第五話:リベンジマッチ
目が覚めると、私は大きくて柔らかなベッドの上に横たわっていた。眠い目をこすって、見慣れない光景の中で記憶を探る。
「……ここ、どこ?」
寝ぼけ眼のまま、とりあえず光がなくて暗いので、カーテンを開けてみた。
眼下に、焔色に染まった町並みが広がっていた。見晴らしがとてもいい。だけど、見覚えのある建物はひとつも見つからない。
「どこだよ、ここ!」
覚醒した私は、中学生の時に修学旅行で泊まったホテルより数倍オシャレな空間にいることに気づいた。辺りを見渡すと、豪華なソファや大きなテレビなど、高価そうな家具が並んでいる。
「そうだ、確か凜が私の身柄を預かるとか言って……ってことはここ、凜の部屋!?」
よく見ると、部屋の隅には長期旅行に使えそうなトランクが置いてある。それ以外の私物は一切見当たらない。
備え付けらしいデジタルの卓上時計に表示されているのは午後六時過ぎ。朝から昼を飛ばして夕方か。そういえばお腹空いた。
窓際から離れて、玄関の方へと移動してみる。早く家に帰らなくちゃ。
「何処へ行く気だ?」
そして、あぐらで監視モードだったらしい春原が扉の前をふさいでいたので、簡単には帰れなさそうなことを悟った。
「帰りたいんだけど」
そもそも、この位置にいるということは、さっきの私の声も聞こえていたということだ。もともと返答者にあてのない質問だったけど、答えてくれてもよかったものを。
「それは無理な話だ。凜様から、貴様を外に出さぬよう、伝えられているからな」
棍を作り出して、臨戦体制に入ってみた。
「どかないなら、力ずくでもどいてもらうよ」
「面白い。その闘い、受けて立とぐほぁっ!」
突然、春原が前のめりになって後頭を押さえ出した。何事かと思っていると、春原の後ろから凜が姿を見せた。どうやら扉の角で打ったらしい。
「受けて立つんじゃない!」
扉の外で話を聴いていたのだろうか、凜はわざと春原に扉をブチ当てたみたいだ。
「美乃花、怪我はないか?」
「ケガはないけど、不平ならたんまりと」
「そうか、ならちょっと話し合いをするか?」
漱輝相手ではありえないほど、しっかりと話を聞いてくれる凜。だけど私を外へ出すつもりはないのか、肩をつかんで部屋の奥へと連れていかれる。最終的には、さっきまで私が寝ていたベッドに腰かけることとなった。いつの間にか棍が取り上げられて消えてしまっている。
「まず、これって立派な監禁だよね」
犯罪者として自覚があるかどうかを確認してみる。
「それは違うな、美乃花」
なにをいけしゃあしゃあと。
「どこが違うんだ!」
「厳密には、監禁じゃなくて軟禁だ」
「……でも、犯罪は犯罪だろ」
「それは違うな、美乃花」
なにをいけしゃあしゃあと。
「僕は何より、美乃花の為を思ってこうしているんだ」
「……でも、犯罪は犯罪だろ」
というか、好きな女を無理やり監禁している男って、かなりの変態だよな。……あ、監禁じゃなくて軟禁か、ってどっちでも一緒だ、そんなもん!
