、そう思ってしまうんですよね。
ものすごくハマった漫画があったとして、それを毎週なり毎月なり楽しみにしていたとします。急に買うのをやめてしまって、ある日またその作品に出会った。途中までは覚えているけど、久しぶりに読んでみたら全然違う展開になっている。さて、続きから読もうか。いや、大抵最初から読み直すと思うんですよね。最初から読み直して最新まで一気読みする。その作品の世界観に浸りまくり、「超面白かった、続きも読みたい」って思いたい。
自分の作品に対してもそんな感じ。好きな話なんだから書いてるということもあって、なるべく自分の世界に浸り続けたいんですよ。一人暮らしだったらこれが簡単にできるんですけどね、家族がいるとそうもいかない。いくら書きたいからって他のこと放りだして書き続けるわけにもいかず。出来るだけ集中力の続く時間帯に出来ることをコツコツしていくしかないのです。
短期集中連載ってのをSF企画の時にやってみたんですが、あれはそういう意味では良い経験でした。一つの作品に意識を集中し、毎日更新していく。最近の学生さんとか若い方はよく普通にやってらっしゃるなと思ってしまいました。書き続けることはかなりの負担です。仕事をしながら家事子育てしながらってのは相当キツイ。だけど、物語に集中するってことから考えたら、アリなのかなと。そのときは頭の中で強制的に次の展開を考えなきゃいけないですから、一時たりとも気が抜けませんでしたね。普段の長期連載なら書きたいと思ったときに書いて、ゆっくり調整すればいいんですが、毎日更新はそうもいかない。書き溜め更新すればいいのに都度書き下ろしになっていくと、前の行動の訂正も出来ないですから、何とか辻褄あわせてしっかりと完結させるのに相当の神経を使った覚えがあります。
一つの作品ばかり書いているわけではないので、いくつか連載していたりネタを持っていたりすると、並行して執筆作業をするような場面が出てきます。そんなとき思うんですよ。いくつも連載を持っているプロの作家さんて凄いって。一つだけでも手一杯なのに、プロの方はそれぞれ独立した世界観で(まぁ、偶に地続きな方もいらっしゃいますけど)作品を仕上げていくじゃないですか。ああいうのを見ると、流石だなって。もちろんそこにはしっかりとしたプロット、細かい世界設定という足場があってこそなんでしょうけど、それにしたってそこに費やす労力、精神力ったら計り知れないものがあるように思いませんか。
見習いたい。けど、簡単に見習えるもんでもない。
素人の私なんかからしたら、ガッツリ詰め込まれた世界観を構築するだけで手一杯ですから、それをいくつも掛け持ちすることなんてできやしない。ときたら、とにかくそのたった一つの自分の世界、浸れるだけ浸って物語を完結させたいと思うわけですよ。無い時間を無理矢理作ってちょっとずつ世界観に浸る時間を増やすくらいしか出来そうもない。コツコツコツコツ、誰に催促されるでもなく執筆作業を続けてるんですよね。
さて、世界観に浸るってのは自作に限らず、前述、例に出したとおり読む場合についても言えますね。
私は読むなら一気読み。毎日毎回追っかけてってのが出来ればいいのですが、それが出来たら苦労しないのです。結局追いつかずまとめ読みになってしまう。一つの作品に集中して読み進めます。その方がその作品の世界観に浸りやすいのではないかと思って。途中で飽きてしまうとこの方法だと辛いんですけど、あれもこれも中途半端になってしまうのが嫌なので、飽きないように少しずつ読んでいくことにしています。
面白いと、びっくりするほどスラスラ読めるんですよ。その世界が目の前に広がっているんじゃないかと錯覚するくらい浸ってしまって、分厚い本でもすぐに読み終えてしまう。ところが興味なかったりあちこち引っかかってしまうと、いつまで経っても読み進めない。もちろん、金を取ってる分プロの作品はそういう引っかかりは殆どないですが、WEB小説、素人となると話は変わりますね。私も人のことは言えないんですが、やっぱり世界観にムラがあるというか粗があるというか。そういうの見付けるとすぐに現実に引き戻されてしまうんです。
テンションを保ったまま作品を仕上げてくってのは簡単なようで難しい作業です。だけどそれが出来なかったら面白い話は書けないですよね。途中飽きちゃったことを作者が大声出して行ってるような作品より、常に初心忘れずに目的を達していく話の方が面白いに決まってる。私も読むなら絶対後者だし。自分の作品もそうあっていてほしいなと思います。
小説じゃないですが、どうしても私の主義から反して受け容れられないものの一つに、民放の、クイズ番組含むバラエティ番組の制作指針の変化ってのがあります。わかりやすく言いますと、番組開始当初は崇高な目的、あるいはキッチリとした制作意図が感じられる番組であったはずなのに、途中から視聴率とスポンサーに媚びた内容に変化してしまうものがあるということです。最初は楽しみにして毎週見てたのに、なんでこの番組こうなっちゃったかな~って、思うことありませんか。私はその番組の雰囲気が好きで堪らなかったのに、なんでって。
マジ○ル頭○パワーとかクイズ○キサ○ンなんかは、最初、ものすごく面白かったんですけど、どんどんパーティーゲームみたいのが多くなってくじゃないですか。あれ、クイズ番組って言えるのかなって。本当はそんなのをみたいわけじゃなくて、純粋にクイズを楽しみたいのに。白けます。例え視聴率が高くても、白けて観てられなくなる。
どうして当初の純粋なクイズをやめちゃったかな。どうして商売に走っちゃうかな。
その番組の当初の雰囲気が好きだった私としては、この辺が解せなくて。首を傾げちゃうんです。
もちろん、そうやって成功していくものもあります。
需要と供給のバランスが良くなければものは売れない、受けないわけですから、方向転換が必ずしも悪いとは言いません。ですが、やっぱ最初の指針は大切にしてほしいと思うんです。
「世界観に浸る」という今回のテーマから言いますと、こうした方向転換の強行は場合によってたくさんの読者や視聴者・消費者を切り離すことになるのではないかと。物事を続けていくことは難しいことです。だけどそれを頑なに守っていることに感動を覚えることだってあるんではないかと。
大人になってからですけど、伝統工芸とかNHKみたいにずっと昔から変わらない、きちんと作り込んであるって方が安心できるようになってきました。誰かに媚び続けてあちこちくねくねしてみたり、途中放棄されたり打ち切りされたり。ああいうのよりは、自分の主張曲げずにいてくれた方がずっと嬉しい。
アクセスも知名度もないけど職人作業みたいに淡々と執筆を続けてらっしゃる良作の作者さんに対する、私なりのエールです。
評価や感想が付いている付いていないに限らず、良い作品は世界観もしっかりしているし、何よりそこに浸らせてくれる。話題の作品なんかより、こういう手練れの作品にもっと出会えたらいいなと、一読者として思うわけです。