魂1◎指南書ニ非ズ
「趣味」でモノカキしています。要するに、ずぶの素人です。
プロになるつもりがないかというとそういうわけでもなく、偶に思い立って公募に出して堂々と落選するくらいの実力だと最初に書いておきます。WEBだからこそ読んでもらえるものだと思っています。
そういうわけで、創作についてのエッセイを書き始めますが、指南書にはなりません。あくまでも創作する上で思うことを綴っていきます。内容的にアドバイスめいたことを書くかもしれませんが、私は自分の姿勢を文に残していくだけです。
どうも昔から説明書やハウツー本が苦手で、とりあえずやってみよう、それで躓いたら考えよう、調べてみようというたちなもので。そんな人が誰かにものを教えたり出来るはずがありません。失敗談や経験談はそれなりにあるつもりですが、参考になるようなものが書けるとはとてもじゃないですが思ってもいません。
自分が思っていることや信じているものが他の人と違うのは当たり前だし、「おまえに言われたくはねぇよ」という言葉もごもっとも。たとえば、感想を書いたり批評したりという場においても、どうしても書き手の納得感を引き出せないこともあるわけで。そのついで、未完の作品を抱えてまた新連載とかするなよという突っ込みの声も聞こえないわけではないですし、おまえのような素人が書いたエッセイなど誰が読むかと言われればぐうの音も出ませんが。書きたいことを書きたいように書くのは自由ですから。あとは、やらなければならないことややろうと思ったことと一緒に続けていくのみです。
以前「SPICY!」という連載をしていましたが、あのときはかなりびくびくしながら書いていました。というのも、辛口を謳っていたため記事の内容に毎度苦労し、その上余所で「それほど辛口でもない」などと言われることもしばしば。反省して今回は辛口とは書きません。「魂」と書きます。
無駄に熱すぎると言われる創作魂をうまいこと文章化できれば幸い。
そうですね、言うなれば島本和彦の漫画「燃えよペン」くらいの勢いで。
創作とは「熱」、温度だと思うんですよ。作者がどのくらいの思い入れで作品を仕上げるか、それが最終的に作品に現れる。書いているうちに主人公や登場人物と同化することや、自分の世界に浸りすぎて涙が止まらなかったり、戦闘シーンで興奮しすぎて普段の生活で動きが戦場のように機敏になりすぎたりすることはありませんか。私はしょっちゅうです。
普段から何事も創作に思考を繋げてしまうため、端から見ると訳のわからぬ行動をとっていることもあります。それもまた創作熱。熱を常に持ち続け、それを絶やさぬようにしないと、いつかただの人になってしまいそうな気がします。
自分の頭から妄想や空想がなくなることはないと思うんです。小さい頃から漫画家や作家になりたかったし、気がつくと話を考えたり絵を描いたりしていました。今更やめろと言われてもやめられるもんでもありません。こうなったらとことんやろう、やれるところまでやってみようと、今日も無駄に熱を発します。
しかし、趣味なんだから死ぬほど追い詰められる必要はない。仕事や私生活に悪影響を与えすぎるほどのめりこみすぎるとそれは趣味から「中毒」に変わってしまうような気がします。だからそれなりにゆるりと、しかし緊張感を持ち、時間的精神的余裕を損なわない、そんな範囲でやっていくのがベストなのではないかと。
そういうわけで、いろいろ手を出して無駄に熱くなってはいますが、他人から見るより案外ゆるゆるに生きています。ゆるゆるしながら、それでもやりたいこととやらなければならないことはちゃんとやる。社会人として当たり前のことですけど、これが結構難しい。
偶にくる感想と、ぽつりぽつりのWEB拍手を糧に、今日も創作活動をゆるりと続けます。