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  作者: 夜影
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第三話:善か悪か

 動けない。つまり、逃げられないし闘えない。

 残る選択肢は、『死』だけ。

 地べたに這いつくばる自分の姿を想像した美乃花は、その惨めさに自嘲気味の笑みを浮かべる。あいつにはどんな風に見えているんだろう、と。

 『死』を告げる俊雄の足音が、美乃花へと近付いてくる。それを見上げる美乃花の視線の先には、ついさっきまで気付かなかった黒い影。

「言っておくが、オレは自分の思い通りにならねえのが一番嫌えだ」

 突然に降ってきた声。少し遅れて、黒い影もそのまま降ってくる。俊雄の背後に着地する際、『鞘に納めたままの刀』を俊雄の頭部に上から叩き下ろすのを忘れない。

「ぐうっ……!」

「纏炎っ!!」

 夕陽はいつの間にか、完全に落ち切っていた。まばらな星が彩る空の下、もう一度焔色が蘇る。

 焔色の塊が叫んだその言葉は名を名乗るよりも確実な、自己紹介となった。

「赤山漱輝、貴様ぁっ!」

 頭に強い衝撃を受け、流血で顔を染めた俊雄が叫ぶ。もともとあまり柔和な顔立ちではないので、子どもが見たら一秒も経たずに泣きだしそうな形相になっている。

「俺の背後に、立つんじゃねえ!!」

 纏炎は炎を纏うことにより、敵からの直接攻撃の一部、特に徒手空拳などを防ぐ魔法だ。だからこそ、漱輝は俊雄の斧にばかり注意を払っていた。それが仇となる。

 俊雄は、斧を持っていない左手で、漱輝の胸倉を掴み、そのまま片手で軽々と投げ飛ばしたのだ。漱輝も俊雄ほどではないが大柄なため、決して軽いわけがない。また、俊雄の体つきがいいからこそできた、というわけでもない。

 宙を舞う漱輝は、自分の軌道の先に電柱があるのに気付いた。空中で器用に体制を変えて、電柱を蹴って衝撃を緩和する。

「まさか、左手を犠牲にしてでも投げてくるとはな」

「……漱輝、貴様何処から降ってきた?」

「ちょうど、てめえがブチ当てようとしたこの電柱の上からだよ」

 親指をクイっと上げて電柱の上方を指し示す漱輝。そこに、未だ重力に捕われた美乃花の声が混じる。

「漱輝、いつから見てたんだよ!」

「最初から。春原がてめえを狙うことは予想がついてたからな」

「だったら助けろ!」

「うっせえ。助ける理由も義務もねえよ」

 一人、動けない状態でストレスが貯まっていく美乃花。もし今動ける状況にあれば、ハリセンか何かで漱輝を叩きのめしたいところだった。

「俺には、貴様がこの小娘を助けようとしているように見えるが?」

「眼科行け、眼科」

「…………」

 あっさりと一蹴されて、もはや怒る気にすらならないのか、俊雄は黙ってしまった。

「いや、耳鼻科だな。最初に言ったじゃねえか。『自分の思い通りにならねえのが一番嫌えだ』ってな」

「どういう意味だ」

「分かんねえか? つまり、オレはてめえらがのさばってんのが気に食わねえだけだよ」

 言いながら、漱輝は一直線に俊雄へと走り込む。

「貴様から現れるとは、こちらとしても好都合! その首を以って、凜様への忠義の証としてやろう!」

 真っすぐに走ってくる漱輝は、俊雄にとって最高の的。全力を注ぎ込んだ一撃を、大上段から一気に振り下ろす。漱輝はそれを刀で受けることにより、俊雄の実力を量ろうとしていた。

