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魂33◎「読む」ことは難しいこと?

 とにかく何でもやりたがりで困ります。あれもしなくちゃこれもしなくちゃと思っているうちに全部中途半端になってしまう。これが上手いこと回ってくれるといいんですけどそうも行かなくて。多分、安請け合いが原因じゃないのかなって自分でもわかってるんですが、どうしようもない現実。だって、やりたいことが多すぎるんだもんと自分に言い訳して、それで周りに迷惑かけないようにと水面下で必死にもがく。……それは私生活・ネット問わずその傾向は変わらなくて。

 一つのことを終えたら次のこと、次のこと。当たり前のことが出来ないのは致命的です。でも、自分の力量を遙かに越える作業をどう乗り越えるべきか。自分を犠牲にし過ぎるのは良くないとだらけてしまうと一日辺りの作業量が増えるという悪循環。何とかせねばなりません。

 それでも無理してやってしまうのは果たして何故か。意地か、プライドか。多分、意地の方が強い。

 自分を奮い立たせるためにワザとそうしているのかと思うくらい何でもかんでも抱え込む。こういうのは鬱の原因になるのでやめた方がいいらしいんですけどね。


 とにかく面白そうなことには首を突っ込むタイプなので、以前も書きましたが小説の競作企画と聞くと飛びついてしまいます。参加者それぞれが作品を仕上げ、互いに読み合い感想を送り合うスタイルが一般的ですので、書いたらとにかく人のも読むというのは当然の行為と思って間違いないと思います。

 ところが企画にたくさん参加しておきながら、どうしても出来なくて困っているのが他人の作品を読むこと。プロアマ問わず、誰かの作品に触れて刺激を貰いたいと思っているんですが、精神的余裕が全然無くて作品を仕上げるだけで精一杯になっている自分が見えたとき、無性に虚しくなります。知り合いのWEB作家さんからはよくご感想をいただくのに、私はそれになかなか応えられないでいるんです。こういうとき、自分の広げた風呂敷のでかさに愕然としてしまうんですよね。

 何でもかんでもやりゃあいいってもんじゃない。出来る範囲でしっかりと中身の濃い企画参加が出来れば一番いいのに、作品だけ投げて、はいお終いってのは自分でもどうかと。全作品を読めと言われてるわけじゃないし、読むのは強制じゃないんですけどね。せっかく参加しておいてあとは知りませんってのは無責任。悔しいから必死に読むわけですが、これがまた、読もうと思って読むと意外に読めない。苦痛になってしまうんです。

 ノルマだと思うからダメなんでしょうね。

 仕事でもそうだけど、自発的にしなきゃ苦しくなるだけなんだって、わかってはいるんです。だけど、自分のやらなきゃならないことと自分の目の前にあるやりたいことと比べてみて、出来そうにないことに分類されてしまうんですよ、「作品を読む」という行為が。難しいことじゃないのに。なんでですかね。

「読む」という行為そのものに対して億劫になってしまうのです。悔しいことに。

 作品によっては最初の数行ですっと読ませてくれるものがありますよね。読んでよかったーって思うのがないわけじゃない。

 クリックして文字の多さにウワッとなって、そのまま放置してしまう。自分の作品の文字の詰まり具合を棚に上げて、私は何に恐怖しているんだろうと思うくらい読むのが怖くなって、ブラウザを閉じてしまう。

 本当は誰かと繋がっていたいと思う寂しい人間だのに、自分から「読む」という行為のハードルを上げて一歩距離をとってしまう。馴れ合いだと思われたくないという気持ちがどこかにあるのかも。誰にでも媚びを売るように見えてしまうのが怖いのかも。だから少し距離を置く。「読む」行為から離れて自分の中で企画を完結させてしまう。


 そんなに難しいことじゃないはずなんですよ。当たり外れがあったとしても、それは私にとってどうだったかということであり、作品自体の善し悪しを左右するものではない。人の感想という曖昧なものに縛られて苦しくなりたくないとでも思ってるのか。

「読む」「感想を送る、送られる」行為に対して私はいつから苦しさを覚えるようになってしまったのか。

 もともと読書感想文は嫌いでした。でもそれとこれとは同じ問題じゃない気がします。

 市販の書籍とは違って、WEBだとどうしても発生してくるのが「交流」という問題。私は元来それほど器用な人間ではなく、人との付き合いも苦手な方なのです。多分、それが関係しているんじゃないかと。

 私が「読む」「感想を送る」ことによって「交流」が始まる。あるいは私の作品を誰かが「読む」「感想を送る」ことによって「交流」が始まる。新たな出会いに対して臆病になっているだけかも知れません。「私の作品を読んでくれたから、私もあなたのを読むわ」という慣例に飲み込まれてしまって、自分の好み云々の前にお礼として作品を読まねばならないという「ノルマ」を課せられてしまうように感じているのかも。だとしたら、由々しき事態です。

「読む」って、本当はそういう重々しい行為じゃないのに。「読みたいから読む」「面白そうだから読む」っていう、本来の形に戻ればいいだけなのに。


 私はこの「読む」という行為に対していつの間にか何かしら特異な感情を抱くようになってしまったのです。


 モノカキなんだから、書けばいいと思うんですよ。作品を書いて書いて書きまくって、自分の方向性を見いだし自分にしか書けない作品を仕上げる。その中で誰かの作品を読んだり資料を読んだりして、感動を覚え作品に活かしていく。単純なことなのに。

 インターネットという舞台に限らないことですが、物書き同士の交流において必須となる「読み合う」という行為。書く行為より重荷になってしまって、作品の質が落ちたら元も子もないんですよね。更にこの「読み合い」は場合によってトラブルを起こしかねないこともあって、自発的に誰かの作品を読もうという気持ちが湧かないでいるのかも。考えすぎだと思いますけど。

 第一、企画に参加しているという次点で交流を求めていると思って間違いないはずなのに、私はなんでこの「読む」ってことをそんなに難しく考えてしまうのかってことですよ。レストランに入ったら注文して食事するくらい当たり前のことなのに。自分でそこに飛び込んでおいてなんの注文もせずごちそうさまも言わずにでていく方が失礼なのに。某バラエティ番組みたく「全部食べ尽くす」必要はないから、興味のある作品だけ読めばいい、面白かったら感想を送ればいいんです。それだのに。どれだけ難しく考えてしまってるのか。

 愚かしい、こんな事を書いてるウチに「読む」事に対して億劫さを感じていた自分がアホらしくなってきました。

 自分の殻に籠もりすぎて出てこれないのも困るので、少しずつでも読める範囲で「読む」ことを続けていきたいとは思ってます。

 世の中にはもっと気軽に「読んだ!」と報告できるツールも出回ってるんだから、私も見習って気楽に「読んだ!」って言えるようにならないと。……って、口では簡単に言っててしまいますけど、簡単にできたら悩みはしないんですよね。

 とにかく難しく考えちゃダメ、まずは楽な気持ちで読んでみなくちゃ。

 ……最後に、「読む」のに億劫なだけで決して「作品や作者が肌に合わない」というわけではないのですよと付け加えて終わることにします。

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