魂11◎所詮プロには勝てないのかもしれないが
先日、ふと思い立ち、とある寿司屋に出かけました。そこは昔からある回転寿司やさんで、今流行の有名回転寿司屋が出店してくるまでは私たち家族もよく行った店でした。安さとシステムの面白さに惹かれて有名店の方に行くようになってしまってからは、すっかり足を向けることさえ忘れていたような場所です。ただ、有名店とは違い職人さんの手握りだし、余り物で作った海鮮味噌汁が無料提供だったんですね。偶に、あの味噌汁でも飲んでみようかということになって、その寿司屋さんへと向かいました。
某有名店はそれはもう大盛況で、待ち時間数十分が当たり前だったので、少しでも空いている時間と昼時を避けて午後二時前に行ってみたり、入り口の待ち人の山を横目に諦めたりしていました。この寿司屋はどうだろうと、久しぶりに駐車場に入ると、昼時を少し過ぎた頃、午後一時過ぎだったにもかかわらず空きが目立ちました。やっぱり有名店効果かと、店内に入りまたびっくり。……あれ、この店、こんなに狭かったっけ。有名店の規模になれてしまっていたのかもしれないし、客が思ったより少なかったからかもしれない。前は店内を埋め尽くすほどの待ち人数だったのに、今日は誘導したと思われる「係が案内しますので、こちらにお名前と人数をお書きください」の紙にも三組の名前だけ。寂しい――、しかしそう思ったのはそれだけが原因ではありませんでした。
カラフルでおいしそうな寿司の写真があちこちに飾られていたはずの店内にあるのは、ネタ提供者と思われる業者名の看板。ネタが横一列に書かれたシールが回転台の横に貼ってあるだけで、旬の魚だとか今日のお勧めだとかの張り紙は撤去されていました。職人さんに声をかけるのも忍ばれるくらいシンとしていて。本当に申し訳ないけど、「別の店で食べればよかった」と思い始めている自分がいました。
一皿百二十六円からだったものが全て百円に代わり、それは安くて助かることは助かるんですが。ネタの数も少なくなったし、楽しみにしていた無料味噌汁が百円になっていたし。でも、なんだか楽しくなかったんですよ。店の雰囲気、あの活気づいたところが好きだったのに。職人さんの「いらっしゃいませ」の「っしゃいませ」しか聞こえないところとか、待ち時間のあのざわめきだとか、握り立てのおいしさや、漂う味噌汁の香り、旬のネタの手書きの張り紙、待った甲斐があったねと言いあう瞬間……。どれも、店からは失われてしまっていたのです。
店員の数が削減されたらしく、待ち人数がない上にレジ待ちの列もないはずなのに、おしぼりや水を運んでくれる役目の人がいなくなっていました。手づかみで食べる子供の手を拭いてあげたかったのですが、どうしようもなく、食べ終わったあと手洗い場で流してやりました。トイレに行こうと店内を回ったときに初めておしぼりが窓際に山になって置かれていることに気がついて、また少し寂しくなりました。
店内から出て車に乗り込んだあと「なんか変わったね」と家族と話し、その後ももやもやがしばらくの間消えませんでした。大型有名店の出店が、これほど影響を及ぼすのか――。もしかしたら、あの店は今年中に、などと無意識に考えを巡らせてしまいました。
回転する、リーズナブル、種類豊富、店舗が広い。それに勝るにはどうすべきか。言うなれば、対抗する手段を見誤った気がします。昔ながらの寿司割烹のように、どうせ寿司を食べるなら本物の寿司をというコンセプトでもない。手握りだけど、あれだけ種類が限られていれば面白みもないし。サービスも格段に悪くなってる。これは、きつい。
考えていくうちに、これってどこの業界も一緒だよなと。
どこかの二番煎じみたいになったら、やっぱり客は離れていくんですね。オリジナリティ、そこに来た価値を客は求めるんです。その店にしかない「何か」。子供たちは「かわいそうだからあのお店にもっと行って応援してあげようよ」と言いましたが、しょっちゅう寿司を食うような金はありません。申し訳ないけど、「その店だけ」の物を失ってしまった場所に私たちが訪れることはもう無いような気がします。
例えば、週刊誌だって廃刊休刊に追い込まれる今日、情報や食べ物は溢れすぎていて、本当にニーズにあった物だけが生き残っている気がします。ある程度年をとると、昔を懐かしんで古い店に行きたくなったり昔ながらの物を探したりするじゃないですか。そういうときに、どんどん古い物は淘汰されていくんだなと空しくなる。そんな気持ちは日常生活だけじゃなくて、インターネットの中でも同じだったりしますよね。
ネットに接続して初めて訪れたあのサイト、どうなってるかなと思うと閉鎖されている。役立つと思ってブクマしておいたのに404エラーだったり。サイト自体は存続してるけど、最終更新日が数年前とか。モチベーション維持の問題なのか、知らない間にトラブルがあったのか。それとも、本当に管理人さんが行方不明、もしくは直ぐに気が変わってサイトを放置するタイプの人間なのか……。
足繁く通っていた方からすると、何年経っても同じ勢いで更新し続けて欲しいと思いたいところ。あの寿司屋さんみたいにいつの間に人気が無くなって寂しくなっているのはちょっと空しい。だから、出来れば何とか体裁を整えて続けて欲しいなって、それは多分、訪問者のただのわがままだと思うんですけど。
あの時、自分がよいと思った、魅力を感じた、そういう気持ちが嘘だったんじゃないかって、そんなこと思いたくないじゃないですか。だから、わがままかもしれないけど、中途半端にやめたり放置したりはして欲しくないですよね。
そりゃ、WEBデザイナーの方が作ったサイトより素人のサイトが劣るのは当たり前だし。プロの作品より素人の作品の方が見劣りするのは当たり前。だからって言って、勢いに負けてオリジナリティ殺してまで続ける価値ってなんだろう。それよか、素人なりに頑張って自分色出した方がいいじゃん。取材、資料集め、技術、どれをとっても劣るけど、アイディアや意気込みは負けないだとか、丁寧なコメント返信が売りですだとか、何でもいいと思うんですよ。どうせやるなら情熱的に、魂込めてやって欲しい。臆することなく。
もしかしたらあの寿司屋さんは撤退するかもしれない。そしてそのから店舗だけがひっそりと佇んで、いつだったかみんなで行ったよなともの悲しく思う日はそう遠くない気がします。だけど、私たちみたいなモノカキは違うと思いたい。一人一人個性があるんだし、何より商売抜きでやってるわけだから。大手の同人サイトやプロに勝とうなんて思う必要はないんですよ。人気がないだとか数字が伸びないだとか言ってないで、自分だけにしかできないこと、自分にしか書けないことを続けないと。
サイトや作品への訪問者は何を求めてるのか。どきどきやわくわく、感動、笑い、そこでしか手に入れられない感じられないもの、ですよね。だとしたら、何が出来る、プロには到底及びもしないけど、小さな自分の作品集を見て貰うために、どういう工夫をしたらいいだろう。
有名店になれなくても、せめて老舗寿司屋さんみたいになりたい。ここに来たら安心だ、ここなら安心して作品を楽しめると思わせたい。そう思ったある休みの午後でした。
20120205追記:件の寿司屋は、このエッセイから一年程あとに閉店し、今は更地となっています。