「そもそも、今日は学校なのに……って、もう終わってるじゃないか!」
「学校は漱輝の行動範囲内だ。行かせるわけにはいかない」
「今まで遅刻はあっても欠席はなかったのに……」
軽く落ち込みつつも、凜を力いっぱい睨む。すると、力みすぎたのか私の腹の虫が盛大な音を立てて鳴いた。そういえば今日はまだ、朝ご飯しか食べていない。
「そうだ、ディナーは何か希望はあるか? 可能な限り応えよう」
可能な限りってことは、つまりだいぶ限られるよな。だって外に出るわけにはいかないんだろうし。
どうせなら、高い物を頼んでやる。
「寿司。出前で構わないから、寿司が食いたい」
「了承した。……春原、確かこのホテルの近くに寿司屋があったはずだ。そこで三人前、買って来い」
「私、一人前じゃ足りない!」
「……畏まりました。四人前でよろしいですね?」
「うん」
勝手に頷いてやった。まあ、昼ご飯も兼ねているから、確かに足りないかも知れないのは確かだけど、それよりはやはり金銭的にささやかな仕返しをしてやりたいというのが一番の目的だ。
春原がさっき自分が頭をぶつけた扉を開いて、外へと出ていく。部屋には私と変態の二人きりになった。
「ところで、ここはどこ?」
あまり我が家から遠くでは困る。なぜなら、逃げ出した時に大変だから。
「蓮木市は出ていない。富実区にあるビジネスホテルだ」
富実区、か。私が住んでる南蓮木区から、北東に位置する区。確かにちょっとした都会だったけど、こんなホテルがあったんだ。駅前には高校生にあまり縁のない施設しか富んでいないから、よく知らなかった。
よかった、あまり遠くじゃない。これなら歩いて帰れるほどではないとはいえ、交通機関を使えば私の小遣いの範囲内ですぐに帰れる。つまり当面の問題は、軟禁状態であることのみ。
「安心してくれ。もとより、漱輝との決着が付いたらすぐに解放するつもりだ」
「決着って、いつだよ」
できることなら、今すぐにでも解放してほしい。……いや、寿司を食べてからでいっか。
「明日の、昼にするつもりだ。場所は、前と同じ場所」
前と同じ、ということはあの廃アパートか。
「それまででいい。外に出るのは我慢してくれ」
頭を下げてまで、私に頼み込む凜。そこまでするのは、やっぱり漱輝を殺人鬼だと思い込んでいるのが一番の理由だろう。
だからといって、それならしかたがない、なんて納得するわけにはいかない。
「お母さんや友だちが心配するから、やっぱり帰りたい」
ただでさえお父さんの仕事が延びて寂しがっていたお母さんが、私の突然の失踪に耐え切れるはずもない。今頃なにをしているのか、急に不安になってきた。
……そうだ、携帯電話はどこにあるんだろう。すっかり忘れていた。
「凜、私の鞄は?」
「そこにある」
凜が指さした先、隠しもせずに私の鞄は置いてあった。トランクの横にあったというのに、なんで気づかなかったのだろう。
助けを呼ばれることなど念頭にないのか、凜は私が鞄を開けて携帯電話を取り出すのを止めようとしなかった。手に携帯電話を握り、まずはメールが来ているだろうからそれを確認しようと画面を開いた時、私の期待は裏切られた。
圏外だった。だいぶ前からそうだったらしく、メールも来ていない。多分、類や紀沙が突然欠席した私を心配してメールをくれただろうけど、結局のところ届いてすらいないので、返信もできない。どれほど心配してくれているだろうか。
「ここは基本的に電波は通じないぞ」
凜のその言葉で、あらかじめここが圏外だと知っていたからこそ携帯電話を取る私を止めなかったのだと気づいた。
使えない携帯電話を鞄に戻し、私は自分が未だ学校の制服を着ていることを気に留める。このまま寝ると、シワになる。それは避けたいところだ。
と、そこでいい案を思いついた。早速実行してみることにする。
「凜。私、制服のままってのも嫌だから着替えたいんだけど」
言いながら、部屋のクローゼットを開いた。これだけリッチなホテルなら、部屋着の一着や二着は用意してあるだろうと踏んでいたけど、まさにその通りだった。日本人向けの和風な浴衣と、この部屋に似合う洋風なバスローブの二着が二組、計四着が用意されている。
「そうか。なら僕は玄関の方で外を向いていよう」
「いや、信用できない。外に行って」
「だが……」
「外行け、変態!」
「…………」
あまりの剣幕に反論する気も失せたのか、凜はそのまま黙って扉の外に出ていった。
チャンスだ。
扉は内開き。先ほど春原の後頭部に当たっていたから、間違いない。つまり、開いた時に外にいる凜に当たって止まることはない。
勢いが重要だ。扉を開けて、凜を振り切って脱走する。脳内でその計画が成功する様を想像してみる。……途中で捕まった。やっぱり男と女じゃ走る速度に差があるし、なにより凜には魔法、シルフィスがある。とても逃げ切れるとは思えない。
ならば、そうだ。凜を気絶させればいい。
棍を再び創造し、後頭部がある位置を想像しておく。私だって春原に殴られて気絶したのだから、それでおあいこだ。
よし、行くぞ!