 美乃花の背筋に、寒気が走る。漱輝がここにいるせいでこの場所はむしろ暑いくらいだったが、この寒気は精神的な面からのものだった。

 悪い予感がする。脳内で、漱輝が体中から血を流す映像が瞬く。その直感めいた予感のままに、美乃花は漱輝に向かって叫んだ。

「受けるな、避けろ!」

「…………っ!?」

 受けようとしていた刀を引っ込め、とっさに横へ跳ぶ。避けることだけに集中したため、俊雄への反撃はできなかった。

 強大な破壊音が鳴り響く。斧が、アスファルトに穴を穿っていた。クレーターのように広がる衝撃の跡は直径が五十センチ程。まるで小さな隕石が降ってきたかのようだ。

「なんだ、あれは……」

 そう呟く、美乃花。

 漱輝は、何か違和感を持たずにはいられなかった。自分の魔法を扱えたのは、新米として考えてもまだおかしくない許容範囲内だ。しかし、他人の魔法を予知したことが、何よりもおかしい。そんなことは、どんなに熟練した者でもできるはずがない。あるとしたら、『そういう魔法』を持っているという可能性だが、美乃花の魔法の正体はもう割れている。

 脳内にイメージした物体を、現実に引き出す能力。

 魔法はエフ・シー毎にどんな能力が備わるか決まっているが、それは実際に頭に埋め込んでみないと分からない。また、一度埋めると取り出せない。故に魔法は個々で使えるものが違うも同然だが、一人に二つのエフ・シーを埋め込むことに成功したという事例はない。美乃花の魔法は他にないはずなのだ。

 また美乃花は俊雄の、魔法による重力を乗せた攻撃を見ていない。既知の魔法ではないのだから、俊雄の魔法にそんな使い方があることを知っているはずもない。

(これもまた偶然、なのか?)

 誰にも届かなかった呟き。漱輝は、美乃花が何者なのかということに、より強い興味を抱いた。だからこそ、ここで俊雄に美乃花を殺させるわけにはいかない。本人が一番の手がかりなのだ。

「おい、女!」

「失礼な呼び方すんな!」

「うっせえ! 理由も義務もねえが、このオレの偉大なる目的のついでに、てめえを助けてやる。感謝して敬え!」

 ──『偉大なる目的』って、単なる嫌がらせみたいだったけど。

 美乃花は漱輝の思惑など知らず、ただ口には出さずに頭の中でツッコミを入れていた。

「貴様に邪魔などさせないわぁっ! 食らえ、グラヴィティ・ホールド!」

 俊雄が地面に斧を降ろす。美乃花の足元に広がっていた円形の闇の場と同じ物が、漱輝の足元にも展開される。漱輝はなんとか立っていられたが、その足は震えて限界が近いことを知らせていた。

「次は避けさせん。……行くぞ!」

 動けない漱輝に、俊雄は走って近付いてくる。奇しくも、先ほどの漱輝と同じ一直線だった。

「オレは最初から、避けるつもりなんかねえんだよ」

 ゆっくりと、刀を持ち上げる。三倍の重さのせいで、まるで自分の刀ではないかのようだった。

「纏炎っ!!」

 大上段に構えた刀に、炎が纏わりつく。漱輝の纏炎は、何も自分の体だけに炎を纏わせる魔法ではない。自分が直接触れていれば、何にでも纏わせられるのだ。

 対する俊雄も、大上段に構えた斧に、重力をかけようと画策している。

「遅えっ!!」

 漱輝と俊雄の攻撃は同時に始まった。しかし、漱輝の方がその速度は格段に速い。

 二度目の、頭部への打撃が直撃した。脳への強い衝撃で、俊雄の意識が急激に薄れていく。

「な、何故だ……」

 バランスを失いながら、俊雄が問う。

「てめえが負けた理由は三つ。……一つは、魔法の使いすぎ。三ヶ所に同時発動すれば、その分だけそれぞれに対する集中力や魔法エネルギーが足りなくなる。魔法の基礎だぜ?」

