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魂2◎段落と空白についての考察

 いろんな作品を読んでいると、本当にいろんな書き方があるんだなと思います。

 表現方法、比喩、台詞回しはもちろん、最近気になって仕方がないのは「段落」。これってかなり重要なんですけど案外軽視されてますよね。なんでだろうと。一度気になったので、作品を読むときには特にこの点に注目して読んでいます。果たしてその作品の作者はどこまで「段落」を上手く活用しているのか。

 話題のケータイ小説、「あたし彼女」。――1話目でダウンしました。すみません、私には読めません。これは携帯で読むことを念頭に書かれた話なんだろうと思うのですが、スクロールが面倒な私にとってはもはや読み物ではない……ことがわかりました。それはもう、年齢とか文化の違いなんだろうなと思うくらい読みづらい。ケータイ小説として特化した段組も、書籍を読み慣れている年代からしたらうざくてしょうがないんです。

 自分の小説がどの年代に向けて書いたものか、にもよるのでしょうが。こうしたもはや小説の体をなさないものが堂々とケータイであろうが「小説」の冠をつけていることに疑念を感じてしまいます。賛否両論はもちろんだと思いますけど、私はあのような形式のものは「小説」ではなく、日本語を使った新たな表現方式なのだと考えます。

 件の「あたし彼女」は、文章どころか単語で堂々と改行をするという新たな手法をとりました。これはスクロール大好きの女子中高生、二十代前半の女子には特に好まれたのでしょう。携帯のスクロールボタンをどんどん押すたびに文章が流れていく。これによって、頭の中で何となく情景が思い浮かぶ。まあ、そういった方法もありだと思います。そう読むことになれてしまった携帯世代にとっては。

 しかし、携帯で小説を読むのは若い女性ばかりではないことを改めて考え直さねばなりません。

 今や老若男女、ありとあらゆる人が身近な媒体「携帯電話」を使って作品を読む時代なのです。私も含め、スクロールするにも操作が覚束ない、思ったように指が動かない世代さえ、携帯電話を自由に使いこなそうとしています。つまり、いつどういう世代、どんな職業の人物が自己の作品に触れるのかを考えねばならないところまできているのではないでしょうか。

 今回は「段落」について少し考えたことがあったので、事例を載せて検証してみます。


 小説や論文などで「段落」とは、「一つの意味のある文章の固まり」だと小学校の国語の授業で習ったはずです。これはかなり重要な事項です。

 例えば話をするときに、ある程度一つの事柄について語った後気持ち間を開ける、それが文章化したときに段落として現れてくると考えれば、その重要性がわかるのではないでしょうか。

 これが、今流行の語句改行や文章毎改行にするとどのようなことが起きるのか。以下の事例をご覧ください。(例文は自作「空色パラソル」冒頭より抜粋)


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(1)改行が書籍に準じてあるもの


 傘が好き。なんだろう、ステッキ代わりにして、地面を突いて歩く、あのトントンとした音が好きなのか、傘自体が好きなのか。自分でもわからないけど、なんとなく好きで常に持ち歩いている私がいる。快晴、降水率〇%の日だって、傘がないとどうも不安で持ち歩いているんだから、余程の傘依存症なのかもしれない。天気予報を当てにしてないわけじゃなくて、ただ単に傘という存在が好き。──と、登下校を共にする友達の有子に言ったら笑われた。

「莉子、あんた、変わってるよ」

 幼馴染の彼女曰く、私は年頃の女の子にしては変な嗜好があるらしい。殊に天気に関しては敏感で、携帯カメラで毎日のように雲の写真を撮っているところとか、公園の銅像の雨の染みを何十分も飽きずに眺めているところとか、そういうのが理解できないと言われたことがある。

 だからと言って、私の趣味は傘や雨や天気の観察ってわけじゃない。偶々、人より傘が好き、雨が好き、空が好き。ただそれだけ。


(2)改行後に空行


 傘が好き。なんだろう、ステッキ代わりにして、地面を突いて歩く、あのトントンとした音が好きなのか、傘自体が好きなのか。自分でもわからないけど、なんとなく好きで常に持ち歩いている私がいる。快晴、降水率〇%の日だって、傘がないとどうも不安で持ち歩いているんだから、余程の傘依存症なのかもしれない。天気予報を当てにしてないわけじゃなくて、ただ単に傘という存在が好き。──と、登下校を共にする友達の有子に言ったら笑われた。


「莉子、あんた、変わってるよ」


 幼馴染の彼女曰く、私は年頃の女の子にしては変な嗜好があるらしい。殊に天気に関しては敏感で、携帯カメラで毎日のように雲の写真を撮っているところとか、公園の銅像の雨の染みを何十分も飽きずに眺めているところとか、そういうのが理解できないと言われたことがある。