自分を奮わせて、扉を勢いよく開く。想像していた凜の後頭部のある位置を目がけて、棍を振り下ろす。
が、空振った。なぜなら、凜が扉に背を預けていたせいで、内側に倒れてきていたから。とっさに避けて、背中から倒れた凜を横目に、廊下を全速力で逃げ出した。エレベーターが都合よく私の目の前で開く。乗車しようとして、首元をつかまれた。
「寿司、食わないのか?」
エレベーターから降りてきた春原のその問いに答えようとするものの、首をつかまれているので喋ることも頷くこともできなかった。
沈黙が支配する部屋の中、私は寿司に夢中になっていた。高級な寿司屋で買ってきたらしく、相当な美味さだ。
先ほどの脱出劇未遂のせいで、気まずい。だけどだからといって寿司を食わないわけにはいかない。変態二人が軽く引いてしまうほど、私は一心不乱に寿司を食らっていた。もうすでに一人前は食べている。
そんな私を尻目に、凜は細々とかっぱ巻きと玉子に手を伸ばすばかりだ。
「……美乃花、美味しいか?」
「うん、脂が乗ってて美味い。……凜は食べないの? 大トロ美味いよ、大トロ」
「いや、生魚は苦手なんだ」
なんともったいないことか。こんなに美味いのに。
春原が、寿司と一緒に買ってきた物を取り出した。桐の箱から出てきたそれは、プリンだ。
「凜様、食後のデザートにでもどうぞ」
わざわざ桐の箱にプリンを入れるのもどうかと思うけど、まあいいか。寿司と同様、高級なんだろう。
「ほう、気が効くじゃないか」
それきり、上機嫌な様子でプリンを食い始めた。なんというか、心の底から喜んでいる様子だ。もしかしなくとも、甘党なのだろう。
「プリン、いいなあ」
大トロをほお張りながら、ついそんなことを呟いてしまった。さっきまで気まずいと思っていた私はどこへ行ってしまったのやら。
「ちゃんと三人分、買って来ましたから、あなたの分もありますよ」
凜の前だからか、丁寧な口調で言う春原。正直に言って、気持ち悪い。
「あ、私の分はもちろん、凜様に」
「うむ、殊勝な心がけだ」
……この二人、すごいな。なにがって言えないけど、なんかすごい。
朝。私は、凜たちに連れられて廃アパートにやって来た。漱輝はまだ来ていないようだ。前回来た時とは時間帯が違うせいか、怖さは感じない。代わりに、切なさを垣間見させていた。
「美乃花、できるのなら、僕と漱輝の決着を邪魔しないで欲しい」
「それ、無理。だって凜は、漱輝を殺すつもりでしょ? そんなの見逃せないっての」
ため息が聞こえた。凜と春原が同時に吐いたのだろう。私の行動を望んでいないことは分かっている。ただ、凜のその希望には絶対に応えられない。私の心は、そうするには頑固すぎる。
「やっぱり、殺されたから殺すとか、そんなのが正しいとか思えないし」
「美乃花、だから僕はそんな理由で漱輝と闘うわけじゃないんだ」
分かっている。第二の犠牲者を出さないため、と凜が言っていたことも。だけどそんな不確定なことで人を殺すのも間違いだと思うし、なにより漱輝がそんな人間に見えない。
多分、私と凜の考えはこのままじゃ分かり合えない。そこにある差は、漱輝への認識の違い。
どうにかして凜が漱輝を認めてくれれば、きっとこんなことをしなくなるだろう。だけど、凜がここまで漱輝を信用していない様子だと、それも難しそうだ。
「あなたが凜様を止めるつもりなら、私があなたを止める」
得物を私の足元にズンと降ろして、春原が私を威嚇する。
「邪魔はさせないってことか。……受けて立とうか?」
鉄パイプを握る。春原と闘うとなれば、これはリベンジマッチだ。あえて前回と同じ武器を選択してみた。
「春原、分かっているとは思うが、気絶するまでに留めておけ。殺したら、承知はしない」
「了解しました」
言いながら、春原は脇の壁に突然斧を叩きつけた。その壁はまるでクッキーみたいに軽々と砕けて、隣の部屋への新たな入り口が生まれる。
私と春原は隣の部屋に移動して、対峙する。
今度は殺される心配はないとはいえ、負けるわけにはいかない。
★ ★ ★
鉄パイプを手にした美乃花と斧を持つ俊雄は、睨み合っていた。美乃花は早く俊雄を倒して凜を止めたいのだが、俊雄に隙が見当たらず、なかなか踏み込めずにいる。
「……来ないのか?」
片方の眉を上げて問いかけてくる俊雄の言葉を合図に、美乃花は走り出した。相手を撹乱させようとジグザクに近付きながら、手に持つ鉄パイプを振り上げた。