 美乃花と漱輝の周りの重力が元に戻った。俊雄の集中力が切れたせいだろう。

「二つ、あらかじめ斧に重力をかけておかなかったこと。オレの刀には既にてめえ自身が重力をかけてたんだから、攻撃の直前にかけるつもりじゃ、遅えよ。……そして三つ目は」

 美乃花は立ち上がって、漱輝の傍に寄る。俊雄の攻撃を跳んで避けた際に擦りむけた傷が姿を見せていた。

「この、オレに喧嘩を売ったことだ」

 かっこいい、などと美乃花は思わなかった。擦りむいた傷を見て少し感謝の念が表れていたところだったのだが、その気持ちも薄れていく。もう少しで思わず『うわあ……』と呟いてしまうところだった。

「くっくっく……。もう、勝った気か」

 朦朧とはしているが、俊雄はなんとか意識を保っていた。斧を握る手は堅く、魔法エネルギーと集中力さえあれば未だに魔法を使える状況ではある。

「うっせえな。負け犬は負け犬らしく、黙って地面に突っ伏してやがれ」

「…………」

 俊雄にやられた時の自分の姿を思い出して、美乃花は少しばかり漱輝に殺意を抱く。

 ──お前は負け犬の気持ちを分かってやれよ、こんちきしょう!

 しかし不平を告げるのも惨めなので、ここはグッと堪えた。

「意識は朦朧としてる上に、魔法エネルギーもあまり残ってねえ。てめえはもう闘えねえんだよ。つまり敗北、すなわち負け犬だ! ハーッハッハッハッハッ!!」

 漱輝の高笑いが美乃花の頭の中で響く。いつの間にか、手元にはハリセンが握られていた。それに気付いて、魔法エネルギーの無駄遣いだと反省し、すぐに手から離す美乃花。

「負け犬だとしても、最後に一歯報いてやる!」

 俊雄は持っていた斧を、美乃花に目がけて投げた。相当なスピードである。

「……うわぁっ!」

 またも、間一『髪』。美乃花の反応速度は超一級と称しても問題ないくらいのものだった。

「てめえ……って、いねえ!」

 怒りと共に漱輝が俊雄に詰め寄ろうとすると、そこには既に俊雄はいなかった。今回ばかりは、逃げ足が速いという言葉では説明が付かない。残った力で魔法を使って逃げたか、誰かに援護されたと考えるのが一番だろう。