 だからと言って、私の趣味は傘や雨や天気の観察ってわけじゃない。偶々、人より傘が好き、雨が好き、空が好き。ただそれだけ。


(3)一文ごと改行


 傘が好き。

 なんだろう、ステッキ代わりにして、地面を突いて歩く、あのトントンとした音が好きなのか、傘自体が好きなのか。

 自分でもわからないけど、なんとなく好きで常に持ち歩いている私がいる。

 快晴、降水率〇%の日だって、傘がないとどうも不安で持ち歩いているんだから、余程の傘依存症なのかもしれない。

 天気予報を当てにしてないわけじゃなくて、ただ単に傘という存在が好き。

 ──と、登下校を共にする友達の有子に言ったら笑われた。

「莉子、あんた、変わってるよ」

 幼馴染の彼女曰く、私は年頃の女の子にしては変な嗜好があるらしい。

 殊に天気に関しては敏感で、携帯カメラで毎日のように雲の写真を撮っているところとか、公園の銅像の雨の染みを何十分も飽きずに眺めているところとか、そういうのが理解できないと言われたことがある。

 だからと言って、私の趣味は傘や雨や天気の観察ってわけじゃない。

 偶々、人より傘が好き、雨が好き、空が好き。

 ただそれだけ。

------------------------------


 どうでしょう。PCからも携帯からも確認していただきたいのですが、だいぶ印象が違うのではないでしょうか。

 私は(1)派です。携帯だろうが何だろうが、文字が画面いっぱいでも書籍と同じ書き方が読みやすい人です。やたらと改行させ、あっという間にケータイ小説風になった(3)などはまず使いません。第一、この書き方では段落の持つ特性が失われてしまいます。(2)の空白は、読みやすいようにいれているのでしょうか。PC向けサイトであれば行間の調整で何とか出来そうな気もします。しかし携帯からの読者ならばもしかしたら一番読みやすいのは(2)ではないかと推測します。

 一つの文章でいろいろ段落、文字間行間を変えてみると更におもしろいですよ。

 最近目にしたもので気になったのは、句点(。)の後ろに空白を一マス入れている作品。これも好き好きなのですが、私はご遠慮したい手法です。


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(4)段落は書籍と同じ、句点後に空白


 傘が好き。 なんだろう、ステッキ代わりにして、地面を突いて歩く、あのトントンとした音が好きなのか、傘自体が好きなのか。 自分でもわからないけど、なんとなく好きで常に持ち歩いている私がいる。 快晴、降水率〇%の日だって、傘がないとどうも不安で持ち歩いているんだから、余程の傘依存症なのかもしれない。 天気予報を当てにしてないわけじゃなくて、ただ単に傘という存在が好き。 ──と、登下校を共にする友達の有子に言ったら笑われた。

「莉子、あんた、変わってるよ」

 幼馴染の彼女曰く、私は年頃の女の子にしては変な嗜好があるらしい。 殊に天気に関しては敏感で、携帯カメラで毎日のように雲の写真を撮っているところとか、公園の銅像の雨の染みを何十分も飽きずに眺めているところとか、そういうのが理解できないと言われたことがある。

 だからと言って、私の趣味は傘や雨や天気の観察ってわけじゃない。 偶々、人より傘が好き、雨が好き、空が好き。 ただそれだけ。

------------------------------


 さて、(4)の文章を携帯電話から閲覧したときにどのような現象が起こるのか。

 実は、本来の一段下げとしての空白と文章と文章の間に挟まった空白が混在し、本来の段落とは違うところで区切られてしまうのです。PCでは、例えばブラウザの横幅を急激に狭くしたり広くしたりすることで実感できると思います。

 つまり何が言いたいかというと、作者の考えている文章の見え方はブラウザや閲覧環境によって大きく左右されるものだと言うことです。何を通して作品に触れるのか。場合によっては独自の書き方は極端に読みにくくさせてしまうことも十分考えられるのです。


 自分の作品がたとえ書籍向きだと思っても、PCや携帯で読まれれば「文字が詰まって読みにくい」だとか言われる場合がありますし、逆に携帯を意識して書きすぎたがために「空白が多くてスクロールが疲れます」と言われる場合もあります。作者が思ったとおりの媒体で、思った通りの読みやすさを感じる書き方なんて、実際は存在しないんじゃないかとさえ思います。

 私もいろいろ試しましたし、他の方の作品を読んで考えさせられたことがありました。

 漢字を多用してルビを振れば読みやすいのはPCだけであること。改行の使い方は作品の雰囲気を決定させてしまう恐れがあること。段落を上手く使いこなせば緊張感も面白さも操れるようになること。

 万人に読みやすい作品なんてあるわけない、人それぞれ感性が違うのです。こうなったら、私はどんな媒体で読まれようが徹底して「日本語の文章」を書こう! と、思い立ち、今の形式をとっています。

 以前「SPICY!」でも書いたのですが、元々縦書きをするために作られた漢字や仮名を使った文章を横書きで表示する時点で、読みやすさやバランスに障害が出てくるのは当然のことかもしれません。

 日本語という言語は難しい。難しいけれど、奥が深い。

 アルファベットやハングルのような、特定の文字のみで表現される言語とは違います。その形、組み合わせ、漢字と仮名のバランスまでも全て作品に繋がっていきます。

 ただ、アクセスを稼ぐための書き方ではなく、本来の日本語の特性を生かした作品作りを目指せば、更によい作品に仕上げられるのではないでしょうか。


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