魂30◎物語のバランスを考える――起承転結考
普段自分で好き勝手書くのは大長編でもいいと思うのですよ。書きたい話を書きたいように書けばいい。某少年漫画誌みたいに、エンドレスな話を書くのも作者の勝手。面白い話になってるならそれでいい。だけど、そういうわけにはいかないこともあるんですね。
例えば公募。そしてネット上の企画。同人誌などの枚数制限を余儀なくされるもの。決まった枚数や文字数の中で物語を完結させる必要があるんです。こうした場合、例え好き勝手書いていたとしても枚数内に収めなければ他の人が迷惑を被ります。でなければ、規定外として取り扱ってすら貰えません。さて、自分はこの「制限された中で面白い話を作る」技術を持っているのかどうか。考えたことはあるでしょうか。
四コマ漫画や漫画雑誌に掲載されている短編漫画、短いけれど読んで面白いと思わせてくれるそれらが、どの程度の努力で生み出されているのかと言うこと。アレって実は簡単に見えるようでそうじゃないんです。四コマの場合は起承転結をそのまま四つのコマに分けて入れていくんですけど、短編だと、例えば何ページ目までには「起」何ページ目までには「承」みたいな感じで、物語を四つ程度に分けてバランスをとっていく必要があります。「起承転結」のどれかが長すぎても短すぎても変になる。バランス感覚はとにかく書き慣れないと身につくもんじゃないですから、かなり没の山が出来ると聞いたことがあります。更にその中で筋の通った話を面白く書いていくわけですから、やっぱり相当な技量が必要なんですよ。
短いものは簡単に書ける、なんてのは幻想。本当は短いモノは短いモノなりに難しいんです。
書き始めの頃はそういうのがわからないから、書きたいように書いてふと気づいたらこの長さになってました、ってのが多いと思うんですけど、枚数や文字数の制限のある企画や公募に出してみると、これが如何に大変か身に染みてわかってきます。
地方紙で毎月開催してる文学賞は原稿用紙二十枚。空白込みで文字数八千。長すぎる物語はここでは無用ですから、そこに収めていくのにものすごく苦労しました。書きすぎてはダメ、でもスカスカもダメ。決められた文字数の中で深みを見せなければ見向きもされない。最優秀作品には挿絵が付いて新聞掲載ということもあり、何度か挑戦してみましたが、難しい。新聞購読層を考え高年齢層にも受けそうな話を考えなければならないなどたくさんの壁があり、なかなか若い人が受賞できない理由がよくわかりました。選者は某大学教授だったかな。県庁所在地に行けばその教授も参加したライター講座があるんですけど、私はあいにくそこから一五〇キロほど離れてるところに住んでいるので興味はありましたが断念しました。
仲間内で作った同人誌に短編漫画を寄せることになったときも、全体のページ数が提示された上で一人当たり最大何ページまで使用できますととりまとめ人から案内があり、何とか枚数内に収めるためにぴったりと当てはまる話を書くのに苦労しました。短い話をすっと書けるような性格じゃなかったし、かといって長い話を考えたら枚数内に終わらないし。何度もプロットを書き直し台詞を書き直し、コマのバランスと大きさを練り直し、無理矢理完成させた記憶があります。終いには出来上がった原稿を見直すやその台詞の矛盾点に気付き、最後の最後になって吹き出しの大きさに合わせて台詞を全部書き換えるという荒療治。そこまでして書かなくてもいいんじゃないかとも思いましたが、概ね好評だったみたいなので、努力の甲斐があったのかもなぁと安堵したのを覚えています。
この「規定内で書く」というのに秀でてるのは新聞記者、雑誌記者の皆さんですよね。紙面のレイアウトが決まってる、文字枠が決まってる。その状態でキッチリ必要事項を盛り込んでいくんだから凄いなぁと。