   ☆ ☆ ☆



「……くそっ、逃げられたか」

 私は、未だにバクバクと激しい脈動を続ける心臓を押さえつける。

 ……ここに漱輝がいなかったら、私はどうなっていたか。

 答えなど、問いを考える以前から知っていた。

「凜がシルフィスを使って物陰から春原を回収したって可能性が高えが、そんなコトを考えてもしょうがねえしな」

 考えている様子の漱輝。私はこいつに助けられた。それが事実だ。

「……で、てめえはなに、座ってやがる」

「…………へ?」

 あ、あれ? いつの間に座ったんだろう、私。

 足に力を込めてみる。不思議なことに、立てない。まだ春原の魔法がここに残ってるみたいだけど、実際はただ私の腰が抜けただけだろう。

 あはは、こんな感じなんだ。腰が抜けるって。

「まさか、腰が抜けたのか? ククク……」

 押し殺した風な笑いを私に向ける漱輝。本当は笑みを隠すつもりなんかないことぐらい、分かる。でも、一応は命の恩人。反抗できない。

「ところでてめえ、魔法を使えるようになってんじゃねえか。特訓でもしたか?」

「いや、全く」

「だったら、明日から特訓しろ」

「は、はい?」

「見たところ、てめえの魔法は物質を生み出す能力を持ってるようだ。だから、それを活かすためにも、様々な武器のイメージを得て、多種多様な使い道を探せ」

「でも私、闘うつもりなんか……」

「じゃあ、春原に殺されても構わねえと?」

「うっ……」

 私が返答に困っていると、漱輝は今日も指先だけに纏炎する、『纏炎ライター』を使ってタバコに火をつける。

「そ、そういえば漱輝の名字、赤山っていうんだ。私が通ってる護身術教室の師範と同じ名字だ」

「ああ、てめえ、親父の客だったのか。ウチの門下生と動きが似てると思ってたんだよな」

 だから、そんなに観察する余裕があるなら助けろっての。

「じゃあ、基本体術についてはそのまま親父に習ってりゃ平気だな」

 ああ、父親はちゃんと信用してるんだ。

「本人は強くねえが、知識だけはまともだからな」

 ああ、父親もほとんど信用してないんだ。

「まあとりあえず、武器の資料でも漁ってみることだな」

 そう言いながら、漱輝は振り向いて去ろうとする。

「ちょっと待って。訊きたいことがあるんだけど」

「なんだ? 聞くだけ聞いてやろう」

 ……あまりの態度に、ちょっと叩きたくなった。ここは我慢だ、私!

「昨日、凜が言ってたんだけど。……キミが、『殺人鬼』だって」

 あからさまに、漱輝の顔が曇った。私だって、訊きたくて訊いたわけじゃない。ただ、はっきりと知りたかっただけだ。漱輝が正義と悪、どちらに属しているのかを。

「なのに今、キミは私を助けてくれた」

 漱輝の顔を窺ってみた。夜の暗さのせいで、どんな表情をしているのかは分からない。

「凜が言ってたこと、本当なの? なんだか私、信じられなくて」

「…………」

 なにも聞こえてこない。問いを出してから、喋っているのは私だけ。

 ……触れちゃいけない話題だった?

 いや、最初からそうじゃない確率の方が低いことは分かってて訊いたんだ。今さらになって気づいたふりをするのは、なんだかズルい気がする。

「……てめえには、話す理由も、義務もねえよ」

 俊雄と闘っていた時に言ったのと、似た台詞。だけど、その言い方には雲泥の差がある。闘いの最中に言った時は興奮していたからか、語気も荒く自身満々といった感じだったのに、今のこの台詞には、意気消沈という言葉が相応しい。

「隠す理由と義務はあるっての?」

「うっせえ…………肯定だ」

 そう言って、漱輝は後ろを向いてしまった。先ほど以上に表情が読み取れなくなる。

「じゃあ、代わりに別の質問には答えてくれる?」

「質問による、とだけ言っておく」

 やっぱり、さっきより言葉にトゲがない気がする。

「私は、キミを信用していいの?」

「その質問に否定するヤツはそうそういねえだろうが」

「じゃ、信用していいってわけか」

「そもそも、それを決めるのはてめえ自身だ。てめえがどうするか、それにオレが口出しする理由と義務はねえ。……じゃあな」

 そう言って、漱輝は突然駆け出した。これ以上、この話を続けたくないと言わんばかりに。

「…………」

 すっかり暗くなった春の夜の下、私は独りになる。周りには、類も漱輝も紫苑も凜も紀沙も春原もいない。

 日常でも非日常でもない世界だ。今の私には、そのどちらかであると決定させる要因はない。

 昨日を境に、私はひどく曖昧な存在になってしまったみたいだ。

 ……とりあえず、帰ろう。我が家では、お母さんが私の帰りを待っているはずだ。

 足を動かした。私の場所に帰るために。




「お帰り、美乃花!」

 家に着くなり、いきなりお母さんが私を襲撃してきた。なにかあったのか、私を抱きしめる。

「ただいま、お母さん。急になに?」

「んー。なんだか、独りで寂しかったっていうか……」

 まあ、週に二、三回は同じ理由で同じことをされているから、だいたい予想はついてたけど。

 でも今日は、少しばかり様子が違う。いや、様子というか匂いというか……。

「お母さん、もしかしてお酒入ってる?」

「うん、今日はワインを少々……」

 やっぱり、アルコールの匂いか。お母さんがお酒を飲むのは月に一回ぐらい。そこまで珍しいわけじゃない。昼間、私が学校に行っている間はずっと独りというのはそれだけ寂しいんだろう。お酒を飲まないとやっていけないくらいに。