「無駄だ」
俊雄が呟くと同時に、美乃花を中心に漆黒の円が展開された。前回と同様、三倍の重力が美乃花を襲う。そのままこの状態を維持するだけで、邪魔はさせないでいられる。俊雄は呆気ない勝利に、唇の端を吊り上げた。じきに、強い重力で体力を消耗した美乃花は、気を失うはずだ、と背を向けた。
「届け……!」
美乃花の声が俊雄の耳に聞こえたが、所詮は悪あがきだろうと気にも留めなかった。
「届けえええええええっ!!」
強い衝撃が、俊雄の肩を突いた。その勢いにつんのめるが、重力を上手く操作して耐えた。
「なんだと…………っ!?」
振り返ると見えたのは、美乃花の持っていた鉄パイプ。しかし先ほどまでとは、その長さが違っていた。元の長さはせいぜいが一メートルと半分。今は、十メートルほど。
「……知らなかった」
呟きながら、美乃花は立ち上がる。俊雄を驚かせたため、集中力が切れて重力の束縛は解けていた。持っている鉄パイプは、短くなっていく。
「作り出してからも、形状変化が可能なんて」
元のサイズになった鉄パイプで、そのまま俊雄を目掛けて突進する。今度はスピード重視の一直線。一気に間合いを詰めて脇下を狙うが、前回同様、急所から外された。
「小癪な……。ならば、反撃のいとまも与えずに倒すだけ!」
俊雄の左手が伸びてきて、美乃花の襟元をつかんだ。そのまま、かつて漱輝がされたのと同じように投げられた。空中でバランスを取ることなどできずに、地面に叩きつけられた。受け身は成功したので、たいしたダメージは受けずに済んだ。
直ぐさま起き上がって俊雄を見ると、異様な跳躍力で天井すれすれの位置から降ってくるところだった。美乃花は慌てて後退して、俊雄の着地しながらの振り下ろしを回避する。魔法で強化されたその一撃は、足元に大きなクレーターを作る。当たっていれば死んでいただろうから、きっと避けられるのを予想した上での攻撃だろう、と美乃花は鉄パイプを構えて更に次の攻撃に備える。
「それで避けたつもりか?」
足元のクレーターから、衝撃でいくつかの小さなコンクリート片が飛んでいた。その小石と化したコンクリート片たちが、重力に逆らって美乃花に襲いかかる。俊雄がそれらにかかる重力の向きを変えたのだ。
とっさに、腕で顔を覆って小石のつぶてを防御するが、もともと自由落下する小石の向きを変えただけ。攻撃としては意味を成さない。
しかし俊雄にとっては、攻撃として意味を成さなくとも、よかった。
「…………っ!?」
「ハーハハハハハハハハ!!」
小石を防いだ美乃花は顔の前に腕があるせいで、視界が効かない。その隙に、俊雄は美乃花の首を乱暴につかみ上げたのだ。
「ぐっ……!」
首をつかんだ片腕で、美乃花を持ち上げる。このまま絞めてもよかったが、美乃花が鉄パイプを大上段に構えるのが見えた。
「沈め、グラビトン・プレッシャー!」
俊雄は叫びながら、美乃花を全力で床に叩きつけた。重力強化も手伝ってかなりの勢いだったが、美乃花は未だ気絶していない。悶絶しつつも、立ち上がろうとしている。殺さないようにと手加減したのが仇になったと、俊雄は内心で舌打ちする。
立ち上がる前にトドメを刺そうと、俊雄は美乃花に歩み寄る。すると、
「……がっ!?」
鉄パイプが下から振り上げられ、俊雄の顎に直撃する。美乃花の頭からは血が流れているが、気合と気力は未だ衰えていない。だからこその攻撃力により、俊雄はそのまま背中から倒れ込んだ。
その間に、美乃花は俊雄から距離を取る。
「この、小娘がぁ……っ!」
恐ろしい形相で立ち上がりながら、俊雄は全力で美乃花を睨み付けてきた。そのまま、美乃花を目掛けてもう一度跳躍する。先程の連携技を再現するつもりなのだ。
あまりの威力に、受けるは不可能。小石の追撃からの連携に、避けるは不可能。俊雄が今まで数々の敵を屠ってきた常勝必殺のコンボだ。
しかし、美乃花には見えている。このコンボを打ち負かす、単純にして簡単な方法が一つ、あるのだ。
選択肢は何も『受ける』、『避ける』、『負ける』の三択ではない、というだけのこと。
「届けえええええええっ!!」
「……ぬっ!?」
伸び来る鉄パイプを、俊雄は自分の斧で受けるしかなかった。何故なら、空中で避けることなど不可能だからだ。そして伸び続ける鉄パイプに弾かれ、俊雄はまたも背中から床に倒れ込んだ。大きな体は、それに見合うだけの大音量を鳴らす。
受けられず、避けられず、負けられないのなら、答えは一つだ。
