03.これからへの決意
そうしてルクスは《Heavens》へと無事に加入をし、晴れてヘヴンズマンとして生きることを決意した。
自分の宣言により加入まではトントン拍子で、誓約書やら何やらと、宿まで貸してもらえることになったのだ。宿代や食事などの生活費は賃金から予め差し引いてくれるとの事で、これまでひとり暮らしをしていたルクスにとってはありがたいことこの上ない話である。
「部屋にある家具は好きにつかって。シャワールームも自由につかって大丈夫だけど、あまり夜遅くにはつかわないでね。あとご飯は基本的にみんな一緒に食べるから、時間になったら一階に来てね。ダイニングは好きにつかっていいし、あるものはなんでも食べて大丈夫」
アイラは慣れた手つきでベッドにシーツを敷き、布団を被せる。
この《Heavens》の活動地点である屋敷は、一階に事務所とダイニング、大浴場があり、二階は全て寝室になっている。部屋数は七部屋で、そのうちの二つをアイラとローランスで使って、残りの物置部屋や空き部屋にしていたという。ルクスがすぐに部屋を借りられたのもその所以だ。
「不便があったらすぐにいってね。欲しい家具とか物はローランにいえば揃えておいてくれるから」
部屋の準備を終えると、アイラはルクスが持っていた大きな荷物を受け取ってベッドの横に置く。《Heavens》の所属が決まったあとすぐに元々住んでいた家から持ってくるように言われたのだ。家具などは残し、衣類と小物だけ持って家を出た。別段思い入れがあるわけでもなく、後ろ髪ひかれることはなかった。
普段から軽くは掃除をしているらしい部屋だが、ルクスが住むという事でアイラは机やクローゼットなどを念入りに綺麗にしてくれた。嫌な顔などせずにやってくれるから、ルクスは感謝の念ばかり覚えてしまう。
「ん、あとは大丈夫だとおもう。夕飯は六時半だから、その頃には一階に来てね」
小さく息をつくとアイラは部屋のドアノブに手をかけた。ルクスは咄嗟にあっと声を上げ、それに反応したアイラが動きを止める。口をあんぐりと開けたまま目を白黒させるルクスに、振り返ったアイラは首を傾げた。
「どうしたの?」
口をぱくぱくと動かし、声を出さないルクスに訝しげな視線を向けるアイラ。ルクスは瞳を左右に泳がせると、
「いや、あの……ありがとうございます、アイラ」
照れくさそうにはにかんだ。
自分よりも頭一つ分以上背の低い少女を真正面に、深々と頭を下げるとアイラが息を呑むのが聞こえてくる。アイラは二歩だけルクスに歩み寄って、包帯の巻かれた癖のある栗色の髪を優しく撫でた。
「……」
まるで大切なものを愛でるような手つきに、ルクスは気恥しさを覚えながらも心地良さに目を細めた。
数度繰り返すと手のぬくもりは遠ざかり、ルクスはゆっくりと頭をあげる。顔を上げて、思わず目を見張る。
すぐ目の前に整った顔があり、深紅の双眸がルクスを見つめていた。
「お礼なんていいの。わたしがしたくてしたことだから」
相変わらず感情の読み取りが難しいが、柔らかな鈴のような声は穏やかなものだ。不意に、トクンと胸が大きく音を立ててルクスは自分の胸元を掴む。
「あらためて、これからよろしくね、────ルクス」
「……っ」
小さな唇が名前を紡いで、ルクスは息を詰めた。ぎゅっと握りしめていた胸元がまた騒がしくなり、苦しげに息を吐く。
ルクスの異変に目の前の少女が狼狽して、ルクスはふっと頬を綻ばせた。
分かりづらいなんて、どうして自分はそう思ったのだろうか。
分かりにくいことなどなかったではないか。ただ、表情に乏しいだけで、アイラは真っ直ぐ真摯に向き合ってくれる。この優しさを、お人好しを前に、指をさして分かりづらいなどとそれこそ一日の間にはかるべきものではなかった。
あぁ、この子の期待に応えられたら…
ルクスは密かに願う。
「すみません、六時半に一階ですね」
「…………うん。まってる」
くすくすと笑うルクスにつられて、アイラはほんの少しだけ口元を緩ませる。そんなアイラの様子に気付くことはできず、ルクスは部屋をあとにするアイラの後ろ姿を見送った。
「………………ふぅ」
しばらく立ち止まっていたルクスは、ベッドまでフラフラと夢見心地な足取りで寄ると倒れ込む。ふわっと柔らかい衝撃が顔を包み、同時に紅茶とスコーンのような甘い香りが漂って鼻腔をくすぐる。
アイラの回し蹴りを受け、気絶していたルクスが目覚め、この部屋で事情を話している時、ローランスはずっとスコーンを頬張っていた。もしかしたら日常的に紅茶とスコーンを嗜み、それが衣類や寝具にも染み付いているのかもしれない。
思えばアイラからもハーブのような香りが漂っていた。
そんなたわいもないことで思考を回すと、ルクスはこれからについてを考える。所属してしまったからには自分も何かしなければならない。
出入りの時に通った事務所のデスクの上に山積みになった書類を見るに、恐らく多忙は免れないだろう。怪異を寄せ付けるくらいしか脳のないルクスに出来ることがどれだけあるか、それはまだ未知数ではあるが。
「迷惑だけはかけないようにしないと、いけませんね…」
仰向けになって天井に右腕を伸ばす。開いた手のひらを見つめて自嘲するように笑った。
過去のつらい記憶はいつまで経っても消えないものだから。
今日は色々なことがあってさすがに疲れてしまった。伸ばしていた右腕で目元を覆うと目を閉じた。
少し眠ろう。
明日からはこれまでのぬるい日常に浸っている訳にはいかない。
「……」
ゆっくりと意識が深淵に傾いていく。
その後、深い眠りについて夕飯の時間に起きられず、アイラに叩き起されたのはまた別の話。