「それより、聞いてよ美乃花ぁ……」

「それより、重いからどいてよ、お母さん」

 いつの間にか、抱きしめられていたはずが、寄りかかられている。お母さんは私より小柄だから比較的に軽い方だろうけど、やっぱり一人の人間の重さをずっと支え続けるのは、ツラい。

「お父さん、今度の週末に帰ってくるって言ってたのに、急に仕事が延びたって……」

「延びたって、いつまで?」

 訊きながら、お母さんを持ち上げる。このままお母さんを寝室まで持っていくのは、ちょっと体力的に無理な気がする。

「わーい、楽チン」

「……落とすよ?」

 質問を軽く無視されつつも、なんとか居間までお母さんを連れていく。そのままソファに横たえた。

「晩ご飯、キッチン、ハンバーグ……」

「了解。……布団、持ってくる?」

「寒い、欲しい……」

 いささか文法を欠落させた言葉を解読していく。とりあえず布団を欲しがっているようなので、お母さんの寝室へ向かった。そこのベッドから掛け布団を担いで、また居間へと戻った。持ってきたそれを、お母さんにかけてやる。

「いつまで延びるか分からないって……」

 時間差で返ってきた答え。一瞬、なんのことを言っているのか分からなかった。

「……そうなんだ。大変だね」

 大変なのは、お父さんも、お母さんもだ。きっと今日、お母さんがいつもはあまり飲まないお酒を飲んだのも、それが理由だろう。

 お母さんがいつからこんな状態なのか分からないので、それを知るためにもキッチンへ向かった。置かれていたハンバーグは買い置きしてあったレトルトだし、流しには使用済みの食器がおよそ二食分。つまり、お母さんは午前から飲み始めた可能性が高い。いつもなら食後すぐに食器は洗っているはずだからだ。

 となると、郵便受けの中も確認してないのだろう。さっき脱いだ靴をまたつっかけて、玄関を出てすぐにある郵便受けを開く。案の定、中には夕刊と封筒が入っていた。

 私には新聞を読む習慣などないので、夕刊は新聞入れと定められているダンボール箱の中に放っておく。

 封筒は、『赤山護身術道場』からだった。授業料の振り込みなどが書かれた明細書が入っていたので、後でお母さんの目につきやすいように居間のテーブルの上に置いておく。

 そういえば、と気がついた。

 漱輝は赤山師範の息子らしいし、道場に行けば顔を合わせることになるかも知れない。

 しかもちょうど、明日は木曜日。護身術の授業がある日だ。

 もし、会ってしまったら。

 ……私は、どんな顔をすればいいのだろう。




「おはよう、美乃花。昨日は先に帰っちゃって、ゴメン」

 朝、類の声。教室でノートを広げ、漱輝から訊いた魔法について内容をまとめていたところだった。

「お、おはよう、類」

 慌てて、ノートを閉じる。これは類たちには見せられない。

「あの後、私もすぐに帰ったから。気にしないで」

「でも……」

「あんまりしつこいと、チョップかな」

「わ、分かった……。気にしないことにするよ」

 幸い、ノートのことは気づいていないようだ。言及されたら困るところだったけど。

「ところで、美乃花。今日は大田さん、風邪で休みだって。放課後、お見舞いに行く?」

「ああ、私、今日は護身術の授業があるから、紀沙を誘って行ってあげて」

 というか類、サラリと私の授業の曜日を忘れてやがったよな?

