魂10◎コミュニケーションを考える
小説を書いてるだなんて、とてもじゃないですがリアルで公言できない天崎です。つまり、隠れ……というやつですね。職場にゲーム好きの後輩がいるので、ちょっと話に乗ることもありますけど、小説だの絵だの描いていることは秘密、絶対に秘密です。
うちの娘どもがどんどん口達者になってきて、「うちのママ、絵が上手いんだよ!」などと言うときもありますが、その絵はどのレベルかなんてまだ幼児には伝えきれまいと思って今のところ放置しています。しかし、いつバレることか気が気でないというのも嘘ではありません。世の中のヲタを見る目が昔より柔らかくなってきたとはいえ、やっぱり実際趣味で小説やら絵やら書いてますよとなると、「なんだこいつ」目線で見られないか激しく心配です。元々ヲタだと知って仲良くなったり、隠れヲタ同志だといいんですけど。
高校までは身近にヲタ友達がいました。学校で毎日絵を見せあいっこしたり、書いた話をよんでもらったり。こそこそやってましたけど、結構楽しかったです。その後ネットに繋ぐまでの間はいわゆる同人誌即売会とかTRPGコンベンションというところでヲタ友達を作っていました。月に数回イベントやら何やらで会って、くだらない話からマニアックな話まで延々としましたね。若いからこそ出来たのかもしれない――と、今は思います。移動距離、すごかったですから。平気で数時間かけて遊びに行きました。とにかく、気の合う仲間と一緒にいるのが楽しくて。
だけども、そういうのは結婚と同時に終わってしまいます。転勤も重なり、それらの友達とも会えない距離に引っ越したんです。恐る恐る繋いだインターネットで絵を描くことを趣味とする仲間と出会えなければ、私の人生は大きく変わっていたかもしれません。
ネットは便利です。自分と気の合う仲間、同じ趣味の仲間を捜そうと思えば、いくらでも見つかります。世界中に繋がっている、これってすごいことだと思いませんか! 昔は実際会える距離にいる人としか繋がりを持てなかったし、何とか遠くの人ともと思えば文通か電話でしか接触できなかったんですよ。私が創作活動を始めてから十数年経ちますけど、その間にコミュニケーションの幅と可能性がグンと増したんです。アナログ方法しか無かった時代の人間からしたらすごい進化です。まさにSF、みたいな状態ですよね、当時からしたら。
パソコン一つ、携帯一つで簡単に遠くの人ともアクセスできる。便利ですね。でも、アナログより落とし穴が多い気がします。そういうとこに気づかないと、どんどんドツボはまっていくんではないでしょうか。
例えば、メールや掲示板。昔、文通やら葉書投稿やらなさっていた世代だと特に顕著に感じるんではないかと思うんですけど、便利すぎて怖くなったりしませんか。相手に直ぐに届く――殆ど時差無しに。だから、相手からの返信も早い。嬉しいときもあるけれど、ちょっとでも気に障ることがあると大変なことになりますよね。だって、その文面が届いてから相手へ返信するまでの間、時間を殆ど置かないじゃないですか。ゆっくり冷静に考えればたいしたことじゃない事項にやたらと腹を立ててしまったり、推敲無しに書いてしまうために相手のことを考える余裕を失ったり。
こういうのって、アナログの時代はあんまり無かったんじゃないかなと思います。だって、相手に届くまで数日、それから文章を練りつつ自分の字で返事を書き、更にそれをポストに入れ相手に届くまで数日。最初はムッと来ても、投函するまでの間に考える時間が大量にありましたよね。文面の内容とともに、どの便せんを使うかとかどの筆記具で書こうとか、字は丁寧な方がいいだろうとか、何度も書き直して紙を無駄にしてしまったり、同じ事を何度も書いているうちに考えが変わっていったりだとか。
電話でのコミュニケーションだって、相手の顔は見えないけど、声の調子や言葉遣いで互いに気を遣い合ったじゃないですか。何でそういうのがメールや掲示板になったとたん欠如してしまうんだろう。なんか、そういうのって奇妙だと思いませんか。
文字と、それ以外。何の差があるんでしょう。無機質、確かにそうかもしれません。顔文字や絵文字でちょっと変えてみたところで、やっぱりその無機質さは変わらないのかも。むしろ、無機質なりの温度を持っているのかもしれない。温かい言葉はそれなりに温かく見えるけど、手書きよりはもっと温度が低いし、残酷な言葉は手書きの文字で見るよりもっと淡々とした冷たさがあるのかも。
そういうものにいちいち踊らされてしまう人間てものすごく哀れだけど、人間なんだから色々感じて仕方ないんだとも思います。全て受け流せるくらい大きな器を持っていれば、何もトラブル無いんでしょうけど。人間なんだもん、小さいことで悩むこともあるし、流されることもありますよ。
オフラインのコミュニケーションより温度の低いこのオンラインコミュニケーションの渦の中で、相手のことを常に考えて発言するって事は、思ったより難しいです。どれだけ言葉を考えて書いても、きっと傷つく人は傷つく。私もよく辛辣な言葉を紡いでしまうので、真意がどれくらい伝わっているのか気になります。だからといって、優しい言葉だけでコミュニケーションがとれるとは思いません。時には厳しい言葉も、相手を傷つける発言もしてしまいます。それをどうカバーしていくかが一番問われるんじゃないでしょうか。
今ディスプレイに見えている文字の向こうに人間がいて、何かしら考えながらキーボードを打っている。想像してもその人の人物像が見えなくて、自分からみて目上か目下かすらおぼろげにしかわからなくて。まさに五里霧中ってやつですけど。探らずに書くくらいなら、少しでも想像してみたらどうでしょう。自分と同じように、相手も何か考えているかもしれない、この文面の奥に真意が隠れているかもしれない。――そういう手探り感がないと、オンラインでのコミュニケーションは成り立たない気もします。
目に見える物が全てじゃない、ですよね。温度が見えにくいからこそ、考えて動かないと。相手は文字じゃなくて人間だって、改めて考えてみては。そしたらオフラインよりも慎重なコミュニケーションができるようになるのではないかと思うんです。