「どうだ、『阻止』してやったぞ!」
「…………フッ」
俊雄はゆっくりとまた立ち上がって、肩を震わせ始めた。
「ハハハハハハハハハハハハハッ!」
「…………キモっ」
軽く引いた美乃花の様子に俊雄は気付かないまま、言葉を続ける。
「こんなに楽しい闘いは久しぶりだ! もっと俺を楽しませてみせろ!」
美乃花の足元に、またも魔法の円が浮かび上がった。しかし以前経験した漆黒の円ではなく、今回は純白が広がっている。徐々にその円の面積は増し、部屋の床一面を覆い尽くしてしまう。
「陥ちろ、グラヴィティ・リバース!」
「……へっ?」
美乃花の平衡感覚が、突然にエマージェンシーを告げた。まるで遊園地のフリーフォールが落ち始める直前のような。
「えええええええええっ!?」
違和感。まるで世界が逆さまになってしまったような。
落ちる。ただそれだけを、美乃花の脳は把握できていた。
「この白い魔法陣は、対象となった物の重力を反転させる。……本来は、空の彼方に敵を消し去る技だ」
天井に受け身を取るという珍しい体験をしながら、美乃花は床に立つ俊雄を見上げた。そして立ち上がり、天井を踏み締める。ここが屋外でなくて良かったと安堵しながら、鉄パイプを伸ばして俊雄を討とうと、狙いを定めた。
その時、俊雄が床を蹴るのが見えた。と同時に、美乃花の足も天井を離れる。
「だが、屋内でもこんな闘い方ができる!」
無防備な空中で、美乃花と俊雄はすれ違う。避けることは叶わない。俊雄の斧が、美乃花を襲ってくる。咄嗟に鉄パイプで受けるが、それは容易に折れ曲がり、盾としての役目を充分に果たしてはくれなかった。それでも幾分か軽減された強い衝撃に、美乃花は受け身も取れずに床近くの壁に叩き付けられた。
「貴様が武器を伸ばす隙も与えず、じわじわと嬲り殺してくれる!」
──殺しちゃダメって凜が言ってただろ。
浮かんだツッコミを口にする余裕は、ない。揺れた頭のせいで、思考が上手くいかない。
ただ、隣の部屋から熱気が伝わってくるのには気付いていた。漱輝が来たということだ。今はもう凜と闘っているのだろう。
止めなくてはならない。最初に出会った時と同じように。止める術を持っているかは分からないが。
「さあ、立て! そして闘え!」
「言われなくとも、立つっつの。……そして、勝つ!」
床に立って、天井から見上げてくる俊雄を見上げた。
今は俊雄に魔法の効果がかかっている。
次は自身にかかっている魔法を、自分に移してくるのだろう、と美乃花は推測する。勝つ為には、攻撃を当てるしかない。だが距離のある状態で攻撃を仕掛けても、避けられるか受けられるか反撃を喰らうかの三択だ。ならば俊雄の近くで、より確実な攻撃をしなければならない。つまり相手が攻撃を仕掛けてくるタイミングを奪うのだ。
相手より速く、相手より強く、攻撃を。
美乃花の体が床を離れた。俊雄の大きな姿が、より大きく視界を埋めてくる。
「うおおおおおおおおっ!!」
「ぶらあああああああっ!!」
結果としては、負けだった。
俊雄の攻撃のタイミングは、完璧と言ってもいい程の物だった。美乃花の攻撃は俊雄の顎を掠めたものの、さしたるダメージを与えてはいないようだ。
しかし美乃花には違う。またも壁に叩き付けられ、確実に体力を削られている。このままでは気を失ってしまうのも時間の問題だ。
俊雄の攻撃は止まない。天井から床に、引き寄せられる。
揺らぐ意識の中、漱輝の顔が浮かんだ。
──あいつ、なんて言ってたっけ。
何か、偉そうに言い放っていたような気がする。だが、何を言っていたのか思い出せない。
さらにもう一度硬い壁に打ち付けられて、ドロリとした血が口の中に入ってくる。鉄の味が広がった。
『様々な武器のイメージを得て、多種多様な使い道を探せ』
思ったよりは早く思い出せた。ショック療法かも知れない。だが、この言葉を何に使えばいいと言うのか。何故、こんな言葉を思い出したのか。
その答えは、天井から下がっている電灯を見て、分かった。
「出ろ、鎌!」
美乃花が鉄パイプを持っている手とは逆、左手に鎌を握ると俊雄は即座に反応した。
「今更武器を増やしてどうするつもりだ」
死神を象徴する武器、鎌。実戦となるとかなり扱いは難しい。しかしその形状こそが、今美乃花が欲する物だった。
「もちろん、お前を倒すだけだ」
右手に鉄パイプ、左手に鎌を装備し、構えた。
熱気は未だ、隣の部屋から伝わってきていた。