「分かった。じゃあ、なにか伝言とかは?」

「お大事に。以上」

「…………ある程度、脚色を加えておく?」

「じゃあ頼む」

 チャイムが鳴った。あともうすぐで、担任がやってくるという合図だ。

「『今日は大田さん得意のビー玉が見れなくて残念だった』とかでいいかな……」

 きたるべき担任の号令と点呼のために、類は自分の席へすごすごと帰っていく。

 去り際に聞こえた呟きに『私はそんなこと、言わないから!』とツッコミを入れるタイミングを逃して、後で訂正しておくことにした。

 まあ、本当は言ってもおかしくないんだけど。私が昨日のことを、未だ根に持っていたらの話。




 午前の授業は、全部で四時限ある。すなわち、四時限目の化学の授業が終わった今は、昼休みだ。実験室に移動しての授業だったため、すぐにお昼にするわけにはいかない。『あんなもの』が見えてしまったら、なおのことだ。

 屋上へと通じる扉を、全身を使って開ける。昼休みは始まったばかりだけど、ちょっとお腹が空いてるから、急ぎたい。鉄の扉は錆びていてやたら重い。扉を開いた瞬間、春らしい強い風を感じた。同時に、少しずつ忍び寄ってきた陽気も。

 開けた視界の中、小さな焔色が目に飛び込む。

「よう。……オレに気づくとは、なかなか鋭えじゃねえか」

 タバコの煙と賛辞の台詞を同時に吐くそいつは、なぜか最近私と縁があるらしい男。

「こんな時間に、こんな場所で、なにをやっているんだ……」

 呆れながら、私は言う。とりあえず校内でタバコを吸うなよ、とか、煙が上ってりゃ気づくだろ、とかツッコミたいことは多々あったけど、理由も義務もないのでやめておくことにした。

「簡単に言えば、監視だな」

 ストーカーも始めたんですか、殺人鬼さん。

「凜たちが、特に春原が狙ってんのは、てめえだ。次に現れるなら、てめえの近くだろうと思ってな」

 ……あ、しかも私のストーカーなんだ。

「それで、昨日言ったコトは実行してるか?」

「昨日の今日で、できると思う?」

「……ガッツが足りねえな」

「うっさい。そこまでする理由も義務もないから」

「……オレのセリフを盗んじゃねえ!」

 途端に、プッツンした。そういえば隠しもせずに持っていた刀の先で、私の頭を軽く小突いてくる。……ブチ撒けてやりたくなった。

「オレは、自分のモノを他人に盗られんのが一番嫌えなんだよ」

 あれ、思い通りにならないのが一番嫌いなんじゃなかったっけ? 過去の情報は破棄ですか?

「で、どうでもいいが、てめえの魔法、名前は決めたのか?」

「どうでもいいなら、訊くなよ」

「うっせえ。いいから答えろ」

「……決めてないけど」

「考えておけ」

「……理由は?」

 少なくとも義務はなさそうなので、理由だけ訊いてみた。

「名前を決める理由なんて、決まってるじゃねえか」

 なんだよ、とか思いつつ、口には出さずに首を傾げてみる。

「名前がねえと、呼びにくいだろ?」

 ああ、まあそうだな。一理ある。

 それに、名前があるとどんなものでも、愛着が湧く気がしないでもない。捨てネコを見つけて飼うにしても、名前は最初に考えるだろうし。

「ちなみに、オレは言いやすさを重視して名前をつけた。『纏炎っ!』と叫んで集中力を上げることが多いからな」

「ああ、あの叫びに意味あったんだ」

「……殺すぞ?」

 穏便でない言葉は無視するとして。

「集中力って、魔法と関係あるの?」

「言ってなかったか?」

「春原との闘いの時に、ちょっとしか」

 あからさまに、面倒だ、と告げる表情をする殺人鬼兼ストーカー男。ちょっとしばいたら、もうちょっと素直になってくれるか? ……まあ、まず反撃してくるだろうけど。

「そもそも、魔ほ……」

 説明が開始された直後、扉を開く音が聞こえた。

 目の前には、タバコに刀の、不審者の模範解答みたいな男。

 ……誰が来たか知らないけど、説明に苦労を強いられそうだ。

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