中学の頃新聞委員というヤツになってまして、学校新聞を作ってたんです。昔は原稿は全部手書き。挿絵やグラフも手書き。文字は最終的に印刷屋さんに出して写植打って貰ってたんですけど、もちろん打ち上がったあとの校正も全部委員でやってました。記事を書くときも国語の先生が細かくチェックしてくださって。必要事項がどの程度含まれているか、無駄な文字や表現はないか、題字や見出し(これも手書きです)と記事の内容が食い違ってないかなど、一つずつ見ていくんですよ。当時は黒一色刷で四面から八面だったと思いますけど、それだってかなり大変だったはず。結局それだって、文字数との戦いです。決められた枠の中でしかできない。はみ出したら全部練り直し。地道で地味だけど言葉選びのセンスだとか技量が問われるんですね。
私たちアマチュアモノカキが文字数で苦労すると言えば、やっぱりネット上の企画に参戦したときかな。何千字、何万字以内で何とかしなさいと突きつけられて、その文字数に当てはまる面白い作品が書けるかどうか。みんな条件が同じなんだからセンスや腕の善し悪しがよくわかってしまうんです。書き上げたあとで、自分のへたれっぷりに凹んだことがないわけじゃないです。寧ろ、いつも凹んでしまいます。何度読み直しても自分の悪い所ってわからないもので、誰かから指摘されて始めて、「あそこでどうしてああしなかったんだろう」「エピソードの入れ方失敗した」「文字数不足」なんてよくあることです。
結局の所、「文字数を意識して書く」「文字数が常に頭の中に入っていて、どのくらいでどの展開になるか計算できている」くらいのレベルになるまで書きまくるしかないのかも。書き続けていれば、「このくらいの描写の方がこの密度の作品に合っている」「ここはこのくらいすっきりさせた方がバランスがいい」ってことがわかってくるように思うんですよ。
漫画やアニメなんかが特にわかりやすいと思うんですけどね、濃密な話にはしっかりした背景、設定がありますよね。絵だって手抜き無いし。逆にお子様向けのアニメや漫画は背景もキャラ設定もサラッとしてる。本当はもっと濃くてもいいけど、それを感じさせないようにワザと薄めてある。ああいうの、バランスのいい見本だと思います。だって、細かいこと四の五の言われても、ちっちゃい子にはわかんないし。だから設定も目的もわかりやすい「アンパンマン」はいつまでも子供の人気者。大人になると「ありえねー」って思っちゃうことも、子供はわかりやすいからってどんどんのめり込んでいく。逆に大人向けの漫画やアニメってのもありますよね。深夜帯にやってるみたいなの。ああいうのは逆にしっかりと書き込んでないと大人は納得しないから、話の密度も絵の細かさも尋常じゃない。決まった時間内に必要なシナリオを終わらせるために、どういう展開にしなくてはって、脚本家は意識して書いてるはず。
決められた中で面白くする。縛り。
面倒だけど、自分を伸ばすためには必要な課程ではないかな。いつまでも好きなことだけやってて、それで上手くなれたら凄いことだけど、そういうのって一握りの人間だけだと思うんですよ。やっぱり、好きなことだって自分に厳しくしないと上達しない。
スポーツ選手が必死に練習に励むように、モノカキだって自分を鍛えることが出来るはず。その方法の一つとして、文字数制限ってのはアリだと思いますよ。最終的にはどんな長さを提示されてもその中でキッチリ物語を終わらせることが出来て、面白いと言わせることが出来る所まで行きたい。そのために端から見たら「くだらない努力」と思われることも進んでやってみたらどうでしょう。
私の場合、それが小説企画参加であって、締切と文字数、それぞれキッチリこなした上で面白いと言わせることが出来たなら、また一歩成長した証なんだよなと自分に言い聞かせることにしています。
皆様の応援のおかげで、モノカキ魂もついに30話を迎えました。
SPICY!は30話で終わってしまいましたが、こちらはもう少し続けたいと思いますので、どうぞ今後もお付き合いくださいませ。