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魂12◎続けるということ

 継続は力なりとか言いますけど、なぜうまく続かないんでしょうか。そういうのが簡単にできればダイエットなんかすぐできるのに。毎度毎度、夏の健康診断の時期が近づいてくると気になってくるんですよね、体重。減ったり増えたり、生きてるからしますけど、去年の夏なまじ努力しすぎたせいで、今年は今から頑張らないととてもじゃないけど間に合わないような気がします。だって、冬の間に沢山食べてすっかり元の体重に戻ってしまったんですから。ホント、こういう時って自分を呪います。なんで継続してダイエットしてなかったんだろうかって。

 ものすごく熱しやすく冷めやすい性格なので、気になればのめり込むし、興味が失せれば直ぐにやめてしまいます。これが、よいようでなかなかよくないものなんです。

 ダイエットもそうなんですけど、家計の足しになればとやっていたオークションも、最近は時間のないのを理由にやめてしまいました。目的だった品物をオークションの儲けで買ってしまったため、達成感で継続するのが面倒になってしまったのかもしれません。

 そういえば、家計節約のためのパン作りも職場復帰とともにやめてしまいました。総菜パンを自分で作るのが楽しくて、ほぼ毎日生地を捏ねていたあの情熱はどこへ行ったのか……。偶に作ることもありますが、あの時はまさにパン熱に冒されていたのかもしれません。


 創作においてもやはり同じような状況に陥ることがあります。思いついたら即実行、結果、どんどん首が絞まっていく。計画性というのは実に重要なことだと、何度思ったことでしょう。

 手元に残っている書きかけの原稿用紙、見返せば無計画な自分が見えてきます。以前は漫画を描いていたのですが、中途半端に下書きで終わっているもの、起承転結の承あたりで躓いたものなどがわんさか残っています。作品の数もかなり多いんです。最初はやる気があったのか、メモやらプロットと思われるようなものやら、それこそ探せばどんどん出てくるような状態です。ネタやアイディアはいつか使いたいと思うんですけど、実際はどうかさえ疑問ですね。だって、それは殆ど子供の落書き。大人になってしまった自分からしたら、価値が薄くなってしまったんですから。

 アイディアだけあふれ出してくるような感覚だったのかもしれません。最後までやろうとか、形にしようとか、そういう気持ちよりも、あふれてくるアイディアをとにかく書き留めたかっただけなのかも。そして、自分の発想力のすごさを見せつけたいとでも思っていたのか。

 結局最後まで書くことなんて稀にしかできず、いずれゴミになってしまうようなことであっても、最初の勢いだけはすごくて大スペクタクルな作品を書く意気込みだけはあった覚えがあります。プレッシャーも何も、自分とその友人で見せあいっこするだけだったんだから、気にすることもなかったのかもしれませんし。責任、義務、そんな気持ちは微塵もなかったんです。

 オフラインだけで創作活動していた時代です。インターネットじゃなくて、パソコン通信しかなかった時代、私たちの創作の現場は友人間か同人誌の即売会でした。予告チラシをつくったり、情報ペーパーを作っているのが楽しかった。もちろん、最初は完結するつもりで予告をするんですよ、最終的には途中放棄になってしまうものも。パソコン一台あれば何でも出来る今日と違って、コストもかかったし、手間もかかりました。――だけども、そんなに力を入れて作っても、やっぱり途中放棄してしまう。こういうのって、自分の悪い癖みたいにいつまでもつきまとってしまうんですよね。


 大人になって同じように創作活動を始めるようになると、少しずつ自分の癖を見直せるようになりました。インターネットが普及し、簡単に読者とコンタクトがとれるようになりましたし、仲間も探せるようになりました。昔みたいに自室にこもって孤独な創作活動、ということも少なくなったわけです。そうしてくると、自分の創作スタイルの自堕落さが浮き出てきて、これはもう継続と完結、これしかないと思うようになってきたんです。

 遅い、遅いですよね。だけど、気づけただけよかったと思います。

 作品は完成させてなんぼ。最後まで読みたいという読者と、それを続ける作者のにらめっこというか、駆け引きというか、そんなものがリアルに体験できるありがたさが嬉しい、そう思います。私自身書きかけの話がいくつかあるので、多分読者的にはそういう作品の結末を見てみたいと思っているのではないか、などと。

 時間を理由にしてなかなか進められないけど、いつか完結するという希望があれば待てるわけだし、それを期待させてくれるような書き方であれば尚いっそうよいのだよなと――、無責任にも感じます。長く連載している作品の更新を密かに待っている。嬉しいじゃないですか。私もそうやって追いかけている作品がいくつかあるので、同じようにもし待ってくださっているなら、私は少しでも書き進めます。


 ただ、こうやって誰でも前向きに出来ればいいのだけれど、更新を待ち続けても書き続ける意志がなかったり、同時進行が多すぎていったいこの人は何をしたいんだと思う人がいるのもまた事実。私も同じ道をたどってきたので、その作者の気持ちは痛いほどわかるんです。多分、気持ちだけ先行して現実的に筆力や持続力がもたないのじゃないでしょうか。

 言うのは簡単なんです、言うのは。それをどこまで実行できるのか。これが難しい。

 オフラインだけでやっていた時代に比べ、発言の手軽さで言葉の重みが薄まってきている気がします。即売会みたいにコアな人たちだけが集まる現場で極限られた人たちだけに渡すチラシとは違います。誰でも簡単にアクセスできて、どんな人でも簡単に情報を発信できるって言うのは、ある意味すごく怖いことなんですよ。思ってもみない人が自分の発言に注目していたり、知らないところで噂になってしまったりするんです。そんな中で軽々しく発言したり、軽々しく作品を放置したりすれば、やっぱりその人となりが疑われる原因となってしまう。そんな気がしませんか。

 インターネットは公の場だなんて思っているのは少数なのかも。だけど、それは事実であることを再認識すべきかも。

 人のことは言えないかもしれないけど、簡単に物事を投げ出したり放置してしまうような人に信頼性を求めるって言うのは難しいんです。例えHNという匿名であっても、私はその名前に少なからず誇りを持っていますし、悪い噂が立とうともそれを払拭するように自分の発言や提案した企画は最後までやり遂げようと思っています。それはとてもじゃないですが普通の生活を重点に置いてばかりでは実行できないし、かといって全てを犠牲にしてまで続けるべき事じゃないというバランスも考えなければなりません。

 見る人から見れば、滑稽かもしれませんね。やりたいことをやれる自由があるとだけ思っている人にとっては、私の行動は疑問にとられるかも。でも、信頼性を築くっていうのは実はそれくらい重要で難しいことなんですよ。

「またあいつ、無茶なこと言ってる」「出来もしないくせに」――こんな言葉が自分に向けられているとしたら、どうでしょう。ネット上の名無しの発言なんて気にしないって、言い続けられますか。ストレスに感じてしまうくらいなら、最初から出来ない事なんてやらなきゃいいんですよ。誹謗中傷の種を自分から蒔くなんてナンセンス。どうせ蒔くなら信頼の種を。

 少しずつ自分の行動を見直せば、きっと無意味な新連載や無意味な企画なんてなくなるのではないでしょうかね。ネットという媒体を使って作品を発表する以上、自分一人だけの作品や企画じゃなく、読者という第三者も巻き込んでしまうと言うことを忘れないようにすべきかもしれません。

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